dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

出来ないと言うこと・・・・

出来ないと言うこと・・・・


どうもdbd半です。

 

今日は続けて2つの投稿になりました。

さっきのが一昨日くらいから書いているやつね。今回は今日のリアルタイムの話です。

埋もれちゃうからどっちも見てね。

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

ま、そんなことはいいのですが、今日の話をします。


仕事でも友人同士の付き合いでも、男でも女でも、若年でも老齢でも、
一度振られたものや引き受けたものを断るというのは、とても言いづらいものです。

前者であれば、「自分だから任せてもらえたのに、なんて不甲斐ない」と思うし、、
後者であれば、「自分でOKだしたのになんて責任感ないんだ」と思ってしまいます。

で、どちらにせよ、その分誰かに迷惑がかかるわけで、そういうのは自分にも周りにも良い空気にならないのは、
避けては通れません。

 

でもね、大人になるとね。
出来ないことは出来ないで、やっぱり早めに言わないといけないと思うんだ。

 

迷う時間や、考える時間は必要なんだけどね。
それで一番迷惑なのは、直前で「やっぱ止める」って言い出したり
「本当はしたくなかった」なんて言うことだと思うんだ。

だったら、傷つけるのは覚悟の上で、その分何ができるかだと思うんだよね。


今回"かしげき"のイベントに劇団ギルドわむさんとして出演を希望していたのですが、
当ててもらった役が二つでした。


私としてはね、せっかくの舞台だし。
やりたいんだよ。
やりたいんだけど。
二つ請け負って、残りスパンを考えて・・満足できるものができるか??
って思った時にどうしてもYesにならなかったんだ。


やるなら、キッチリしたい。
時間がないなら、その分関わる方全員に時間を裂いていただいて、ああしたいこうしたいをぶつけながらそのうえで良い物を出したい。

それは一つの時でもそうなんだけどね。

それが二つ・・。

 

 

私が学生さんやフリーターならガンガン引き受けていたかもしれない。

でも、それじゃこれからの私では長続きしない。
今のスタンスからは逸れてしまう。
そして、万が一、私自身が満足しないものを作ってしまったら・・?
私がここでどれだけ、生の舞台について語り、小屋に足を運んでほしい、
動画ではなくLIVEはまったく違うんだ!・・・そう言い続けていたのはなんだったんだ?

 

私を信じてきて見に来てくださる方に、がっかりなんてさせられないじゃないか。
下手くそでもカミカミでも、生の舞台だから感じてもらえるものがある。
どんだけ棒読みでもどれだけアマチュアでも、一生懸命やり切れるから
お客さんに来てほしいと言える。

私は・・・

今日、一つは降ろさせてほしい旨を連絡しました。

 

 

 

皆さんは、無理していませんか?

過去の私で言うと、かなり調子に乗っていた時期は台本が二つ三つある時期もあって、
そういう時は、私はなんですが、あまり満足できませんでした。

二つ三つ台本を持つことが無理だとは思いません。
出来る方には全く問題ないと思います。むしろすごいと思います。

 

単に半のスタイルに合っていなかったんです。
dbdのプロデュース作品についても、本来かぶらせるつもりは毛頭なく
オシオシになった結果やむを得なくの形になりました。

そして、関係者の方には、10末仕上げは無理になる可能性も伝えたうえで
しっかりやりたいことをやる方向性で話をしました。

 

お芝居・・楽しいよね?
やりたいことたくさんあるよね?

今しかないかもしれないって思うよね?
でも無理していない?


無理というのは・・芝居を続けていける演劇活動のスタイルになっていますか?
ということです。


「できない」っていうのって、とても勇気がいります。
今回のことに限らずなんだけどね。

期待してもらったことを裏切っているようなことになるし、
自分の実力はここまで。。って線引きしてしまってるようにも感じる。

 

役者だけではないよね。
企画運営サイドだってその岐路に立たされることは多々ある。
家庭だって。仕事だって。

かかわればかかわるほど、周りのこと考えれば考えるほど
言えなくなっちゃうことはあるよね。

 


でもね、やっぱり・・決断はお早めに!だと思うよ。
やればやるほど、引き下がれなくなるのは常套だから。


どう采配するかは自分次第。
ここで迷っていることに対してやめろとか続けろとか半が何かを言うことではできないんだけどね。

 

ただ、
周りに流されたり、このあと周りのせいにしてしまいそうな自分がいるなら、
ちょっと立ち止まって、周りをよく見て考えればいいんだ。
TRYしてみるのも価値はある。STOPすることにも価値はある。

どんな決断でも自分が決めなきゃいけない。


進むのも、引き返すのも、どんな事柄でも
決めるのは自分次第なんだから。

 

 

私は私のやり方で、突き進もうと思う。

 

演出ってなんだ?〜演出と役者の関係〜

演出ってなんだ?

 

どうもdbd半です。

今回は演出について語ります。

今まで読んでくださってる方は、また話が飛ぶなぁとお思いでしょうが、思う事がいろいろありすぎるのです。

演出の分野は、私は役者と並列で大好きな作業の一つなので、話すと長いのですが、いつもの通り思いつくまま書いていきたいと思います。

 どうぞお付き合いください。

 

舞台にはそれぞれの役割があります。

役者はなんとなく分かりますよね。

一番お客さんが見るもので演者のことを言います。

 

その他に舞台と言えば、スタッフがいます。

脚本家、音響さん、照明さん、舞台美術さん、舞台監督さん、衣装さん、小道具さん、広報、紙系の制作(チラシ、チケット、パンフ)、そのほか当日スタッフさんなどなど・・。拾い出せば、やることに応じてさらに細分化されますが、概ね上記のスタッフさんと役者、つまりはキャストに成り立っています。

 

えっ?何か忘れていないかって?

そう、冒頭に挙げました演出です。

 

演出は作品の中での取りまとめで、映画やドラマだと監督と同等のポジションであると考えていただいていいと思います。作品のイメージの構築、それに合わせて各セクションへこうしてほしいというリクエストしていきます。

※ここでは指示しますとはあえて言いません

 

ただ、舞台で言えば、演出は脚本と兼任することも多く、照明出身の演出さんもいれば脚本出身、音響出身の演出さんもいて、それらを兼任することも多く、テレビなどの監督さんよりも比較的マルチな作業を行うイメージがあります。

そして、何より主催=演出・脚本家というスタイルがアマチュア劇団であればほぼほぼ決まっていることが多いのです。

 

つまり、演出の決め事で動くことが多く、兼任すればするほどその劇団内での発言力は自然と強まるというわけです。

 

そしてその演出スタイルは個々の劇団さんによります。

 

少し前までは、灰皿が飛んでくるようなきついダメだしをしながら演出絶対主義で行われる劇団もあり、一言一句、小っちゃい「っ」ですら、抜けると怒られるみたいなところもあるような・・。

