dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

褒めの力

こんにちはdbd半です。

 

突然ですが、褒められました。

部署異動してから約1年です。

先日上司との定期面接があり、その時のことでした。

 

「自分でも意外でしたが、人の話を回すのが得意のようです。」と、少しだけ自己主張しました。

 

と言うのも、チームのプロジェクトが一つ稼働しており、自分でいうのも何ですが、私はその根幹的な柱になったような結果になったからです。

社歴的にも、部署的にも、時間的にも内容的にも、自分が支えになって進めるポジションだと思いました。実質的なリーダーも私を頼ってくれたので、互いに意見を出し合い勧められたのが一番功を奏したのだと思います。

 

直属の上司とは関係性のないプロジェクトのため、上司は、耳に入ってくる情報と結果を照らし合わせてこう言ってくれました。

 

「資料作りで培ったスキルが、もともとあったのだろうけれど、今までは必要なかったスキルが、ここに来て発揮されましたね。自分もさらに上の上司に報告しておきます」

 

ごめんなさい。私、上司のこと、合わないなぁって思っていました。以前の上司とあまりにタイプが違って、これでいいのかな?ここまでやっていいのかな?と結構不安を抱いていたからです。

 

やりすぎだって、言われたらどうしよう?と他の人に相談したこともありました。

 

相談した人からは、

「大丈夫ですよ、その時は肩トントンってされますから」

 

と言われて

半はこう思いました。

 

「ええーー!肩トントン、こえーっ!」

 

と言うわけで、肩トントンにびくつきながら迎えた面接だったんです。

 

 

でも、ふと思いました。

 

資料作りだけで培われたスキルじゃない。

 

そうです。

私には芝居経験があります。

 

主催として代表として、一つのプロジェクトを最初から最後までやり切った経験が何度もあります。

 

あらゆるプロジェクトは、新規で立ち上げて、ゴールに向かい、解散する。この流れが基本です。

PDCAサイクルと共に、企画、遂行、反復、そして次の実行。

 

それが長かろうが短かろうが。

 

流石に絵に描いた餅は無理ですが、割と現実的なサイクルとゴールがあれば、あとはトラブル対応とその時の人の動きを見て行動する事で、ゴールに行けます。

 

私の体と頭の中では、一度動き始めれば、それらは自然と組まれます。

何をするために何が必要なのか?

答えは直ぐに出ないこともありますが、一人で抱えずに相談したりそのために奔走することはできます。

 

こんな事が自然とできるのは、芝居経験と育児と言えるでしょう。机に座っている作業だけではわからない事があります。

職場以外の環境が私を育ててくれたのに間違いありません。

 

どんなことでも、その内容の経験値が低くても、対応力についてはあらゆる場面を経験しているのだと。

 

芝居はすごいんです。

制作からお客さんとの最後のお見送りまで。

ここにあらゆる事が濃密に詰まっています。

芝居をやってりゃ大体のことが乗り越えられます。

 

 

 

芝居は、人の心です。

劇団側も、お客さん側も。

 

あらゆる人の心が描かれて動いて、高まります。

 

 

本当に色んな人に芝居に携わってほしい。

仕事にも生きてくる場面が山ほどあります。

 

もちろんその中には「好き」の力があるからです。

どんなことでも「好きだ」「面白い」と思えた時、自身の行動は爆発的に実力として身につきます。

 

 

 

 

 

そしてね、もう一つ伝えたい事があります。

 

頑張ってる最中は誰も認めないんです。

 

頑張って、頑張って、誰も気づいていなくても、やり続けた先、そこに思いがけず、お褒めの言葉がいただける、そんなもんです。

 

誰も認めてくれない

誰も見てくれない

誰も受け入れてくれない

 

そんなもんです。

 

それでもやり続けてほしい。自分の「好き」を信じて。

 

その頑張りが自分のスタンダードになった時、やっと次のステージに上がれるのです。

 

 

 

上っ面の賞賛なんて、すぐに崩れます。

褒めて欲しいから頑張るというのは一過性です。応援はできても、最後に残るのは自分の中の真になる部分です。

 

自分自身がどうしたいのか?

何を残してきたのか?

これから何ができるのか?

