こんばんは。dbd 半です。
今日は9月29日
仕事帰り綺麗な半月のお月様が顔を出していました。私はいつもブログを書くのに数日かかるので、記事をアップする頃には、このお月様も形を変えていることでしょう。
ちなみにテールポールのライトの右隣がお月様。
その右下はUFOです。
嘘です。
・・・
・・・
・・・
冗談です。
時々こういうベタで取り返しのつかないことを言いたくなります。
そうこうしてているうちに日付が変わり、昨日は10月4日、中秋の名月だったそうです。
お月様、見れましたか?( ´ ▽ ` )半は花よりだんご。一昨日は三食団子を食べたので、昨日は大福にしました。
お月様が見れなくても気分は味わえました。じゅるる。
さて、タイトルの内容に戻しましょう。
関西小劇場という名の古巣・・・
と書かせていただきました。
先月、9月にかしげきというイベントに参加して、・・・というか関東で他の方と一緒に芝居作りをして、自分はつくづく関西小劇場出身なのだと思うことがありました。
演劇ではもともといた劇団や所属していたところを○○出身とか○○の残党とか、○○は私の古巣で・・・なんて言ったりします。
私の場合は劇団という劇団に所属していたわけでは無かったので、特にどこどこの・・・というのは無いと思っていたのですが、やればやるほど私は関西出身なのだと思いました。
そして、地元すぎてわからなかったのですが、改めてみると関西小劇場というのは"関西小劇場"という一つのジャンルになっていて、大きな線引きみたいなものをここにきて感じていたのです。
ただ、これは話が相当長くなりますので、少し的を絞りますね。
半からすると、
こんなに違うの・・?
と思う事だったのですが、それは人によるよ、と言うのはいつも通りご理解くださいね。(^人^)
まずは、関西小劇場ついて。
●関西・・・
大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、三重、和歌山・・こちらの地域がいわゆる関西圏になってくるかと思いますが、中でも、大阪、京都、兵庫・・というのは特に小劇場が盛んなエリアです。
●小劇場・・・
いわゆる小さい小屋の劇場をさします。300人以下の収容会場での公演ができるところ・・が一つの括りですが、そこから300人以上のキャパ収容のところを利用するようになったとしても、出身が小劇場であればその劇団の所属は小劇場というジャンルに入るようです。
①↓シンプルに関西小劇場のことを書かれていたので貼り付けます。
②↓小劇場の歴史について時代順に分かりやすく書かれていたのでこれも貼り付けちゃいます。テレビなどでもご活躍中の方の方のお名前がたくさんでてきます。
1980年代~2000年代、特に関西小劇場の界隈を席巻し、私も強く影響を受けた劇団さんを少しだけご紹介させていただきます。
・劇団ピスタチオ(解散済)
・劇団赤鬼
・遊気舎
・ランニングシアターダッシュ(解散済)
・劇団☆新感線
・劇団ファントマ
・劇団世界一団(2006年sundayに改名)
などなど
ちなみに2000年以降には関西の小劇場、つまり会場になる小屋がバタバタとつぶれるという時期で関西小劇場自体が衰退していく時期になります。
私自身も2000年代に就職し、芝居とは徐々に離れ、社会人としての生活を中心に時間を刻んでいきます。
うわぁ~なんか、自分で書いててなんですが懐かしいなぁ。
世界一団さんは名前が変わられていたんですね。今回改めて知りました。なんかアルバムひっくり返しているような心境(笑)
中には解散されている劇団さんも有りますが、その中のメンバーの方々は今も幅を広げてご活躍中です。
この中でも今は関西に止まらず2.5次元演劇に携われていたり、自分で他の劇団を立ち上げれらていてり、吉本新喜劇とコラボされていたり、アニメの脚本でクレジットをお見かけすることもありました。
さて、話を元に戻しましょう。
関東と関西の演劇についてです。
関東と関西 いったい何が違うんだ・・・
同じ芝居の世界なのに、何を括る必要があるんだ?
