dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

「やりたい」から「やらないと」に変わる時

どもどもdbd 半です。

 

団体になると人と人の絡み合いです。

 

お互いのペースがあっても、最終的な着地を目指します。

皆、お芝居が好きで集まったメンバーです。

お芝居が好きでやりたくて集まったメンバーです。

が、時にこの「やりたい」が「やらなきゃ」になる時があります。今の舞台に関わらず大なり小なり、そういう事はあるのです。

 

やはり舞台は期日があり稽古場に行って集まれる日というのは限りがあります。

 

もちろん、稽古日に毎日でも行ければ良いでしょう。(実際は毎日の稽古には体と頭を休める時間がないので、それは大変すぎると思いますが)

 

でも、皆仕事や大事な用事だってあります。

体調だって崩すことや冠婚葬祭だって、あります。その間にホン(台本)を読んで整理する時間も必要です。

 

そして、こんな何かに差し迫られた時、「やりたい」が「やらなきゃ」に変わる時があるんです。

 

それは先に述べたように本番までの期日かもしれません。

それはダメ出しに対してクリアできない時かもしれません。

それはいくら読んでも作品をイメージ化できていない時かもしれません。

それはやむを得ない事情で皆に迷惑をかけたと思った時かもしれません。

それはセンス(感性)の違いかもしれません。

 

何に対してなのか、どのタイミングなのか、それは特定できないものです。

 

でもこうなった時の展開は別れ道になると思うんです。

①やりたい→やらなきゃ→やってやる→できた!

②やりたい→やらなきゃ→なんでやらなきゃいけないの?→やりたくない

 

 

このような体験をした1人の役者が公演が終わった後にこう言いました。

「芝居が嫌いになりそうだった」

 

 

私には、この言葉が強く残りました。

私はここで言っている通り芝居は自由で良いと思っています。

 

たくさんの作品があっていろんなクリエイターがいて、それを楽しんでもらえらお客さんがいる。

 

なのに、、、どうしてこんな事になるんだろう。

 

多分、誰がこうとか、そう言うんじゃなくて、自分が自分を責めちゃってるのかな、と思います。できない自分を。やりたいって言ったのに、やりたくないって思ってしまった自分をかもしれません。

それはもちろん私半にもある事なんですが、やりたいけど、できないジレンマは付き物で、プロでもない私たちにはプロの方から見れば、どこか甘さだってあります。それでも抱えるジレンマはとても大きい。

 

私自身、今だって確実に足掻いてるし、表現者としてまだまだだなと思うことが多々あります。あり過ぎてここでは割愛なのですがww、でね、友である芝居仲間から教わったことをここで共有したいと思います。

 

「お客さんに楽しんでもらおう」

 

目を閉じて6秒以上、お客さんのことを想像して見てください。

 

私たちが向き合うのは、演者同士でも演出でも自分でもなくて、今は見えないお客さんなんです。

それを思い出して見てください。

 

今の自分がどうすれば良いのかは、自分次第になると思います。

 

でも一つだけ。一つだけ。

役者が楽しんでる姿が、一番お客さんに届くと思う。

もしね、今はしんどくっても、例え、やりたくないの境地に立ったとしても、本当に何もかも嫌かな?

どんな些細な事でも良い。自分の楽しめる何かを探してみませんか??まずはそこから始めませんか??

 

演劇は、面白いものです。

自由なものです。あなたの好きを感じる心は、あなたのものだ。あなたの楽しむ気持ちは、あなたのものだ。

「やらなきゃ」はきっとしんどいよね。

どんな些細な事でもいい。好きのカケラを見つけてみて。

「やりたい」の気持ちを取り戻そう。

ほんの少し笑えたのなら、もっと大きく笑ってみよう。きっと、その笑いは皆を笑顔にする!

 

 

勝手な持論だけどね、どんだけ下手な芝居でも楽しんでる芝居は楽しい。

 

もちろんそう思わない人もいるだろう。

そう思わない人も、それで自由なんだ。

 

私もこれから先、舞台や絡みをもっと経験すると大きな大きな壁にぶち当たるかもしれない。

自分で自分を許せなくなってしまうかもしれない。芝居なんてやめてやる!そう思うかもしれない。

そんな時は、このブログを読み返したいと思います。

 

 

 

半はすべてのアマチュア演劇を応援したいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

「台詞使い」その名は役者〜綿菓子と役者と台詞の話〜

どうもdbd半です。最近にしては日にちが少し空きました。
今日は役者の話です。

例のごとく、有名人にならったものではない、あくまで半流です。

 


言葉になる前の気持ち。

台詞について。

 

 

台本というのは、基本的にセリフで成り立っています。
最低限の動きやきっかけについてはト書きと言われるものがありますが、
お互いが発する言葉で物語を進行し、ドラマが産まれ、結末に至ります。

役者というのは基本的に”台詞使い”です。
ここでは魔法使いのような響きで役者の役割は”台詞使い”と言いたいと思います。

台詞・・・なんでしょう。

私が、今回舞台に取り掛かっている練習の中で、稽古場外で気づいたことがあります。


台詞・・・それは、思いの塊の一部に名前がついたもの。


感情は複雑です。嬉しい気持ち、ハッとする気持ち、ちょっぴりやきもちを焼く気持ち。
私たちの心は一概にこうだ!という一文では表せないのが前提にあるのを、ご存知ですか?