 

何に挑戦していくのか?です。

 

私が素敵だなと思う方は、幾つになっても挑戦し続けている方です。

勇気をもらうのは、初めてのことに挑戦している方です。

かっこいいなって思うのは、できなくてもがいて、でも諦めていない方です。

 

 

芝居をやっていると、そんな人との出会いにも恵まれます。

 

 

ほんとっ、仕事にも通じるんで、もっとたくさの人に演劇に関わってもらいたいです。

 

 

私のベースは、芝居があるから。

 

芝居が、上司の言葉を引き出してくれました。

うわべの称賛ではなく、実力として認められる事。それが何より嬉しい。

結果は本当に後からついてくるんだと思います。

 

だから、今真っ最中に頑張ってる方、

諦めないでー。

あなたの頑張りはいつかあなた自身を救ってくれるはず。

結果は直ぐに実るかもしれない、実らないかもしれない。でも、今頑張ってることは、必ず返ってくるよ!

 

 

千葉県で芝居ができる所お探しなら、劇ストに来てみてほしいです。

きっと何かが変わるきっかけになるはず。

こんにゃろ

こんにちはdbd半です。

 

皆さんは逆境というものに強いですか?

生きていると思うようにいかないことに出くわす事が度々あります。

 

半は20代の頃は、精神的にも未熟で、指摘を受けても、目の前のことしか理解できず、本来の具体的なダメな部分を理解できませんでした。

最終的に職場を去るなどして、結果向き合うことはできませんでした。

 

30代になり、初めて「こんにゃろ」と思って、巻き返せたのは事務職での書類のやり取りでした。

取引先で細かく提出書類の指摘をしてくる男性がいたんです。言い方もつっけんどんで、気に触る感じだったので、他の方も、またかぁ・・という感じ。

業務を引き継いだ私も洗礼をバッチリ受けました。

 

これくらいは許容範囲内でしょ!?またやり直し!?

 

みたいなね。

 

だけど、それを巻き返したくて、何度も何度も事前にチェックを行うようになりました。散々指摘を受けているので、注意する項目もわかっていったのです。

ある時、返された書類を私が気付き、先方にご指摘しました。

 

先方は素直に短く謝ってくれました。ダメなことにはダメといっていたのは自分に厳しい人だったからなのでしょう。

それから、書類については指摘が最小限になりました。

 

き、きもちぃ〜〜💕

 

これは言い負かしたからではありません。

私が作る書類に対して、信用してくれるようになったのです。いつの間にか指摘がなくなり、レス自体が早くなっていきました。

 

この出来事は、私にとって、めちゃくちゃ良い成功体験でした。

 

言葉で言い返すのではなく、結果で負かす。

 

言葉で言い返す、やり返すことに、何の価値もありません。その瞬間だけ良い気持ちになるだけです。

でも、同じ土俵で、結果を出せた時は、違う。

信頼を得られる、それを体感したのです。

 

 

それから、時々、コンニャロって思う時がやはり度々ありました。

その時も、0.5秒イラっとはしても「見てろよ、こんにゃろ」って心ん中で思うんですね。

その瞬間スイッチが入るのもわかります。

 

先日は後輩くんに

「大丈夫ですか?(僕が変わりましょうか?)」

と言われた時でした。

相手に悪気はないのでしょうけどね。

状況的に、自分ならできるって思ってるんだぁ〜はは〜ん、と感じ取ったわけです。

 

もちろん「大丈夫です」と余裕の笑みを浮かべましたとも。

だって、半ちゃん大人気ないんだもん。

 

もちろん、きっちりやりましたよ✌️

 

 

 

今回この記事を書いたのはね、「悔しがる」って大事だなって思ったからです。

褒めて伸ばすっていう教育法が方々に散らばっていますが、人間、短絡的に「ムカつく」ってちょっとした原動力だと思ったんです。

 

ただ、がんばろーだけじゃ頑張りきれない。

誰かを見返してやりたいって気持ちって、自分だけでは変えられなかったり 、後回しにしている事を、グーンと前だしして、突きつけてくれる。今やれよって。

 

 

ま、少年漫画見過ぎかもですけどね😅

でも、やっぱそういうのって、見ちゃうんですよね笑

 

取り返しのつかない悔しさは勘弁ですが、

自分に非がある悔しさは自分次第です。

 

 

いろんな逆境があると思います。

直ぐに言い返す事が勝ちではなく、言われた事を受け止めて、状況を俯瞰して、自分のやるべき事をやる。

 

負けたくないって気持ち、素直に「良い」と思うんです。

 

 

自分は自分で

こんばんは。

 

