dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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プライド

 

「プライドを捨てられるのか?」

 

 

日曜9時に放送されている池井戸潤作の陸王を見ています。

 

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上記の言葉は、確か3回目の放送だったと思いますが、CM前に画面の両サイドに映ったコメントでした。

 

名ブランドのシューズ会社に所属し、期待をかけられ最前線を戦ったきた竹内涼真君演じる茂木裕人選手。足の怪我でライバルに抜かれ落ちぶれて行くが、新規事業を開始したばかりの足袋屋が開発するランニングシューズに足を通すのか?

今まで積み上げてきただプライドを捨てられるのか?

 

という意味で使われていました。

 


何となく展開は分かるものの、一念一通・勧善懲悪物は、安心して爽快感を味わえます。

 


ただ、この時は、冒頭の言葉が気になったのです。

「プライドを捨てられるのか?」

 

なんだろう、最近の私は、関わった方にも楽しんでもらいたい、楽しんでもらえるスタンスを作らないといけない。
主催はそうじゃないといけないいんじゃないか・・そんな気持ちがありました。

前回書いたディズニーランドから学ぶ〜もそうありたいと願う自分の理想でもあります。


前回記事

 

 

ここから、何が出来るのだろう?
私に、私なんかに・・・そういった概念がず〜っと頭をもたげていました。

 

 


「プライドを捨てられるのか?」

 

 

このテロップを見たとき、ふと手が止まりました。

一見べたべたな内容だし展開を先に語りすぎでいてストーリー読めすぎちゃうよっと思う反面、すっと何かが脳裏をよぎります。

 

 

・・・・ちょっと待って。


私のプライドって、・・・変に高くなってない?

一緒に作る人とも、楽しんでもらいたい、楽しませなきゃいけない・・・

 

って、あたしって、そんなに偉い?

人に楽しんでもらうって、なんか横柄じゃない?万全で楽しませると言えるほどのネタ持ってる?

 

 

人は自分でしか自分を楽しませるこはできません。
私にできる事なんて限られています。


出来ない事をやらないといけないと思えるほど、私は大きい人間ではありません。

 

じゃぁ、何?
出来るのは、・・・一緒に楽しむこと。

そうなんじゃない?


何かをさせる・させたい・という心情はなんて不作法で、なんて攻撃的なんでしょうか?

 

 

この時、少し肩が軽くなったのを感じました。
手も足も出ない、そこから少し解放されたような。

 

 


千葉に来て数年。


人と関わればかかわるほどこういった思考と出くわします。
××は「○○しちゃダメ」××の時は「△△しないといけない」××は「□□するもんでしょ(□□もできないの?)」

 

何度かこのブログでも、人の考えの「自由性」について書かせていますよね。

ここ数年、目に付いてしまうのは、
ただ私がそれまで愚鈍だったからかもしれません。
ただ私がズレているからかもしれません。
人と関わる機会が少しですが、増えてきたからかもしれません。


いや、全部あてはまっているのでしょう。
総合して表立ったのが今で、だから私の目の前でぶら下がっていると思うんです。

 


本屋さんに立ち寄った時ふと目について掲示がありました。


「『こどもを絵本好きにするために』

  抑揚をつけないでください。子供は自由な発想で考えます。
  難しい言葉があっても、解説しないでそのまま読み進めてください。状況から判断して言葉の意味を理解しようとします。
  読み終わった後、感想を聞かないでください。」

 

なんてことだ、と思いました。

絵本の読み方なんて自由だし、こういったやり方もあるとは思うけど、あまりに語調が強い。


根拠としてはわかりますが、それ以外は認めない口調です。抑揚もつけちゃダメで、感想も聞いちゃダメ、そうじゃないと本好きにならない?
そういった印象を受けました。


私は絵本が好きなので、本屋さんに行ったときに絵本コーナーにも時々立ち寄ります。

以前、手にとった冊子にQ&Aがありこんなことが書いてありました。

 

Q.「子供が図鑑や車の種類の本を持ってきて、『読んで』と言いますが、どう読めばいいか分かりません」
A.「どんな話し方でも良いんです。『赤いね。これとこれは似ているね。○○に言った時見たね」と、
  そこから話が脱線しても、音で遊んで話しても。
  子供は親と関わりあうことで、楽しい時間を過ごし、本が大好きになっていきます。」

 


上記とは真逆ですよね?
物語でも図鑑でも、それは関係ありません。

 

 

演劇だけじゃなくて、表現する人にとって
「○○しないといけない」ということほど息苦しい物は有りません。

 

 

 

人と関わることは、素晴らしいことです。ですが、時に傷つき傷つけることがあります。

私は、今まで単独でしたし、動画だとお客さんも見えません。
これを最近強く感じるのは、人と関わることが少なかったしわ寄せなのかも。

 

 

今までの経験や、ささやかですがこの1年単独でもやってきた自負が少なからずあったことを白状します。リスタートしてから、向かい風もありましたが、以前にやっていた時よりも開放感がありました。それは芝居ではなく普段の生活の中で芝居に通じる要素を蓄えていたからだと思います。でも、それは小さい小さい枠組みです。

 

そんな自尊心が、誰かに「楽しんでもらわないといけない」「楽しませなきゃいけない」などという横柄なスタンスに連結していたように思います。

 

 

 

「プライドを捨てろ」

 

 

 

私は人を楽しませることは出来ません。
でも私が楽しむことは出来ます。

パラダイムを強制的に発進する方とは気が合わないと思います。
でも、そうじゃないなら、
私は一緒に楽しむことができると思います。


お客さんにむけても同様です。
私は100%楽しませることは出来ません
でも、楽しんでもらえるよう自分が努力することは出来ます。

 

 

 

陸王の今後の展開も楽しみです。