dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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演技を盗むと言う事。

こんにちはdbd半です。

 

今日も稽古終わりに書いています。

稽古の帰り道はいつも反復と反省と喜びが入り混じります。

 

数時間の稽古内容のハイライトを思い出し、発言者としてアドバイスの仕方や一演者としての反省、そして何より演じる喜びを体の中で感じるのです。

 

今月はまだ台本が仕上がっていないため、単発で終わるメニューをしています。

中でも、今年は旗揚げ公演の準備期間になりますので、役者全員の演技力の向上を目標にしています。

 

単発メニューの中で何ができるかは、手探りではありますが、昨年の稽古メニューよりも、さらに内容の濃いメニューを意識しています。

 

 

今日気になった事を一つ挙げるなら

「真似をする事」です。

 

役者は別人格になる事で、普段では出せない表情や発言をすることができます。

他方で自分の中のレパートリー以外は出せないと言う人もいます。

 

別人格として演じることが楽しいのか?

自分の中のものを素(す)として出すのが演じることなのか?

 

意見が分かれるところではないでしょうか?

 

別人格を演じると言うのは、別人格になるわけではありません。半の中では、私の中にある性格の個性のバルブの調整をする感じ出る。

 

例えば、Aはシャイで口数が少なく目立つのが嫌い。

Bは話すのが大好きお調子者。

 

どちらもその個性は半の中にあるわけで、好きな部分と嫌いな部分や苦手な部分の大小を調整すると、そんな感じのキャラに近づく感じです。

ですが、全くネタがない場合は、どうするかというと・・・

 

観察です。

 

人間観察やネタ集めをします。

 

コレばっかりは仕方ありません。

己の中でないネタどうやったって増やすことも減らすこともできません。

 

 

〇〇作品の「〇〇のキャラを演じる」と言う点でとても嫌悪感を出された方がいました。

 

例えば、「鬼滅の刃の炭治郎のような役」があったとします。

 

私は単に真似てもいいと思っています。

そのキャラが掴みやすくて本人がそれを楽しんでいるのなら、演出が側を出しているのなら問題ありません。

花江夏樹さんが演じる炭治郎でも、自分テイストになっていることがあるだろうと思うからです。むしろ、自分の中にない役を演じてもらって尚且つ良いお手本があるなら、真似しないことの方がもったいないと思います。

 

言いたいよね、あんなセリフとか、あっていいと思うですよね。

 

 

ただ真似をする事で、底が浅くなるのはNGです。なぜなら役の幅が広がらないから。

 

プロの方は常に躍進しています。

 

真似をする事で別の扉を開くことは、とても良いことだと思いますが、学ぶべきはそこがゴールではなくスタートだと言うことです。

 

役者は、モノマネ芸人ではありません。

真似るプロではないのです。

 

学ぶことは真似ること、それはつまり盗むこと、だと思うのです。

 

技を盗む。

 

それはとてもとても大切なことです。

 

 

演劇ではなく仕事でも会話でも大切なこと。

 

私たち日本人は得意な分野だと思います。

 

言葉では伝えきれないことを感じ取るのが器用だから。

 

 

想いは言葉になります。

 

言葉は想いになります。

 

 

想いは行動に現れます。

 

行動は新たな「世界」を作り出します。

 

 

演技を盗むと言う事は丸のままやることではありません。

盗作ではなく、オリジナルに進化させる力を信じて、吸収する力を思う存分活かせばいいのです。

 

 

もちろんそこにリスペクトは必要です。

大好きだからこそ、敬意があるからこそ、新たに昇華できるのです。

 

 

 

 

 

言う信念の元、演劇のあらゆる事をパク・・技を盗んでいきたい半ちゃんなのでした。