世代ギャップを感じるようになり、何が正しいのか?何が正義なのか?など、モヤっとすることも度々ありました。

 

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このモヤっとする気持ち、なかなかな言語化できませんよね・・。

 

今まで正しいことを、この時はこうするのがいいよね?っと教えられ、自分もそうだと信じて生きてきた、それらが崩れた時の無力感。

 

 

個人の考えや気持ちが尊重されるのは良いですが、年嵩になった身としては、納得感が得られずモヤっとしていました。

 

 

例えば、LINEのやり取り。

いつが終わりなのか?問題。

句読点をつけるとマルハラ問題。

長文や絵文字を入れるとおばさん構文などと揶揄される。

 

例えば、あくび問題。

教えてもらっている時など、若手の方が普通に欠伸をしていて驚きました。学校の講義ではないです。私自身も気になって一度それについて強くいうことがありました。生理現象なので仕方ないと言われて、だとしても見えないようにしてくれ、と半は引きませんでした。

その後、よく見ると、その方が良くないというより、他の方も何人も見かけて、自分だけがアップグレードできてなかったのか?と内心逡巡しています。

 

良かれと思ったことが、正しいと思っていたことが、相手に否定される時代が来る。

 

これは、時の真理、なのかもしれません。

 

私も新入社員の時、肩がけバックをしていったら、スーツがシワになるからやめた方がいいと教育担当の方に言われました。今はどうでょう?肩掛けバックどころか、リュック型のバックの多いこと。

あの時、ご指摘もらったシワ問題はどこにいったのでしょうか?

 

 

ですが、自分の常識が覆られた時、次の時代になったと、喜ぶべきなのかもしれません。

 

何故なら、私自身は正しいと思っていた規律やエチケットも、実はその他大勢の方にとっては、不服の塊だったのかもしれないという大きなを見落としに気づけるからです。

見えないそれは、大きな波になって姿を表し、鬱屈した内面から解放されたもう1人の自分だったのかもしれないのです。

 

私は単に言われた事を、素直に受け取って、正しいと思い込んでいただけだったに過ぎないからです。

 

 

世代が変わるということは、新しい大きな気づきを当たり前として受け入れていることなのです。

 

自分たちでは無し得なかった常識を、常識として育った人たちなのです。

 

人は1人では生きていけません。風潮や歴史を刻みながら、少しづつ少しづつ当たり前をアップデートして進化をしているのです。

 

 

 

 

とは言え、私個人はすぐに変えられないことも山ほどあります。

そこで、モヤっとしています。

 

何が正しくて、相手は何を求めてるのかしら?こんな事をしたら失礼かしら?嫌な気持ちになってしまうかしら?おせっかいかな?面倒臭いって思われるかな?嫌われてしまうかもしれない。

 

一つのリアクションでも色んなことがよぎります。

見てみてください。

これ、全て「かもしれない」構文です。

 

 

あれ?

これ、周りの顔、伺ってないか?

 

 

周りに合わせようとしてないか?

 

 

周りの目から、自分の存在を見つけようとしていないか?

 

 

なんか・・これって自分が無くない?周りから見た私を私だと思っていないか?

 

 

ピカーーーーーーーーーーーーーーッ!

 

 

閃きました。

あぁ、そうなんだ。

 

 

未来や、相手のことを考えて不安になる時があります。

そんな時は、「今、この瞬間を集中しなさい」

そんな仏教の教えがあったのを思い出しました。

 

未来や相手のことを、自分が想像するには限界があります。烏滸がましくも半の半生はそんなことばかりを辿っていたと思います。

 

周りのことを考えて、やってるつもりになったり、結局周りをふり回りしたり。

 

 

けど、やっぱり答えは見つからず。

 

当たり前です。相手のこと全て理解することなんてできないんです。答えは相手の方にしかないのだから。

 

だけど、求めてしまう。

良い人でいたいと思ってしまう。

良い人と思ってもらいたいと思ってしまう。

 

 

だけど、なんだろ?

