気づけば会社で、こう口にしていました。
「もう良いかなって」

なんでって?
人の前に出ることも、目立つことも好きではありません。でも、それよりも、やりたい事やるべき事を優先しようという心境になったからです。
あと、あれやこれやと考えるのがめんどくさくなった、これにつきます。
人には良いところ悪いところがあります。
前述していると通り、私は自分のいやなことろを嫌と言うほど知っています。
どうしても治せない部分もあるのです。
周りのように気遣ってみたり、自分なりに努力を重ねたり、しました。
それはそれで良かったけど、頑張ることは嫌いじゃないけど・・でも・・
半はあることに気づいたんです。
心が狭くなってるって。
自分がしてきた努力を相手に求めたり、自分と同じ目線になって欲しいっていう期待がいつも燻っていたり。
できないことはできない
それを認めてもいいのかなって。
諦めに近いかもしれない。
けど、自分の長所と短所を死ぬほど味わった40数年、私の中で、さらに何かが見つかりそうなんです。
できない事をできるようになる事は、素晴らしいです。私はいつもらそれに感動を覚えたし、自分もそうありたいと願いました。頑張ってできないことは、ほぼないと今でも信じています。
ただし、それには条件があるのです。
その人自身ができるようになりたいと望むか?です。
多様化が謳われる時代。
逃げることが、認められる時代。
頑張ることが、必ずしも良いことではない時代です。
そんな世の中で、頑張ることに憧れと行動してきた私はどうあれば良いのでしょうか?
少し周りを見ると、
自分に厳しい人は、周りにもそれを求めます。
私は、人が好きですが、やはり受け付けられない事も人並みにあります。
だから、自分を許せていないから、周りも許さないんじゃないかなって、思うようになってきたんです。
つまり、悪いところも嫌なところも、私自身が私を受け入れきれずにいるのです。
人を許せる余裕がないのは、ひとを受け入れることができないのは、それかもしれない。
私は受け入れているつもりでした。
でも、根本では、あるべき論はいまだに根強くありますし、人を見ていると〇〇するだけじゃん、ってすぐに思ってしまうことがあります。
でも、根っこは変わってなかったかもしれません。
自分のできない、を認められないから。
自分の弱さを武器にできていないから。
だから、細かいことを気にするより
やりたい事に注力して
「もういいかなって」
どうやら、できる事とやりたくない事が隣り合わせになっている事もあるのです。やりたい事とやりたくない事もニアピンなところにあるのです。
じゃ、やりたいベクトルの長さと、やりたくないベクトルの長さを測ったら、ちょっとの差でやりたい事やできることの方が長かったんです。
だから、「もういいかなって」
周りを見ていると、適材適所にあったところに辿り着かないっていう歯痒さをたくさん感じます。
父親が大昔よく言っていました。
姉に対して、「苦手な事をやろうとする。もっとできる事をやればいいのに」
私自身も昔営業をやっていた頃を考えると、事務職の方がずいぶん自分にあっているなと思います。だって、楽なんだもん。
やりたいかやりたくないかは、そもそも大前提です。
その次に、やれる事をやっているのか?って事です。
苦手な事にチャレンジし続けるより、やりたい事や、やりやすい事にチャレンジする方が、よっぽどその人は伸びる。
やりたい事とやれる事は違いますが、やれる事を伸ばすことでさらに自分のキャバシティを広げることができます。
そして、それは自信になる。
つまりね、私は最近こんな事を考えてるんです。
私はどうにかして、その人のデメリットをデメリットごと受け入れられないだろうか?
苦手な部分、嫌な部分、付き合いきれない部分、まるっとひっくるめて、その人を好きになれないだろうかって。
部分的なことに嫌になることはあっても、私はやっぱり人が好きです。
嫌なところと好きなところを比べたら、やっぱり好きたところや嫌いじゃないところの方が勝っちゃう。
マルっとぜんぶ受け入れられたらって、自分の1番居心地のいい場所を作れるんじゃないかって。
自分も相手も。
そんな、事を考える秋の一日。