 

それも一長一短有るわけなのですが、半のように、すべてキッチリするのが苦手な人間にはとても難しかったりします。

 

ただ、このスタイルのすごいところって、毎日稽古やったり、台本を一字一句よんだりすることをみっちりやるので、初めて演劇を始めた方はそれが「当たり前」になっちゃうところなんですね。

 

だから、こうメンタルが強いというか、打たれ強いというか。

 

千葉に来てから、演劇関係の方とたびたびお話することがあり今回もかしげきに参加する劇団ギルドわむさんにお世話になっているのですが、この言葉を聞きます。

 

「演劇始めたのがそこ(の劇団)が初めてだったからさ、そこしか知らないし、それが当たり前だと思ってた」

 

これは、半が「休憩とかあまりないね?」とか「えっ毎日稽古してたの?」とか聞いた時に返答いただく言葉です。

 

マジでか~~~。

うちは無理だわ~~~

 

もともと半は毎日の稽古は大嫌いなんです。稽古は好きですよ。

でも考える時間がないというか、遊びがないというか、ねかせられないというか。

 

ある程度の余裕がないと半の場合は、稽古に追われる状態、ただ稽古場に来ているだけみたいになってしまいます。頭の中は全く回っていません。

 

 

社会人になって週一ででもできる演劇活動を知りました。

 

今はさらに少なくなっていますが、それでも創作活動はできるという気持ちでいます。

なので、この発言を聞くたびに、みんなすごいなと思うのと、我流だけど違うやりかたもあるよ(^^;)という気持ちになります。そういうところはだいたい上記に挙げたように演出の権限というか発言力というか、発信力というか、そういう傾向を感じます。

 

そこで、ふと演出の役割について、書いてみたくなったのです。

 

ただ、極論を最初に言っておくと、半は結果主義でもあるので、いろんな演出さんがいて、結果的に良い作品ができてそれで満足出来ているのなら・・有り!と思っています。

 

 

ですので、ここで話すのはあくまで半流です。

今劇団に所属されている方はその劇団の方針ややり方があるかと思いますので、自分が信じるやり方を進んでいただければと思います。

 

こういうのもあるんだぁ~ということや、まだ始められていない方は、あぁそういう風に半は制作するのかぁ~と思っていただければと思います。

 

   *    *    *

 

さて、前置きが長くなりましたね。

 

では、演出は何をするのか?

 

半はベクトルを指し示すもの。

そう理解しています。

 

先日のブログで役者と演出の目線は同じものを見ているようでも、見え方が全く違うと言いましたね。

 

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 演出が地図上でスタート(オープニング)地点からゴール(エピローグ)地点まで全体を見ている感じだとするならば、稽古が開始したばかりの役者はその場所に立って、右左確かめながらあたかもスタンプラリーするように道を歩くイメージです。一歩ずつ確認しながらA地点からB地点へと向かいます。

 

どうして、演出が全体を見通す地図上の目線になるか。

それは話の流れを統べるものだからです。

最初から最後までを通してどのように作品を仕上げるかを見通さないといけません。

 

なので同じ脚本でも、演出が変われば、作品スタイルはかなり変わります。

 

イメージです。

 

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こんな感じで、仮に同じ台本だったとしても全体的にどうやって盛り上がりを見せるかどのようにクライマックスに運ぶかというのは演出の見せ方によって異なってくるのです。

この演出のつけ方は演出の数だけ手法や好みがあり、どれが正解というものではありません。あえて言うならすべて正解なんです。

 

演出はその作品の全体を見通したうえで、どのように話を運ぶかを決められるポジションです。役者個人個人がここはあれで、でもここはこうで・・というのでは盛り上がり方に作中に偏りが出ますし団員の中でも言える人と言えない人もいるでしょう。

そこを一括して担うのが演出であり、逆を返せば演出の頭の中のイメージを再現するのが役者やスタッフになってくるわけです。

 

たとえば「ここはテンポよく見せて、勿体つける感じはなくていいよ」とか。

「この間(ま)はしっかりとって」とかリクエストがあったとします。

 これははトータル的に見て、この後に続く流れなどを踏まえているからこそ出てくるんですね。

少し余談ですが、たまに役者さんで勘違いされる方がいるのかなぁと思いますが、<間>これはただ間を開ければいいという話ではありません。

次につなげるための動作として、その間、空白、セリフのない時間が必要なんです。ただセリフを発しないのが間ではなく、そこには「考えているのか」、「言葉を飲んでいるのか」、「頭を整理すためのもの」なのかなど、そんな言葉にならない時間を表現されたのが間として演出は求めているということです。

 

 

さて、どんな見せ方をするのかを指定していくのが演出と言いました。

これを役者の目線から見てみましょう。

 

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役者は台本を読んでみると、なんとなくの展開は理解できます。

ただ、それだけでは作品にはなりません。

なぜなら、セリフの一つをとっても100通り10000通りの表現方法があるはずなのです。

セリフ1(さきほどのスタンプラリーでいうならA地点)の次にセリフ2(B地点)があったとするなら、セリフ1からセリフ2まで行くにはたくさんの方法があるのです。この時点では、気持ちができているのであれば、どれも間違いではなくすべて正解です。

 

その何百、何千通りある中のどういうセリフの出し方で次の展開に持っていくのか?それを考えて出すのが役者です。引出は多ければ多いほどいいというのはこういうところですね。

セリフ1からセリフ2まで行く手段がたくさんあるのですから必ず迷いがあるはずです。

なんでか?

 

だって、それは演出が決める事だもん。

もっと言うなら、どの道を進むかは演出の好みなんだもん。

 

別人格の役者が別人格の好みをすべてわかるわけはないのです。

それを指し示すベクトル、道しるべのようなものが演出です。

 

 

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演出は役者にベクトルを示すと同時に、効果を考えます。音響効果、照明効果、舞台設備による効果。それらをすべて統括し、まるで指揮者のように作品の世界を構築するのが演出なのです。

 

 

マチュアの世界では時々勘違いしてしまうことがあります。

作品の世界を構築するのが演出であるならば、演技向上をさせてくれるのも演出だと思ってしまうことです。

演技指導と演出は全く異なる部署だと私は思っています。

 

こういう風に話を持っていきたいと考えている人が、そのテクニックを必ず身に着けていないといけない理由はないからです。演技が上手くなりたければ、演出家のところではなく、好みの演技をされる役者さんのワークショップに行かれるのが最適だと思います。

先人がそのままレクチャーしてくれるのですから一番手早い方法に違いありません。

 

 

ただ、演出はある意味お客さんの目線に近いのです。

お客さんの目から見て、今このシーンがどうなっているのか、次をどうしたら気持ちのいい展開になるのか?たぶんそれを考えながら演出は効果を付けたりダメ出しをしたりします。。ですからよりシビアに客観的に役者人を見ているのも演出家なのです。

