dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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許す

こんにちはdbd半です。

先週、収録をしたのにもかかわらず、編集が追い付かずアップができませんでした。

従来の私であれば、有言実行がモットーでしたので自分を苛めて卑下したことを、ここで書いていたと思います。

でも、何か違うものを得ようとしています。

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※小学校の近くで咲いていたお花。小学生になった新一年生の息吹を感じ取っているように咲いていました。

 

 

 


今まで、私は大人になれば、「自分を叱ってくれるのは自分しかいない」そういった気持ちで自分を奮起させて社会人生活を営んでいました。
それはある種、意味のある事だったと思います。

自分を戒め、次への反省と活力へつなげるには必要なのだと。

実際それは効果があったと思います。


でも、ここにきて、その思考にプラスされるものがあるんじゃないかと・・そういうことです。


つまり、それは


「自分を許す」ということ。

 


昔ワークショップで参加した卒業公演のストーリーの軸が、この「自分を許す」という作品でした。
当時の私は、主役に当ててもらいながらその世界観が掴めず、無謀にも掛け持ちを実行し、自分としては、結果、想像通り、納得できる仕上がりではありませんでした。
(一緒に参加してくれた皆様、こんな事言ってごめんなさいm(__)m)

 

そのせいもあってか、その時の最後のセリフが忘れられないのです。


普段覚えが悪い半ですが、なんと忘れるのも早い(笑)
公演が終わると、結構すぐに忘れます。(笑)
なのに、この言葉は残っているんですよね。

脚本の著作権的なこともありますので、作品名などは伏せさせていただきまが、少し話させてください。

 


その作品は、一人の男の回顧の話でした。
粗野で生きる活力にあふれた戦後の闇市のようなところで生きた、内気で不器用な少年。

活気はありますが、人と人が混濁し本能をさらけ出すようなぶつかり合いの中少年は思春期を迎えます。

彼は、誰にも言えないひとかたらぬ恋をします。
それから少年は誰にも言えない闇を密かに抱え続けるのです。
それは、自身でさえも忘れていたのではないかというほどの暗い暗い心の奥底にしまわれて行くのですが。

 


クライマックス、最後のシーンで少年は自分の力振り絞り精一杯の声で叫ぶのです。


「さようならぁ。僕の少年時代」

 


この言葉は、少年だった自分が、今の自分に向けられた餞(はなむけ)の言葉です。悔恨残る自分との決別。自身を受け入れた許しの言葉。

自分からの卒業。手放せなかった想いの浄化。

 


そう。
自らの許し。

 

 

私はこの時、言葉の意味の理解は浅い物でしたが、何故かこのセリフが大好きでした。印象深く奥深くに響く台詞です。

 

 


「さようならぁ。僕の少年時代」

 

 


今なら、あの当時より随分このセリフの解釈が出来るように思います。(^^;)

 

 

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自分を叱ってくれるのも自分だし、褒めてくれるのも自分です。
そして、自分を許してくれるのも、やっぱり自分だと思うんです。

でも、これって案外難しい・・ですよね?

 


私は有言実行というのが好きだし、そう出来る人はすごいと思います。
自分もそうありたいと思っていました。


一方で、出来ない事を出来るようになるため、努力をしている人リスペクトしています。
その結果がたとえ、一歩でも、半歩でも、他人が1秒で出来る事に丸一日かかってもそれにチャレンジをすることはすごい事だと。

 

有言実行で努力ができれば一番ですが、有言実行ではなくても頑張れる人、頑張り続ける人にエールを送りたいと半はいつも思っています。

言い換えるなら無言実行。本当に叶えたいことこそ、誰にも言いたくない、その気持ちも分かります。だからこそ本気だってことも。

 

そしてもう一つの〇言〇行という言葉も挙げたいと思います。


有言実行です

 

 

・・人には許せても、自分には許せないってことが、ありませんか?

