今日はdbd半です。
芸術はクリエイトです。
どんな作品も想像され創造されて出来上がります。
ところが、困ったことが起こる事があります。
想像する喜びを飛び越えて、人から自分への評価に対しての喜びを重視してしまう事です。
いやぁ。もちろん、それはそれで良いと思うのです。
モテたい!
チヤホヤされたい!
褒められたい!
何が原動力になるかは人それぞれ。
人によって、価値の見出し方は違うもの。
だって、人に認めてもらうのは極上の快感だもの。
私も一瞬囚われそうになることもあります。
囚われると言ったのは、私にとっての根底を見つめ直すと、それは私にとっての一番ではないからです。
前回に記事に記述した通り、わたしは半生芝居をやめることは無いし、やめられません。
やめることを諦めているので(笑)
この先、多分変わらない。
アップル創設者のジョブズの言葉に
stay hungry, stay foolish
と言う名言があります。
ジョブズの言葉”Stay hungry, stay foolish”は何を表すのか? | 戦略的プレゼンテーション講座
この記事から抜粋させていただくと
hungry:渇望せよ
「現状に満足して歩みを止めるな。より先の未来を渇望し、追い求めよ」foolish:常識に牙を抜かれるな
「インテリどもの言う常識に踊らされるな。それはあなたの牙を抜くための罠だ」
と言う解釈ですが、さらに読み解くと
たしかに、迷いはある。失敗も怖い。周りの目も気になる。
しかしそれらに押しとどめられて歩みを止めれば、我々は「大したことのない自分・他愛のない自分」から脱却することはできない。
手放すこと・失うことを恐れず、自分の信じたことをやろうじゃないか。
と言う言葉として解釈されています。
ここで私の琴線に触れたのは
「周りの目」
と言うところです。
演劇は見てもらってやっと芝居が成立します。
芝居はお客さん、稽古中は観客の代表である演出に見てもらって、やっと作品が成立します。
そこにはすなわち、「評価」がついて周ります。ダメ出し、ヨシ出し、○、×
逆に言えば、演出・主催は、演者からたくさんみられています。
複数対1と言うことであれば、教室の空間に似ているかもしれません。
お互いが見つめあっています。
そうして私たちはクリエイティブな世界空間を生み出そうとしています。
なので評価は大なり小なり産まれるものです。
生まれて当然。
良いよって言ってもらったら嬉しい。
ダメをもらったら凹む。
そんな人間らしいやり取りです。
たまにダメに快感を生む人もいますけどね。
あ、ちょっと私もそっちですね笑
ただ、そのやりとりが私にとっての芝居をやる根幹では無いのです。
楽しい気持ちは最大限にあります。
稽古場の空間が好きです。
でも、それがあってもなくても、どれだけ良いと言われてもどれだけダメと言われても、芝居をやるやらないの決定打では無いのです。
自分の評価は自分でつけなければいけません。
数年前千葉で一人で再活動をし始めた時、わたしは孤独でした。本当に何もなかった。
けれど、それでもやりたかった。
やらないと、息が吸えなかった。
私の中に、自分でもわからないのですが、
ただ表現したい、作り出したい、生み出したい、そんな欲求があるのです。
役者として。
演出として。
主催として。
あらゆる視線がこれから私を評価するでしょう。良い評価は目標ですが、目的では無い。
良い作品を作りたいし目指します。ですが、私の目的は違うところにあります。
私が辿って行った先に、周りの方の評価はきっと後からついてくるものだと思います。
わたし自身が、わたし自身を認めて、
わたし自身の評価をどうするか。
これは永遠に続く課題です。
やるかやらないかを、他人に預けちゃダメです。
やるかやらないかを決めるのはあくまで自分なのです。
自身に○🙆をつけてあげられるように、
それだけの努力・行動に出られるか。
わたしの肩書きはどうあれ、
いちクリエイターなのです。
と言うか、今更ですが、そう気付きました!笑
まだ形にするのがへたっぴなので、団員達に迷惑をかけてしまうことも多々あります。
自分の不甲斐なさに凹むことも沢山あります。
自分の思いが重すぎて、嫌になることもあります。
でも逃げ場なんて無いし、根本を辿れば逃げる必要もない。
私にとっては、
”stay hungry, stay foolish”
この通り、一表現者として自分の作品をうみだすこと。届けること。
お客様に作品を見てもらうこと。
”どこまでも求める。気取るな!アホなくらいありのままに”
半なりの解釈です。