dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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文系本領発揮!半ちゃんの「よだかの星」考察(解釈) PART6!(ラスト)「ナレの正体 黒よだかって何?!」

 

こんばんわdbd半です。

GW突入ですね。

皆様はどこかお出かけしますか?

半は明日から大阪に帰省して参ります。

うちではだいたい1年に一回なので、いくと浦島太郎状態です。

大阪はめまぐるしく変わってきていますね。

今回は芝居仲間に会える予定もあります。懐かしい顔ぶれに合えるのはとてもうれしいです。

さっ行く前にこのよだかの考察(解釈)を書ききってしまおうと思います。^^

 

それにしても、やっとここまで来ました。

長くなるなぁと思いましたが、本当に長いですね。(笑)

 


これが目次最後のお題です。
⑥ナレーションは何者なのか?演劇( 朗読劇 )においてのナレーションのポジション

 

まずはいつものように、関連サイト過去ブログ、アーンド、目次です。

 

 

◆◆関連サイト及び過去ブログ・考察の目次です。★★
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よだかの星青空文庫より
よだかの星 宮沢賢治
http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html
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イメージ画像などモリモリの過去ブログ

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よだかの考察の目次です。

※すでに書いたものは過去ブログを張っていますので、どうぞみてみてくださいね^_^

目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎

②情景描写は五感から入る!

③色


《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?

 

⑤よだかの“さいご”はいつなのか?

dbd-hans-collection101.hatenablog.com


⑥ナレーションは何者なのか?演劇( 朗読劇 )においてのナレーションのポジション
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今回のお題は上記にも述べましたこちらです。
⑥ナレーションは何者なのか?演劇( 朗読劇)においてのナレーションのポジション
いよいよ演劇にがっつり組み込んだお話です。
まずは前回のおさらいから行きましょう。

※④⑤を読んでいらっしゃらない方は、長くて申し訳有りませんが過去ブログのご一読オススメさせていただきます。半ならではの解釈なので、ここからだといきなりなんでやねーんとなるかもしれません( T_T)\(^-^ )

 

では、前回までお話しした半の考察(解釈)です。

*********************************************** 

よだかはもともと純真な心の原石を持っていた。
けれども体は醜くだれもよだかを相手にはしない。
ついに鷹から脅され、死と向き合うよだか。
そして自らも殺生しながら自分があることに気づく。

よだかは、一瞬の光でも出せるなら死んでも構わないとお日様に懇願。
しかしお日様からは星に言えと一蹴される。
体は地に落ち、肉体は死を迎える。

けれどもよだかの精神は、まっすぐに自分の願いを叶えるため突き進む。
その後もひどい仕打ちを受けるよだか。
ボロボロになり傷つき朽ち果てるかと思ったその時、よだかは余計なものをさらにそげ落とし、最後の強さを見せたその時、星になるための境界線を越えたのだ。

肉体とは異なるよだかのさいご。境界線を越えることがよだかにとっての着火剤だったのだ。よだかは純粋で強い光り輝く星となった。

強い光はいつまでもいつまでも燃え続けた。

**********************************************

 

さて、お話としてはここで完結していると言っていいでしょう。
ですがdbdはやはり演劇にまつわるあれこれを書き綴っているので、お芝居の特にナレーターのお話をしたいと思います。

 


劇団AQUA 朗読劇「よだかの星」実演

お気づきだと思いますが、
先日行われた劇団AQUAさんの朗読劇では半がナレーターを務めさせていただきました。

ナレーター。
ナレーターというポジションはどうとらえれば良いのか役をいただいた時に考えました。

表現の仕方にも迷いがありました。

 

↓↓

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

そして今回の結論としては朗読劇なら、より印象深くよりイメージしやすいように、強弱をなるだけつけてお芝居するという選択肢を選びました。

 

そして稽古を始めていくにつれ、台本を読み込むにつれ、半の中で一つのキャラクターが生まれるのです。
通常ナレーターにキャラクターがあるなんて演出支持がない限りあまりないように思います。というか、そんなの必要ないと思う方が普通かもしれません。なにしろ原作にこのキャラクターは存在しないんですから。


ただ、読めば読むほど、ナレーターの枠を超えて感情が生まれたのです。

 

愛おしい

よだかが愛おしくて愛おしくてたまらない。応援したくて声援を送りたくて、そして・・・・
そして、羨ましいと。


なぜこんなの風に思ったのかは分かりません。
ただ、こんなにつらい目にあって悔しくて辛くて、 だったら意地汚く相手を罵倒し非難したくなる・・それが普通なんじゃないでしょうか?

 わたしはよだかは純粋であるがゆえに、だれにも恨みつらみをださないまっすぐな美しさがよだかの星になる原石だと伝えてきました。

 

でも、よだかにそんな感情は本当になかったのでしょうか?

 

おお、よだかでないただのたかならば、こんな生なまはんかのちいさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるえて、顔色を変えて、からだをちぢめて、木の葉のかげにでもかくれたでしょう。

 

この台詞がすべてを表わしているようでした。

感情をこめて言えば言うほど、周りが妬ましく恨めしい卑屈な気持ちが膨らんでいきます。

 

「もし自分が本当の鷹なら、こんな小鳥どもはすぐに怯えさせ二度と減らず口を聞けないようにしてやる・・・

鷹にだって脅されビクビクなんかしなくちゃいけないんだ・・・
もし自分が醜くなく兄弟たちのように美しくきれいな声で鳴けたなら、どれだけ皆に愛されただろう・・・」

 

そう思わずにはいられません。
 
けれども、よだかはそんなどす黒い感情に囚われることなく、さらに純粋の極みへと昇っていきます。
このどす黒い感情やくすんだ気持ちはどこに行くんでしょう?