 

「ごめん。できなかった。あはは」

 

人には優しく自分には厳しく。

昔の教訓か何かがしみ込んでいるのでしょうか。私は、この自分の失敗を受け入れるほどのキャパも無いのです。

 

甘いものは別だけどね^^;

 


己の失敗を笑い飛ばす事が、出来ない。
過去に失敗した自分が許せない。

何よりこんな言葉が自分突き刺します。

「この、嘘つきめっ!」

 

恥ずかしくて、次の事へも臆病になる。

 

 

 

そんなね、そんな半もいるんですよ。

 

 


あ、何か過去にあったトラウマがあったとかそんな大きなことではないですよ。
私が言いたいのは、心のバランスをとるために、逆に自分を追い込みすぎちゃうこと、ありませんか?ということなんです。

 


でもさ、それって、結構しんどいよね。
自分でしてる事なんだけど、がんじがらめでさ。
出口への光がちょっとしかなくってさ。

 


少年少女時代、学生時代、一般社会人世代を経て、何が自分にとって本当に良いんだろう?って、思うようになりました。
芝居をやっていて楽しいけど、全部が楽しいの一言で収まるかってそうじゃないしね。
芝居の世界は楽しいし大切だけど、現実世界はもっと大切だしね。もっと楽しみたいしね。


この年になって、ようやく自分を許してあげてもいいのかなって、少し思えるようになってきました。


他人に許しを求めるのではなくて、自分に「いいよ」って思える事。
ガハハと笑い飛ばすほどの力強さはないけど「ったく、しゃーないなぁ」って、笑ってやっても良いのかなと。
そして「次、がんばろう」って、素直に思うこと。

 

 

 


ぁぁぁぁぁ!!!!!

こんな根暗ですみません!!!!!

(笑)

 

 

 

 

と、釈明が長くなりました。

この前録音した朗読ショートは必ずアップします。
時期は未定になりますが、好きな作品なので必ず(^^)


こんな調子ですので、良ければ是非このブログにちょこちょこ様子を見に来てみてくださいね。
次にはどんな内容になるのやら自分でも予測不可能(笑)
でも、めげずに行きます。^^

 

 

 

ね、

 

「好き」を形にしよう。

朗読劇の編集作業


こんにちはdbd半です。

 

昨日は急遽時間があいたので、編集の続きをしました。
編集の続きというのは、2月の行った劇団AQUAさんの朗読劇の動画アップです。

 

実際の朗読劇は、ほぼ編集無しでしたので、実はかなり前から準備ができていました。


ですが、たくさん写真を撮っていた分があり、思い出記念にそれらもフォト集として動画アップしますと自己申告していたんですね。

 

実はそちらの方が時間を要していました。

音楽×3曲ほどで、写真にアニメーション転換を付けるくらいで~。
先々週行い、ざっと2時間ほどで作成できました。

 

半の場合は、だいたいですが5分程度のもので音探しもやるとなるとだいたい2時間ほどかかります。
音楽に合わせるって、リズムの取り方の重要さをここでも感じます。

 

はぁ~。
いっきにできたぁ~と思い、いざアップロードを行うと・・・。

 

 

「データは著作権に基づきアップロードできませんでした」のテロップが・・・。

 


あ、そういえば・・・。


今回は、一般のお客様の映り込みもあり、限定公開を踏まえての作成でした。
メンバー間だけで見るものという区切りをつけての制作です。

 

でも、音楽は・・・

 

 

しまった~~~!!!
調子に乗って、皆が好きそうな曲で仕上げてしまった!!

 


有名どころの曲はノリが良いですし楽しめます。
個人的なDVD制作のノリで著作権に引っかかるような曲のリズムに合わせて作ってしまっていたのです。

 

 

ブロック・・・。
そりゃそうだわな・・。

 

 

苦肉の策でニコニコ動画にアップロードする策も考えましたが、Youyubeのように限定公開機能は有りませんでした。
というか、ログインしないとニコ動は見れないので、一緒に出演させてもらったお母様世代の方には気軽さがありませんよね。

 


んん~~~〜〜〜〜~。(ーー)

 

 

 

その日は諦めました。

 

 


後日音楽の選定をし直しです。


候補曲を探し、なんとなくイメージ。

体力気力も必要なので、時間ができたときに、すぐに取り掛かれるように。

 


という訳で、昨日はその飛び入りの時間が急にできたという訳です。

 

