こんにちはdbd半です。
今日は月ねこ座さんと劇ストとして初めての合同稽古を行いました!!
どうでも良いけどミントジャージ目立つなぁ(笑)
※劇スト団員 あゆみん です (笑)
今回主導は月ねこ座の演出モダンさんにお任せして私たちはおんぶに抱っこ状態(笑)
私が一番はしゃいでた?かもしれませんね(笑)
以前に月ねこ座さんが上演された台本と、11月に上演予定の作品の前半を皆で読ませていただきました。
他劇団さんの作品に触れられる事はとても貴重です。
台本書くようになって、興味はさらに深まるばかり。
月ねこ座さんのコメディって、めちゃくちやテンポがいいんですね。
突っ込みつつ、ボケつつ、ぽんぽんと会話が進みます。
そして進行のモダンさんの話し方の上手いこと!
整っているというか、本当に講師の人に教わっているような落ち着いた話し方。そしてウィットに富んだ独り言がポツリポツリと出たり。それがまたなんだか味わいと言うかツボになってきたり(笑)
私演出家さんのトークが結構好きなのかもしれません(笑)
演出家の方が脚本を書かれる方も多いせいか、間(ま)が良いと言うか、ツッコミが面白いと言うか。会話の回し方が面白いですよね?
なんか、もうそれ自体演出家さんの一人舞台を見ているようで、会話のテンポや雰囲気や場の回し方についつい見惚れてしまいます(笑)
あ、話もちゃんと聞いてますよ!(笑)
一つ演出のモダンさんが強くおっしゃられていたこと、ご紹介しますね。
作品作りに置いて
「『何をどう感じるかはお客さま次第』とは言いますが、役者は何を思ってやっていることなのかは理解するように。もちろん『やってます』感ありすぎるとやりすぎになっちゃうんですけどね」
と、茶目っ気を含めておっしゃられていました。
芝居をやっている方は言われた事があるかもしれませんね。
半もそういえば、そうだった、と改めて思いました。
何をどう感じるかはお客さまの自由です。
しかし、それを受け止める度量が必要。
演じる側は、感じたお客様を否定することはできません。
あからさまに「わかってないなぁ、これはそう言う意図じゃ無いんですよ〜」なんて言う芝居人がいたら、残念ながらその人は芝居作りの入り口を間違えてしまったのでしょう。
私たちができることは、視覚や聴覚のほんの入り口までメッセージを届ける事です。五感に訴えることです。
それ以上お客さまの体の中に入ってしまったものは、変えることはできません。
例えば一つセリフを噛んだとしてそれが耳に入ってしまった瞬間、それは噛んだと感じられるか、そういう台詞回しとして聞いてもらえるかは、見る側の人が判断する領域です。
だからこそ、芝居人は自分が作り上げた物が、どんな風に言われようと受け止める事が求められます。
悔しいなら悔しいでも良い。
自分の意図と違ったとしても、そう感じられる作品を出したのだと受け入れる姿勢がまず大事なのです。
そうして、そこからが次へのステップへの始まりです。
受け入れる、耳を傾ける、その姿勢が肝要なのです。
そのつぎにどうするかは別の話。
昔読んだ成功者の方の名言で、
色々質問を受けた時に必ず答えるフレーズとしてこんな言葉の紹介がありました。
「ご覧の通り」
どんな言葉を積むより、見たままの状況ですよ、と伝える言葉です。
言葉にはしてしまうと、メディアは良い所、悪い所と粗探しをしてしまう一面があります。
単純に言葉の揚げ足を取られるかもしれません。そうでなくても矢継ぎ早にさらなる質問が投げかけられます。
この「ご覧の通り」の言葉には、あなたが感じた事が全て。
あなたの感じた事のままです、とそれ以上言及されない代わりに一切言い訳のないスタイルを表してします。
そう言うと大抵のメディアは黙り込むそうです。
実は最近私は、家人にこれを言います。
なんか、ぁあ、やっちまったなぁと思っていた矢先に
「◯◯どうなったの?」
とか
「あれ、どうしたの?」
と、詰め寄られそうな時、
「ご覧の通り」
と言うと、だいたい周りを見回してくれるので、それ以上の追求はありません(笑)
ま、良くも悪くも、主権は見る側に委ねられている物なのです。
ただ、後半の部分がより大切。
「『何をどう感じるかはお客さま次第』とは言いますが、役者は何を思ってやっていることなのかは理解しないといけない。」
役者や演出は、何を思ってやっているかを理解する事。
つまり、受け取りとしてはお客さまが主体ですが、発信する側は当たり前ですが、発信する側が主体です。
何を思って、そのセリフが出たのか?
