演出ってなんだ?
どうもdbd半です。
今回は演出について語ります。
今まで読んでくださってる方は、また話が飛ぶなぁとお思いでしょうが、思う事がいろいろありすぎるのです。
演出の分野は、私は役者と並列で大好きな作業の一つなので、話すと長いのですが、いつもの通り思いつくまま書いていきたいと思います。
どうぞお付き合いください。
舞台にはそれぞれの役割があります。
役者はなんとなく分かりますよね。
一番お客さんが見るもので演者のことを言います。
その他に舞台と言えば、スタッフがいます。
脚本家、音響さん、照明さん、舞台美術さん、舞台監督さん、衣装さん、小道具さん、広報、紙系の制作(チラシ、チケット、パンフ)、そのほか当日スタッフさんなどなど・・。拾い出せば、やることに応じてさらに細分化されますが、概ね上記のスタッフさんと役者、つまりはキャストに成り立っています。
えっ?何か忘れていないかって?
そう、冒頭に挙げました演出です。
演出は作品の中での取りまとめで、映画やドラマだと監督と同等のポジションであると考えていただいていいと思います。作品のイメージの構築、それに合わせて各セクションへこうしてほしいというリクエストしていきます。
※ここでは指示しますとはあえて言いません
ただ、舞台で言えば、演出は脚本と兼任することも多く、照明出身の演出さんもいれば脚本出身、音響出身の演出さんもいて、それらを兼任することも多く、テレビなどの監督さんよりも比較的マルチな作業を行うイメージがあります。
そして、何より主催=演出・脚本家というスタイルがアマチュア劇団であればほぼほぼ決まっていることが多いのです。
つまり、演出の決め事で動くことが多く、兼任すればするほどその劇団内での発言力は自然と強まるというわけです。
そしてその演出スタイルは個々の劇団さんによります。
少し前までは、灰皿が飛んでくるようなきついダメだしをしながら演出絶対主義で行われる劇団もあり、一言一句、小っちゃい「っ」ですら、抜けると怒られるみたいなところもあるような・・。
それも一長一短有るわけなのですが、半のように、すべてキッチリするのが苦手な人間にはとても難しかったりします。
ただ、このスタイルのすごいところって、毎日稽古やったり、台本を一字一句よんだりすることをみっちりやるので、初めて演劇を始めた方はそれが「当たり前」になっちゃうところなんですね。
だから、こうメンタルが強いというか、打たれ強いというか。
千葉に来てから、演劇関係の方とたびたびお話することがあり今回もかしげきに参加する劇団ギルドわむさんにお世話になっているのですが、この言葉を聞きます。
「演劇始めたのがそこ(の劇団)が初めてだったからさ、そこしか知らないし、それが当たり前だと思ってた」
これは、半が「休憩とかあまりないね?」とか「えっ毎日稽古してたの?」とか聞いた時に返答いただく言葉です。
マジでか~~~。
うちは無理だわ~~~。
もともと半は毎日の稽古は大嫌いなんです。稽古は好きですよ。
でも考える時間がないというか、遊びがないというか、ねかせられないというか。
ある程度の余裕がないと半の場合は、稽古に追われる状態、ただ稽古場に来ているだけみたいになってしまいます。頭の中は全く回っていません。
社会人になって週一ででもできる演劇活動を知りました。
今はさらに少なくなっていますが、それでも創作活動はできるという気持ちでいます。
なので、この発言を聞くたびに、みんなすごいなと思うのと、我流だけど違うやりかたもあるよ(^^;)という気持ちになります。そういうところはだいたい上記に挙げたように演出の権限というか発言力というか、発信力というか、そういう傾向を感じます。
そこで、ふと演出の役割について、書いてみたくなったのです。
ただ、極論を最初に言っておくと、半は結果主義でもあるので、いろんな演出さんがいて、結果的に良い作品ができてそれで満足出来ているのなら・・有り!と思っています。
ですので、ここで話すのはあくまで半流です。
今劇団に所属されている方はその劇団の方針ややり方があるかと思いますので、自分が信じるやり方を進んでいただければと思います。
こういうのもあるんだぁ~ということや、まだ始められていない方は、あぁそういう風に半は制作するのかぁ~と思っていただければと思います。
* * *
さて、前置きが長くなりましたね。
では、演出は何をするのか?