皆様にお見せできないのは残念でしたが、自分的にも◎なものが出来ました。
やり直しも、まずはやってみることに意味があります。

 

 

曲を変えての編集作業でしたが、最初にリズムに合わせていたので曲を変えてもそれとなくテンポにあった形になりました。

いや、むしろ曲の雰囲気もあって、今回の方が良いかもしれません。( ̄+ー ̄)


ブロックされたときはさすがに気持ちが折れましたが、やり直す度に<学び>が蓄積されます

 

 

今晩は、昨日言っていた自作に取り掛かるつもりですが、使いたい曲が一曲しか決まっていません。

朗読劇の編集後に、今回の曲探しと効果音探しを行いましたが、気に入るものが見つけられませんでした。


短い物なので、それでもいい気はしますが、また一味二味加えたくなる可能性は大です。

キャストしての読みを2・3回本番として録音。
噛まないように出来るかしら?

その後、編集作業予定です。


今までの作業内容と同等なら時間はかかりませんが、新たに無料ソフトのダウンロードや無料効果音や動画素材探しの旅に出かけたくなったら今日のアップは出来ないかも。


こうなると、それとなく素材になるものを普段から録画し、オリジナル素材のストックをもっとたくさん保持していれば良かったと思います。

 

ん~どうしようかな。

雰囲気のある素敵な話なので、素敵に仕上げたいです。

うじうじ

今晩はdbd半です。

桜の季節が一気に過ぎて行きましたね。

まだ見られるところもあると思いますが、関東ではもう舞う桜も見れないかもしれません。

半も先週、先々週とお花見を堪能してきましたよ。

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それはさておき、お芝居の話です。

ここでひた隠しにしても仕方ないので、言っちゃいます。

 

役者脳から切り替えられない!!

 

 

昨年の9月より、かしげき(劇団わむ)、かつげき(劇団蓮)、朗読劇(劇団アクア)、連チャンで役者をやらせて頂きました。

 

前にも言いましたが、半は役者と演出をする時の切り替えが必要です。

半の場合は、演出側(スタッフ側)と役者(キャスト側)では、使い所や考え方かかなり違います。大き分けると二つ。

 

1.見える視界が違うこと。

2.熱の掛け方が違うこと。

 

1.スタートからゴールを辿るとするなら、演出はグーグルマップ上で辿るようなイメージです。全体を通して流れを見ます。ゴールに向かってどう言う工程を描こうかと考えるわけです。

役者の時は、グーグルストリートビューで、目の前の街並みを感じながらゴールに向かうイメージです。

 

全体を見て進ませるのと、目の前だからこそ観れる風景をたのしみながら進むのと、視覚的なイメージとして全く異なるのです。

 

2.熱量の掛け方が違います。役者のときは、血湧き肉躍るように、5感を使って、内面から湧き出るものを感じています。

スタッフ側は要所要所で、お客さんとしてシーンを見たり、事務的に作業をこなす方もあります。しかし、良いものを作りたいと思う熱は常に根底にあります。スタッフの際は冷静さ7、8割くらいを保つのがちょうどいいと思っています。

 

 

最近、どうも、この二つが役者→スタッフになかなか切り替えられずにいます。

 

 

次の作品dbdとしての作品に取り掛かりたいと思っている反面、たじろいでいる自分がいます。

前回までやった役者としての反省点がクリアされていない事が一つ。

dbdとしての模索が色々ある事が一つ。

まだ時間はある、と余裕をかましていたことが一つ。

色んな作品やアートなどに触れたり、見たりすると感動する反面、私のできる事なんて・・とイジイジした気持ちかあるのも一つ。

 

(*´Д`*)

 

理由はいくつか考えられます。

 

芝居は総合芸術ですから、一つのものに特化して、それらを合体させて、作品として昇華させます。

私の聞きかじりなんかで、楽しんでもらえるようなものを作れるのだろうか??