何を伝えたくて、このセリフが出たのか?
本読みをしていてもそれは常に感じ取られます。
短いですが例えばこんな台詞があったとします。
「く・・苦しい・・」
このワンフレーズの
最初の「く」はどんな「く」でしょうか?
苦しいと言いたかったけど、胸が詰まって続けて言えなかった「く」?
苦しくて、喉がつまるような「く」?
言おうとした瞬間に膝をついてしまって言えなかった「く」?
苦しいは苦しいでも、何で苦しんでる?
病気で胸が痛い?
首を締め上げられている?
水の中?
台詞の中だけでは遊び(自由度)が山ほどあります。
しかしそれを決めるのは演出や役者。
演じる表現によって、その伝わり方かは変わります。
それらを明確にしていく事で、役者はリアルに「役の心」を持って演じられます。
あ、もちろん
やり過ぎはつまらないですけどね(笑)
ご覧の通り、のように見る人の自由・感じる自由は見る側にありますが、発信者側は何を思っているかを作り上げ、さらにそれらをお互い感じ取り合うことで役者の「役」が生きてくること思います。
そうして、発信する側の明確さの連続、その先に感じ取って貰える《モノ》があるのでは、無いかと半は思っています。
さて、帰りの電車の中でもう一つ興味深いお話をしていただきました。
我々世代では
作品作りで言えば「起承転結」が作品の格になってきただろうし、そうだったと思うんですが最近の傾向として「転結」で書かれている作品もあると。
目から鱗でした。「転」で「結」⁈
なんと!どういうことだ?と食いつく半。
最近ではYouTubeなど情報が沢山あります。
それらに慣れ親しんだ世代には、早く完結が知りたい、そういう傾向が見受けられるそうです。
ほーーーっ!
なるほどっ!
確かにいち早く内容がわかりたい人は、飛ばし飛ばししながら作品を見たりします。
動画という媒体は、それらをいとも簡単にしてくれます。
面白そうな部分を見て、つまらないと思った瞬間に飛ばしてもうちょっと先だから見ようかなって。
他のSNSもやはりどんどん簡潔されているように感じます。
そんな媒体に慣れている世代であるなら、「転結」で内容を知りたいと思う心理が理解できます。
そう言えば、
うちの子10歳さんは、ネタバレオッケイ派でして、好きなアニメを見るのに途中からだったとしても構わないから、今やってるなら今見たいと言っていました。
私なんぞは、楽しみにしている作品なら尚のこと、頭からストーリーを楽しみたい派なので全く理解できませんでしたが、「なるほど〜そういう事だったのかぁ」と妙に合点いきました。
人は周りの環境で変わっていきます。
その環境の変わる流れが大きければ大きいほど、世間的感性の傾向も変わってくるのかもしれません。
作品作りをするにあたって、
世間ウケ
を考えない人はいないでしょう。
それを踏まえた上でどう判断するかは各演出、劇団によるものだと思います。
最近劇場に足を運べていない半はどんどん時代遅れになってしまうかもしれません。
しかし、学生の頃のように月単位で何本も見ることは今の私には不可能です。
子供が手を離れ、定年退職したら、爆発して見まくってるかもしれません(笑)
世間の流れに敏感な月ねこ座さんはさすがだなぁと思う帰り道でした。
この日1日、最初から最後まで
月ねこ座さんは、すごいなぁ、さすがだなぁって思う事がたっくさん!!
もう面白いっに尽きます!!
次回、月ねこ座さんの舞台絶対見に行かなきゃですね!!
出来上がりが楽しみです!!
素晴らしい時間を本当にありがとうございました!!