そういった意味で、演出の目線を信じる事、これはとても重要だと思いますし、演出はお客さんの目線を忘れて自分の好みだけを押し付けていては、極論面白くないと思います。

 

 

ですから、実質ここでも目線が異なるんです。

役者は舞台から共演者やお客さんを見ます。

ですが、演出の目線は客席側から、つまりお客さんからの目線で作品を作るのです。

 ※客席から舞台を見たときに右側を上手(かみて)といいます。逆、左側を下手(しもて)といいます。

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公演中、お客さんにメッセージを伝えるのは役者です。

でも、本作をどうやったらお客さんに伝えられるかを総合的に見ていて完成形をいち早くイメージしているのは演出家なのだと思います。

 

段取り的(きっかけ的)なことを除いて、演出家らのダメ出しをもらったとするなら、それは客観的にみてお客さん目線で見て、「そう見えない」「違和感がある」「やってほしいことはそれじゃない」と思ったからなのだと思います。

 

 

演出の面白いところは、自分の考える効果や流れが、頭の中を飛び出し具現化しそれを感じることができる事です。さらにそのイメージを役者がよりいい形でアウトプットしてくれることを望んでいます。そうなったときが一番面白いww。

 

ここで言えるのは、演出は、作品ができる前から、稽古が始まる前から、頭の中で完成形をすでに構築しており、すでのその作品の第一のファンであるということ、これはまず間違いないでしょう。

 

 

今回はずいぶん真面目に書き込みましたね(笑)

 

少し長くなったのでまとめます。

 

演出ってなんぞや?

 

  1. 演出は作品の完成形をイメージし、イメージを具現化するポジション
  2. 演出は全体を踏まえ、役者・スタッフに演技のベクトルを示す人。要は立て看板のような存在。
  3. 演出に演技指導をもとめていはいけない。演技向上が目的ならしかるべきところに行くべし。
  4. 演出は制作する中で一番観客に近い目線をもつ存在。
  5. 演出は完成形を誰よりも早く強くイメージしその作品が好きすぎる人。

 

 5に関しては若干自己愛強すぎて気持ち悪いですが、ま、概ねこうだと思います。

これ見れたら、めっちゃカッコいいとか、めっちゃええシーン、もう泣けるなど

作成される前に本気でそう思っています。目の前なんにもできてなくてもね!

 

<注意>

あくまで半の考えなので(笑)

 

 

というわけです。Ww

参考になるかならないか分かりませんが、こんな風にまとめてみました。

 

私は演出のポジションは大好きで、役者をやっている時とは違うワクワクやぞわぞわが溜まらんわけです。

少なくとも、半流の演出スタイルは上記なわけで作品作りをするときはお客目線と制作側を行ったり来たりします。

お客目線で、「これいいわぁ~」と納得できる演出効果ができると最高だし、それが現実化した時はぞわ~~~~ッ!!となるんですね。

 

 

また、機会があれば演出関係のこと書くかもね。

長くなったので、今回はこの辺で。

 

いろんな演出の人がいますが、気の合う演出かさんとの出会いがるといいですね(^-^)

 

 

ビジネスHowToから演劇戦略を考える~答えを見つけるためのヒント~

こんにちはdbd半です。

昨日言っていたデータを回収しました(笑)

時々下書きに手間暇かけているところ、我ながら豆だよね(笑)

さて内容です。

 

↓   ↓   ↓

先日ガンブリア宮殿を目にして、実演販売販売のプロを派遣している会社(コパ・コーポレーション)さんの話を見ることができました。

あのジャパネットたかたに追随する勢いの会社さんです。

価格.com - 「カンブリア宮殿 〜東急ハンズで客殺到!実演販売プロ集団の“伝える力”〜」2017年7月27日(木)放送内容 | テレビ紹介情報

 

なんかね、この社長が元演劇サークルに入っていて、そのサークルの伝統行事として実演販売のバイトをやったのがきっかけだったとか。
半はもともとビジネスハウツーが大好きなんだけど演劇にかかわると自分でも耳がピーンと立ったのを感じました(笑)芝居は伝える事が主なんだから副題の〜伝える力〜っていうだけでもかなり聞き耳要素はあるよね!

 


実演販売というと、「バナナのたたき売り」とか「ガマの油売り」とか、店先に立って、小気味のいい口上(こうじょう)を述べつつ商品を販売するというもの。
去年末にアップした「外郎売り」なんてまさしく今でいう店頭販売ですよね(^^)

 

 

株式会社コパ・コーポレーションさんの話、
「人をひきつけ魅せる→納得する→販売する」の流れがお見事でした。

そりゃ、買っちゃうよね。納得ぅ〜って言うか、買ってた!(笑)家にあったわこれ。


半はいろんなところにお芝居のヒントがあるのと思うので、このブログでもそのことを共有したいなぁと思っています。
いろいろ話が飛ぶけど許してくださいね。その時感じたものを発信して私も記録しておきたいの。


演劇って分野は、総合芸術だけあってあらゆるジャンルの集結でもあるんだけど、その逆も言えると思うんだ。
つまり、演劇はあらゆる生活や自然の中に点在している。
点在したものを集めて一つの作品に仕上げたものが公演。※(お客さんの温度が最後の仕上げ(^^))
作る側は演劇をやることで得たことは、生活や社会にまた還元されていく。
半は演劇活動と普段の生活って、相互作用があって、頑張れば頑張るほど生活の中の何かの向上にも繋がると思っているの。

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↑自作です。こういうところに時間をかけてしまうのです。

 

だから、芝居の話をすると普段のあらゆるものがネタになりえるし、芝居から得るもので普段の見過ごしていたことに"気づき"を覚えることだってある。
演劇は身近で、だれにでも出来るものなんだと思うんだ。

実際、半も芝居がなきゃブログなんて始められなかったし、文章上手くなりたいとか、みんなはどんな事に興味あるかな??って考えたら調べたり、そんなのやらないと思う。芝居がなきゃやらなかった事が、今はどんどんやりたくなるし、それが苦じゃないんだよね〜。


あぁぁぁぁぁ、もうこんな話し始めたら24時間位しゃべり続けたいよ(笑)


倒れちゃうので割愛(笑)


この中で書きたいことはたくさんあるのだけど、今日は少し絞りますね。

さて、半がねビジネスハウツーがなんで好きかというと、成功者の方の話に中には必ずWin-Winがあるからなんだよね。


Win-Win・・・つまり両者勝ち。
生産者(メーカー)も販売者(サービス提供者)も利用者(購入者)も「欲しいもの」を介して皆が得を得られること。

このカンブリアに出てきた方もそうなんだけど、皆が勝つ戦略を生み出すってすごくない?