 

外見が醜く、そんな自分をいじめる奴らを憎み、どうにかなってしまえと願う自分。
他の命を食らわないと維持していけない醜い存在。
そしてそれを手放そうと決めた純粋なよだか。
愛おしいよだか。
どす暗い感情を持っているこんな自分は天に行けるはずはないと。
美しく天に昇ろうとするよだか。私がいっしょに行けるわけがない。純粋なこころをもったよだかを妬ましく思ってしまうこんな私が。


それでもキラキラ輝くよだかを愛おしく応援したくて、仕方ないのです。

よだかは私と分離した後も、純真な心で星にアタックしていきます。

その度にまだ残っていた穢れた心はそぎ落とされていきます。

苦しい。諦めたい。もう疲れた。やめたい。逃げ出したい。助けて。

星に向かって上へと登っていくたびに、そんな邪心が私のいる地上に降り注いでくるのです。

よだかの体が天に向かっていけばいくほど、私はべったりと地に張り付きます。

 

 

私は、もう一人のよだかでした。

 

 

苦しい。諦めたい。もう疲れた。やめたい。逃げ出したい。助けて。

苦々しい思いは、雨のように天から降り注ぎます。


しかし心は裏腹なものなのです。
妬ましいうらやましい心根とは別に、あの瞬間、私は心の底から願うのです。

 

行けッ行けッ 

行けッ!!
  辛いことがたくさんあった。今でもこんなにつらい。

行けッ!!

行けッ!!

  でもあとちょっと。あとちょっとでお前は変われる。

行けッ!!

行けッ!!

  お前はその美しい原石を光らせろ

  私を捨てろっ  醜い私を完全に捨てろっ

行っけぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

 醜い心は全部私が引き受る!!!!!!!!!

 

 

 私は、諸悪の根源、実にみにくい鳥でした。

 よだかは、実にみにくい鳥です。
 顔は、ところどころ、味噌みそをつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。

 

光になりたいと気付いたとき、みにくい体は太陽に焼かれ地面に叩き付けられました。
その時大きな枷が外れたのは間違いありません。
醜い体は醜い心を持ったまま見えない目でよだかの行く末を見つめていました。


純粋な心だけになっていくよだか。
私のためにずいぶんつらい思いをさせたよだか。
私は天に行けるはずもない醜い心。

どうか、よだかの小さな心だけでも。


純粋なよだかを白とするなら私は黒いよだかです。

一緒だったときは同じものを共有していたからこそ、リアルによだかのことを話すこともできるしその一部始終が分かるのです。

 

太陽に照らされた時、黒よだかと白よだかは分離しました。
気高い白よだかは、黒よだかの存在など知る由もありません。

星になった白よだかを見た黒よだかは
最後に血の付いた大きなくちばしで、確かに笑ってみせるのです。

白よだかは燃え続けました。
地に這いつくばった黒よだかがいる地上に見えるように。

いつまでもいつまでも燃えつづけました。

 

黒よだかは城よだかが星になったのを見届けた後、鷹に捕まれ自然の理の一部に還っていきます。
そのかき消される直前の概念こそが私のナレーターの存在ではないかと思うのです。

 

よだかの星の最後の文です。

 

今でもまだ燃えています。

 

きっと白よだかの姿は今でもきっと空のどこかにあります。
それが黒よだかの願いでもあり、これもまた自然の理だからです。

同じ自然の理なのに天で光り輝くよだか。

私は地に這いつくばり、身動き一つできず、よだかの光を感じるのです。


切なくて愛おしい。
半は、今でもナレーターとして「よだかの星」を読むと、胸がつまります。

きっと何度でもそうなるでしょう。

 

ナレーターはすべてを理解したうえで、このストーリーを語りだすのですから。

 

**********************************************

 

長々と綴ってきましたが、ここまで読んでいただき有難うございましたm(__)m

半はこれらがすべてつながったとか大きなハッがありました。皆様の中にもハッは有りましたでしょうか?

 

もうご覧いただいていると思いますが、良ければもう一度ご覧ください。


劇団AQUA 朗読劇「よだかの星」実演


今までお話してきて、ここまで読んでくださった方ならいろんな見方をすることができると思います。

 

半がおススメしたいのは絵を気にせずに声だけで聴くことです。
今回は朗読劇ですので、雑音も有り聞き苦しい点はありますが、画面に囚われずあなたの中のよだかが天に昇っていく姿を想像していただきたいのです。

 

そしてそれとは別でナレーター(黒よだかの)視点で、聞いてみてください。きっと今までと違う「よだかの星」を味わっていただけるかと思います。

 

 

これが、今回半がお送りしてきました「よだかの星」の結です。(^^)

我ながらたった20分ほどの作品をよくこんなに引っ張りましたね(笑)
文字に落とすのは大変でしたが、実はこの黒よだかの存在を知っていただきたくなって、この考察を書き綴っていました(笑)だって誰にも知られていない存在って淋しかったんだもん。(´∀`*)

 

 

 

良ければ皆様のご感想ご意見もお聞かせくださいね(^^)
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さいごに、先に作品をご存知の方がいらっしゃったら、こんな話なわけない!!と言われる方もいらっしゃるかもしれません。

私が今まで書いてきたのは、たくさんの考察(解釈)の中の一つでしかありません。

こういう風に作品作りをしてきましたというだけで、見ていただいたお客様のイメージが異なるのであれば、それは新しく生まれ変わったよだかなのだと思います。

 

私のイメージと皆様のイメージが違っていて当たり前だし押し付けることは有りません。いろんな「よだかの星」があればその分だけ楽しめるとおもうのです。(^^)

 

 

 


さて、冒頭にも述べましたが今週末からGWがスタートです。
私は地元関西の空気をたっぷり味わって来ますので今度は関西の空の下での投稿になるかな。(^^)
ちなみに、たくさんのお月様の動画UPはGW明けになります。
気長にお待ちくださいね★

それでは「文系半ちゃんの本領発揮!『よだかの星』の考察(解釈)は以上です。

長らくお読みいただきありがとうございました!!!!!!!!!!!