 

たとえば、美味しそうなふわふわの綿菓子。
この綿菓子が気持ちの塊だとするなら、そこから少し一掴みしたのが、たぶん言葉なんです。
そしてどんな所をちぎっても大きくちぎっても小さくちぎっても良いわけです。


綿菓子は流動的に変化します。
イチゴカラーが強かったりみかんの色が混ざったり、カラフルなレインボーになったり。

そして一掴みして言葉として誰かに渡そうとするとき、その一掴みでさえ、実は一色では無いものが、言葉という形になった瞬間、途端に誰もがこうだろうと思う「言葉のイメージ」に染まります。


それが「ありがとう」という言葉だったのなら、その形を持たないふわふわしたものから、瞬時に「ありがとう」という音だったり文字に変身するんです。
皆の知っている感謝の気持ちを表したものになります。

「ありがとう」と発した途端思いは「ありがとう」という名前のついた存在になります。形になるのです。


例えばどんなに強く思っていても「ありがとう」という言葉が無かったのなら、あなたはどうやって思いを伝えますか?


言葉は、想いを相手に伝えられる最強のツールです。
こんなにありがたいものがこの世に他にあるでしょうか?

 

想いを言葉にしたり文字化、音化、具現化することで自分と他者との意思疎通が図れる。
伝える事ができる。つながる事ができる。
単純かつ明快に。
想いを伝えられる!!


一方で、言葉はとても不便です。

ちぎられ変身した綿菓子は単純化、明快化した代わりに、もともとの綿菓子の存在を忘れられがちです。
いえ、見えなくなってしまうんです。
発した人の「ありがとう」のイメージから受け取った人の「ありがとう」という単語のイメージに変換されます。
その元々の綿菓子の色を見分けることはとても難しい。


言葉に変身した綿菓子の気持ちは、形は「ありがとう」でも、実は綿菓子に変わりないのです。
綿菓子は、ちいちゃくちぎって渡して、変身しても、綿菓子は綿菓子なんです。


だから、単語の奥には、「感謝」の気持ちはもちろん、実はそれ以外の思いも複雑に入り混じっています。

その入り交ざった思いの塊に気づいたとき、私は一冊の分厚い本を見てこう思いました。


「これは本じゃない!想いの塊だ!」

 

背中からぞくぞくっと、会ったことのない人々の思想がページの奥に凝縮されているのを感じたんです。
これを書いた人、携わった人、距離を超えて、時間を超えて今私の目の前にある。
もうこれは私も言葉にすることは出来ません。
想いの塊、そのもの。
私はじっと本を見つめるだけでページもめくることは出来ませんでした。


余談ですが、時折純度の高い言葉に出会うこともありますよね。
渡された「ありがとう」の感謝のと言葉。
感謝の気持ちがその中にぎっしり詰まってる。
ほっこりするような相手を敬うような気持ちがぎゅうっと詰まった「ありがとう」

ありがとうは一例ですが、そんな純度の高い思いに振れると、人はきっと心を揺さぶられるのでは無いでしょうか。書いていて気づきましたが、私の目指す演劇の近いところはこれだと思います。

 


先ほども具現化した言葉にその背景を読み解くのは、とてもとても簡単な事ではありません。

でも時折、ふと言葉の奥にある綿菓子がこっちを覗いている時があります。

私はちょっと変かもしれませんが、時々文字や言葉を見たり聞いたりしているときに、ふわっと言葉になる前の気持ちを感じる時があります。

とても感情的で、思い込みなのでは?なんて思うこともあるんですけどね(^^;)

 

そして、「台詞使い」である役者はこの逆なんです。


台本から、言葉を拾います。
役者は言葉を発するわけですが、言葉を出す上で、もともとである気持ちの綿菓子の存在がなければ、言葉に変身させてあげることは出来ません。

 

その綿菓子の存在をもって、綿菓子のどの部分ををちぎって相手に渡せているのか?
そうして台詞を言えているか?

また言葉になった綿菓子をちゃんと受け止めているか?
文字列ではない言葉の奥にある綿菓子を理解できているか?

同じ思いを受け止め投げ返しているか?

 

これが出来ている時、見ている側にもいつの間にかセリフではなく想いのキャッチボールが見えてくるように思います。


私にとってのLIVE感覚(今ここにいる感覚)はこれがきちんとできているかできていないか、です。


こうは言っていますが、このやりとりはとても面白い代わりに、実のところとても難しい作業です。
複数名であれば難易度はさらに増すでしょう。

私自身もこの一年、稽古場で感じれたのはほんの2回くらい。

ただし、この感覚になった時は、ほんっとうに、気持ちがいい!!