ここでは商品には自信があるの売れなくて困っているメーカーと、良いものを売りたい販売のプロが手を組んで、困っている利用者に届ける仕組なわけなんだよね。

 

 

 

で、半は考えるわけだ。
芝居でWin-Winを生み出す方法。

 

 

実は、まだ答えは出ていない!


期待を持たせちゃ悪いので先に言うね。


答えは出ていない!

 

だったら書くなよ!って思うんだけど、今は下火になっている演劇業界をどうすればもっとまだ知らない人に届けることができるだろうか?って、考えたときに、このビジネスハウツーや成功者の方の話にはきっとヒントが隠されていると思うんだ。

※ちなみに半が言うここでの演劇は300人以下のキャパの小劇場と思ってほしい

ライブ・エンタメ市場規模は4年連続で過去最高。音楽市場が大幅に伸長|ぴあ株式会社

ステージの市場価値は2015年の集計で約1700億。この中でも言われているが、昨年度比に比べれば11.3%増だが、これは人気劇団の一単価が上がったことや2.5次元演劇の躍進ともいえる。小劇場、特に300人以下のキャパの会場でいえば現段階でも衰退方向と言っても間違いないと思う。

 


衰退には衰退の理由があるにせよ、良いものは良いと思うんだ。私らみたいなアマチュア劇団がどうやったら、まだ届いていない人により多くの人に私が好きなお芝居の良さを伝えられるか、それには絶対このWin-Winが必要になると思っている。

 

たまたま見たね、アニメのおさるのジョージでもね、そういうシーンがあったの。

www.nhk.or.jp


ジュースを売ろうとするジョージ。街中で、なんと無料でも売れないの。
そしたら通りすがりで工事現場にドリンクを運ぶための車が故障したのを耳にするの。
売りに行くジョージ。ご想像の通り、ジュースはもちろん有料で即完売。

欲しい物(ジュース)を介して、売りたい人が、買いたい人のところに移動したことでマッチングがうまれた。

 

これはよく営業マンのスキルアップにも使われるよね?
このグラスの一杯の水を1000円で売ってこい。お前ならどうする?みたいなね。
まさしくこれと一緒なんだけど、一般人の私も思いつかないことをお猿がやってのけちゃうんだからすごいよね。

 

 

この前気づいたけど、スーパーでもそうだよね。
スーパーはどうだろう?お店を構えているわけだし、場所を移動することはできないよね?
欲しい人が移動するだけ。でもどうやったら「欲しい人」と「欲しい物」「売りたい人(物)」のマッチングば生まれるだろう?

 

たとえば、暑い夏の日に鍋の素なんかは売れないよね?
暑い日を想定したとして同じ素は素でも、浅漬けの素なんてどうだろう?
小一時間漬け込んだきゅうり、割りばしにさしておいて、食べる直前まで冷えっ冷えっ。

即席で買えるそうめんやお蕎麦なんて暑ければ暑いほど、買いたくなる。
麦茶の氷と氷が解ける瞬間になるカリンッっていう音なんかも購買意欲をそそるよね。
そう。欲しい商品の品ぞろえを変える事でマッチングが生まれたんだ。


場所ではなく、環境が人の「欲しい物」を変えたんだ。それを理解して店頭の商品の推しを変えれば・・。
そうすることで「欲しい物」「欲しい人」「売りたい人(物)」がマッチングした。

 

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では、お芝居ならどうだろう?
場所は固定され、感動も動画やテレビで手軽にを 得られるようなご時世。
この時代に、わざわざ小屋に行って、お金を払って時間を使って得られる価値があるだろうか?
そのマッチングはできているだろうか?

 

テーマパークや映画館だって、同じようにお金と場所を使うのにどうして演劇にその価値を見いだせないんだろう?

 

きっと、何かあるはずなんだ。
何かきっと、もっと、確信的により多くの人にお芝居を親しんでもらえる方法。
「欲しい物」「欲しい人」「売りたい人(物)」がマッチングすること。
たとえば「感動」「感動したい人」「芝居人」

 

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さらに具体的に・・・


「どんな感動を求めるのか?」「その感動をしたい人はどこにいるのか?」「芝居の(劇団)の今回のテーマ」にあっているのか?
・・・だろうか。


でも、これだけじゃ足りない。たぶん制作主催側(劇団)の信用。
演劇は一つの商品(公演)はその時にしか見られないのが基本だ。
再演やリメイクはあるものの、そのままパッケージ保存してスーパーに大量陳列するわけにもいかない。
 ※DVD化というのはあるが、それは生で見る演劇を切り取ったものであるのは確か。


そうなると利用者(観客)が、見るか見ないかの判断基準は安定したパフォーマンスを作り出している劇団かどうかになってくるのが現状。


これだと売れている劇団とそうではない劇団の差が開くのは歴然。
何かこう「欲しい物」「欲しい人」「売りたい人(物)」が一直線でつながる方法が演劇界にももっとあっていいと思うんだけどな・・・。

知り合いしか見にこない身内の芝居じゃなくて、、。もっと外にも向けた、発信しやすい切り口。

 

 

ごめんなさい。先にも言った通りまだ答えは出ていない。
でもこれを見た方が、私より先に良い方法をみつけて世間様にアプローチしていってもらえればいいし、何かヒントになるようなコメントをいただけるならそれはとても嬉しいことだ。

これからも視野を広げていきたいし、出来ることはACTしていきたい。

 

 

ちなみにこんなのを作ってみた。

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演劇発信者として、どこかで◎が付けれらるように、日々精進だな。

 

 

半、空を仰ぐ  ~徒然ブログ~

こんばんわ!dbd半です。

 

せっかく書いていたブログの下書きをとあるところに置いてきてしまい、考えていたことをすぐにアップ出来ないジレンマを抱えたので、なんとなく別の事を書こうと思います。(笑)

明日にでもアップしたいな・・頑張って書いてるから(笑)

 

さて、皆さんは今何をしていますか?

私はリライトが進まずまだアンテナを広げている最中です。

じつのところ、このリライトの猶予は今週、遅くても14日と自分で期限を決めました。

これ以上見送れば、いったんかしげきに集中して、dbdのプロデュース公演はそのあとに取り掛かろうと決めました。中途半端が一番よくないからね。

 

そうだ、そういえばこのかしげきについてあまり話していなかったように思います。

かしげき・・かしわ演劇祭略してかしげきです。

詳細はURLをクリックしてもらえればいいと思いますが、注目はここです。

○公演内容
・演劇祭に参加する団体を募り、各団体が20分前後の演劇作品を上演します。
・期間内1ステージ(20分×5団体+10分休憩)110分程度で計4~5ステージほどを設定。

2011年から毎年開催し、今年で5回目の節目を迎えます!