 

皆様も体調を崩されぬようよい休日をお過ごしください!!

 

↓★おまけ(先日NHKでよだかが一瞬ですが放映されていました。)

 

 

 

思ったより愛嬌ありませんか? 

 

文系本領発揮!半ちゃんの「よだかの星」考察(解釈) PART5!「よだかのさいごは別にあった?!」

 

f:id:dbd-hans-collection101:20170413181804p:image

 

dbd半です。

 

いろいろ話が前後しておりますが、

よだかの星

先日やっこと動画(静止画)編集終わりました!(>_<)!!

上のフォトは今回使わせてかもらったフリーの動画の中の1ショット。半のお気に入りです。

 

まだご覧になってない方の方が多いですよね!ヽ(*^ω^*)ノぜったい見てね!

 

 

さて、勢いづいているところで、

よだかの星の考察(解釈)パート5!です。

こちらも、やっとここまで書けるぅ‼︎

 

いつものように、関連サイト過去ブログ、アーンド、目次です。

 

 

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よだかの星青空文庫より
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よだかの考察の目次です。

※すでに書いたものは過去ブログを張っていますので、どうぞみてみてくださいね^_^

目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎

②情景描写は五感から入る!

③色


《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?

 

⑤よだかの“さいご”はいつなのか?
⑥ナレーションは何者なのか?演劇においてのナレーションのポジション
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さっ ここからは、かなり半ワールド爆発ですよ!!

 

こんな風に読むのは私くらいじゃなかろうかと、思います。だって、やっぱり演劇目線だからこその解釈だから^_^;

でないと、ここまで考えないというか、ちょっと無理くりじゃね?って、思われても仕方ない解釈というか。。

 

さて、今回のお題は、、

⑤よだかの“さいご”はいつなのか?です。

 

ちなみに前回の記事をまだの方は、話が続きますので、ご一読をオススメさせていただきますσ(^_^;)長くてすみません。

↓↓前回の記事↓↓

④よだかはなぜ星になれたのか?

 

よだかの星を読んだ事がある方なら、「何を言っているんだ。愚問だな。」と一蹴されそうな着眼点ですよね(笑)

 

よだかのさいごはいつなのか?

 

ええ、わかっいます。だって、文中に書いてあるんです。

 

よだかは涙ぐんだ目をあげて、もういっぺん空を見ました。

 

そうです。これがよだかのさいごでした。

 作中のクライマックスですね。

 

本番を見て、分かる通り、一番のハッがあるところです。

そして、半が、前回の記事で、「このとき生と死の境界線を越え、それが引き金となって、よだかは星になれた」と書かせて頂きました。

 

生と死の境界線。

 

結論から言います。

このような遠巻きな言い回しをしてきたのは、半は≪このとき≫が、よだかの≪さいご≫だとは思っていません。

 

 

少し、話を変えます。

 

半はね、ここのシーンとは別にもう一つ納得ができないシーンがありました。

納得というのは前回にも言いました。演者として辻褄が合わない。話が途切れる感じです。感情が流れないというか、心の動きが止まってしまう感じなのです。

 

よだかは死を決意し、最初にお日様に会いに行きます。けれども鳥仲間だけでなくお日様にも邪険にされたよだか。話が終わると夜行性のよだかは倒れ込んでしまいます。そりゃそうですよね。メンタル的にも身体的にもやられます。

夜だかはおじぎを一つしたと思いましたが、急にぐらぐらしてとうとう野原の草の上に落ちてしまいました。そしてまるで夢ゆめを見ているようでした。からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、どこまでも風に飛ばされたり、又鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。

 青地にした箇所。

そう、これなんです。これが、ずっと引っかかっていました。

 

なんだったら、よだかの星になった理由よりもさらに気になりました。

よだかの星は人気の作品なので、この文に関して他の人が書いているものが無いかも調べましたが、私が見た中でだと、ここに着眼している文書は見つかりませんでした。

 

ね、皆さん。

 

この一文、変じゃありませんか?

違和感がありませんか?

赤や黄の星の間を登って行ったり、風に飛ばされたり、鷹に掴まれたり。。

 

えっ?何これ?

 

星の間を登って行くだけなら、夢の中だけでも理想を叶えたのかなと解釈できます。

でも、違うんです。風に飛ばされて鷹に掴まれて。

夢が叶わず鷹に捕まった。→夢の中でも冷たい現実に戻された?こう解釈するのが一般的な気がします。

 

でも、鷹や、他の鳥は言葉や行動でよだかをいじめますが、決して手を挙げていないのです。少なくともこの時点ではまだ殴られるような具体的な乱暴には至っていません。

鷹がよだかを掴む。

とても違和感を感じます。

そして風に飛ばされたり、、。

 

なんで?

なんでいきなり風に飛ばされてるの?

今まで、風を切ってかけるよだかの描写はありますが、風に飛ばされるような羽ではありません。なのに急に?

 

メンタルがやられれば、そんな弱さを体現するような夢を見てもおかしく無いかもしれません。

ダンボやプーさんだって、おかしな夢を見ます。怖くて、恐ろしくて、意地悪な登場人物が夢の中でダンボやプーさんを襲います。

そういう類い?

 

そういう括りにしてしまっていいのでしょうか?

