dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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観劇 劇団人の森ケチャップさん

今晩はdbd 半です。

 

昨日土曜日に、ずっと行きたかった劇団さんの一つ

劇団人の森ケチャップさんを観劇してきました。

 

 

「今夜はまるで、銀河鉄道みたいな夜に」

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タイトル通り銀河鉄道を彷彿とさせるふしぎな旅の物語

 

抽象的であり神秘的であり、恍惚的な世界が繰り広げられて行きます。

 

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面白いのが大会議室のようなところでの舞台造りです。

ライトは天井部分のシーリング、両サイドの転がし、➕アルファの懐中電灯、タワーはありませんでしたが、きちんと舞台として綺麗に見えました。

 

さらにこの劇団さんの特徴は、身体的精神的ハンディキャップの方もたくさん出演される劇団さんで、不思議だけどピュアなソウルがそこかしこにある事です。

 

今までの半は、身近にハンディを抱えていらっしゃる方がいなくて、失礼な態度を取ってしまったらどうしようと思う部分もあり、自ら距離を縮めようと思ったことはありませんでした。

 

ですが、昨今のメディアでの紹介もあり、以前より遠巻きにしたいと思う感情は奥に引っ込んできました。

 

今回見させていただき、よりその気持ちは強くなったように思います。

 

なぜなら作品がとても素晴らしかったからです。

障害のあるないは、前提の問題であって、その上でどう調理するかは演出や制作の腕の見せ所なんだと思います。そして、力になりたいって思ってくれる人がどれだけいるか、という話ではないでしょうか。

 

特に障害者手帳をもらうに至らない私たちでも、できる事、できない事は、個人によって大きく差があります。時には、上手くいかない事にヘソを曲げ、沢山の言い訳を考えたり人のせいにしたりする事なんて日常茶飯事でしょう。

 

芝居で肝心なのは、どんな内容でも話の道筋をそれることなく、必要なことをきちんと伝える事。

本作の最も素晴らしいところは、その構成力なんだと思います。

 

一人でできないなら二人でやれば良いじゃないか。二人でできないところは三人でやればいいじゃないか。三人でできないところは、皆でやればいいじゃないか。

そういった構成が、お互いをフォローし合う、つながりの強さを醸し出していました。

個性を生かす、なんて簡単ではありません。

でも、半もそういった道を切り開きたいと思う一人です。

 

 

半が目にしたステキだなと思った一瞬は、一人の少女が何気なく髪をかきあげたところでした。

メインのトークは隣の女性が話し、少女は二人を模した人形を持っていたのですが、メイントークがつづくなか、隣の少女は、いろなところに視線を投げかけたり、足踏みをするような仕草もありました。そしてとても自然に髪に触ったのです。

 

役者の皆様、思い出してください。

私たちは頑なに意識がある分、稽古をすればするほど自然な動きから離れていくって事はありませんか?

 

こういう性格だから、ここでこうするって言う決めの動きがあるのはもちろんですが、それ以外の時、やたら不自然に立ったままになったりしませんか??

普通立ってるだけでも疲れますよね?棒立ちなんて事普通はないですよね。

周りを見渡したてみたり、なんとなく後ろが気になったり。

 

この少女のちょっとした仕草は、その当たり前にすることを当たり前にできるって言うところに、半は素晴らしさを感じたのです。

 

 

 

そして、衣装、小道具、セットに細やかな気配りを沢山感じます。

 

それはよく見れば、生地の切れ端だったり、トイレットペーパーの芯だったり、和紙だったり、ダンボールだったり、発泡スチロールだったり、要はガラクタ扱いにされそうな物ばかりが、新しい表現されるものに生まれ変わっていました。

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何かを伝えたい時、私たちは道具を使います。

文字、電話、言葉、手、音、私たちは物を使って表現するのがとても上手い生き物なんだと思います。

 

話す・文字、に限らず、もっと広げれば

好きという気持ちも伝えるのに花束をプレゼントしたり、

ごめんなさいを伝えるの頭を下げたり、

お腹が空いたと思えば、お腹に手を当て肩を落とします。

 

もっともっと広げれば気持ちだけではなくて、物を物で表現できるわけです。魚であれば魚の特徴に近いものがそれになります。

キラキラした鱗なのか、滑らかな泳ぎ方なのか、背びれや尾びれをつけたものなのか、弱肉強食の食物連鎖なのか、あらゆる特徴で魚を表すことができるのです。

 

 

 

「今夜はまるで、銀河鉄道の夜のように」は、幻想的な世界をそうした別の物で表現する仕掛けが沢山施されていました。

 

 

いや、むしろ、そもそもお芝居の面白みはこういったところなのでは、ないだろうかと思います。

 

有りもしないものを有るように見せて、有るものにも関わらず無いものにもすることもできる。

それは、表現の仕方が無限にあるからです。

人が物をイメージする数だけ、その表現は広がりを見せます。

物と物の特徴を捉えることができれば、新しい表現が生まれるのです。

 

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※舞台奥にセットされた舞台美術

聞けばこのカラフルな色合いはCDを切ったものをスズランテープのようなもので挟み込み粘着されています。

 

 

 

私もこの先、芝居を重ねていけば、きっとこういった感覚を忘れたり頑なに意識にとらわれたりするでしょう。

 

人の森ケチャップさんは表現活動の根本に帰らせてくださる劇団さんなのでは無いかと思います。

 

制作される方はどれだけ大変なのか、わたしには想像もできませんが、また次回公演があるのなら、足を運びたいと思います。

 

 

次はどんな工夫があるのか、別の物を期待する部分と、変わらないでほしいと思う部分、半分半分。

 

 

皆さまも、機会が有りましたら、是非ご覧になってほしいです。

 

色んな出会いが、きっと次の可能性になっていきます。

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