 20分の制限で劇団ミックス公演といったところでしょうか。

 

はい、だからできるんです。

このブログを何度か見ていてただいている読者様は耳だこだと思いますが、半はお芝居に体を当てられる時間が短いのです。頭の中はいつも考えちゃうんだけどね(^^;)

演劇はどうしても稽古が夜志向だし、本番が決まると団体戦のためみんなと稽古をして練習をしないといけません。

 

通常演劇は1時間~2時間。間に休憩があるもので大きな公演だと3時間近いものもありますが、相当なスペックがない限り、とても作れるものではありません。

 

それに比べれば持ち時間20分です。

20分です。

だからこそやり切れるのではないかとも思えたのは事実です。

20分。

でも実は今回はこの時間制限がよくもあり難しいところでもあるかな。。と思えてきています。

半が去年アップしている動画×演劇コンクールのQSCは12分でした。

12分。ある意味一人だから稽古も一人で良いので、早朝とかでなんとか乗り切りました。

20分で複数名で・・・。見てみると他の方は結構稽古に来ているのに、半はまだまともに稽古に一度も行けていません。しかもリライト前の台本ですが、きっかけが多い。

半の苦手な分野です。

 

本番は9月の三連休。

今日から8月ですし、残り2か月を切りました。

 

大丈夫だろうか・・・。

どうしても稽古場での雰囲気や呼吸が見えないと不安になります。

一人取り残されていく気分です。

 

ま、ここで焦っても仕方ないんだけどね。

というわけで、焦るの止めました。ww

 

防衛本能なのか、沸点を超えたのかわからないけど、成るように成る。成るようにしか成らない。と力が抜けました。

 

なんかさ、時間が限られてるんだったら、限界はあるけど、その時にどれだけ集中できるかに賭けようかなと。

今のうちに、どれだけ周りの空気や情景をよく見ておいて、集中して放出できるように。その準備しておこうと思ったのかな。

 

なんかそんな感じでした。

 

dbdのリライトもめちゃ遅れだし、先送りにした半がかかわる別の企画物もありました。

 

こういうこともあります。

良い時もあれば、なんかごちゃっとするとき。

 

演劇にかかわらず創作物を手掛けるときは、良い時ばかりではありませんよね?

いい気分とは言い難いです。しかしながら、芸術と分野においては、これが糧になるときだってあるんです。

 

一方だけの視野では見えなかったものに気づくきっかけになるかもしれません。

より次元の高いものへと昇華するには、このモヤッとした鬱屈した気分が新たな切り口を見つけてくれる手掛かりになる事は大いにあり得るのです。

大事なのはそこで諦めないことです。

 

 

 

今回の今の状況がどう転ぶかは分かりません。

マイナスになることもあるかもしれません。

でもそれは、やってみてからのお楽しみ。

 

 

見られた方が、「面白かったよ、良かったよ」「また来てね」と声をかけてもらえるくらい、力を出せたら・・・

 

 

そうして、空を仰ぐ半なのでした。

 

 

 

新規作成

私はこの白いページが好きだ。

この白いページからすべてが始まる。

 

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何もないこの「新規作成」ページには何かが始まる無限の可能性が存在する。

 

何を始めようか?

何が書きたい?

 

この白いページと語り合う。

どんな絵を描く?

どんな物語を紡ぎだす?

 

おかしいかもしれないが、私はこの瞬間が一番ドキドキする。

 

 

以前にも書いたことがあるが私はプロットをあまり書かない。

書きながら即興芝居をしているようなものだから。

台本を書くときは出演者の目線や思考になって言葉を発する。

プロットを書いてしまうと、生感というか、自分の新鮮味が薄れてしまう気がするからだ。

 

ただ勢いに乗って書き綴るので、言葉の節々などのリライトは必須だ。それはこのブログも同様のこと。つまり誤字が多いのは勢いに乗りすぎて、伝える部分の「は」や「が」の違いに意識がいかない。客観的に見れば伝えるためには接尾語はとても重要なポイントなので、誤字が少ない人にはいつも敬服しているのだが、私自身は接尾語の「は」や「が」の意味ではなく、その先にある重要な「伝えたいこと」しか見えなくなっているのだ。

 

次に私が言いたいのは、リライトは少ないからできるということだ。

 

リライト・・つまり書き直し。

修正が多い場合、どこまで書き直しすることをリライトというのかは、私はきちんと物書きの所作を学んだことはないからわからない。

分からないが、一度書いたものを書き直しするのがリライトだと思っている。

 

去年作成に取り掛かった「エンドレスサマー」はコンクール条件がマックス15分だったため、大幅なカットを余儀なくされた。

その分話の展開は急になり、言いたいセリフをやむを得なくカットするしかなかった。

そして、今作ろうとしている作品にも同様のことが起きている。

 

一つは9月の三連休に行われる「かしげき」に参加する劇団わむさんの公演台本だ。おおよそ30分から40分はかかるだろう本を20分に短縮しなければならない。

そして、もう一つ。dbdとして次に作成する予定のプロデュース公演だ。本来はもう撮りにかかってもおかしく無いくらい前から思考しているのに、少しずつの遅れが今に至っている。

 

劇団わむさんは私が書いているのではなく以前から台本を書いていらっしゃる方の脚本なので、リライトについても、問題なし、だとも思っている。よそごとのように聞こえるかもしれないが、がんばれ~っと旗を振り、ほかほか出来上がり台本が手元にくるのをただただ楽しみにしているんだ。

 

 

ただ、もう一つのものはそうはいかない。

そうdbd-hans-collection発信の初プロでユース作品の方だ。

出演者であるいっしーに話を持ちかけ、やりたい話などのヒアリングをし、一つの台本を作成するまではよかった。

 

時期的にも、気持ち的にもエンジンぶるぶる!進行方向良し!レッツラゴー!そんな感じだった。

だが、だ。

だが、ここにきて非常に困っている事態を感じている。

 

リライトだ。

台本上たぶん5分オーバー、演出効果を盛り込みたければさらに3~5分はオーバーすることが考えられる。

そして、助っ人のみさきさんの話を聞いてみて、もうひと工夫の必要性を感じた。みさきさんの話し合いの時には、「わかった、じゃ台本書き直したら連絡するね!」と勢いよく話していたにもかかわらず、スケジュールを組立て少しきついなかぁ〜と思いつつ、お月様を仕上げたるのにさらに時間がかかってしまった。

そして、いざリライトに取り掛かろうとしても、どうにもこうにも筆が進まない。このままではいかんと生き抜きかねて、今感じていることを物語としてブログにアップしてみた。※前回の2作品がそうだ。

 

 

 

 