単なるライバル意識・・・?
よくわからないな・・・。
客層の違いがあるらしい。受け所が全く違うらしい。
そうなんだ。
でも、よくわからないな・・・。
私もそう思っていました。
今の今まで。
インプロに対しての意識的なこともそうなのですが、今回は別のところについて注目したいと思います。
それは、テンポ、
テンポです。
半が、最も大きく違いを感じたのは前述したこともあるインプロ(即興)に対しての意識と、このテンポでした。
メトロノームやBPMなどの測量用語で説明できれば、一般的に分かりやすいと思うのですが、音楽センスや知識が皆無のため、断念します(^^;)。
代わりに関西小劇場の動画を一つ挙げますね。
台詞のスピードや、台詞と台詞との間合いが、ものすごく速いのです。
1995年「破壊ランナー」より
※オープニングが5分くらい有ります。5分後くらいからMCが入ります。超絶早口です。
※どなたかの善意からのアップだと思いますので、急に見れなくなるかもしれませんm(__)m
単純に言うと関東は遅いテンポ、関西は早いテンポです。
いや、関東は遅くないかもしれません。関西が早いんです。たぶん。めちゃくちゃ。
逆に関西の人からすると関東の掛け合いは、めちゃめちゃ遅く感じます。
内容を伝える、分かりやすく言う、という点において関東の演劇の方がよほど正解◎に感じます。
なぜなら、単語ひとつとっても、人はきちんとイメージをするのにほんのゼロコンマ数秒の間は必要なものだからです。どちらが観客に伝わりやすいかと聞かれたら絶対的に関東でしょう。
これはテレビを見ているととても分かります。テレビのスピード感というのは、関西小劇場のそれに比べれば、ものすごくゆっくりです。
惑星ピスタチオの劇団さんは、関西の中でも特に早い方でした。人気はありましたが実際は私も半分くらいしか理解できてなかったように思います。(笑)
では、なんでこんなに早いのか?
関西人のせっかちな性分などが表れている象徴だと思います。関西人の話し方は基本的にスピードが早いです。
間の取り方も全く違います。
相手の語尾にちょっとかぶせるくらいには次のセリフが入ってくるくらいです。
そういえば関東の親族が関西に来たときに、あまりに喋らないので「なんで話しかけてくれているのに話さなかったの?」と聞くと
「話す間がない」と答えたことがありました。
言葉と言葉の間の隙間が極端に短いのです。
あ、もちろん関西人の中でも人によります。のんびり話す方もいますし、相手が話し出すまできちんと待ってくれる人もいます。
ただ、そういった人もテンポの早い話にはたぶん耳が慣れているので、さほど苦ではなく、合いの手を入れられるのだと思います。
そして、極論。スピード重視な会話って、内容は二の次、重要なのはノリ、なんじゃないでしょうか?
小気味のいい語尾の切り口とか、話が終わる前に次の話が始まるリズム感とか。
こんな風に言うと語弊があるかもしれませんが、1フレーズの単語の意味なんて、結構何でもよくて、楽しい!とか、ボケた!突っ込んだ!みたいなノリ自体が笑いになり、見ている側も楽しくなる、そんな風に思います。
だから、会話から聞きとって思い描く映像は、コロコロ コロコロ転換されていきます。
それが、普通・・だったり。
この会話のリズムの地域的な違い・・・私もだいぶ慣れてきていたと思っていたのですが大間違いでした・・・。
なぜなら、「ちょうどいい」と思うテンポが全く違ったのです。
これは感覚的なものです。
体にしみこんでいるものでした。
リズム音痴な半は、最初、私の思い違いかな・・なんて思ったりしたのですが、今年のGWの帰省中、関西の芝居仲間と合流し簡単な台本読みをした時やはりテンポがとても速く「もっと早めで」と言ってもらいました。
私だけが早いんじゃないんだ、、そう思いました。これはさっき言ったように単語を一つ一つじっくり伝える事より、リズム感やノリ、話の流れの勢いを重視しているように思います。
たとえば、「このリンゴ美味しいよ。たべてみて。」と言ったとするなら、実際リンゴにはあまりこだわっていないのです。
リンゴでもミカンでもドラゴンフルーツでも実際はなんでもよくて、美味しい物を共感したいそれが伝われば良い、きっとそう言う事なんです。
で、肝心なのがこの「ちょうどいい」と思うテンポの感覚が関東の芝居仲間と大きく違ったことでした。
関東も関西もおんなじだろ。うまい物はうまい。
早いテンポでも遅いテンポでもきちんと話が流れていれば、見世物になる。
それだけじゃないの?