やっぱり限界あるなって思ってたんです。

 

良かれと思っていた正義も相手にとってはおせっかいや面倒くさいことになっていたりするんじゃん。自分が描くシナリオでは正解でも、他者のシナリオでは不正解。

 

じゃ、どうしたら良いんだよって。

不貞腐れて、拗ねていました。

 

流行に乗れるように、自分を変えていける人もいます。

でも半は、ちょっと意固地なところもあるので、どうしても受け入れられない気持ちがありました。

腑に落ちない。

そんな状況。

 

 

 

もっと、前に手放せば、良いんだ。

 

 

 

自分は自分でいい。

相手が邪険にするかどうかは、相手が判断することです。

嫌がられたら、やめればいい。

 

 

自分は良かれと思ってする行動する。

それは、自分なりの人となりじゃないか。

自分の行動の良し悪しは、自分が決めればいい。

 

自分の良し悪しを相手に委ねるな。

 

 

自分の良かれと思った行動に誇りを持て。

自分が喜ぶことをまず行う。行うこと自体は否定されることではない。まずは行動する。

それが誠実ではないのか。

 

ただし、その後どう思われるかは、自分が考えることではない、相手に委ねる。相手が入る余地を受け入れろ。

 

 

それで、良いんじゃないか・・。

 

 

 

 

 

仕事でも人生でも点と点が繋がる瞬間があります。

 

大したことないことかもしれない。細かいことまた気にしてるな、半ちゃん。

 

 

でも、これは、生きる上での行動指針。

物事の選択基準。

思考のリズムの根っこにある物。

 

 

 

人はわからないことを何故こんなに考えてしまうんでしょう。

わかるはずもないこと、正解のないこと。

なのに、そのことに夢中になって、勝手に落ち込んだり、悩んだり、期待したり、自分はいつか奇跡を起こせるんじゃないか、なんて思ったり。

 

 

こういうもん、て思って片付けたくなる。

 

きっと頭のいい人は、わからないことをわからない、としてそのままにしておける人なんだと思います。

 

きっと、自分の思考の領域をわきまえている。

 

 

半は、凡人なので、今日みたいな閃きがあっても、また戻って思考のドツボにハマったりします。

でも、その中で少しづつ、半の中でもアップデートを繰り返しているのかもしれません。

 

 

自分の良かれと思って行う行動。

それ自体は、善意であり、自分自身の一部。

 

誰かを受け入れるために自分を無くさなくてもいい。自分を否定しなくてもいい。

 

でもターンは、すぐに切り替わる。

切り替わった上で、自分の思考はそこから始まる。そう思えられたら。

研修ラッシュ

4月になりが進学、ご入学、就職、皆様、おめでとうございます🎉

 

 

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うちのお子も今年から小学生になります。

 

子育ての送り迎えが、あともう少しです。

あと、1年2年くらいでしょうか。

嬉しいんですが、ちょっと寂しくもあります。

 

 

さて、職場では研修と打ち合わせラッシュです。

 

新しい部署に移り、研修を受ける側ではなく、研修する側も増えて、あわわわわ状態です。

新しいことを会社に取り入れるって、なんて大変なんでしょうね。

新しい部署での仕事にまだ戸惑いもありますが、なんとかしがみついています。

 

自分の長所も知っていますが、自分の短所も熟知している分、慣れない事(苦手な事)は苦手なまんまだなって、思います。

 

 

若手の方は、研修で頭がいっぱいでしょうね。

新しいことは新鮮ではあるけど、脳みそがパンクしてませんか?

所々で息抜きもしてくださいね。

 

 

研修する側も、たくさん知って欲しい気持ちで色々工夫をしています。

少しずつ、頭に、体に、浸透していけばいいですね。

 

 

はーるよ、来い🌸

 

怒られるのが嫌

毎日仕事お疲れ様です。

 

そういえば、、この前下の子がこう言いました。

 

「〇〇をパパとしたら?」

「怒られるから嫌だ」

 

 

 

怒られるから嫌

 

怒られるから嫌!

 

お、そうなんだ!!

と実は内心びっくりしていました。

ま、確かに。

 

確かに、そうですよね・・。

 

 

昭和時代の教育もあって、「怒られているうちは華」だと思っていました。

 

実際、30代オーバーくらいになってからは自分で反省して自分で褒めるの繰り返し。

 

指摘をしてくださる存在をありがたいなって思っていました。

 

自分を飛躍させてくれましたし、いい意味で戒めになる言葉は半の中にたくさんあります。

 

 

怒られるのが嫌だからしないって・・

 

 

い、今時はそうなのかも!!と納得する事も。

 

 

そう言えば、「怒らてるうちは華」って、今は全く聞かないですね。

 

 

自尊心を大事にする世の中、半の中では自尊心って言葉もここ数年目にするようになったものですから、イマイチ、ピンとこない部分でもあります。

 

ピンとこない・・と言うのも、

怒られなかったことを考えると、

その場を逃げるか、また同じ失敗を繰り返す。

そんなルートしか浮かばないからかもしれません。

 

皆さんはどうですか?