半はベクトルを指し示すもの。
そう理解しています。
先日のブログで役者と演出の目線は同じものを見ているようでも、見え方が全く違うと言いましたね。
dbd-hans-collection101.hatenablog.com
演出が地図上でスタート(オープニング)地点からゴール(エピローグ)地点まで全体を見ている感じだとするならば、稽古が開始したばかりの役者はその場所に立って、右左確かめながらあたかもスタンプラリーするように道を歩くイメージです。一歩ずつ確認しながらA地点からB地点へと向かいます。
どうして、演出が全体を見通す地図上の目線になるか。
それは話の流れを統べるものだからです。
最初から最後までを通してどのように作品を仕上げるかを見通さないといけません。
なので同じ脚本でも、演出が変われば、作品スタイルはかなり変わります。
イメージです。
こんな感じで、仮に同じ台本だったとしても全体的にどうやって盛り上がりを見せるかどのようにクライマックスに運ぶかというのは演出の見せ方によって異なってくるのです。
この演出のつけ方は演出の数だけ手法や好みがあり、どれが正解というものではありません。あえて言うならすべて正解なんです。
演出はその作品の全体を見通したうえで、どのように話を運ぶかを決められるポジションです。役者個人個人がここはあれで、でもここはこうで・・というのでは盛り上がり方に作中に偏りが出ますし団員の中でも言える人と言えない人もいるでしょう。
そこを一括して担うのが演出であり、逆を返せば演出の頭の中のイメージを再現するのが役者やスタッフになってくるわけです。
たとえば「ここはテンポよく見せて、勿体つける感じはなくていいよ」とか。
「この間(ま)はしっかりとって」とかリクエストがあったとします。
これははトータル的に見て、この後に続く流れなどを踏まえているからこそ出てくるんですね。
少し余談ですが、たまに役者さんで勘違いされる方がいるのかなぁと思いますが、<間>これはただ間を開ければいいという話ではありません。
次につなげるための動作として、その間、空白、セリフのない時間が必要なんです。ただセリフを発しないのが間ではなく、そこには「考えているのか」、「言葉を飲んでいるのか」、「頭を整理すためのもの」なのかなど、そんな言葉にならない時間を表現されたのが間として演出は求めているということです。
さて、どんな見せ方をするのかを指定していくのが演出と言いました。
これを役者の目線から見てみましょう。
役者は台本を読んでみると、なんとなくの展開は理解できます。
ただ、それだけでは作品にはなりません。
なぜなら、セリフの一つをとっても100通り10000通りの表現方法があるはずなのです。
セリフ1(さきほどのスタンプラリーでいうならA地点)の次にセリフ2(B地点)があったとするなら、セリフ1からセリフ2まで行くにはたくさんの方法があるのです。この時点では、気持ちができているのであれば、どれも間違いではなくすべて正解です。
その何百、何千通りある中のどういうセリフの出し方で次の展開に持っていくのか?それを考えて出すのが役者です。引出は多ければ多いほどいいというのはこういうところですね。
セリフ1からセリフ2まで行く手段がたくさんあるのですから必ず迷いがあるはずです。
なんでか?