なんだか腑に落ちません。 

 

もう一度、本を読んで見ましょう。

 

そしてまるで夢を見ているようでした。からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、どこまでも風に飛ばされたり、又鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。

 

夢を見ているようでした。

体がずうっと、、、

ずうっと、、、

 

ずうっと、、

 

おかしいです。

先ほど取り上げなかった、このずうっとという言葉。

なんだか、ここにも違和感を覚えます。

 

ずうっと赤や黄の星の間を、、

皆さん、想像して見てください。

 

ずうっと赤や黄の星の間を登って行くよだかを。。。

 

 

 そして不似合いにも風に飛ばされるよだかを。

 

 

殺されるのではなく鷹に掴まれるよだかを。

 

f:id:dbd-hans-collection101:20170413122856j:image

飛んで飛んで

 

まっすぐお日様に向かって

 

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赤や黄の星の間を登って

 

 f:id:dbd-hans-collection101:20170413122856j:image

風に・・飛ばされて・・

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鷹に掴まれる・・

※鷹が掴んでいるのは鳥さんだとイメージしてください

 

これって、これって、もしかて?

 

 

クライマックスのページめくって見ましょう。

 

夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。

(略)

寒さにいきはむねに白く凍こおりました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。

(略)

寒さや霜しもがまるで剣のようによだかを刺さしました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居おりました。

 

まっすぐに空へ登っていったよだか。周りには受け入れられず身も心もボロボロになります。けれども、さいごに自身の決意を持って、天にその眼差しを向けます。強く。強く。

 

 

イメージがリンクします。

 青字が中盤の文

茶色がクライマックスの文です。

 

 

 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。

  

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 f:id:dbd-hans-collection101:20170413124406j:image

 からだがずうっと赤や黄の星のあいだをのぼって行ったり、

 

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どこまでも風に飛ばされたり

 f:id:dbd-hans-collection101:20170413181756j:image

 

もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。

 

f:id:dbd-hans-collection101:20170413181804p:image 

 

又鷹が来てからだをつかんだりしたようでした。

 

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その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居おりました。

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f:id:dbd-hans-collection101:20170413182234j:image

 

リンクした。

 半の中でハッが光った瞬間でした。

 

 

皆さん、半が言いたい事、お分かりでしょうか?

 

ここであえて言いますが、これは役者_半から見た「よだかの星」の解釈です。

 

 

***********************************

よだかは醜い鳥でした。

けれども実は純度の高い星の原石を持ち合わせた存在でした。ただそれは誰も知りません。よだか自身さえ知らないことです。 

皆には意地悪なことを言われ、名前が一緒だからと鷹からは脅され殺されそうになります。

その夜、殺されそうなよだかは、自分も虫を殺してこの世に生きていることに気づきます。

 

よだかは、弟のかわせみに別れをつげて、どうせ命を落とすなら一つの小さな光を出せるだろうとお日様に自分も連れて行ってくれと懇願します。

 

それは夜を生きるよだかにとって容易なことではありません。

お日様はくらくらするほどまぶしく飛んでも飛んでも遠ざかっていきます。やっと声をかけてもらったと思ったら、

”星にいってみろ。お前は夜の鳥なのだから"と辛らつとも慈悲ともとれる言葉を浴びせられます。

 

力尽きて葉っぱの上に落ちていくよだか。

よだかは夢を見ます。

けれどそれは夢だったのでしょうか。

朦朧とする意識の中、赤や黄の光が見えます。体は風にあおられ地に落ちていきます。

体は傷だらけになり嘴には血が付いています。

ももう動かすことはできません。

そうこの時よだかの体は死に直面していたのです。。

断片的に見える景色は、もう動かなくなった自分の体をあの鷹がつかんでいくところでした。

 

けれども一方で、よだかの精神は、折れません。

お日様に教えてもらった通り、お星さまを訪ねます。

 

「連れて行ってください」

 

断られボロボロになります。くじけそうになる心を何度も何度も奮い立たせ飛び回ります。

その度にひどいそしりを受けながらよだかは最後の最後までよだか、あきらめませんでした。

 何度も何度も。

 

そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。

 

この瞬間、よだかは生と死の境界線を越えたのです。

よだかの着火線に火がともりました。

 

そうです。これがよだかの最後でした。

 

よだかの体に火がともり、一気に全身にその火は一つの強い光になります。 

 

よだかの肉体的な死とは別に、精神的な決定的な何かを超えたのです。

これが半が思うよだかのさいご-境界線です。

つまり、よだかは肉体的な死と精神的な(境界線)を超えること、この二つがよだかにとってのさいごだったのではないか、半はこう解釈しているわけです。

 

***********************************

いかがでしょうか?


ひどい考察ですね。(笑)。無理矢理にもほどがある。
でも、こう思った瞬間、すべてのパズルがハマった感じがしたのです。

 

 

ところで、よだかの星の動画UP作品はご覧頂けましたでしょうか?

 


劇団AQUA 朗読劇「よだかの星」実演

 

少しネタばらしをしますと、
半には上記のイメージがありましたので、静止画での編集でしたが
この辺りをどうしても編集で表現したくよだかの絵の周りをオレンジで覆いました。


夢を見ているよだかのところとラストのシーン2つに。

スキルが乏しい上に編集ソフトはスペックが高いものではないので、半なりのささやかな演出(抵抗)でした。

このオレンジというところにも、なぜかこだわりがあって、赤よりもオレンジの方がどす黒い気がしたのです。見ていただいた通りきれいな塗り方はしていません。


迫って狂うオレンジ(死)に囲まれ、よだかはもう逃げるところはないのです。

血を連想する赤を使わなかったのは、この時よだかの心はまだ生きていたと思ったからかもしれません。
露骨な赤よりもよだかの死を表現するのはオレンジだと思ったのです。

 

ただただ純真なよだか。

周りからは忌み嫌われていた外見。どうしてこんな風にならなければならないんだと、負の心を呼び寄せるこの体。
生きるために他の誰かの命を奪い続ける汚らわしい体。

肉体から解放され、醜い自分から解放されたことで、星と対話し、さらに純度の高い存在へ昇華していくのです。
 

蛇足ですが、ここで勘違いしないでほしいのは、この時よだかは自ら放棄して太陽に焼かれたのではないということです。
純粋な心を持ち続けたよだかは、その過程で肉体から解放されていただけに過ぎないのです。

自ら死を願っていますが、「死にたい」わけではありません。


「星になりたい」

「一瞬だけでも輝きたい」

 

それに尽きるのです。

その心の真ん中にある高純度な気持ちの原石が研ぎ澄まされ、よだかの本当のさいごが訪れるのだと私は解釈しています。

 


皆さんにもありますよね?