時々沸き起こる自信の無さが噴出します。

劇団さんの何よりの強みは、1人では無いことです。意見の衝突や色んな問題はもちろんありますが、誰かいてくれるという安心感は、かけがえがありません。

 

最近ではプロジェクションマッピングを使ったような映像と舞台のコラボも頻繁に見かけるようになりました。

映像と芝居を掲げてdbdは一発目をしたわけですが、新しい技術は常に躍進しています。

到底そんな新しい技術や巧みな技巧、鍛錬された技量に追いつけるはずがありません。

 

 

トライする事、チャレンジする事、

それらを推奨している半ですが、怖いものが無いわけではないのです。芝居経験者だとはいえ、役者と演出をメインで、それ以外の分野はほぼ知らないのと同様です。

むしろ小心者で、こんなことやったって誰も喜びやしないんじゃないかっ!と、相反する半がもう1人いるのです。

 

うじうじ・・・。

 

 

 

 

でも

 

 

 

 

でも、

 

 

 

でも・・・

 

 

 

やめられないんだよね。

 

 

 

時間が経ったり、また別なものに刺激を受ければ心の中のうずうずが止まらなくなるのを知っています。

自分の中で<創りたい>というシンプルな衝動が沸き起こる事も何度も経験しています。

役者だけでは止まっていられなくのも承知です。

 

 

結論

 

 

やめられるわけねぇ。

 

 

 

 

と言うわけで、この記事を書いているうちに、“うじうじ” から “うずうず”  に変化してきているのが今です。(笑)

(ちなみにこの記事は一週間ほど前から書いています^^;)

 

 

dbd半は、ほぼ一人でさびしん坊ですが、フットワークの軽さが売りです。

 

 

何かを始めることが、次へつながる。

 

まずは何かやってみよう。

 

 

こういう時は、元いた場所に戻ってみようと思います。

 

実は昨日から思い立って、しばらくしていなかつた朗読劇のアップをしようと模索中です。(笑)

内容は青空文庫から。約5・6分予定。

今は音探し中。

 

明日の夜1時間ほど時間ができそうなので、出来れば一気に仕上げてみようと思います。(^^)

 

 

自分の作品は自分が一番好きでいたいです。

シンプルですが、愛を持って制作しますので、仕上がったら見て(聞いて)くださいね。

 

 

遅くたって良い

 

早くたって良い

 

 

行けるとこまで行けば良い

 

 

 

※自作に集中すべく、劇団わむさんのタクラム企画は抜けました。色んな企画を試し試し活動されていますので、ご興味のある方は是非一度問い合わせて見てくださいね。^ - ^

 

 

 

 

姉御が来た ~たかが芝居~

お花見の季節ですね。

どうもdbd半です。

 

一週間ほど芝居の頭をお休み。

一歩離れたように、普段の生活にいそしんでいました。

アニメや見ていなかったドラマを見たり、上の姉が泊まりに来たので、東京見物や東京ディズニーシーに行ったり。

普段制作サイドのことばかり考えがちな半ですが、この一週間はお芝居とは無縁なんじゃないかというくらい、普通の生活をしていました。

 

今年は開花が早く、姉が来たこともあって先週土曜日お花見に出かけました。

たまたま前日に見たニュースに、上野で花見の場所取りをしている若手社員が映し出されていました。

姉御は、私の実の姉ですので大阪生まれ大阪育ち。上野にはまだ行ったことがないというのですから、それならちょうどいいという事で出かけました。

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やはり桜は素敵です。

 

残念だったのは、場所取りが微妙だった為、ゴミ収集車の近くで少しすると、異臭が・・。

早々に場所を離れ、大混雑の中上野のお寺を見て回り帰宅しました。

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 ↓上野東照宮

 

上野東照宮公式ホームページ

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翌日はディズニーシーです。

 

 

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去年10月末に一度行きましたが大雨・・と言うか嵐・・だった為、今回はリベンジでした。

シーズンオフのため、パレードなど野外のイベントはやっていなくて残念でした。抽選も外れたので、動いているミッキーを見たのは最後のファンタズミックだけになりました。

 

 

シャドウオブランドのショーも今回も見ました。

www.tokyodisneyresort.jp

 