一度は大阪で読みをやった時(台本を持ちながら役をふって読むだけです2人)
もう一度は、テキストを使った即興です(あらすじときっかけになるセリフだけを拾って話を展開する2人)


ここで即興(インプロとも言う)の話を少し。


先にも述べたとおり、台詞の前に想いを構築して言葉にするというのは普段の生活の中の逆です。

○普段の生活:思考(綿菓子)⇒言葉(ちぎって渡す・受け取る)
○台詞   :台本の言葉⇒発する前から思いをたどる(綿菓子の構築)⇒言葉(台詞・発する受け取る)

 

 

私が思うに、インプロは逆の逆だから、台詞がちゃんと言葉になる。
思考があってそれから言葉にするから、普段の生活通りなんです。これは実に効率が良い。

 

○インプロ(即興):思考(綿菓子)⇒言葉(ちぎって渡す・受け取る)

 

私はインプロが好きは有りませんが、関東に来て演劇の中のインプロについて触れる機会が増えました。
今でも得意ではありませんが、こう考えるとインプロの魅力を感じている人がたくさんいるのが少し理解できたように思いました。


でね、インプロ好きな方は逆に台本が苦手だって話を少し聞きました。

 

 

 

そんな方に私は言いたい。
やっていることおんなじだから=================!!!!!!!!!!!

 

 

私ができているかというと、それはちょっと横に置きます(笑)

お互いを感じて、想いがあって、言葉を言う。
想いがない言葉は、ただの文字列になるだけ。思いがあってたまたまセレクトした言葉が台詞。
想いから言葉を紡ぐ作業ができるのが役者。
想いのある台詞はキャッチできるけど、想いのないセリフはキャッチできない。

 

ただそれだけ。

 

だから、決まった台詞があったとしてもアンテナを張らないといけないのは当然変わらない。
相手がどんな表情で、どんな節で、どんな想いで綿菓子を渡してくれているのかを感じるの。
それができるかできないか。

自分が何を思って、この言葉をセレクトしたのか?どんな思いで発したのか。
綿菓子をちぎって渡すときに、もともとの綿菓子からどんな所を選んで言葉に変身させたのか?
(だんだん自分に言ってきているねこれ(笑))


役者にとって、台詞はとても大事。そこから気持ちを読み解くからね。
でも、台詞を言う前に想いを持っているかどうかがとても大事なんだ。


相手に届けたい、その気持ちが、言葉になる。

だから、本当は「ありがとう」じゃなくってもきっといいだ。
「thank you」でも「謝謝」でも
「くそったれ」・・・でもね(^^)

これを見つけていくことが、稽古場の楽しさなんだろうな。

 

あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
思わず書いちゃった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

台詞覚えなきゃ(><)


ブログ更新は少し間が空くかもです。あかないかもです。

がんばりますm(__)m

リライトからのプロデュース作品の一時休止。

カットしない

 

決めました。dbd プロデュース公演の話しです。

それを決めてから、第二稿のリライトが上がりました。8月5日での話です。

 

どうもdbd 半です。

 

最近かしげき参加に絡んだ話が最近多いですが、今日はdbd の話。

 

台本を書くのに少しは慣れてきましたが、それをリライト、、簡単に言うと要は"書き直し"、この作業をちゃんとするのは初めてでした。

 

リライトって、本当に難しいですね。

私は前にも述べた通り、一気に仕上げてしまうのが好きなので、誤字とか文脈がおかしいからという手直し以外で、『書き直す、手を加える』というのを、まともにやったのは今回が初めてでした。しかも自分が書いたやつ。

 

だいたい書き終わった後って、なんか、飽きちゃうんですよねσ(^_^;)。その時でないとテンションが維持されないと言うか。

カットのため繋げるという作業はエンドレスサマーの時にもやったけどね。

 

自分が書いた台本で手直しをかける苦痛。

なかなかのものでしたよ、これは。笑

 

 

今回のリライトの目的は大きく二つありました。

一つは主要な登場人物の初期設定し直し。

もう一つはQSCという演劇動画コンクール用に時間を短縮すること。目安5分削除。

 

前回はおおよそ20分くらいの予想でした。

ここから、

ここからが大変だった。

5分削りたくても、削れそうな箇所がない!

でも、でも、このままじゃ、仕上がらない!

どうする?どうする?

 

パーーーーン

 

 

放心です。

心が狭い視野に囚われ閉塞感を味わうあまり、自然を求め始めました。ww

 

 

こういう時は、無理に書こうとしても一向にアイデアなんて出ません。

書いても書いても、一つ目はなんとかクリアしても、二つ目の目的である時間短縮に繋がらない。繋がる要素がない。

 

 

自分が設けた期限もある中、どうしても出てこないし、時間が過ぎました。

 

 

そして、時間が過ぎ手元には書きかけの台本と終わらない課題。(*´ー`*)うーーーーーん。

 

 

そうしている時にある方からメールが届きました。

それは業者さんからのメールなのですが、今回の作品のため、こちらの業者さんを利用する場合にかかる費用についてお聞きするため作品の一部を送っていました。

結果的に、辞退する事を申し出たのですが、半はおこがましくも感想をいただけないか、お尋ねしておりました。

 

それが、火曜日に返事が来たのです。

 

 

実は半はこの業者さんに作品を送るのをとても緊張していました。

 

芝居のお客さんでもない、私の知り合いでもない、業者さんとは言え、今までの方々とは全く違う方に見てもらうわけです。

演劇関係者でもなくて、友人知人でもない、いわばご新規様。こういった方々にお芝居を見てもらうというのは自分が目指す演劇の道の一つなのですが、正直めちゃくちゃ緊張します。