皆さんの心にもきっと、
純度の高い純真で穢れのない思いが。

 

よだかは鳥で創作物ですが、決してよそごとではありません。

少し曇っていたり、隠れちゃったりしているかもしれません。
でも、必ずあなたの心の奥底にもピュアで誰にも汚されることのない唯一無二の宝物がそこにありますよね。

 

よだかは、私たちの心の本当にきれいな部分を投影して、罵られ傷つけられても誰にも汚されることなく、かえって強い光となって輝き続けるのです。

よだかの星」は最後にこう綴られています。

 

そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。


今でもまだ燃えています。

 

 

 

 

 

さ。今回はこの当りで区切りをつけますね。
次回、よだかの考察(解釈)もラストになります。

是非、最後まで完読してくださいね★

 

 

__________________________________

今回の考察に関して、ご意見ご感想よろしければお聞かせください。

ご了承を得ずにネット上でUPはしませんのでご安心ください。

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半の夢 *劇場へ行こう*

こんにちはどうもdbd半です。

 

創作意欲が止まりません。
やりたいことが多すぎるのです。

しかし体は一つ。時間は有限です。

このブログも書きたいネタだけでいえば、下書きを含め10個くらいは有ります。

筆が遅いのと、まとまりきらない内容でボツったのと、書いている間に次の気分に移行してしまい別のお題に移ってしまった、そんなものが多数です。

 

とは言いつつ、形にしていかなければ案はどんどん溜まる一方。
少しずつですが、書いていきますので引き続き、ご覧いただければと思います。

 

さて、この一年活動していて、演劇の多様性をとてもよく感じます。
ゲキ×シネ(舞台を映画館でリアルタイムに視聴する)や舞台のをネット配信、アニメ(漫画)とコラボ企画(舞台化)などなど、アマチュア内でも、私が所属する劇団ギルドわむさんのようにお芝居の小企画を運営できるシステム作りをされていたり、つい先日はりろぷらさんが主宰する逆オーディションというのもお見かけしました。(劇団が人を選ぶのではなく、人が劇団を選ぶという逆転の発想から生まれた仕組みです

 

そのほかにもいろんなジャンルが増えていますね。

 

私の最盛期でいくとやはり舞台は小屋ありき。
見る側は劇場に足を運んで、作品を隅々まで楽しむ。
それが当たり前でした。

 

もちろん今でも健在ですよね。
ですが、存在自体が弱小の小劇場、特にアマチュアは形を変えようとしています。
形を変える事で生き延びようとしています。
結果、劇場離れになっていることは否めません。

 

私は、それは進化だと思っています。
環境と現状が合わなかった生物たちは、自然に適応するために形を変え思考を凝らし
今現在の姿を形成しています。


コストのかかる劇場から離れ、だれでも気軽に手軽に楽しめる、多くの人の目に触れてもらえるように形を変えようとしているのです。

 

少し歴史を振り返ってみると、
出雲阿国から女歌舞伎が生まれ、風紀を乱すと圧力をかけられ、けれどもそこから若衆歌舞伎が生まれたそうです。
さらにこの若衆歌舞伎ですら風紀を乱すと言われ今度は野郎歌舞伎が生まれました。それが現在の『歌舞伎』につながるそうです。


これらと同様に、苦境になればなるほど、それを絶やさないよう模索するのは芸術を志すものの性なのでしょう。

 

それで良いと思います。
形を変え新しいアイデアが生まれ新しい面白さが生まれ、新しいお客さんも増えてほしい。
今小劇場というジャンルで活動する芝居人が、手を替え品を替え、継続できる環境を模索しています。

この現状を私は応援せずにはいられません。


私自身も劇場という小屋を離れての活動がメインになっています。
私も新しいジャンルに進化する必要性を感じたからです。


ですが・・・。
劇場の小屋が好きな私としてはさびしいし、
いつか<そこに>還りたいと思っています。

むしろ、それが私にとっての目標なのだと思います。

なんでかって?


劇場の≪空間≫は特別なのです。


テレビでも、動画でも、朗読だけでも、お芝居はできます。
ええ、そうです。

多様性を求めています。
それでいいんです。

いろんなコミュニティが増え、つながり方も少し前とは異なります。
時代です。
時代の流れです。
私たちは時代の流れで変化している一部分にしかすぎません。

 

でもね、

私の作品の真ん中に、私の心の真ん中にあるのは劇場の景色なんです。


なんでこんな話をしたくなったかというと、
年末のUP作品「外郎売り」


dbd第3弾 「外郎売り」 朗読劇  201612

 

やAQUAさんの作品で客演として


劇団AQUA 朗読劇「よだかの星」実演

『朗読劇』をしましたよね。

 

私の知る限りですが、声優さんブームもあり『朗読』というジャンルの公演も
増えているように思います。

 

そこで思ったんです。
『朗読』と『朗読劇』何が違うの?


字面でいえば劇が付いているか付いていないかですよね。
『演劇』という文字列でも『演』と『劇』ですよね。

『演』じるのはどこでもできるし、演技ができれば何でも有りだと思います。

声優さんでも、俳優さんでも、スーツアクターでも人形使いでも役者で演者です。

 

でも『劇』は?

私がやるのはお芝居ですが、やはり『演劇』なんだと思いました。
『朗読』ではなく『朗読劇』なんです。


私の動画作品の中ではいつもこう叫んでいます。

「皆さんに、劇場にいるような空間の断片だけでも味わってほしい!!