確かに。でもね、普段の基本になるようなリズムから違ってくるんですよね。
ん~と、ん~~と、
そう、例えるなら、うどんの出汁の違い。
ご存知でしょうか?
カップ麺のどんべい、私も子供のころからお世話になっています。
実は関西と関東で味が違うんですよ。
関西はカップのところにWESTの「W」関東ではEASTの「E」が印字されています。
おもに関西では昆布だしがよくつかわれます。反して関東はかつおだしです。表の蓋は特に関西風とか関東風とか書かれていませんが味はしっかり違います。
2013年秋口から放送されましたNHKのテレビ連続小説「ごちそうさん」ここでこんなシーンがありました。
食べる事や料理が大好きな主人公、杏さんが演じるめ以子(めいこ)が嫁ぎ先である大阪に来たとき、あまりの味の違いに料理が美味しいと思えなくなってしまいます。大好きな食事が楽しくない。人生の醍醐味が失われてしまう窮地です。
食べることを楽しみをあきらめたくない め以子は三日間完全絶食をして、今まで旨いと感じてきた舌をリセットさせるのです。
そのあと屋台のうどん屋で「うまい、うまい」と喜び泣きながらうどんをすするシーンはとても印象的でした。
私には三日間何も食べない、そんな生活はできません。
約30年大阪で生活していた私が実際、関東でうどんやおそばを食べて美味しいと感じるようになったのは関東に引っ越して5年くらいたってからでした。
テンポというのは、どのシーンにもつきものです。
ワンシーンとしてのテンポも。作品自体のテンポも。どこにでもあって作品自体のリズムを作ります。
目立ちはしませんが、どの作品の下地になるものです。作品の大きな雰囲気を作り出します。
まるで出汁のように。
私のテンポが速いのは何となくわかっていました。
でも、このテンポの違いにはギリギリまで違和感がありました。
一番悲しかったのは、
「今の良いテンポだったね」
「これくらいがちょうどいいよ」
そう何人かが言うテンポのヨシだしに私自身が同意できなかった事でした。私は ごちそうさんの め以子のように、食べたいけど食べられない・・おいしいはずなのにおいしく感じられない・・そんなジレンマを抱えていました。
インプロについていけない自分
テンポの違いについていけない自分
悔しい想いがこみ上げていました。
でも、嘆いてばかりではダメなのです。最初のつまづきから私はそれを学ばせてもらっていました。
自分の物差しで、測っちゃ行けない。
dbd-hans-collection101.hatenablog.com
もうこれは飲み干すしか無いのです。
最後の一滴まで、自分の舌と喉に収めてしまう事、実はそこに向かうことこそ自分が選択した道だと分かっていました。
皆が悪いわけじゃありません。
私が好きなテンポが悪いわけじゃありません。
私はこれからも何度も言ってきていますし、これからも言うと思うのですが、今回も言います。
貴方の好きは貴方のもの。
私の好きなものは私のもの。
皆個人差があって良いのです。
ただ、演劇は団体で一つのものを作るものです。
合わせることが何よりも大事。
合わせると言うのは、一つのものを作ろうとする意志です。
本番一週間前の実質最後の稽古日。
半は飽和状態でした。
耳や目、肌から入る情報がありすぎて処理しきれていない、そんな感覚です。
もっと素直に、あらゆるとこを受け入れられる人間だったら良いのに・・。
考えても意味のないワードが頭の中の片隅にもたげます。
でもさ、これも受け入れるしかないよな。
出来ることと出来ないことだって人それぞれなんだからさ。
私ができて他の人ができないことだってあるはずだし。
目の前のことを自分なりに精一杯やるしかない。
出来なくても、出来るように、みんなと同じ方向に向く。
違いに気づくのは、悪いことではありません。
その穴埋めができるからです。何が違って、どうすれば良いかを考えられるからです。
私はなるだけ、テレビやラジオから流れる音の間を意識するところから始めました。
ゆっくり、ゆっくり。
そして、話の盛り上がりになるからはどんなテンポになるだろう??