そうするうちに、かしげきさんの打ち合わせが先週の日曜日にあった。一昨日のことだ。

※この記事を書いていたのは火曜日でしたm(__)m

半はすこしだけの顔出ししかしていないわけだが、たとえ20分でも舞台に立てる沸々とした快感が体の中の奥にあることを感じるわけだ。

 

白状しよう。

悩んでいる。

 

舞台の掛け持ちの怖さを過去に経験したことがある。

それからは掛け持ちはやることはなかった。

でも、今回のはのびのびになったが故に、ブッキングになってしまった結果だ。

 

かしげきには、いっしーも出るので、役者として良い予定ではある。

 

問題は私だ。

私は役者をやる時は、体も心持ちも違う。

体は動けるようにしたいし、声についても以前に書いた通り、問題がある。要はちゃんと下準備をしないと体がもたない。楽器でいうメンテナンスをこまめにする必要がある。

 

返して、制作サイド・裏方は体は使わない。頭と五感を使ってアンテナを張り、熱さは秘めつつも頭の中は冷静でないといけない。

 

例えるなら、視界がまったく違うのだ。

同じものを見ていても主催や演出は全体をみとすため、全体地図を見ているような感覚。

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返して役者はストリートビューで街中に立ったように、目の前の物はよくわかるが全体は見えにくい。 

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引用:googlemap in船橋  ※先日ラストオーダーまでしゃべり続けたお店ドトールはこちら

 

そんなことはない人もいるだろうが、半にはこの切り替えが必要だ。そしてとても重要。

 

 

 

ただ、純粋に役者だけをできるチャンスなんて滅多にない。

 

今までも小スタジオを借りてスタッフオンリーの一人芝居や、室内での動画制作だった。

 

 

半が舞台に立つ。

もしかしたら、そんなチャンスはまた数年訪れないかもしれない。

役者だけをする。

それはdbdをやる私にとってはとても貴重だ。

役者のことしか考えなくてもいい。

役だけのことに集中できる。

そんな美味しい状況。めったにない。

 

 

舞台に立てる。板に立てる。私にとって舞台は特別なのだ。

 

 

それが自分演出ではなくても、たとえ20分でも。効果に制限があっても。

大げさかもしれないけど、小屋で芝居ができる特権は、一度でも「舞台ができない」という挫折感を味わった役者なら、身震いが止まらななるほど、息ができなくなるほどのときめきで胸に感じるだろう?

 

 

 

・   ・ ・ 。

 

 

自分でも若干ひく。

 

どうして、こんなにざわつくのかは分からない。

でも、やはり舞台は特別なんだ。

 

 

だからこそ、20分だろうが、全力でやりたい。出し切りたい。

中途半端に8割の力で“よくできました“をもらうんじゃなくて、10割の力で出し切ってその向こうにある名前のつかない何かの塊に手を伸ばしたい。

 

そこを目指すことは、マイナスになる可能性だってある。それに私一人ではきっとそこに到達しない。演劇は複数名でやる楽しさはある反面、独り突っ走っても面白くないのが舞台だ。

 

分からない。どうなるのか。どこまでできるか。

 

 

 

そんな状況の中、わたしはやはりdbdの作品も愛しているのだ。

絶対やる。

それは決定事項だ。

ぶれないし ぶれる要素もない。

 

ただ、時期としてはどうなのか?

今の時期に筆が止まった状態で、心半分で、生の舞台に挑めるのか?

そんな状況で自分もお客さんも満足できるものができるのか?

 

葛藤がよぎる。

 

 

 

落ち着こう。

気持ちが高ぶっている時の判断ほど、後で後悔するものはない。

 

 

一番の問題は、台本のリライトが進まないことだ。

リライト。

なぜなら、私がプロデュース用に書いた本は、私の言いたいことがたくさん詰まっているのだ~~!!

出来不出来はともかく、私はこの台本の中身が大好きだ。キャラクターとしてはメイン2、劇中劇的なもので4つ登場するが、私は皆が好きだ。

削りたくない・・・削りたくないよぉ・・・

 

話の構成も、気に入っている。

リライトに挑戦してみたが、どうも気に入らないし、繋がらないし、あまり時間のカットにもならない。

 

また、手が止まってしまった・・・。

 

 

 

一から書くか。

 

リライトができないならライトから始めるの一番かもしれない。

こうして私はワードの新規作成のボタンをクリックした。

 

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もしかしたらdbdのプロデュース作品は延期をするかもしれません。

「かしげき」は「かしげき」で集中して役者 半の天井をもっと高くしたいし、舞台に立てる喜びを味わいたい。何より中途半端な作品ほど目に入れて痛い物は無いから。

 

dbdの作品は今現在、延長という可能性があります。でも頓挫ではありません。

ただ、そのタイミングを見極める必要があります。

 

私は、まだ迷っています。

足掻くのは私の性分でしょう。

 

リライトがダメならまたライトから。

ライトができないなら、ライトができるまで・・・。

 

そうなるとスケジュールを作成した感覚からして、コンクールに間に合わない可能性は高まります。

でも、もっともっと言うなら、私は賞を狙っているわけではないので、それでもかまないのです。

コンクールに応募したいと考えるのは、私の知名度では届ける事の出来ない人にも作品を見てもらう可能性が高まるからです。

でも結局、納得できる作品ができなければ意味は有りません。

 

 

大事なのは期限です。

それより大事なのは完全燃焼です。

 

半はまだ考えます。

 

まだ、時間はあります。

孤独じゃない夜

ツイッターではしゃいでいましたが、今晩初めて千葉の演劇仲間と夜のお遊び、飲み会に行ってまいりました。

dbd半です。

 

 

かれこれ2ヶ月くらい前からの予定です。

 

楽しみじゃない訳がありません。

 

ただ、もうここ一二週間、仕事は落ち着いているのに、家の予定や芝居仲間の衝撃告白もあって、内面的にはかなりばたついておりました。

 

でも、今日は、私が私らしくいられる時間でした。

芝居のあれこれを話したり聞いたりしているだけでも、楽しい。

なんでこんなに楽しいんだろ?