劇場でやれば、もっとすごいんだよ!!こんなもんじゃないんだよ!!


全身が総毛立つ、この瞬間をたくさんの人に知ってもらいたいんだよ!!」

 


私は時間制限もあるし私が使えそうな小劇場の劇場は千葉には有りません。

それでもお芝居の演劇の面白さを伝えたいのです。
そうして現状としては今のスタイルになっているだけなのです。


そして、いつか、何年先でも構わないから、
思いっきり舞台で暴れてやりたいと思っています。
キラキラ輝くライトの中、自分が思いっきり満足して走り切れるような武者震いが止まらないような舞台です。

それが私の夢です。

 

私が満足する舞台の板に立つのはまだまだ先でしょう。

それでも、見る人が抵抗なく劇場に足を運んでもらえるようにお手伝いできれば私はとても嬉しいのです。

 

簡単に劇場に行ってほしいと言っても、いざ見てみると、時には失敗したという作品に出会うこともあるでしょう。
金返せよ。時間返せよと、毒づきたくなる作品も残念ながら山ほどあります。

 

でも劇場の空間はやはり特別なのです。
暗幕の黒から生み出される無数の作品。

 

ゼロに近いところから演劇の作品は生まれます。

完成形を私たちは目指します。
でもアマチュア演劇だからこそ味わえる、形の悪い造形作品も味わいがあったりそこにしかないぬくもりもあります。

 

すみません!!(><)!!

もう!!ぶっちゃけ、おもんない作品は目をつぶってください!!!!!!!!!!!!

あやまります。
質が悪くて済みません。おもんなくてすみません。お金と時間もらってすみません。

でも、私たちにお芝居をやらせてほしいんです。

 

お金がないと、時間がないと、お芝居は作れません。

 

他にもっとお金を使う有益なものはたくさんあると思います。私自身大金ならどうぞ被災地の方や困っている方に寄付したりして使ってくださいと思います。

ただ、そのたくさん使う中での忘れていたお小遣いくらいで構わないんです。

その分たくさんの方に知ってもらいたい、見てもらいたいんです。

 

お金を○○○○払っても構わないくらいの価値のあるものを作ればいいじゃないか。なんて卑屈なんだ。

 

そうおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

おっしゃる通りです。その通りなんです。

 

でも、ドラマや映画などで完成度の高い作品を見られてきた大勢の方にとって、アマチュアが演じる作品ははっきり言ってハードルが高いです。

 

きれいごとは言えません。お金もない。時間もない中で作る素人の演劇が、元々才能とセンスと運を持ち合わせ毎日毎日何時間も演技をしたり、見られることを当然としてきた人たちにかなうはずがあるでしょうか??

それができるのは、一部の劇団、一部の作品、一部のシーンになるでしょう。

 

そんな私たちが、本番を迎えるということは、それまでの数か月の集大成です。

結果の賛否両論は皆様の貴重なご意見であることは言わずもがなです。
お客様のご意見に対してああだこうだ言う人は演劇をやめるべきです。

ただ、結果上手くいかなくても、つまらなくても、心中面白いもん作りたいんだ!と思っている演劇人がほとんどです。


だからこそ手を替え品を替え生き延びる手段を模索し活動しています。
次こそもっと良い物を作ってやろうと考えている人がほとんどです。

 

だからこそ、一人でも多くの人にお芝居に演劇に触れてほしいですし、一回で懲りずに何度でも劇場に足を運んでほしいです。

お芝居関係者の方はもちろん、そうでない方にも発信していきたいわけです。

 


すみません。話が転び転びしながら、勝手に激アツなトークになっていきましたm(__)m

 

(-。-)y-゜゜゜


次はどんな作品を作りましょうか。
今AQUAさんでやらせていただいた「たくさんのお月様」の編集中です。
編集中ですが、もう別の作品のことも考えてしまいます。

よだかの星」の考察も途中ですが、必ず書き終えますので、お待ちくださいね。

 

dbd半のこれからの進化の過程を見届けていただけると嬉しいです。

 

では、また。

 

HAPPY BIRTHDAY to ME !

 


HAPPY BIRTHDAY to ME !

 

どうもdbd半です。

なんと、なんと、本日で立ち上げ一年になりました!!

!! !!  (笑)

去年のちょうど今日、何もないことから立ち上げたこのブログ。

本当に山あり谷あり、でも楽しい一年でした。嬉しい出会いもたくさんありました。

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 携帯電話でご覧いただいている方には変わりないと思いますが、ブログのデザインの基本テーマを変更しました。(^^)

 

稽古場のないdbd 半にとって、このブログの"場所"がHOMEになっていることは間違いがなく、ピンでやっているこの活動が、活動しているといえるのはこのブログを書き続けてこれたからです。

 

ずっとね、何書こうかなって考えてました。

でも、最終的には一周年記念動画(静止画)になりました。ww

 

おめでとう私!!ということでかなり自己満な作成なのですが、作品をつくることが

私の活動結果なのだということにたどり着いたんです。(笑)

 

と、言ってもまだまだ1才(^^)。二十歳、アラサー、アラフォーになるまで生き延びて、続けたいなぁ(笑)それ以上になるとメンタル良くても体がついてきてくれるかな(笑)そんなことを考えつつ、よだかの星の考察はちょこっと置いておいての話を書きます。

 

というわけで、自分へのお誕生日プレゼントに、バースデーソングを聞きあさっていました。そしてたどり着いたのはB'Zの「Happy Birthday」という曲でした。

 

私は中学からB'zファンになりそのまま、高校の劇部に入部しました。

勉強中、移動中、いつも耳にはイヤホンをつけて。

何度かライブにも行きました。

そして去年、朝練を始めたときも、耳には稲葉さんの歌声に励ましてもらっていました。

 


