こんばんはdbd半です。
演じて改めて、演技、について考えています。
演技とは、文字通り「演じる技」だと思います。
何度も書いていますが、私はズブの素人。
誰かを師事した事もなく、演劇スクールに行った事もありません。
きちんと指導を受けた事はありませんが、ワークショップや他劇団さんで学ばせてもらった事で、自己流の役に入る工程や見せ方があります。
いつかは、きちんと学びに行きたいものですが、その中に染まってしまうという恐れも感じています。
演劇は共通する事もあれば、相反する多様性がある物だからです。
場合によれば私流の演劇なんてケチョンケチョンに言われる事でしょう。
それでも、芝居がしたいのです。
ズブの素人なりに人を感動させる何かを発信できると思っています。
今は時間的にも、自分に使う時間は限られている分、劇団に注ぎたいですし、今できる事も沢山あります。
その中で演技について考察してこうと思います。
演技と言うのは、役者が演じる技法です。
つまり技法、技、方法、テクニックの話です。
役者は「心」と「体」をコントロール、調整して、自分ではない別の誰かとして魅せる事です。
誤解してはいけないのは、「別の誰かになる」ことではありません。
自分の中の「もし」を使って、「見る人」にそう思わせられるか?なのです。
自分の中の「もし」と言うのは
「もし」こんな産まれで、こんな状況でこんな人たちに囲まれていたら こんな時に〇〇って言う台詞はどんなふうに言うんだろ?
と言う事です。
そして、自分だけがそうやっているつもりでも違うのです。
例えば、「美味しい」と言う言葉も美味しく飲んでいるつもりの演技はあくまでつもりの演技でしかありません。
つもりは見る人にとってもやっているつもりの人にしか見えないのです。
その風味は、味わいは舌触りは喉越しは?
それらの五感を疑似体験する事で出てくる本人が今感じている「美味しい」は見る人にも「美味しそう」と見えるのです。
役者は別の誰かになれる不思議な役割です。
ですが、別の誰かになり切ることなんてできません。だって自分は自分だから。他人は他人だから。
他の誰かになるのでは無く、演じている時に、自分として感じて自分の言葉として発して、自分の中の<心>がちゃんと動いているか?が重要なのです。
独特な表現ですが
私はそうなっている時、自分の心臓が0.5ミリくらい右や左や上下に動いているような感覚です。
それくらい、感覚が敏感になります。
体の血の巡りまでわかる気がします、と言うのは言い過ぎです(笑)
ただ、ドキりとすれば心臓がギュッとなるような、呼ばれた時に聞こえた耳の方が反応するような、とても気持ちのいい臨場感を味わえるのです。
先日、演技のストレッチと言う動画を見たのですが、こう言ったことを「五感の記憶」と言うそうです。
全神経の中で、経験してきた感覚や記憶をオンタイムで引っ張り出せるか?
と言うのが、演技の基礎になるようです。
演技指導はできない、と言ってきた半ですが、こんな事を一つづつ思い出したりやったりしながら、団員と演じる力をつけていきたいと思います。
演技は、心です。
心が動いて、体に伝わります。
体から来る心もあります。
体の神経が教えてくれる心です。
舞台では、そんな役達(キャラクター達)の心の成長が見えた時、お客さんを楽しませることができます。
心を動かせる演技を身につけていきたいと思います。