そんなことを考えながらテレビを見たりするのです。
すると、、関東のテンポはやはりとても丁寧に思うようになりました。
相手が耳から聞いて頭でイメージしてそれから次の言葉を紡ぎ出す、余裕みたいなものを感じられました。
それが好きか嫌いかは別の話として、今の目の前のお題に取り組むことが大事。
本番
どこまで出来たかは分かりません。ジャッジをするのは私でも共演者でも演出でもなく、お客様だから。
でも、半が感じる範囲では、本番は今までずっと感じていたテンポの違和感をもっとも払拭できた時間になりました。
まだまだ未熟なのは承知の上です。
でも、その時までで一番できたように思います。
これは、きっと私だけの力じゃないことも、書き留めさせて頂きますね。
掛け合いのテンポは決して一人では作れないことだから。
一人早すぎてもダメなんです。一人で頑張ってもダメなんです。
みんなの協力があったから私もそう感じられたんです。
きっと、お芝居作りはこの繰り返しなんでしょう。
複数名でやるときは、必ずこの差異は生じます。
前は〇〇にいたから・・・
前は△△でやっていて・・・・
その上で、今、どうするか?です。
演劇において、経験や好みは千差万別です。
それが許される世界だからいいのです。
過去の経緯は経験として蓄積されます。
Aではこんな風にやってきた
Bでは別のやり方
Cでは、やらない
そんなことは沢山あります。
あなたもそうだし、みんなもそうなんです。
違うことに上下はないし、正解も間違いもありません。
劇団内でのどのポジションでも言えることです。
周りと自分は違う。
それを踏まえたうえで、
今、どうするか?です。
かしげきでは、たくさんの人と同じ時間を過ごすことができました。
実質、関東で人と絡んでやることがなかった半にとって「知りたい」と思っていたことがたくさんありました。
そして、半は今、次のことを考えています。
私が好きなのはやはり「関西小劇場」だと言うこと。
やりたい傾向はその範疇に入ってくることでしょう。
それは、関東のお芝居に慣れているお客さんに、マッチングするだろうか?受け入れてもらえるのだろうか?
すぐに答えが出るものではありません。
どんなことでも、このマッチングというのは大きな課題です。
半にとっても今後ずっと考えるお題の一つになるでしょう。
発信者のやりたいことと、受信者の見たいものは、すぐに一致しないものだから。
それに向けての奮闘劇は、また別の機会にしましょう。
さ、考えながら書いてきましたから今回はまた長くなりましたね。
少しだけまとめ(^^)
①関東と関西の演劇
②テンポについて
③関西はなぜ早いテンポなのか
④ノリや勢いを重視する関西
⑤古巣と現在の違いがあったなら?
⑥あなたの好きは、あなたの物
⑦大事なのは、今、どうするか?
かしげきに絡んだブログはまだ何回かすると思います。
それだけ濃厚な時間でした。(^^)
時々こうして長くなりますが、どうぞお付き合いくださいね★