だって、それは演出が決める事だもん。
もっと言うなら、どの道を進むかは演出の好みなんだもん。
別人格の役者が別人格の好みをすべてわかるわけはないのです。
それを指し示すベクトル、道しるべのようなものが演出です。
演出は役者にベクトルを示すと同時に、効果を考えます。音響効果、照明効果、舞台設備による効果。それらをすべて統括し、まるで指揮者のように作品の世界を構築するのが演出なのです。
アマチュアの世界では時々勘違いしてしまうことがあります。
作品の世界を構築するのが演出であるならば、演技向上をさせてくれるのも演出だと思ってしまうことです。
演技指導と演出は全く異なる部署だと私は思っています。
こういう風に話を持っていきたいと考えている人が、そのテクニックを必ず身に着けていないといけない理由はないからです。演技が上手くなりたければ、演出家のところではなく、好みの演技をされる役者さんのワークショップに行かれるのが最適だと思います。
先人がそのままレクチャーしてくれるのですから一番手早い方法に違いありません。
ただ、演出はある意味お客さんの目線に近いのです。
お客さんの目から見て、今このシーンがどうなっているのか、次をどうしたら気持ちのいい展開になるのか?たぶんそれを考えながら演出は効果を付けたりダメ出しをしたりします。。ですからよりシビアに客観的に役者人を見ているのも演出家なのです。
そういった意味で、演出の目線を信じる事、これはとても重要だと思いますし、演出はお客さんの目線を忘れて自分の好みだけを押し付けていては、極論面白くないと思います。
ですから、実質ここでも目線が異なるんです。
役者は舞台から共演者やお客さんを見ます。
ですが、演出の目線は客席側から、つまりお客さんからの目線で作品を作るのです。
※客席から舞台を見たときに右側を上手(かみて)といいます。逆、左側を下手(しもて)といいます。
公演中、お客さんにメッセージを伝えるのは役者です。
でも、本作をどうやったらお客さんに伝えられるかを総合的に見ていて完成形をいち早くイメージしているのは演出家なのだと思います。
段取り的(きっかけ的)なことを除いて、演出家らのダメ出しをもらったとするなら、それは客観的にみてお客さん目線で見て、「そう見えない」「違和感がある」「やってほしいことはそれじゃない」と思ったからなのだと思います。
演出の面白いところは、自分の考える効果や流れが、頭の中を飛び出し具現化しそれを感じることができる事です。さらにそのイメージを役者がよりいい形でアウトプットしてくれることを望んでいます。そうなったときが一番面白いww。
ここで言えるのは、演出は、作品ができる前から、稽古が始まる前から、頭の中で完成形をすでに構築しており、すでのその作品の第一のファンであるということ、これはまず間違いないでしょう。
今回はずいぶん真面目に書き込みましたね(笑)
少し長くなったのでまとめます。
演出ってなんぞや?
- 演出は作品の完成形をイメージし、イメージを具現化するポジション
- 演出は全体を踏まえ、役者・スタッフに演技のベクトルを示す人。要は立て看板のような存在。
- 演出に演技指導をもとめていはいけない。演技向上が目的ならしかるべきところに行くべし。
- 演出は制作する中で一番観客に近い目線をもつ存在。
- 演出は完成形を誰よりも早く強くイメージしその作品が好きすぎる人。
5に関しては若干自己愛強すぎて気持ち悪いですが、ま、概ねこうだと思います。
これ見れたら、めっちゃカッコいいとか、めっちゃええシーン、もう泣けるなど
作成される前に本気でそう思っています。目の前なんにもできてなくてもね!
↑
<注意>
あくまで半の考えなので(笑)
というわけです。Ww
参考になるかならないか分かりませんが、こんな風にまとめてみました。
私は演出のポジションは大好きで、役者をやっている時とは違うワクワクやぞわぞわが溜まらんわけです。
少なくとも、半流の演出スタイルは上記なわけで作品作りをするときはお客目線と制作側を行ったり来たりします。
お客目線で、「これいいわぁ~」と納得できる演出効果ができると最高だし、それが現実化した時はぞわ~~~~ッ!!となるんですね。
また、機会があれば演出関係のこと書くかもね。
長くなったので、今回はこの辺で。
いろんな演出の人がいますが、気の合う演出かさんとの出会いがるといいですね(^-^)