 

半は、怒られるのがわかっていても、やりたくなる時があるし、怒られようが自分の意思を貫きたいと思う時もあります。

 

結果、怒られようが、それはかまわないんです。

怒られてから得られるものがあるから。

 

 

でも、怒られるのが嫌だからしない、ってなると、怒られるのが前提で絶対条件みたいですよね。

 

そうなると怒られないルートはまず存在しないし、怒られた後のルートも存在しない。

 

お先真っ暗状態ってこと?

 

 

 

んー、怒らない教育というのが主流になった時代がありましたが、結果それはどうなんだろう?って思います。

 

怒らない教育と言うのは、子供の気持ちをゼロ値にしないと言う面でとても良いと思います。

子供だって子供の意思や考えがあって、大人が見えていないだけかもしれないから。

 

 

でも、怒られない事で、怒ってでも伝えたい真剣な人の気持ちを組めないし、配慮してもらうことに慣れすぎて自分で自分の言い分が言えない人もいるように思います。空気読みすぎな人とか?

 

子供の成長度合いは

子供それぞれなので、すぐに答えが出る話ではありませんが。

 

 

でも、実体験として、

私はたくさん怒ってもらえてよかったなと思います。

 

子供には割としっかりと怒ります。

だって親は真剣だから。

 

 

怒る=感情的

 

だけではないと思っています。

 

怒る=伝えたいことがある

 

だから。

感情のたかぶりは仕方ないです。

真剣だからこそ感情的になってしまうことはある。

 

でも、それで怒られたで、終わるなんてもったいない。

 

 

一生懸命、伝えたいことがあるんです。

 

怒るなんて、労力も使うし、取り乱してる姿なんて私も見せたくない。

けど、その先があること。

 

怒られることだけで終わらないで欲しいな。

 

 

 

 

 

って言うのを子供に伝えるのは、どうしたら良いですかね?

 

言葉で伝われば良いけど。

 

ま、時間をかけて少しづつですかね。

 

 

親の悩みは尽きません。

 

 

 

仲間

こんばんは

 

一緒に同じ時間を過ごしていると、楽しいだけではない事もあります。

意見の食い違い、意思疎通のすれ違い、思い込みによる反感。些細なことから大きな問題になる事もたくさんあります。  

 

楽しい時間はもちろん嬉しい。

楽しい時間があるからやっていける。

それは間違いありません。

 

でも人と人だから、違う意見や考え見え方があって当たり前。

リーダーのトップダウンで決まる事は多いでしょうが、トップでもダウンでも嫌な気持ちが昂る事はあるでしょう。

 

でもね、 それで喧嘩しても言い合いになっても時間を少し置いてでも、また一緒にいる。

それが仲間なんだろうなって。家族なんだなって、思います。

 

良い時だけじゃない、嫌な事もあった、嫌な一面もある。それでも一緒にいる。

 

それって最高ですよね。

 

 

半は今の立場、(親であり劇団の頭)になって、人をまとめるには?皆を引っ張っていくには?何をいつ、どうしたら良い?って事を山ほど考えました。現在進行形で考え続けていることでもあります。

 

 

でも、それより大事なことは、やっぱりこれなんじゃないかなって思います。

 

ずっと一緒にいる。

 

 

怒ったっていいんです。

「こういうのめっちゃやだ」って思っても良いんです。でも、そういう一面があっても、やっぱ一緒にいる。

なんだかんだで、やっぱ稽古場来ちゃったって思ってもらえたら良いですよね。

 

 

親と子でも喧嘩します。

自分の考えるところと相手の意思は違います。

 

そっけない態度をとってしまう事も。

言葉が足りなくなってしまう事も。

怒っちゃう事も。

 

でも一緒にいる。

 

 

喧嘩してでも仲良くなりたかった、そう思ってくれた人もいました。

 

もう無理だってなっちゃう気持ちもわかる。

 

今の半には、それをも愛おしい。

 

 

喧嘩しても、もう会わない

はい、ブロック

 

この人とは合わないな

もうスルー

 

連絡消えちゃったな

ま、いっか

 

 