姉御は私の姉妹ということもあって<感動しい>です。※大阪弁で<〇〇しい>と言うと〇〇しやすい人のニュアンスです。例:気にしい→気を使いすぎる人

特に、「がんばれ~」「一人じゃないよぉ~」的なものに弱い。ww

見ると隣の姉御が目頭を押さえていました。

クライマックスになり出演者みんなで歌うシーンは確かに迫力があります。

ハンカチを取り出す姉御。

驚きとともに思わず笑ってしまう半。姉御も泣き恥ずかし笑い。

 

前回見た時とキャストさんはほぼ変わっているようでした。 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

正直な感想でいうと、私は前回のキャストさんのほうが好きでした。

でも、素晴らしいものには変わりありません。

ストーリーは単純なものの、普段から鍛錬されている技術はにじみ出るものがあります。

 

姉御が涙しているこの事実を、今ステージに立っている方が知れば、どれほどやりがいを感じられるでしょう。舞台の素晴らしさを感じている人がここにいること、紛れもない事実でした。

 

目が肥えて行ったり、やればやるほど薀蓄を垂れたり、斜に構えた見方しかしなくなる傾向はどこにでもあります。でも素直に感動してくれる人もたくさんいるわけです。

 

会場を出て日が暮れてきていました。

私たちは服を着込み次のアトラクションへ移動しました。

 

 

そのあと、このステージの話は一度も出ませんでした。

姉が感動したのも事実だし、かといって一日中考えているほど感動したかと言えばそうではないことも事実でした。

 

おそらく、1年後、5年後にはきっと、「あぁそんなのがあったわね」それくらいに留まる位でしょう。いや、もしかしたら「そんなのあったっけ?」くらいかもしれません。

 

 

 

私は舞台が好きだし、この作品もすごいと思う作品のうちの一つです。

到底私なんかが真似できる範囲ではないです。

 

でも、きっと私は姉よりもこの作品を記憶していると思います。

それは私にとって舞台が特別だからです。

私の芝居・舞台好きはここでは割愛させていただきますが、一般的な反応はむしろ姉のほうだと思うんです。

 

どれだけ素晴らしい作品だろうと胸に残る作品やシーン、一つの台詞、そういったものは、見る側は、ほんのちょっぴりしか残りません。

おそらくぼんやりと「良かったなぁ」に留まるのが、良いところなのです。

 

 

何が言いたいかって?

 

 

私がすごい!!すげぇっ!!って思って作ったとしても、芝居が大事だ!!好きだ!!

と感じていていも、

見る側のほとんどにとっては、≪些末なことである≫というのを忘れてはいけないということです。

 

 

まれに1年後も5年後も10年後もずっと覚えてくださる方もいるでしょう。

観客側の私にもそういう作品があります。

 

でもどれだけクオリティもよくても、お金も使っても、時間をかけて、とても素晴らしいものを作っても、たいていの方は、ほとんど断片的、いやむしろ忘れてしまうくらいが普通なのです。

おそらく、どこかにぼんやりと「よかったなぁ」と暖色系で感じる思いが残るだけです。ただ、ぼんやりと。

 

 

 

姉御はその足で夢の国から現実へと帰る夜行バスに乗って帰っていきました。

姉は満足そうでした。

それを見て半も満足でした。

 

 

年に2回くらいしかこの姉御には会いません。

一度は私が帰省するとき。もう一度はこうして姉御が来たとき。

わざわざ千葉まで来てくれる家族はこの人くらいです。

 

普段ぶつくさ言いながらする家事も、姉御は率先して一緒にやってくれました。

上野では、もうお腹いっぱいと言いながら屋台で何が売られているのか、最後までチェックしていました。帰宅後、笑いながら臭くなったレジャーシートを一緒に洗ってくれました。

太ったからと肉の脂身をお残ししておきながら、自身の腹肉をつまみんでサツマイモの水煮を二つもたいらげていました。

ディズニーシーではファストパスを全力で取に行き、最後には泣き笑いもしました。

頼りないところもあるけど、欲求に素直な姉御。

 

 

姉は、楽しそうでした。

 

 

 

 

舞台は、とても素晴らしいものです。

私もその素晴らしさに射抜かれた一人です。

でも、だからと言って、万人がそれを感じるかと言えば違うのです。

舞台なんて、たかが舞台なんです。生活の中でほんのちょっとだけ関わるだけです。

 

制作をしていれば価値観は偏ります。

自分の世界を展開する代わりに、周りの人との距離は自然とできます。

一般の人にはどう映るのか?見ようとしていますか?