 

怖いよっ。

超つまんないって言われたら立ち直れないかも(−_−;)

内面的な言葉を出すならこんな感じです。

 

この業者さんとはメールと電話だけのやり取りだけです。私がお客という立場上、悪く言われることは無いでしょうが、それでも、足りないところをズバリ言われたら、聞きたい半分落ち込む半分だったのは間違いありません。

 

 

 

内容は控えますが、そのメールを見て、確信しました。

 

 この内容を、このタイミングでもらえた。

いま、ポンと背中を押してもらった、そんな感触を感じました。

 

 

半は、その瞬間から迷いが消えました。

 

すぐにいっしーに連絡を入れました。

「決めた。カットはしない。

〜〜

この話にはもう生きてるんだ。だから何度も頭捻ってもカットできなかったんだ

〜〜

コンクールには出せないかもしれないけど、良い?」

 

いっしーのレスは、「もちろん!いいよ!」

いっしーの即レスに何度も嬉しい気持ちをもらいます。

 

「もし出すなら、2本仕立てで対応できるような作品にしていきたいと思う」

と付け加えました。

 

1本のカットがむずいなら、一つの話を2本の話に区切れるような設定にしようという作戦です。これは、少し案としてはありましたが、役者の負担や編集について不安があったので、どうしたものか・・と思い踏ん切りがつかなかったのです。

 

 

ここにきて俄然やる気が出てまいりました。

それから12分~15分物という考えは置いて、24分~30分物のイメージとして書き上げたのち、ご参加いただく方に台本を添付。

今後の事を話しました。

 

進行状況としては、のこり作業一つを私が仕上げれば、かしげきの公演に絞るため、私も一時的に休止。休止中、私といっしーが動けない間に、お手伝い頂くみさきさんに、重要なアイテムの作成をお願いする。

そんな話をしました。

 

が、前にもその残り作業と同一の事をした事があるのですが、その時はほぼ一晩でできたのに、今回全然進まない(><)若干気持ちだけがまた焦りを見せ始めます。

1.2進んでは眠気が、、、💦

一日少しの進捗・・・んん~~~~~~~~~~~~~~~( ,,`・ω・´)なぜじゃ?

 

 

というわけで、そろそろ私もエンジンをかけないと!という事で、実は本日その残りを仕上げました。^ - ^

 

 

だから、dbdの話があまり出てこなかったんですね。ハイッ。

ブログに書こう書こうとすると、なんか次のACTや気づきがあったり、前回読んでくださった方がいれば周知のこととは思いますが、メンタル的にダメだーと思う事もあって(^◇^;)

 切り替えに少し時間がかかってしまいましたm(__)m

でも今思えば凹むって、凄くありがたい事ですよね。きっと、周りの皆んなが、そっちじゃないよぅ!って教えてくれたように思います。

皆様のおかげで、変なスネ方とかせずに向き合えました。ご迷惑おかけした方こんな私ですみませんm(__)m

 

 

さて、今日ですべての作業が一区切りつきました。

はぁ~、やっと終わったぁ~。

と一息ついてはいますが、でもね、これだけは言わせて!

 

時間はかかったけど、

 

残り作業も楽しめました(^^)

 

一度目に作った時よりも、少しはまとまったかなぁと思いますし、一回目に気づかなかったことも少し気づけたしね。

 

 

dbdプロデュース作品としては、今回私のほうでもこれから一時休止に移り、かしげきに集中してまいります。

 

 

 

プロデュース作品は一旦置きになりますが、dbdとしては、あと一つやりたいことがあります。かしげきの本番までにdbd のフライヤーを完成させたい野望があります!

 

 

 

結構前に、演劇のチラシ(の前提)について書きましたがその後の話もまだしていませんよね

忘れている方も多いと思いますが、半は諦めていないのです。(笑)

私はデザイン系のセンスに乏しく、参考になるものに目を向けたり、自分なりに考えたりを繰り返しています。何を言いたいか、どういう風に言えば良いのかを試行錯誤中。

現状としては、ひとまずこういう方向性で行こうかな・・と思ったのがあったのですが、実はここにきて、やっぱり不一致じゃない?っていう見方も出てきて、またまた時間がかかる予想になってきております。

なんか、考えたのを見てると、難しく考えすぎじゃない?みたいなね(笑)

 

なんかこういう風にやりたい!っていうのが出てくればいいのだけれど、まだヒットがないんですよね。

 

っとととと、これ以上行くとまた話が長くなりますね(笑)

 

次回より、いったんプロデュース作品は置くことになりますので、役者の話がまた多くなるかな?(^^)

 

あくまで半流の気づきを引き続き書いてまいりますので、どうぞお付き合いくださいませ。

 

 

半がワークショップに行かない理由

こんばんはdbd 半です。

 

昨日少しワークショップの事が出ましたので、少し書きたくなったので書きます(笑)

 

 

私は関東での演劇方法を知らないし、作り方や取り組み方を知りません。つまりアウェイです。そして今の所あえてワークショップに行くという事もあまり考えていません。

※なぜなら、ワークショップで人が見つけたヒントを自ら身につけていくのはとても有効的ですが今の私は自らが感じたものや気づいたことを開拓していきたいのです。我ながら屁理屈だと思いますが、つまりところ演劇のヒントは自然であり実は目の前にある事が師となるだろうと思うからです。