それだけじゃない存在がいるって

どんだけ凄いことなんだろう。

 

また会いたいって言う気持ち。

 

 

 

当たり前じゃないんです。

この出会いは。

 

 

稽古場のこの時このときを一緒にいられるのは、奇跡。

 

稽古場の時間をどれだけ価値のあるものにするか、自分にとっても団員たちにとってもどうやったら有意義な時間になるか。

 

気合いすぎと思われるかもしれないですが、私にとっては大事なものだから、気張ってでもしたいことなんです。

 

稽古場で皆の笑ってる姿を見たい。

 

 

 

 

ずっとそう思ってる。

 

言葉の背景を知る

こんにちはdbd半です。

 

寒波の影響で底冷えする数日です。

 

突然ですが、皆さんこれを見てどう思われますか?

 

「Aさん暴行事件、○月◯日書類送検

 

ニュースを見ているとこのような報道を目にすることがあります。

 

法的処分の細かな部分は私には知識がありませんので、シンプルにAさんて酷い人だなぁと思います。

 

ところが、Aさんが顔馴染みだったらどうでしょう?

Aさんがお店の常連さんだったら?

Aさんがクラスメイトだったら? 

Aさんが会社の人だったら?

 

どうでしょうか?

ぐっと関心が湧いてその人の関係性はともかく、「なぜそんな事をしたんだろう?」となりませんか?もしくは「あ〜あいついつか、いつかやると思った」なのか「あの人は絶対にそんなことしないのに」というように急に人物像が頭に上がってきませんか?

 

 

私たちは普段ニュースや情報を手に入れる時、どれだけその内容と向き合っているのでしょうか?

自分の目で整合性をとりながら情報と情報の辻褄をつなぎ合わせて、自分で感じ取ったその人に対してのイメージとその背景を整理して、きちんと情報を受け取っているのでしょうか?

 

 

芝居をやっていると、無茶な設定な場合もありますが、セリフとセリフの間には、感情の流れが存在します。その行間をどれだけ読み取れるかが役者の面白いところでもあります。

 

言葉は感情の流れから出てくる断片でしかありません。

 

逆を辿れば、セリフから感情や心情の読み取りができます。セリフ一つとっても、1000の読み方があるように、言葉一つに一通りの介錯というのは実に情報不足な気がします。

その人の背景や思考や意図、思い、思惑、その前の言動、その人の周りに起きていること。考えられる事は多岐にわたります。

 

 

この情報社会の中で、SNSやAIが発達する中で、言語化、テキスト化されるデータがより増産されるでしょう。

そこで、自分たちは自分の目で自分の頭で辿り着く回答に、もっと自信を持たなくてはならないと思うのです。

 

 

インフルエンサーが言っていたから

みんながやってるから

 

 

自分もそう思う。

 

 

 

・・ほんとうか?

 

 

そう自分に投げかけて欲しいなって。

 

 

 

自分たちの責任は自分たちでとらなければなりません。

あえて「自分」でなく「自分たち」と書いているのは、言うも言わないも、自分たちの結果なんだと受け入れないといけないからです。

個の考えの塊が、総意です。

 

 

声を上げる事は大変だし疲れます。

意見を考えるって、めっちゃしんどいです。

 

個の意見をきちんと言えるか?ってめっちゃ大事です。でもその前に個の考えをきちんと持ててるだろうか?と問いたいのです。

 

 

SNSによる誹謗中傷が目につき、真面目な内容を書いてしまいました。

 

 

web上に上がっているものはあくまで断片的です。断片的な中で自分がどう判断するべきなのか、時に答えに白黒はっきりしないものがあってもいい。流行や圧に流されず、自分なりの考えを持てるって、いいですよね。

 

そして、その次には自分なりの考えを周りの人や相手に、きちんと伝えられる術を身に付けたいものです。

 

 

自分の主張で相手をねじ伏せるのではなく、相手の意向も自分の意思も踏まえて。そこでやっと次のステップにいける気がします。

 

 

私は今芝居人でもあり、会社員でもあり、親でもあります。

 

芝居は特殊な趣味かもしれませんが、人のことを思いやれる想像力が身につく場所だと思います。

 

自分のお子達が成長するにつれ、芝居をやれとは言いませんが、私が芝居から得られたスキルや考えは、少しでも吸収して欲しいと思います。

 

 

最終的に、今回の記事は、思いやりを持てるようになりたいって話でした!