私はこの白いページが好きだ。
この白いページからすべてが始まる。
何もないこの「新規作成」ページには何かが始まる無限の可能性が存在する。
何を始めようか?
何が書きたい?
この白いページと語り合う。
どんな絵を描く?
どんな物語を紡ぎだす?
おかしいかもしれないが、私はこの瞬間が一番ドキドキする。
以前にも書いたことがあるが私はプロットをあまり書かない。
書きながら即興芝居をしているようなものだから。
台本を書くときは出演者の目線や思考になって言葉を発する。
プロットを書いてしまうと、生感というか、自分の新鮮味が薄れてしまう気がするからだ。
ただ勢いに乗って書き綴るので、言葉の節々などのリライトは必須だ。それはこのブログも同様のこと。つまり誤字が多いのは勢いに乗りすぎて、伝える部分の「は」や「が」の違いに意識がいかない。客観的に見れば伝えるためには接尾語はとても重要なポイントなので、誤字が少ない人にはいつも敬服しているのだが、私自身は接尾語の「は」や「が」の意味ではなく、その先にある重要な「伝えたいこと」しか見えなくなっているのだ。
次に私が言いたいのは、リライトは少ないからできるということだ。
リライト・・つまり書き直し。
修正が多い場合、どこまで書き直しすることをリライトというのかは、私はきちんと物書きの所作を学んだことはないからわからない。
分からないが、一度書いたものを書き直しするのがリライトだと思っている。
去年作成に取り掛かった「エンドレスサマー」はコンクール条件がマックス15分だったため、大幅なカットを余儀なくされた。
その分話の展開は急になり、言いたいセリフをやむを得なくカットするしかなかった。
そして、今作ろうとしている作品にも同様のことが起きている。
一つは9月の三連休に行われる「かしげき」に参加する劇団わむさんの公演台本だ。おおよそ30分から40分はかかるだろう本を20分に短縮しなければならない。
そして、もう一つ。dbdとして次に作成する予定のプロデュース公演だ。本来はもう撮りにかかってもおかしく無いくらい前から思考しているのに、少しずつの遅れが今に至っている。
劇団わむさんは私が書いているのではなく以前から台本を書いていらっしゃる方の脚本なので、リライトについても、問題なし、だとも思っている。よそごとのように聞こえるかもしれないが、がんばれ~っと旗を振り、ほかほか出来上がり台本が手元にくるのをただただ楽しみにしているんだ。
ただ、もう一つのものはそうはいかない。
そうdbd-hans-collection発信の初プロでユース作品の方だ。
出演者であるいっしーに話を持ちかけ、やりたい話などのヒアリングをし、一つの台本を作成するまではよかった。
時期的にも、気持ち的にもエンジンぶるぶる!進行方向良し!レッツラゴー!そんな感じだった。
だが、だ。
だが、ここにきて非常に困っている事態を感じている。
リライトだ。
台本上たぶん5分オーバー、演出効果を盛り込みたければさらに3~5分はオーバーすることが考えられる。
そして、助っ人のみさきさんの話を聞いてみて、もうひと工夫の必要性を感じた。みさきさんの話し合いの時には、「わかった、じゃ台本書き直したら連絡するね!」と勢いよく話していたにもかかわらず、スケジュールを組立て少しきついなかぁ〜と思いつつ、お月様を仕上げたるのにさらに時間がかかってしまった。
そして、いざリライトに取り掛かろうとしても、どうにもこうにも筆が進まない。このままではいかんと生き抜きかねて、今感じていることを物語としてブログにアップしてみた。※前回の2作品がそうだ。
そうするうちに、かしげきさんの打ち合わせが先週の日曜日にあった。一昨日のことだ。
※この記事を書いていたのは火曜日でしたm(__)m
半はすこしだけの顔出ししかしていないわけだが、たとえ20分でも舞台に立てる沸々とした快感が体の中の奥にあることを感じるわけだ。
白状しよう。
悩んでいる。
舞台の掛け持ちの怖さを過去に経験したことがある。
それからは掛け持ちはやることはなかった。
でも、今回のはのびのびになったが故に、ブッキングになってしまった結果だ。
かしげきには、いっしーも出るので、役者として良い予定ではある。
問題は私だ。
私は役者をやる時は、体も心持ちも違う。
体は動けるようにしたいし、声についても以前に書いた通り、問題がある。要はちゃんと下準備をしないと体がもたない。楽器でいうメンテナンスをこまめにする必要がある。