 

とは言いつつ、もし行くチャンスが何かしらあれば突如行きたくなるかもしれませんけどね(笑)

 


ちなみにワークショップとは・・
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワークショップ

ここにある通り体験型講座ですね。

 

演劇のワークショップというのは、そりゃぁもう沢山あります。
一日体験もあれば一年かけてやるものなど様々、そのぶん、お値段もピンキリです。

 

内容は、ほとんどが役者向けのワークショップだと思います。主に現役活躍中の方が、シアターゲームや即興やマイムなど楽しみながらレクチャーして頂き色んな気づきを体験したりしてモノによっては最後に上演するような所もあります。

 

半も過去に2.3回行ったことが有りました。内一つは一年間かけてのものでした。

 

向上心のある方、他のところはどんなことをしてるんだろう?他にはどんな事が出来るんだろう?

 

興味があればぜひぜひ色んなところに足を運んでみてください^_^きっと面白い気づきに出会えるんじゃないかと思います。

 

 

・・・と、ここまで書いておきながら本人は行かないのかよっ!

 

ツッコミありがとうございます。m(_ _)m

 

 

はい、今の所行く予定もないしあえてお金払って行こうかっていう考えは無いです。

 

アウェイだし関東のこと知らないし興味あるくせになんで行かないのよっ?勧めるくらいなんだから、自分も経験してくればいいじゃん!

 

そうです。そうなんですが、、なんか、こう自分で見つけて行きたいんです。

良いなぁ〜って思った事とか、これ面白いっ!って言うのとか。前に書いたブログのよだかの星で言うなら、ハッとする何かを、感じたいのです。

 

半はこのハッとするものを見つけたり気づくととても嬉しい気持ちになります。 

 

ワークショップでは、複数名の参加で成り立ちますのでお互い刺激し合えるメリットやスキルアップには絶対いいと思います。

 

私は、どちらかと言うと遠回りでしょう。

でもその遠回りを楽しみたいというか、ね。^_^

 

ワークショップに行った人の話とかは大好きですよ。楽しい発見があった人の話しを聞くのはとても楽しい事です。

 

 

自分が行くと二番煎じになるようなのもあるんです。例えば、同じ事をしてもある人がやると面白いけど別の人がやると面白く無いとか。答えを聞いて問題を解こうとしたら自分では解けないとか。

 

半が経験した所は有名どころでは有りませんでしたが十分楽しめました。

でも、私の場合は、なんか物足りなかったんです。

 

皆さんは訳も分からないで涙が止まらなくなった経験はありますか?半は高校の修学旅行に姉妹校がある中国へ行くことになったのですが、その時歓迎の歌を在校生が歌ってくれたのですが、突然涙が溢れてきました。中国語なので何を言っているかはわかりません。もちろん泣くような事はなく他に一人でもそんな風になっている人はいませんでした。恥ずかしいので、他の人には見られないように何でもないようにしました。その時なぜ自分がこうなっているのか本当にわかりませんでした。

 

去年四年勤めた女の子が退職しました。

最終日、サプライズでお花を渡すと彼女は感極まっていました。私は同じ部署ではありませんでしたが、もらい泣きしそうでした。

 

なんだろう。

ワークショップで教えてもらうより前に、私はもっと目の前に起こる事象に対して感性を磨きたいと思うのです。それが楽しいのです。そしてできればそれらを演劇という形に変換して行きたいのです。

 

屁理屈めいてるかな?

 

^_^

 

色んな楽しみ方があるのが芝居のいい所です!

 

 

皆さんの楽しみ方をどうぞ見つけて頂けたなら、半の幸いです。^_^

今日は。

dbd 半です。

 

 ごめんなさい。昨日に続き重い話です。

昨日書いたけど、素直になることはとても難しいです。

 

私の場合、演出企画を別でやっていて、リスタートしてからはほぼ一人で作ってきたというのも一つあります。

 

頭が硬いと言うか、先入観があるというか。

気をつけていたつもりがどハマりでした。

 

 

言葉のニュアンスや、ヒアリングの仕方、経験したことも人それぞれです。

私は関西小劇場でやってきて、当時は身内の芝居でほぼほぼ満足していました。それも社会人としてはほんのちょっぴりです。

 

私は関東での演劇方法を知らないし、作り方や取り組み方を知りません。つまりアウェイです。そして今の所あえてワークショップに行くという事もあまり考えていません。

※なぜなら、ワークショップで人が見つけたヒントを自ら身につけていくのはとても有効的ですが今の私は自らが感じたものや気づいたことを開拓していきたいのです。我ながら屁理屈だと思いますが、つまりところ演劇のヒントは自然であり実は目の前にある事が師となるだろうと思うからです。

 

というか、関西ですら、きちんと学んでいるわけではなく、全て好きにやっているわけですから、大したことは本当に知らないのです。

 

それにも関わらず主張が強くなる。

それは、間違いなく『思い込み』です。

 

これは、自分が主催の時には最も気をつける事項の一つですし、主催以外でも絶対的に気をつけなければなりません。

 

