こんばんは。
世代ギャップを感じるようになり、何が正しいのか?何が正義なのか?など、モヤっとすることも度々ありました。

このモヤっとする気持ち、なかなかな言語化できませんよね・・。
今まで正しいことを、この時はこうするのがいいよね?っと教えられ、自分もそうだと信じて生きてきた、それらが崩れた時の無力感。
個人の考えや気持ちが尊重されるのは良いですが、年嵩になった身としては、納得感が得られずモヤっとしていました。
例えば、LINEのやり取り。
いつが終わりなのか?問題。
句読点をつけるとマルハラ問題。
長文や絵文字を入れるとおばさん構文などと揶揄される。
例えば、あくび問題。
教えてもらっている時など、若手の方が普通に欠伸をしていて驚きました。学校の講義ではないです。私自身も気になって一度それについて強くいうことがありました。生理現象なので仕方ないと言われて、だとしても見えないようにしてくれ、と半は引きませんでした。
その後、よく見ると、その方が良くないというより、他の方も何人も見かけて、自分だけがアップグレードできてなかったのか?と内心逡巡しています。
良かれと思ったことが、正しいと思っていたことが、相手に否定される時代が来る。
これは、時の真理、なのかもしれません。
私も新入社員の時、肩がけバックをしていったら、スーツがシワになるからやめた方がいいと教育担当の方に言われました。今はどうでょう?肩掛けバックどころか、リュック型のバックの多いこと。
あの時、ご指摘もらったシワ問題はどこにいったのでしょうか?
ですが、自分の常識が覆られた時、次の時代になったと、喜ぶべきなのかもしれません。
何故なら、私自身は正しいと思っていた規律やエチケットも、実はその他大勢の方にとっては、不服の塊だったのかもしれないという大きなを見落としに気づけるからです。
見えないそれは、大きな波になって姿を表し、鬱屈した内面から解放されたもう1人の自分だったのかもしれないのです。
私は単に言われた事を、素直に受け取って、正しいと思い込んでいただけだったに過ぎないからです。
世代が変わるということは、新しい大きな気づきを当たり前として受け入れていることなのです。
自分たちでは無し得なかった常識を、常識として育った人たちなのです。
人は1人では生きていけません。風潮や歴史を刻みながら、少しづつ少しづつ当たり前をアップデートして進化をしているのです。
とは言え、私個人はすぐに変えられないことも山ほどあります。
そこで、モヤっとしています。
何が正しくて、相手は何を求めてるのかしら?こんな事をしたら失礼かしら?嫌な気持ちになってしまうかしら?おせっかいかな?面倒臭いって思われるかな?嫌われてしまうかもしれない。
一つのリアクションでも色んなことがよぎります。
見てみてください。
これ、全て「かもしれない」構文です。
あれ?
これ、周りの顔、伺ってないか?
周りに合わせようとしてないか?
周りの目から、自分の存在を見つけようとしていないか?
なんか・・これって自分が無くない?周りから見た私を私だと思っていないか?
ピカーーーーーーーーーーーーーーッ!
閃きました。
あぁ、そうなんだ。
未来や、相手のことを考えて不安になる時があります。
そんな時は、「今、この瞬間を集中しなさい」
そんな仏教の教えがあったのを思い出しました。
未来や相手のことを、自分が想像するには限界があります。烏滸がましくも半の半生はそんなことばかりを辿っていたと思います。
周りのことを考えて、やってるつもりになったり、結局周りをふり回りしたり。
けど、やっぱり答えは見つからず。
当たり前です。相手のこと全て理解することなんてできないんです。答えは相手の方にしかないのだから。
だけど、求めてしまう。
良い人でいたいと思ってしまう。
良い人と思ってもらいたいと思ってしまう。
だけど、なんだろ?
やっぱり限界あるなって思ってたんです。
良かれと思っていた正義も相手にとってはおせっかいや面倒くさいことになっていたりするんじゃん。自分が描くシナリオでは正解でも、他者のシナリオでは不正解。
じゃ、どうしたら良いんだよって。
不貞腐れて、拗ねていました。
流行に乗れるように、自分を変えていける人もいます。
でも半は、ちょっと意固地なところもあるので、どうしても受け入れられない気持ちがありました。
腑に落ちない。
そんな状況。
もっと、前に手放せば、良いんだ。
自分は自分でいい。
相手が邪険にするかどうかは、相手が判断することです。
嫌がられたら、やめればいい。
自分は良かれと思ってする行動する。
それは、自分なりの人となりじゃないか。
自分の行動の良し悪しは、自分が決めればいい。
自分の良し悪しを相手に委ねるな。
自分の良かれと思った行動に誇りを持て。
自分が喜ぶことをまず行う。行うこと自体は否定されることではない。まずは行動する。
それが誠実ではないのか。
ただし、その後どう思われるかは、自分が考えることではない、相手に委ねる。相手が入る余地を受け入れろ。
それで、良いんじゃないか・・。
仕事でも人生でも点と点が繋がる瞬間があります。
大したことないことかもしれない。細かいことまた気にしてるな、半ちゃん。
でも、これは、生きる上での行動指針。
物事の選択基準。
思考のリズムの根っこにある物。
人はわからないことを何故こんなに考えてしまうんでしょう。
わかるはずもないこと、正解のないこと。
なのに、そのことに夢中になって、勝手に落ち込んだり、悩んだり、期待したり、自分はいつか奇跡を起こせるんじゃないか、なんて思ったり。
こういうもん、て思って片付けたくなる。
きっと頭のいい人は、わからないことをわからない、としてそのままにしておける人なんだと思います。
きっと、自分の思考の領域をわきまえている。
半は、凡人なので、今日みたいな閃きがあっても、また戻って思考のドツボにハマったりします。
でも、その中で少しづつ、半の中でもアップデートを繰り返しているのかもしれません。
自分の良かれと思って行う行動。
それ自体は、善意であり、自分自身の一部。
誰かを受け入れるために自分を無くさなくてもいい。自分を否定しなくてもいい。
でもターンは、すぐに切り替わる。
切り替わった上で、自分の思考はそこから始まる。そう思えられたら。