返して、制作サイド・裏方は体は使わない。頭と五感を使ってアンテナを張り、熱さは秘めつつも頭の中は冷静でないといけない。
例えるなら、視界がまったく違うのだ。
同じものを見ていても主催や演出は全体をみとすため、全体地図を見ているような感覚。
返して役者はストリートビューで街中に立ったように、目の前の物はよくわかるが全体は見えにくい。
引用:googlemap in船橋 ※先日ラストオーダーまでしゃべり続けたお店ドトールはこちら
そんなことはない人もいるだろうが、半にはこの切り替えが必要だ。そしてとても重要。
ただ、純粋に役者だけをできるチャンスなんて滅多にない。
今までも小スタジオを借りてスタッフオンリーの一人芝居や、室内での動画制作だった。
半が舞台に立つ。
もしかしたら、そんなチャンスはまた数年訪れないかもしれない。
役者だけをする。
それはdbdをやる私にとってはとても貴重だ。
役者のことしか考えなくてもいい。
役だけのことに集中できる。
そんな美味しい状況。めったにない。
舞台に立てる。板に立てる。私にとって舞台は特別なのだ。
それが自分演出ではなくても、たとえ20分でも。効果に制限があっても。
大げさかもしれないけど、小屋で芝居ができる特権は、一度でも「舞台ができない」という挫折感を味わった役者なら、身震いが止まらななるほど、息ができなくなるほどのときめきで胸に感じるだろう?
・ ・ ・ 。
自分でも若干ひく。
どうして、こんなにざわつくのかは分からない。
でも、やはり舞台は特別なんだ。
だからこそ、20分だろうが、全力でやりたい。出し切りたい。
中途半端に8割の力で“よくできました“をもらうんじゃなくて、10割の力で出し切ってその向こうにある名前のつかない何かの塊に手を伸ばしたい。
そこを目指すことは、マイナスになる可能性だってある。それに私一人ではきっとそこに到達しない。演劇は複数名でやる楽しさはある反面、独り突っ走っても面白くないのが舞台だ。
分からない。どうなるのか。どこまでできるか。
そんな状況の中、わたしはやはりdbdの作品も愛しているのだ。
絶対やる。
それは決定事項だ。
ぶれないし ぶれる要素もない。
ただ、時期としてはどうなのか?
今の時期に筆が止まった状態で、心半分で、生の舞台に挑めるのか?
そんな状況で自分もお客さんも満足できるものができるのか?
葛藤がよぎる。
落ち着こう。
気持ちが高ぶっている時の判断ほど、後で後悔するものはない。
一番の問題は、台本のリライトが進まないことだ。
リライト。
なぜなら、私がプロデュース用に書いた本は、私の言いたいことがたくさん詰まっているのだ~~!!
出来不出来はともかく、私はこの台本の中身が大好きだ。キャラクターとしてはメイン2、劇中劇的なもので4つ登場するが、私は皆が好きだ。
削りたくない・・・削りたくないよぉ・・・
話の構成も、気に入っている。
リライトに挑戦してみたが、どうも気に入らないし、繋がらないし、あまり時間のカットにもならない。
また、手が止まってしまった・・・。
一から書くか。
リライトができないならライトから始めるの一番かもしれない。
こうして私はワードの新規作成のボタンをクリックした。
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もしかしたらdbdのプロデュース作品は延期をするかもしれません。
「かしげき」は「かしげき」で集中して役者 半の天井をもっと高くしたいし、舞台に立てる喜びを味わいたい。何より中途半端な作品ほど目に入れて痛い物は無いから。
dbdの作品は今現在、延長という可能性があります。でも頓挫ではありません。
ただ、そのタイミングを見極める必要があります。
私は、まだ迷っています。
足掻くのは私の性分でしょう。
リライトがダメならまたライトから。
ライトができないなら、ライトができるまで・・・。
そうなるとスケジュールを作成した感覚からして、コンクールに間に合わない可能性は高まります。
でも、もっともっと言うなら、私は賞を狙っているわけではないので、それでもかまないのです。
コンクールに応募したいと考えるのは、私の知名度では届ける事の出来ない人にも作品を見てもらう可能性が高まるからです。
でも結局、納得できる作品ができなければ意味は有りません。
大事なのは期限です。
それより大事なのは完全燃焼です。
半はまだ考えます。
まだ、時間はあります。