私は今回に関してスタートの仕方を間違ったように思います。

 

なんだか、わちゃわちゃする間に、稽古に行く前に固定概念をもちすぎてしまいました。

 

これは猛省です。

 

役者は任された仕事をきっちりやるのが仕事です。

それを理解する前にあぁだこうだと考えるのは演出や企画の仕事です。

 

役者は演出のイメージを具現化する役割です。頭の中で分かっていたはずなのに、それを逸脱していました。

 

 

こだわりと思い込みは異なります。

 

役を理解するためにあぁだこうだと考えるのは良いですが、余計な心配や方針をぶつけるのは違います。

 

 

私は、ここで演劇の面白さを、生の舞台の良さについて熱く語ってきました。

そのエネルギーをそのまま持ち込んでしまったのです。

 

ここで書いてきたように、私は私なりのアマチュアなりのプライドがあります。

ここで見ていただいて少しでも興味を持っていただいた方に、手を抜いてしまって全力を出し切れない舞台をやってしまったら、大変な裏切りだと思いました。

 

それはその通りなんですが、少し意図がずれていたのです。張り切りすぎたというか、前のめりになりすぎたというか。

それは読者様のせいとかではなく、はっきりと断言しますが、半の完全な思い込みだったのです。

 

 

それが、逸脱した行為。

 

私は今回企画者でもなければ演出でもありません。いち、役者です。

役者は自分の役について、きちんと向き合う事です。

 

役者としての気づき、参加者としての気づきは別ですが、それ以外のことで、ここで、あぁなってるこうなってるは、余計な事と言わざる終えません。

 

私と作り方が違う。考え方が違う。当たり前です。それを自分の杓子に置き換えて、勝手にマイナス思考になったり、前のめりになったり。

 

全くもってナンセンスです。

 

 

今まで違うところでやって来たのだから、それぞれがそれぞれの経験や考え方があります。

 

 

私の熱量の向けるところが違った。

そう思ったんです。

 

 

さて、このあとどうするかです。

私には一つやらないといけない事が浮上して来ました。

 

それは自分の考えを捨てる事。

自分の思考回路を壊す事。

なるだけまっさらな状態に戻す事。

それはまるで禊です。

 

己で作り上げてしまった概念を壊すのです。

一度持ってしまった思考回路を壊すのは簡単な行為ではありません。

 

これだけ言っているのに、分かっていても簡単に切り替えられない自分がいました。

 

捨てられない考え。繰り返してしまう行為。固執

 

 

でも、それじゃダメなんです。前に進めないんです。私のなりたい役者像とどんどんかけ離れていきます。

 

 

でも、ヒントがありました。

私の熱量です。私の熱量を使うのは、実はここなんじゃないかっていうのに、少し前に気づいたんです。

役を作り上げるんじゃなくて、自分で作ってしまった役を一旦戻すこと。役者として、原点回帰するために熱量を注ぐことです。

 

役者に集中する事が、私がここで書いて来た舞台の良さを伝える為の行動だって。

 

全く普通の当たり前の話なんですけどね。

 

今回これを読んだ方には少し見苦しかったと思います。m(_ _)m

私の考えを書き込むことで、禊完了な気がしたんです。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

素直になること

こんばんは。dbd 半です。

 

役者の稽古は大変です。

 

多かれ少なかれ内面を解放する作業です。

 

多分ね、私は今まで役者もやったりするのですが、そういう内面を出す辺りの稽古はやはり苦手な分野の一つなんだと思います。

 

 

さて皆さん、一番良い役者って、どんなだと思います??

私は多分タイトル通りなんだと思う。

 

 

仕事でもそうですよね。飲み込みが早い人とそうでない人との差ってなんだろうっていうと、一番はこれではないでしょうか?

 

「素直な人」

 

逆に中途採用でベテランなんかの採用を敬遠するのは、自分のやり方や考え方を変えれなかったり押し付けちゃったりするところですよね。

 

今、まさしく半は上記の状態なのかなと思っています。

今はまだ演出視点が変に邪魔したりしていて、私が純粋に1役者になりきれてない。

今まで色んなことやってきて、誰かとやるっていうのが、極めて少なかったのもあると思う。

でも現状、自分でも私が思う良い役者ではないという感じです。

 

久しぶりの絡みのある稽古だからね、アクアさんとは別で初めて作品づくりをしているわけだからね。まだアンテナが定まってないのは、仕方ないんだけど。

 

 

役者の練習でね、内面を気づいて出す、外面に気づいて言葉にするっていう稽古があるんだ。

なかなか得意不得意がでる稽古だと思うんだけど、あれはまるっきり自分の心と向き合うわけでね、心のガードを取り払うような行為なのね。

ま、つまり自分の心に素直になる。壁を無くすっていう行為でさ。

 

それって、やっぱりとても難しいと思うの。

 

 

簡単な人にはなんでもないかもしれない。

でも、人っていろんなガードがあるよね。

傷つきたくない。とか。

傷つけたくない。とか。

奢りとか。

プライドとか。

警戒心とか。

トラウマとか。

羞恥心とか。

 