 

私はね、演劇の中でたくさんのジャンルがあるんですが、小劇場というジャンルが好きなんです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/小劇場

衝撃を受けて、自分もやろうと思えたのは小劇場だったし、私がいまやっているのも動画や小説化したりしていますが、ジャンルは間違いなく小劇場なんです。

なんだかっていうと、小劇場って、お客さんと近くて、なんでも有りなんですよ。

どんな事をやっても、それが見世物として成立しているなら、やり方はアイデア次第で、どんな風でも表現が許されるんです。

 

だから、頭の中はいつだって柔軟にしておかなくてはいけません。凝り固まった頭の中では、不可能がいっぱいだから。

 

そうじゃない、そうじゃないんです。

 

同じ台本でも、100人いれば100通りの解釈があって100通り以上の演出ほうほうがある。

1000人いれば、1000以上の解釈と演出方法がある。

しきたりや、上下関係とか、規律とか、そういった演劇は古典演劇の分野で引き継がれていることでしょう。

 

小劇場は違う。

自由なんです。

なんでも有りなんですよ。

 

劇団の組織のあり方も、運営のあり方も、10000人いれば10000人のやり方で良いんです。

 

人は何かに許しを求めていると思います。

肯定です。

演劇の中では、他者に対して批判をぶつける人がいます。

作品に対してではなくて、演劇の仕方や、仕組みに対してまでも。私には全く理解できないのです。それぞれが模索して自分なりのアンサーを見つけたのなら、それが良い。

アドバイスや提案はわかります。でも、「お前のはアンチ演劇だ!!」なんて言われたら、きっとショックだと思います。不幸中の幸い、半に直接それをおっしゃる方は現れてはいませんが、そういう考え方を持っていらっしゃる人がいるのは、分かります。

 

 

演劇は、いろんな意見や要素が入り混じっていて、個人の感想があるからこそ、新しいものが産まれます。

いろんなアイデアや考え方を聞くことで、それもまた良いと思えるからこそ楽しいんです。

演劇は、私たちの「こんなんでも良いかな?」を全て受け入れてくれるように思います。

 

今日来てくれた仲間の話は、私と同じことを思っているところもあれば、違うところもあって、それがまた良かった。

 

 

夜の帰り道、千葉で、こんなに心地いい風に吹かれたのは何年ぶりでしょうか

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夜中に一人で帰るのに今日は寂しくありません。

 

付き合ってくださったお二方、ありがとう。(^^)

 

そして、演劇人のあるあるだけど、ラストオーダーまで、でかい声でハイテンションな面倒な客だった私らなので、利用させてもらったお店に感謝しつつ。

 

 

今日の余韻を楽しむ半でした。

 

 

ショートストーリー「マジシャン」

どうもdbd半です。

皆様暑いですね。
今、半は物書きモードのようです。

そして、伝えたいことが湧いてきました。
昨日に引き続きストーリーでお届けします。


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「マジシャン」   2017/07/21  dbd 半

 

 

そこに立っていたのはシルクハットをかぶった変な男だった。

彼は自分のことをこう紹介した。
「私はマジシャン」


変な奴だった。
何をするわけでもなく突然現れたかと思うと私のそばをつかず離れずにいた。
時々、おしゃべりもしたけど、大した話はなかった。ただ、細い目で口元はいつも笑っていた。

マジシャンなんて言うけどすごいテクニックなんて一つもなかった。

私は奴に、「マジシャンなんて言うくらいなら、手品の一つも見せてよ」と言うと、
百均にでも売っていそうなステッキを使って、自然には絶対ありえない色の花らしきものを出した。

「そんなの誰でもできるわ」と言ってステッキを取り上げ同じようにステッキを振り回してみた。
仕組みはいかにも単純で、左手を前に出して意識をそっちに向かせている間に右手のステッキをぐるりと回転させる。
遠心力がかかり重心が端に傾けばステッキの中に仕込まれた花が飛び出す、子もでもできる玩具だ。
のはずだった。なのに、出ない。
何度も振り回し、ステッキの中を覗き込んだが、仕込まれた花は出てこなかった。
私はぶっきらぼうに
「こんなの誰も喜ばねーし」
と、悪態をついた。
マジシャンなんて怪しすぎるし、こいつ自体うさん臭すぎる。
やっぱり、近づきすぎるのはやめた。
変な奴はどこにでもいる。そういうやつには近づかないのが身のためだ。

 

しばらくして一週間で一番嫌な曜日がまたきた。
こんな日はなくていいのに。
どうして、毎週毎週この曜日は来るんだろう。
水曜日は母との面会日だ。

母と言っても、私はこの人を母とは思っていない。
私を憎んでいる人だ。
母は父に捨てられ、だんだん父に似てくる私を心底憎んでいる。
私はいつも父の代わりをやらされる。
「あんたのためにすべて捨てたのに」「私を裏切った、この裏切り者」と罵られた。
もちろん周りには見えないように。
どうして、国はこんな日を設けるんだろう。
これに、何の意味があるんだろう。

母は時に手を挙げることもあったけれど、大きくなった私にはさほど痛みを感じなくなっていた。

帰り際、私はいつも通り良い子を演じる。
「母さん、またね。元気にすごしてね」

当然ながら、そんなことは微塵も思っていない。
手続きを済ませ、いつも通り、施設を後にした。

私はバス停に行き、自販機でジュースを買った。ここは山奥でバスは1時間に一本程度。
バスを待つのは私しかいなかった。
自販機の光に集まる蛾がひどく鬱陶しかった。
私は無自覚に自販機に蹴りまくっていた。バンバンという音だけが心地よく響いた。

理由なんてない。ただそうしたかっただけだ。目の前に蛾がいて鬱陶しかった。それだけだった。
きっと犯罪をおかす人間は私みたいな人間なのだろう。
私は頭のどこかで、自分はおかしいことを自覚している。犯罪者は何かの拍子に一瞬で線が切れて、ところ構わなくなっただけの話だろう。
だが私はまだ人の目を気にするし、めんどくさい事は嫌いだ。
でも、「今はまだ」というだけなんだろう。きっと私は、変なんだ。

自販機は私の足より固いからそれほどのダメージはないように思えた。取り出し口のふたははひび割れて一部粉々になって、ちょうどロゴのあたりに大きな凹みができた。それを見て私はよくわからない優越感みたいなものを感じた。
足の脛の方にが痛みが走った。取り出し口のひび割れたところが私の皮膚を裂いたのだ。
痛い。そう私はまだ痛みを感じられる。
この痛みを感じなくなった先には、私はきっと向こう側に行ってしまう。
いや、その時はきっとこの痛みが快感になるだろう。
私の体はそれを予感していた。


傷口を拭き、血の付いたハンカチをしまい、身なりを整え直してバスの時刻表に目をやった。
するとその奥に自称マジシャンの姿が見えた。


そうだった。こいつがいたんだった。


でも、こいつは何もしない。ただいるだけだ。
こいつに見られていようが、誰もこんな奴の話なんて耳を傾けないだろうし、私のこれからに何の支障もない。


もう一度見直す。奴は変わらずこっちを見ていた。
無視をすればよかった。
それなのに、やつの口が気になった。

いつものシルクハットに笑ったように細い目だ、でも口元はいつものように笑っていなかった。
そしてずっとこっちを見ている。

「なんだよっ」

私は今までに発したことがなくらいドスをきかせた声で、言い放った。

やつは、少しずつ距離を縮めてきた。


「なんだよぉっ!きもいんだよっ!お前なんかに見られても何にもないんだよぉッ」

やつはさらに近づいてくる。


「はっ、なんだよ、あぁ、お説教か?それともあきれてんのか?かっこわりぃとか思ってんだろ。
お前なんかに、なんか言われる筋合いなんてないんだよ!」

やつは黙っていた。

「あぁ、そうか同情ってやつか。そうそ、俺ってかわいそうな奴なんだよ。
親からは虐げられて、だれも助けてくれない。行き場のない憤りだよ。
だから仕方ないだろう。自販機なんてなんだよ。別に生き物殺してるわけじゃないだろう。
物損だとか言うなら、あとで弁償すれば良いんだろう。思春期なんだよ。
こうでもしないとどこにもウサを晴らすとこなんて無かったんだよ。
かわいそうだろ。だから、こんなのなんて大したことないんだって」


