dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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目的(言語化)

dbd半です。

 

前回の記事で言語化について書きました。

https://dbd-hans-collection101.hatenablog.com/entry/2024/04/23/%25E6%2595%25B4%25E7%2590%2586%25E4%25B8%258A%25E6%2589%258B_%2528%25E8%25A8%2580%25E8%25AA%259E%25E5%258C%2596%2529

 

言語化の何が難しいって、結局気持ちを伝えるってことは、相手の事を知らないと成り立たない事だからです。

 

自分の気持ちだけなら、このブログのように、一方的に書き出してくものにすればいい。私もこの記事を書く際、読んでくださる方のことを全く考えていないわけではありません。ですが、時や場所、今ユーザー様が感じられていることは私にはわかりません。それでも書き出したい欲求のため、ひたすら指を走らせていますが・・。

 

 

相手を知ることは、とても難しいです。

ことばが最終的に形になるものですが、

それまでに状態や思考パターンや態度や、なんだったら言葉の裏側、黙秘の意味を知らなければ相手のことは分からないから。

相手からすれば、自分の事を分かってもらえない人の言葉なんて、1ミリも届かない。

 

半もこの年になるまで、そういった経験を何度もしています。分かってもらえた時の気持ち。わかってもらえなかった時の気持ち。両方分かります。

人と自分は違うから、わかりたいと思うのに、分かり合えない瞬間のなんて辛い事・・。

 

 

歩み寄り・・

 

 

歩み寄りが大事だよね、と話した仲間がいました。確かに全てを理解するのは到底無理です。

少しづつしか理解し合えない。少しづつでも理解し合えたら良い。でもそうする前に、どちらかが疲れ果ててしまう事もあります。

 

言って欲しい言葉を、言って欲しいタイミングで言ってあげられなかった。その瞬間から心が遠ざかった事が、何度もあります。

 

 

 

人の気持ちを理解したいと思います。

 

 

 

でも・・、

 

一方で強気の半もいるのです。

 

分かって欲しい。

 

そう思ってしまう自分が。

 

 

 

 

人と意見が違った場合、

時に人はとても感情的になります。

 

皆違って皆良い。

今はそんな世の中ですが、それでも同じものを求めてしまうんです。

今世の中は変わり始めています。

自分を大切にしたいし、大切にして欲しい。

だから自分の考えや意見や行動も無下に扱ってほしくない。当然のことです。

良かれと思って言われた事でも、それは耳に入りにくい言葉です。

必要以上に牙を立てる人もいます。

 

 

 

このまま互いに平行線のままで良いんでしょうか?

 

干渉しない事はいい事なんでしょうか?

 

互いの気持ちや行動の尊重は、何も言わない・

関わらない事なのでしょうか?

 

 

 

 

それも一つの選択だとは思います。

やはり近しい価値観、近しい考えを持つ同士で、気兼ねなく時間を過ごせるのは素晴らしい事だと思うし、そんな人がいるのは羨ましいくらいです。

 

 

ただ、物事をやる時、意見を出し合った上で、他の意見も、それよりまたもっと違う意見もあった上で成り立ちます。

同じ目的を持つのなら、一つの視点にこだわりすぎるのは、違う。

最初から複数の考えがあるものとして席について、さらにそこから一緒に『目的』に対して試行錯誤するものだからです。

 

ここで問題になるのが、

会社の研修でもありましたが

上になればなるほど、視座が高くなってしまうことです。

 

同じ場所からでも一階の地上の景色と、展望台か見た景色はまるで違う。

どちらかが偉いとか偉くないとかではなくて、単純に役割の話です。

展望から見えているものは先が見えるからこそ、危険なことが来そうな時に、その回避法を考えないといけない。一階からなら、より人々の頑張りや大変さ喜びを実感しやすい分、その実態を他の皆に伝えないと行けない。 

 

互いに情報交換しながら、互いの見えている景色を共有する事です。

 

でもね、見えている景色を共有するためには、互いに話を聞いて想像力を働かせなきゃ、なんです。

 

 

一方的に伝えてもダメ。

わからない言葉で伝えてもダメ。

聴ける状態でないとダメ。

片方だけかそうしてもダメなんです。

 

 

そのためには、やっぱり相手の事を知ろうとする努力、なのかな。

 

 

 

 

聞いて聞いて、聞いて、そうしたらどうなるんだろう。

 

話を聞くことは、時には自分の考えとは違うことも耳にします。

 

半はね、多分それが怖かったかもしれません。

個性といっちゃぁ個性だけど、人のこと知りたいくせに、自分と違った時にどう対処していいのかわからなくて。相手を不快にしてしまうんじゃないだろうかって。聞いてしまうと、同じ考えだと思われてしまうんじゃないだろうか。それ嘘をついてしまうことなんじゃないだろうか。それは不誠実じゃないか。

とかね。

 

時々自分のことばかり話しがちな人を見かけます。その人にもよるけど、優しさのあまり自分のことを話してるのかなって思う人、結構います。

だって、今はプライベートを聴くのは失礼、はんて言われちゃいますからね。

自分の話かニュースに流れていく情報か。

相手に簡単に心を許してくれる人はそういないものです。

 

それでも仲良くなりたくて、この人は自分のことを話してくれてるんだなって。

 

 

優しいなって。

 

 

 

 

 

互いに理解しうるために、目的が大事だし、そのためには言葉が大切です。  

 

でも、これまた難しい話で、同じ目的を持つのだって、簡単じゃないんです。

 

本の引用ですが、

ある壁職人に、何を作っているんですか?と聞いたら

 

ある人は「壁を作っている」

ある人は「建物を作っている」

ある人は「教会を作っている」

ある人は「みんなが笑顔になる教会を作っている」

と答えが違うそうです。

 

どうしたら、同じ物を作っていると言えるのでしょうか?

 

芝居なら、

私は、「作り手もお客さんも笑顔になる舞台を作りたい」と答えます。

わたしはこれをどうやったら、皆に伝えていけるのでしょうか?

どうやったら、そんな舞台が作れるようになるのでしょうか?

 

より具体的により解像度をあげて、それを伝える術を持たないといけません。

アクセス方法はきっと山ほどあります。

 その中で、適正で潤滑に回る言葉と、方法が欲しい。

 

 

あぁ、わたしは、貪欲です。

人を動かしたい。

 

強欲です。

皆が動きやすいフィールドを作るために、人を動かしたい。

 

恐れ多くも、人の心を動かしたくて仕方ない。

人の心は簡単に動くものじゃないと分かっているのに。その人その人の大事なものです。

なのに、私が見ている皆と笑ってる世界を作りたく仕方ないんです。

 

 

 

ジレンマばかりです。

自分の中の答えは直ぐには出せない。

 

もっと皆に笑って欲しい。

もっと気持ちよくなって欲しい。

 

 

もしかしたら、ずっと答えは出ないかもしれないけど・・、わたしの芝居人としての目指すものなのかもしれません。