ま、大人になばなるほどいろんなガードが出てきて周りとの関係性をうまくしていくんだろうけど。それは処世術の一つだし、そう感じる心があるのだから、それで当たり前なんだと思うんだけどさ。

 

でも、時にはさ、その奥に引っ込んでるモジモジしてる自分に、正直になった方がいい時もあってさ。

特に役者っていう生き物はそのモジモジしてる自分でさえ出し入れできるようにするわけなのね。

 

それがシーンで役に立ったりする。

役自体の話ではなくてね、役者自身にとっても素直になることっていうのは周りと関わりあうスタンスの状態でとても大事なの。

 

 

 

でさ、今の半は、ダメダメなわけなの。

なんか、こう空回りしてる感じもあるし、ぶっちゃけ変なプライドが邪魔してるって今日分かった。

 

凹むよ。

そんな簡単じゃないよ。素直になるなんて。

自分が傷つくのが怖い。、相手を傷つけるのが怖い。

 

 

役者って、こんなに大変じゃないはずなんだよ。半が不器用なだけ。

 

これは、誰が悪いとかじゃないんだ。

あえて言うなら自分の問題。

素直になれてない自分の問題。

これからどう対処するかは、自分次第。

 

何でもそうだけど、全部自分に返っていく。

 

人の話に耳を傾けること。

人の考え方を理解しようとすること。

 

自分の気持ちを伝える努力をすること。

 

今思ったけど、半は意外とこの三つ目が苦手なんだろうな。

 

だからこそ、芝居で何かを伝えたい!って強く思うのかも。伝わった時のことを考えると、喜びが人一倍あるのかも。かもかも。

 

 

伝えるって難しいね。演劇だけじゃなくても仕事でもプライベートでもそうなんだけど。

 

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※雨で濡れた公園

 

 

 

 

だからこそ、面白いんだけどさ。

 

 

役者ってなんだ?~役者からみた演出との関係~

役者ってなんだ・・・?


先日演出ってなんだって、いうのを書いていて、きっと役者についても、ふと立ち止まる人は多いんじゃないかと思いますので
今回は役者のことをメインにしつつ、演出との関係性なんぞを書いていきたいと思います。

このまえの過去ブログ
まだ読んでない方はどうぞ見てみてね。
↓    ↓

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 


今回の話も例のごとく、半流だからね。
決してプロの方と張り合おうとか思っていないので。
あくまで半がやってきた中で、こうでありたいとか、こういうもんかなぁっと言うのを書いていきます。


さて、役者・・・これも語ると長いよね。
俳優と何がちがうの?とか、こういう役者さんて良いよねとか、こうもろもろ出てきちゃうので、今回は舞台の役者と演出の関係について絞るね。


簡単に言うと、役者は
演出の頭の中にある登場人物のイメージを具現化する人・・・だと思っている。


演出の頭の中から飛び出したキャラクターというかね、そんな感じww。


まず、台本を読むよね。
分かりやすい台本はそこでだいたい個性が出てる。
セリフ回しや他の登場人物との関係性である程度の輪郭が浮かび上がってくると思う。

あとは、この前の記事でも書いたけど、何百何千ある演技のやり方をどんなふうに出して表現するのかっていうのが
役者のお仕事で、そこから演出のリクエスト・指し示すベクトルをヒントに、さらに個性や空気を作っていくの。
ちょっと分かりづらいね。
演出が道しるべならその道を歩く人っていうイメージかな。


でね、ここからが重要。
先日ちらりといったんだけどね。

 

演出の面白いところは、自分の考える効果や流れが、頭の中を飛び出し具現化しそれを感じることができる事です。さらにそのイメージを役者がよりいい形でアウトプットしてくれることを望んでいます。そうなったときが一番面白いww。

 

ただ演出のイメージを再現するだけじゃなくてね、
演出のイメージを超えるのが本来の役者の役割だと思うんだよね。

さっき、こう言ったじゃん。

役者は
演出の頭の中にあるイメージを具現化した登場人物・・・だと思っている。

演出の頭の中のキャラクターを具現化するのに、そのイメージを超えるって、
意味不明じゃん!

 

うんうん、わかるわかる。

でもね、これを先に言わせて。


演出はね、自分がイメージしているものが、完璧だなんてこれっぽっちも思っていない。
演出の考えをそのままやって、それ以外はやるな!って人もたまにはいるかもしれないけど、ま、そういう人はプロの中の一握りだと思う。

 

そうじゃない演出の大概は、自分の想像だにしないアクションや、言葉にならない思いの強さの表現を求めている。
その人にしか演じきれないパワーっていうか、演出が考える以上の登場人物らしさっていうか。

 

 


たとえばさ、単に「ここで必死すぎて声裏返って叫んで」って言われても、
あんまり信憑性なくない?
演じる方も、その絶妙なタイミングでわざと声を裏返らせて、なおかつわざとらしくなく
必死さをだすって、難しくない?