それでもやつは何も言わなかった。


私は苛立ちを覚えていった。
「なに、ずっと黙ってんだよ。なんか言えよ!!」

奴との距離はもう一歩位しかなかった。
そして奴はこういった。

 

 

 

「君を助けてもいい?」

 

 

 


身震いがした。
なに言ってるんだ。助けてもらう?何に?何から?あの母親からか?
いい子ちゃんを求める世間からか?こんな風にした世の中からか?
足元から震えがきた。何をされる?怖い。どうしたらいい?
奴が手を伸ばしてきたが、私は一歩も動けなくなっていた。
こんな奴に私を助けられるわけがない。何も知らないくせに。何も知らないくせに。何も知らないくせに。


奴は、両手を広げて、私をぎゅうっと抱きしめた。
もがいてもあがいても、蹴りを入れてもその腕はほどけなかった。
なんなんだ。何してやがるんだ。やめろッやめろッ。

私はできうる限りの力を振り絞って奴の腕を振りほどこうとした。
けれど、何をやってもダメだった。こいつ、ただ見てただけで腕だってこんなに細いのに、どうしても抜け出せれない。

 

初めての感触だった。
足掻きながら、人の腕の中で、人の体温を初めて感じた。
こんなに人はあたたかいのか?
こんな風に包まれても良いのか?
安心してもいいのか?
他人にゆだねてもいいのか?
私は一人じゃないのか?

 

「俺は・・・俺は・・・」


奴は何も言わなかった。
ただ、どんなに暴れてもダメで、そのうち私は周り目も気にせずに咽び泣いていた。


頭の中でぐるぐると昔のことがよみがえってきた。
何度も殴られて、それでも母と呼ぶ人に縋り付いたこと。
誰かに助けてもらいたくて、裸足で家を飛び出して、でも誰にも何も言えずに家に帰って、また殴られたこと。
悩みなんてなさそうに笑う同級生たちの顔。
いい子だねぇと無責任に言ってくるおばはんたち。
鏡を見る度に会ったことのない父親のことを考えて吐きそうになったこと。
他人は信用しないと何度も呪文のように繰り返し言ったこと。
自販機を蹴りながら「俺って、かっこわりぃ」って本当はずっと思っていたこと。

 

本当はいつも思っていた。


誰か、ここから連れ出してください。
誰か、安心して眠らせてください。
誰か、私を受け入れてください。
誰か、私を一人にしないでください。


私は、これ以上行きたくない。

 

これ以上、感じない人間になりたくない。
このままいけば、俺はきっと生きているものを殺しても感じなくなる。
そんな人間になりたいわけじゃないんだ。
本当は上っ面じゃない、心から笑いたいんだ。本当は・・本当は・・・

 

 

 


私を・・助けて・・・

・・・・・誰か、私を・・・

 


          ・・・・助けてください。
                ・・・止めてくれ。

 

 

 

 


自分の体温と奴との体温が同じくらいになっていく。
心がほどけていくのを感じた。

 

 

 


俺が落ち着きを取り戻し始めると、軽く押しただけで腕は離れた。
あのとんでもない力は何だったんだ。
奴は、小さく「イッツマジック」と言い放った。
目は細くて、今まで見てきた通りの口元に戻っていた。

「お前、、、何もんだよ」
私は呆然とした頭でまだ整理のつかないまま聞いた。

「私はマジシャン。君を助ける魔法をかけにきたマジシャンだよ」

 

 

自称マジシャンはそれからすぐに消えた。
どうやら次の仕事が見つかったらしい。
やつのシルクハットとあの細い目と笑う口を見ないですむなら、こっちはせいせいする。

出発する前に、また会うことがあるのか聞いてみると、
やつはいつも以上ににっこりと笑って見せただけだった。

 

 

 

あれから数年経った今でも、私はあのぬくもりが体のどこかにあるのを感じている。

私は向こう側に行かずに済んだ。

怪我をすれば痛みを感じる。誰かを傷つければ悲しくなる。
誰かが泣いていれば、助けたくなる。声をかけたくなる。

そして今は、泣き方も忘れた子には私のマジックを見せたくなるんだ。
シルクハットをかぶり変な花の出るステッキを持って。

 

さぁ、最高の魔法をかけよう。
自称マジシャンがお送りする、最高の贈り物。

 

 

今度は君に届けよう。


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ニュースを見ると、悲しい事件が多いです。
その人の苦しさはその人しかわからない苦しさです。


私はお芝居を通して、メッセージを届けたいと思っています。
それは、「生きる事の楽しさ」です。

劇場でする演劇はすぐにはできません。
でも演劇は見せ方や演出次第で不可能を可能にします。
要は、なんでも有りなんです。

今現在、先が見えなくて、暗闇の中にいる人もいるでしょう。
自分の力じゃどうしようもなくって、苦しんでいる人もいるでしょう。

私に何かができるはずもありません。
私にすごい力があるわけでもありません。
このマジシャンも何のマジックもできません。


出来るのは、だれでもできる事だけです。
私は苦しんでる人に何もできないけど、
マジシャンを通して、誰かをぎゅうっと抱きしめたくなったのです。


ただ、ぎゅうっとするだけです。
誰かに私の温度を伝えたくなったのです。
ただ、ぎゅうっと、するだけです。


そして一つご提案です。
もし読者様が身近に愛おしい存在があるのに
伝え方が分からない方がいらっしゃれば何も言わず抱きしめてあげてください。

それで問題が解決することは、とても少ないでしょう。
でも心が近ければ、しないよりも伝わりやすくなると思うんです。


簡単にできないですけどね(^^)


どうか、一つでも悲しい出来事が起こらなくなりますように。
負は負の連鎖を起こします。
でも逆だって起こせるはずです。
正の連鎖。私はそれを信じたいと思います。

マジシャンには誰だってなれます。
最高の魔法をかけられる最高のマジシャン。

どうか、悲しい事件が無くなりますように。
どうか、悲しい心が救われますように。

祈りを込めて。