今手がけているものが100パーセント観客に受けることはありません。

自分の大事なものが他の人にとって大事なものであるとは限りません。

腕時計の時間を合わすように、針がずれていないかを、時々見てみても良いかもしれません。

 

 

たかが芝居です。

 

 

 

 

 

私は制作者する側だと必死になりがちで、それこそ視野が狭くなります。

視野が狭くして目の前に集中するからこそ一本作れるっというのもあるのですが、重くなりがちな思考の反対側は常にあることを、忘れずにいたいと思います。

 

ただ、そんな「たかが〇〇」だと分かったうえで、何かに注力できる人を半はかっこいいと思っちゃうんですけどね。

 

 

 

わむ、1回目の稽古〈読み〉 〜かしげき2018〜

お疲れ様です。

一昨日は腹痛で湯たんぽを久しぶりに使いました。どうもdbd半です。皆さま体調壊していませんか?

暖かな春はもうすぐそこ。無事に乗り切りたいものです。ちなみに半の腹痛は一晩で回復。おそらく食べすぎかなと(笑)

 

さて芝居の話をしましょう。

今回は、かしげき2018はサポートメンバーでの参加を希望しています。

 

この前の日曜、初稽古がありました。

 

 

ダンスが得意なリーダーおしずさんの下、リトミックあり、ダンスあり、台本の読み合わせ有り、コミュニケーション重視で楽しく時間を過ごさせて頂きました。

 

久しぶりの地元公民館稽古。←久しぶりのわむメンバーでの稽古です。実に、かしげきの稽古振り。

 

 

初めましての方も、久しぶりの方もいて、とても程よい緊張感の中でやらせてもらいました。

 

最後に〈読み〉をしました。

 

半はスタッフ希望なので、メインの皆様が読むのを聞いていましたが、おしずさんのご好意で最後に一度、一部シーンを抜粋して半も読ませてもらいました。

 

 

〈読み〉・・と言うのは、台本をもらって最初にやる稽古です。〈読み〉と言ったり〈本読み〉と言ったり。台本に沿ってそれぞれの役を割り振って声を出して読みます。キャラの個性や、全体像を掴むのは読みが一番です。

 

 

実は、半は〈読み〉が大好きなんです(笑)

なんかキャラクターとのチューニング作業のようで。

相手の方の息の取り方を探るような感じもあって、お互い探ってるから集中力や注意力もあって。

 

その中で前後の話を追っていきながら、話の起承転結を見つけて拾っていく。表現していく。

最初の読みって、実はとても鮮度が良いと思っています。

だって、キャラクター目線で物事が”初めまして”で展開されていくんですもの。

 

 

だんだん稽古をこなしていくと、先が読めた感情表現や動きをしてしまうことがあります。

やってらっしゃる方は、あるある ですよね?(笑)

 

ところが、この〈読み〉の段階だと、噛んじゃったり感情の読み取りの間違いとか多少は有りますが、ベースはlive(生の反応)な反応ができるってことです。

相手のリアクションの取り方も、自分の心の動き方も、ベースは、初めまして=作られてない=リアル(LIVE)につながります。

 

もちろん稽古を重ねたものの方が全体的な仕上がりは良くなるはずなのですが、この〈読み〉の時に感じるあれこれそれを半は大事にしたいと思っています。やっていくとこの時感じたリアルな気持ちを忘れちゃうから(笑)

 

(^-^)と言いつつ、今回はスタッフ希望なのですが(笑)。

 

短時間でも役をやるとアドレナリン出る〜(//∇//)ってなるので、ちょっと書いちゃいました。

 

思えば、かしげき2017の時も、きちんと読みをしませんでしたし、劇団蓮さんの参加はもう立ち稽古でしたので〈読み〉をやっていませんでした。

 

お相手がいて、声を出しても良い場所でやる〈読み〉は、楽しいです(//∇//)(//∇//)

〈読み〉はいくらでも遊べます。感情をわざと変えてみたり、声色を変えてみたり。

 