Happy Birthday B'z(字幕付)

 

 

 

と、こんな曲を聴いていると他の曲も漁ってしまします。

 


B`z いつかまたここで PV

 

「いつかまたここで」

私も会いたい人がいます。いつか私がもっとBIGになれたなら、「ここ」で会えるでしょうか。

 

 


B'z/BIG

 

「BIG」

私がこうだなぁ、となんとなくぼんやりしている内面をすでに言葉にして形にしてくれます。(笑)

稲葉さんの歌には励まされたり、泣けたり、にやけてしまったり、

何年たっても変わりません。

 


Bz run

「RUN」

「早くたってゆっくりだってたどり着ける場所があるってことを教えてくれたのはみんななんだよ」

もう、歌詞だけじゃなくて、MCでもやられます。

 

中学生_半は何度この曲を聞いたことでしょう。

自分の将来がどうなるかなんてわからない未知への恐怖。

そんな物に少しだけ勇気を持たせてくれる。

がむしゃらでいいんだと、ただ「走れ」と。

 

何年たってもカッコいいです。

そして有言実行、走り続けてる。

 

半も、走り続けたいと思います。

どれくらいかはわからないけど、何ができるのかはわからないけど、早くてもゆっくりでもたどり着ける場所があるなら、どんなに遠回りしてもどんなにかっこ悪くても、前に進んでいこうと思います。

 

そうそ、自分でいうのもなんですが、この一年で少し吹っ切れたことがあります。

 

それは、周りの目を気にしない

 

です。

 

動き始めたころは、どうしたらいいのか、周りの人はどうなのか、小心者がむき出しで不安の塊でした。

 

でも、この数か月に至っては、自分のスタイルで良いじゃないか、と素直に思えるようになってきました。

 

人にご迷惑をかける事も、不快な思いをさせてしまうこともあると思います。

良いことも悪いことも、自分に返ってくるでしょう。

 

でも臆病になりすぎて自制してしまうようであればdbdとしてのカラーには、合わないような気がしたのです。無理が生じる、そう気がついたんです。

 

ご意見や感想などはもちろんお聞きしいところですよ(^^)

 

ただ、演劇だけの半でもなくて、会社や家の事や友達や世情や、いろんなことが作用して私の作品はできるのだし、演劇だけの枠に囚われちゃいけないような気がしていったんです。たくさんの人に見てもらいたいと思っておきながら演劇人は身内で固まりがちなのが正直なところで、でもそれって自分が周りに蓋をしているようにも感じたのです。

 

そんなことや、他の事も重なって、今の半になってきました。

 

ごめんなさい。編集作業に時間がかかってしまって、今ちょっと眠くなっています。(笑)

話があっちこっち飛んでいますよね。

 

でも、きれいなものばかりじゃないんです。

私自身も、中身はかなりの大阪のおばちゃんだし、人にあれこれ言えるような人間でもなくて、そんなミジンコの精一杯を誰かに伝えたくて仕方ないんです。

 

あ、別に飲んでないですよ。

絡み酒っぽい口調にはなってきていますね。。。

 

なんか今日は墓穴をほりそうな感じなので、このままDOWNしようと思います。

 

最期に。

この一年、このブログを読んでくださった皆様、有難うございます。

この一年で、投稿87記事、2018PV頂きました。

f:id:dbd-hans-collection101:20170416045138j:plain

 

 

少しづつですが誰かが見に来てくださるようになり、どれだけ励まして頂いているか。

時にはたくさん読んでくださり、毎回読んでくださる方もいて、半も少し自信を持てるようになりました。

 

これからも、細々ですが、動いていきます。

どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。m(__)m

 

 

 

 

「よだかの星」Youtyubeにアップできましたよ!!!

こんばんわ。dbd半です。(^^)

やっと仕上がりました!!!

よだかの星」Youtyubeにアップできましたよ!!!


劇団AQUA 朗読劇「よだかの星」実演

(約20分ほどあります。)

 

長かったぁ。

いや、長かったのはひとえに私の作り方とスキルとそのほかの事を同時にしている生活スタイルが問題なんですけどねっ(^^)

でも、やっと一つ肩の荷が下りたような気持ちです。

 

よだかの星に関しては、まだまだ考察が終わっていませんからね。

引き続き書き綴っていきます。

 

やっぱりね、勢いがないとダメですね。ここ数日一気に集中して編集しました((;^_^A)

UPするように動画素材を撮るのと、撮った素材をUP用に改良するのは思った以上に半には困難で、思っているイメージ・本番で持っていたイメージを動画に反映するというのがとても難しかったです。

ぶっちゃけ初期の半は「ちょこちょこ静止画を挟まば良いや」程度でいたのですが、やっていくと”こうじゃない””ああじゃない”がたくさん出てきて、試行錯誤でした。

 

でも、こうやって形になるってやっぱりうれしい

是非、見てみてくださいね☆

 

 ≪ご感想・問い合わせは下記まで★励みになります。≫

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 

◆◆関連サイト及び過去ブログ・考察の目次です。★★
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よだかの星青空文庫より
よだかの星 宮沢賢治
http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
イメージ画像などモリモリの過去ブログ

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よだかの考察の目次です。

※すでに書いたものは過去ブログを張っていますので、関連内容になりますので、どうぞみてみてくださいね^_^

目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎

②情景描写は五感から入る!

③色


《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか? 

⑤よだかの“さいご”はいつなのか?

