こんにちはdbd半です。
今日はちょっと私が小劇場にハマった理由三つを紹介したいと思います。
一般的な演劇も好きになっていたと思いますが、私が芝居にハマったルーツはやはり「小劇場」です。
作品を書いていても「小劇場」ぽさが、あるなって思いました。
大劇場での公演も何度も見ていますが、大劇場での芝居が私をここまで駆り立てたか?と言うと、多分そうではないと思います。
キャパ300人以下の小劇場で繰り広げられる世界観が、私は大好きで、さらにその発想力に度肝を抜かれていました。
世界空間とともにそこから発せられる身近な熱演に魅了され手足が震え喋り方を忘れそうになりました。
いつかあの光の中に自分も入りたい、そう思ったのはずーっと昔のことです。
とりあえず、三つほどあげたいと思います。
良かったら、ぜひ小劇場にも足を運んでみてくださいね。と言いつつ、私もこっち(関東)の小劇場は数えるほどですが(^◇^;)
「小劇場」にハマる理由①
『狭さ』
「小劇場」と言われる通り、小さな小屋ではキャパ50や100の劇場もあります。
もうこれが近い近い(笑)
でもこの近さがたまらないんですよね。
役者の温度が間近で、汗や熱量がものすごい。
会場が狭い、と言うことは世界空間を作るのも大劇場に比べて作りやすくなっています。
大道具は作るのも大変ですが何より保管が大変です。稽古場自体を持っている劇団は良いですが、多くの芝居人は稽古場も道具の保管場所もありません。その中で「公演」を成り立たせることができるのが小劇場です。小劇場であれば、道具のコストカットをして、あるものを埋め尽くすことで世界の雰囲気作りがかなりしやすいのです。
何より、狭いところが好きっ!って方にはオススメです。狭いところってなんか落ち着きますよね?笑
子供の頃に作った基地や、今で言うなら部屋用テントみたいな。小さいスペースだからこそ、その空間が自分のテリトリーになって、まるっと異次元に入り込めます。小さいからこそ、作れるパラレルワールド。作り手としても、小空間は世界観を作りやすいです。
また美術的なものを、目で捉えることができます。ある程度以上の会場になると、例えば小道具一つとってもリアルなサイズではほぼ見えません。
大きな舞台では、大きめなものを用意したり拡張させる必要性が出てきます。大きな舞台の舞台セットって近くで見ると意外とハリボテだったりしますよね?でもそれが遠目に見ると、それらしく見えるんです。
単純に小さいものでは、後ろのお客さんに見えないからです。
客席を踏まえて舞台は作られます。
つまり、会場のサイズによって舞台セットの作り方が随分変わってくるのです。視覚を楽しませるのにも、作るモノが変わってきます。マニアックなちょっとしたこだわりを見せやすいのは小劇場ならではです。
「小劇場」にハマる理由②
『熱量』
①にも挙げましたが、役者の熱量がダイレクトです。
近い分、役者の表情、目の動き、緊張感、集中力、全てが良くも悪くも、見ることができます。
中でも、集中力ですよね。役者がどこまで役に入っているのか、お客さんに何を伝えようとしているのか、それはひしひしと感じ取られます。逆に言えば、プツっと切れた部分もわかるので諸刃ではありますが、小劇場はそれをも醍醐味にしてしまう寛容さを持っています。
小劇場は気軽にできる舞台だからこそアマチュアや経験の浅い人も気軽に参加しやすいものです。ここで、『完璧な舞台』を求めるお客さんは少ないでしょう。
なぜなら、お客さんが求めているのは完璧な芝居ではないから。
脚本、演出、演者、全てにおいて出来上がったもの見たいとおもう人は、やはり大劇場の舞台での観劇がオススメです。
きちんとした料金を支払い、エンターテイメントとしての対価を受け取った方が、確実に良い時間を過ごせます。
小劇場はその真逆とも言えます。
完璧なものでは無く、現状から繰り出される新しい芝居の芽や役者たちの心の咆哮、そんな物が見えるのです。小劇場でしかできない、役者の機微や表現への挑戦を見ることができます。
その対価に見合ったかどうかは作品次第ですし、そのお客様の好み次第になるかと思いますが、中でも自分にクリーンヒットする作品に出会えた時は、やったーっ!と叫びたくなります。
整った作品ではなくとも、一つの作品に向けて何人もの熱力が凝縮する公演というのは、上手い下手では言い表せられない感動がいくつもあります。
それはまるで、人が「私は生きている!」と叫んでいるようにも見えるのです。
半は人が好きです。
舞台で、人の生き様を断片的に見せてもらえて、私自身にもその影響を沢山もらいました。
「小劇場」にハマる理由③
『邪道』
邪道って、こんな言い方でいいかは分かりませんが(^◇^;)
小劇場の発端は、「できない」という環境下の中で圧縮され、新たなアイデアを駆使して生まれてきました。
言うなれば発泡酒のような存在です。(そこまでメジャーでは無いですが💦)
自分のやりたい事と世間が求めている事・現実的にできる事との
齟齬の間に、なんとかなんとか出来ないものかと悪戦苦闘して少しずつ形になって言ったものかと思います。
テント芝居しかりですね。
つまり王道もあれば邪道もあるわけです。
一般的な分野はたくさんの人を魅了します。
例えばジブリの作品やディズニーなんかもそうですよね。美しくもあり感動もあります。
半もディズニーは大好きです。
他方で、芸術はそれだけではありません。
いくつもの認められていない物もまた芸術です。
作為的に人を貶め人を傷つける意図でない事は最低条件ですが、私たちの身近なところにはかず多くの芸術が存在します。
芸術の存在価値は、人の心を豊かにし、気づかなかったことを気づかせてくれる、人として誰もが持っている五感を呼び覚すものです。
人が進化するように、芸術もまた形を変えて新たな価値を産み出しています。
今認められなかったとしてもそれが波及し何年後には知名度のあるものになる、そんな可能性も多くあります。
可能性は無い、と思うところには芽は出ません。芽がないところにもちろん花は咲きません。これか?あれか?と思い浮かぶものをアウトプットし、他者(観客)と入り混じり、また制作を繰り返すことで制作者は芸術の蜜を高めていきます。
よりお客さんに響く作品や自分たちの表現方法への挑戦は、単に上手い下手で一括りにできるものではないのです。
新たな挑戦をするには王道から外れることもあります。
つまり
つまらない
変だ
こんなの芝居じゃない
そう酷評される事は多々あるでしょう。
しかし、自分の魂が表現したい、というのであれば、それは実に芸術的だと思います。
心が叫ぶことに向き合える、それは小劇場が補ってくれている、心の吐き出し口では無いでしょうか?心の吐き出し口が閉ざされれば、同じようなものが乱立するだけです。
何が言いたいかというと、
王道も素晴らしい
けれど、そうで無いものも素晴らしい
何が響くかは人それぞれだと思いますが、芝居において「〇〇しかダメだ」「演劇ってこういうもんでしょ」という決めつけや固定概念が一番恐るべきものだなと思っています。
まとめ
私も随分歳を重ねました。
芝居に出会ったのは15の時。
高校の演劇部でした。
あの時の、手の震え、動悸は、今も私の中にあります。
私からどれだけの物が生み出せるでしょうか?
何をお客様に届けられるでしょうか?
私が受け取った芝居からもらった感動を、
なるだけたくさんの人に届けたいなと思います。