 

 

 

☆    ☆     ☆

 

ちょっと懐かしい話。

高校の時の劇部で、絵本をみんなで読んで、わざと言い方を変えて、調子を合わせていく“遊び”をしました。

 

例えば・・

 

お母さんが料理をしていて、楽しみに待っている坊やの話の絵本があるとします。

絵本には料理を待っているうれしそうな坊やの話が書いてあるとします。

言葉尻なんかは気にせず、感情の成り行きのまま読むんです。

 

※文字だけだと雰囲気が出ないので、イメージにしたものを青字にしてみますね。

 

1人が恐る恐る読む

坊や「今日のご飯はなぁに?」

坊や「きょ、きょうのごはんは、なぁに・・?

 

<次の人が もうちょっと怖い目に読む

ママ「今日は坊やの好きなビーフシチューですよ」

 ママ「今日は坊やの好きなビーフ シチューですよぉ(にっこり)」

 

<どんどんビビってく感じで読む

坊や「うわー、やったぁ〜。」

坊や「うっうっぅわぁ〜やっやったぁ〜・・」

 

<怖い〜!って思って読む

坊や「でも、ニンジンは入ってないのがいいなぁ・・」

坊や「で、で、でもぉ、ニンジンはぁあ、入ってないのが、ぃぃなぁ・・」

 

 

<もうやめて!もうやめて!!読む

坊や「だってニンジンは赤いんだもん」

坊や「だってだってだって!!ニンジンは!!赤いんだもん!!!!」

 

そこで、お母さんが料理ができたわよっとにっこり笑いながら僕の前に料理を置く。

 

坊や「いっただきまーす」

坊や「ひーっ!いたっ、いたっ

いただきますぅ(死んだ魚の目をして)」

 

 

楽しい食事の時間が、一気にホラー(笑)

緩急をつけるアドリブや擬音的なもの、どんどん入れて全く問題なし。オールオッケーなんでやりたい放題です(笑)

 

ま、こんな風に“遊んで”いたわけです。

 

あぁ懐かしい。

絵本とのギャップがあればあるほど、妙にシーンにあってきて、かなり楽しめたりします。

 

☆   ☆   ☆

 

 

あぁ、また芝居熱が上がりますね。何度も言いますが、今回はスタッフなので、参加者の皆様が盛り上がっていけるようサポートできればできればと思っています(^-^)

 

盛り上げるためには自分も盛り上がらないとね!

参加者の皆様もお芝居を楽しもうとしている姿が見れて半も嬉しくなりました。

 

今回の作品について、今後の劇団わむの試みとして月1ペースの稽古になるそうです。

週一ではありません。月一です。

場合により、月二も考慮の範囲だそうですが、ベースは月一だそうな。

こんな少数回数の稽古に挑む劇団さんは、他にあるのでしょうか?

 

個人的に言えば半は稽古が好きだし、やらないと不安になってしまうので、本格始動なら出来れば最低週一は原則なイメージです。

ただし、社会人演劇の抱えるさまざまな事情を鑑みれば、こういった策があって然るべきかもしれません。

どういう結果になるにせよ、やってみないと分からない訳でなんですから。

 

それに、こういった考えは経験者だからこそなのかもしれません。こういうものだ!と決めつけてしまうのは、経験者であるがゆえ。

 

クオリティや、自分の能力、お客さん意識。

色々大事にしたいものはあると思います。

でも、大切なのは、やはりやってる本人たちが楽しめるかどうか。なのかな、と思います。

 

半はいつも力みがちなので、そういう意味でも裏方を経験できるのは幸いです。裏方として、皆さまが楽しむことをサポートできればなと、思っています。(^。^)

 

 

今後の動きは、半としても楽しみにしています。

 

 

新しい台本~かしげき2018稽古始動~

こんにちはdbd半です。

 

今日は久しぶりの稽古日です。

昨年参加した"かしげき2017"ですが早々に"2018"が動き始めました。

かしわ演劇祭-かしげき-

 