たぶんさ、その前後があって、気持ちがあって、今のシーンの状況があって
思わず声が裏返った。そしたら見る側にもその必死さって自然と伝線すると思うのよね。
思わず見る側も引き込まれるっていうかさ。


たとえばさ、演出から、売れない芸人っていう役を当てられて
「今日の飯はこれだけか」ってあんパンをかじるとするじゃない。

で、ここでただ食べるだけにするのか、
泣きながら食べたりするのか、
一口一口かみしめながらちぎって食べるのか、
誰にも取られないように、すぐさま大口で食べるのか、
ここのバリエーションを持っていくのは役者のお仕事なのよ。

 

で、演出がここでは尺的に(時間的に)魅せるシーンじゃないからぱっとやって・・
っていうなら、一つ目のただ食べるだけをセレクトするんだけどね。

 

でも、ここに能天気なキャラ設定とかがあるなら、全部やめて、ちぎって上に投げてパクリってしててもいいわけでしょ。

ちょっとしたシーンなんだけどね、キャラクター(能天気)とリクエスト(ぱぱっと食べる)が分かっていれば、こまごまとしたところで、そのキャラを生かせるしふとした個性の表現がエンドに向かっていくときにさらに深みがましていくってことなの。

 

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そういったのを少しずつ肉付けしていくことでね、薄っぺらいキャラクターがどんどん肉厚が増していって、等身大になっていくんだと思うの。

 

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演出は、たくさんの役柄の設定や動きや時間配分を考える。
でも、その個性の出し方はすべて考え切れているわけじゃないの。

 

この役者だから出せるキャラクターの面白さを、出してくれる(持ってきてくれるっていう言い方をすることも)のを待っているの。

 

 


ずっと前にとある稽古場に見学に行ったところでね、こんなことを言っていた人がいた。

「演出がいないから何もできない。」


これは、正解なんだけど、パーフェクトじゃないと思う。


演出がいなければベクトルがないから、迷子になっちゃうんだよね。
演出がいなければどんどん方向性がかわっていくからね。

でもね、ある程度の輪郭から、演出が線引きしたあと、肉厚を付けていくのはあくまで役者の仕事なんだよ。


それまでも演出に求めちゃいけないと思うし、わからなくて迷子になったなら、忙しくても演出にくらいついて、ベクトルもらおうよ。

 

そしてもらったベクトルは消化しよう。
方向もらってるのに消化しないで、演出いないからできない・・っていうのは、・・うーん、そこはがんばろ。


頭使おう。分からないなら食らいつかないといけないし、目線を変えて情報収集してみたり周りの言葉に耳を傾けよう。
(↑半分、自分に言っています。(笑))

 


じゃなきゃ、いつまで経っても、演出が作った枠組みから出られないし、それなら自分っていう役者が演じる意味なくない?
むしろ、この肉感をどうやって見せるかが役者の面白いところなんだからさ。

 

肉を付けるのは、やっぱり役者なんだよ。
演出のイメージを超えるのが役者。
こいつにしかできね~なって思ってもらえる役者になろうよ。なりたいよ。

 

演出はアウトラインしか示せない。
道しるべがあっても実際に歩くのは役者なんだよ。
歩きながらその面白さをお客さんに届けるのは役者しかいない。
演出は、自分の想像が形になった時にものすごい面白味がある。
でも、その頭の中の想像って言う枠を超えてより立体的に目の前に現れた時、実はその時がいっちばん面白い。

 


あぁ、役者の話はやっぱり長くなるね。
本当はもう少し語りたい部分があるんだけど、疲れたので今日はこの辺で。

 

まとめッ!

役者とはなんぞや?

  1. 演出の想像を具現化してお客さんに届ける役割
  2. でも実は演出の想像を超えてお客さんに届けるポジション
  3. 肉厚を付けるのは役者次第

 

だからさ。同じ役でも違う役者が演じれば違う面白さが出る。その中での、自分オリジナルは必ずあるはずなんだ。

ダブルキャストっていうのがあるじゃない。好きな人なら同じ話でも〇〇バージョンの回と△△のバージョンどちらも見たりする。もちろん料金は倍かかるけどね。

見る側なら役者の違いで客席に届くものが違ってくる。その違いを楽しむのも一興なのさ。

 

 

 


半はどうしようかね。
台本を頂いて、わむさんでやる今回の役どころは20分の芝居のはずだけど半が思っていた以上にボリューミーだったよ。

半はやればやるほど楽な作品づくりに向かって言ってるしねww


本番まであと一ヶ月とちょっと。


余裕をかましていると、役に追いつけない。演出のイメージ、その上を狙えないと感じている。まずはその役として演出の方向性を理解しないと次には進めないからね。どこまでできるだろうか?
ま、そのために一つの役は降りたんだけどさ・・。

 

 

今はイメトレ中。
この前、立稽古一回やっただけなんだ(笑)※一回の稽古ではなく、流れを一回やっただけ(笑)

 
正直、久しぶりなのもあるけど、一人でやる時より妙な緊張感を感じている。
内容はめっちゃコメディなんやけどね。

油断していると台本に食われそうっていうかさ(笑)
台本が面白いだけに、どれだけ肉付けできるかなぁって。
掛け合いだけにどれだけ息を合わせられるかなぁって。

一人じゃないから、
一人じゃない面白さがある。

一人じゃない難しさがある。

 

頑張るね。

頑張ってる人は頑張るって言わないらしいけど、半は実際、今はまだ何にもやれてないから、こう言うね。

 

 

気合だけは十分入ってるから。