昨年できれば短編作品ならdbdとしての参加を考えていましたが、かしげきの前に優先したい作品があります。

優先したい作品というのはオリジナル作品へのトライです。

予定では"かしげき"より前4月~7末くらいでそちらを先行して作成するつもりです。

かしげき2018は9月の三連休の予定なので7月から本格的に参加すれば問題ないのですが、昨年の事を踏まえ一本集中したいと思っています。

 

そんなことを考えていましたら、劇団わむさんの方でいつもリーダーとしてダンス的な稽古をつけてくださっている方がかしげき2018の参加に声を上げてくださいました。

しかも台本のベースは「8月シャハラザード」。

半が好きな脚本家さんの台本の一つです。

 

8月のシャラザードをしたことはありませんが、脚本家演出家である高橋いさを作品は過去に2本、半が演出で上演をしました。そうそう初演出は「極楽とんぼの終わらない明日」です。

https://www.amazon.co.jp/極楽トンボの終わらない明日-theater-book-高橋-いさを/dp/4846001261

うっわぁ~懐かしいなぁ。

またやりたいです。(笑)

 

それはそうと、

今日は、かしげき2018にむけての初めての稽古です。

半は念のため、スタッフなどの参加で希望を出しました。

ま、どうなるかはその時の動きになりますし、半はスタッフ業もとても大好きなので、楽しめること間違いなしです。

 

一昨日、新しい台本をPDFを頂きました。

台本が手元に来る時のワクワクは例えようがありません。

この活字からどんなドラマが生まれるのか。

この空白欄からどんな演出やアドリブが入るのか。

 

もしかしたらこの時が一番ワクワク度が強いかもしれません。

今度のかしげきでは役者面でのブログは控えめになるかもしれませんが裏方業の方も気づいたことや感じたことなどもどんどんインプット・アウトプットしていきたいと思います。

ショートストーリー「大地」

前回記事で、このストーリーの前置きを書かせていただきました。

ご覧になってらっしゃらなければ、良ければそちらもクリックしてみてくださいね(^^)

↓過去記事

 

では早速、

ショートストーリーです。

 

 

*           *            *

 

「大地」 20180309 dbd半

 

かさかさと木々がざわめき、

四角い箱の中私は夢想する

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もし、私の指から根が生えて大地とつながる事が出来たなら、

大地の一部になって、人を支え、空を見上げたい

 
私の体の血が、穢れを落とし命の水となり生き物を潤すのなら、

生命の力に驚嘆し、川に飛び跳ねる魚を見て声あげて笑おう



風にあおられる私の髪は長く、雨と嵐から君たちを守る
そして晴れた日にここから巣立つ小鳥を眺めよう



皆の足音と重みが心地よく、
私の爪垢は子供らの灯りとなり、夜の闇から道しるべを照らす

 

 

 

子らよ


大地の音を聞け

大地の涙を知れ

大地の祈りを見よ

 

 

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私の足は地を離れ地を蹴る
私の手は地を離れあなたの頬に触れる
私の体は地を離れ空に舞う

 

 

大地よ
見ておくれ私はあなたの子
大地よ
歌っておくれ
私を守る子守唄
大地よ
綴っておくれ
私とあなたと次の命を

 

大地よ
許しておくれ

 

大地よ


許しておくれ

 


私があなたの一部になるまで、
愚かな過ちを犯してしまう
こんな私たちを

 


あなたの体を燃やし、あなたの体で家を作る
あなたから流れ出た水から、穢れ作り穢れたままあなたに押し付ける
あなたの吐息を吸い、穢れを吐く
自らを裁き自らを殺める
こんな私たちを

 


あなたのすぐそばで安らぎ眠ったのはいつの事だろう
私は覚えているあなたの温もり
私は消えても心は残る

 



私はあなたの夢を見る
大地に根を張り小鳥は囀り手を伸ばして天に近づく
私の中から大地の力が吸い上げられ、伸ばした手から空へと流れ、私は自然の一部となり、体は空気に溶けていく

 


今のあるべき姿でそれが叶えられたのなら・・

 

 


あなたに抱かれることを許しておくれ


いつか

 

 

いつか

 

 

いつか

あなたの元に還るまで

 

 

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*           *             *

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか?

 

皆様に気に入って頂けたら幸いです。

 

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