⑥ナレーションは何者なのか?演劇においてのナレーションのポジション
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

動画編集は次は「たくさんのお月様」に取り掛かります。

またお時間はかかるでしょうが、形にできるよう頑張ります。

 

お楽しみにです(^^)

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おまけ

今回本番直前のベストショットです。

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二人は意地悪な小さな鳥役を演じていますが、とっても仲良しなのです(^^)

 

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文系本領発揮!半ちゃんの「よだかの星」考察(解釈) PART4!「なんで星になれたの!?」

こんにちはdbd半です。

 

ちょっこし家のゴタゴタ、会社のゴタゴタ、さらにさらにのんびり更新になっております。

気づけば、本のキャスト練習をしていた時より、時間をかけて書いております(笑)

 

さ、よだかの考察、後半を書いて参りますよ^_^

まずは、関連内容サイト及び目次です。
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よだかの星青空文庫より
よだかの星 宮沢賢治
http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html
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イメージ画像などモリモリの過去ブログ

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よだかの考察の目次です。

※すでに書いたものは過去ブログを張っていますので、関連内容になりますので、どうぞみてみてくださいね^_^

目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎

②情景描写は五感から入る!

③色

 


《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?
⑤よだかの“さいご”はいつなのか?
⑥ナレーションは何者なのか?演劇においてのナレーションのポジション
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

やっとこ、後半に入ってきましたね。

ここからは、このよだかの星の真骨頂。

「ハッとする」瞬間に目線を向けながら④⑤⑥と書き綴っていこうと思います。

 

改めまして、今回のお題

《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?

 

ここまで読んでくださっている方からすれば、なんぞや?というタイトルですよね(笑)

 

ツイッターをフォローしてくださっている方はご存知だと思いますが、半はここ数ヶ月、二度見しちゃう、繰り返し見ちゃう聞いちゃうものはどんなものか、自分のハッとする気持ちやまた見たいと思うものについて、拾い出しをしています。

こんなの一個人の感想じゃないか!っと言われても、おっしゃる通りなのですがσ(^_^;)、いざ作る側になるとそう言った瞬間のハッに鈍感になってしまうんですね。

それって、一瞬のインスピレーションだし、実際、繰り返し繰り返し見続ければ、その感情のきらめきは薄れて行きます。

だいたいにして、また見たいっ!と、思った理由なんて普段は考えないはずですから当然です。。

列挙していく中で、きっと何か共通点や好みや、その他のよく分からない何かがあるんじゃないかと思ったのがきっかけです。

 

半の中では、このハッはとても大事で、私が感じたハッを皆さんにも伝えたいと思うわけです。

逆を言えば、面白い!また見たい!すごい!と思うものには、必ずこのハッがあると思うのです。

 

このよだかの星に関しても、上記の事があてはまります。今回私は繰り返しよだかの星を読んでいく事で、この"ハッとするもの"の大事さを教えてもらったように思うのです。

 

ですので、あくまで半なりの解釈ですが、順を追ってお話しして行きたいと思います。

 

④よだかはなぜ星になれたのか?

 

皆さん、どう思います?

 

ズバリこれって、この作品よだかの星の一番のクエスチョンでは無いでしょうか? 

 

半は読んでも読んでも解読できず、頭を悩ましました。

他のサイトでは宗教的な観点から、書かれていて、そういう見方もあるんだと思いましたが、どうも納得できません。

 

あ、ここでいう納得できないというのは、役者や演じる側にとって、辻褄が合わない、話が途切れる、という事です。これは作品制作者にとっては、世界が途切れるのと同じ意味になります。世界が途切れる、つまりは演者が途切れるのなら、見る側はシラフ(現実に)にかえる結果になります。

ですから、半の中では、納得できないことは納得できるまで読んで読んで読んで読んで読み倒さないと行けないわけです。(あくまで半流の作品作りですが)

 

とすると、宗教的な観点からだけだと、どうしても読者に偏りがあります。

そんな差別的な書き方を、 この宮沢賢治さんが書くでしょうか?

ニッチな話ほど気になるといえば、それまででしょうが、それではなぜか半の中では消化不良でした。つまりは納得できない。

 

では、今一度文章を読み解いてみましょう。

 

 寒さにいきはむねに白く凍(こお)りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜(しも)がまるで剣のようによだかを刺(さ)しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居(お)りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。

 ※引用:青空文庫

 

うん。分かりません。

ではよだかはなぜ星になりたいと思ったのでしょうか?

「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼(や)けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」

死ぬことで光を出す。それが星になったということでしょうか。

では、もっと掘り下げて。

よだかはどうして死を求めるようになったのでしょう?

ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。

 そうそう、鷹に殺されそうになったことで、死というものを近く感じ、ひどい理不尽さを持っているにもかかわらず、実は自分も他の生き物を殺して生きている存在だったことを自覚する。こんな内容でしたよね。

 

さて、私たちは教育という制度があり、植物や生き物を食べることはごくあたりまだと認知しています。けれど、いざ生き物を目の前にして、その肉を喰らえというのは、はなはだ抵抗を感じるのではないでしょうか?

 

肉の旨みを知っているものの、可愛い動物が、動物の親子が殺されるところを見ればどうでしょうか?単純に「可哀そう」なんて思ってしまうわけです。

自分の体内に当然のように吸収しているくせにです。

 

よだかは、ここに不条理を感じたのでしょうね。

不条理はどこにでもつきものです。

その不条理さを感じたうえで、あなたなら肉を食べないで生きていく道を選べますか?野菜を食べないで生きていこうと思えますか?

 

私は否です。

肉だって食べるし野菜も食べます。

可哀そうだと思いつつも、美味しい、と思ってしまうでしょう。

 

よだかはこの分かれ道、多くの人とは違う道を選択したと言っていいでしょう。

そう、ここに私は何やら、よだかが星になれた理由のヒントが隠されているように思うのです。

 

ただただ、いじめられて、我慢して我慢して、そしたら星になれた。めでたしめでたし。当初の半の印象はこんな感じなのです。

でも、これじゃ全然面白くないですよね。それに児童向けの話としてはあまりにお粗末です。

 

それが、何やらヒントが見えてきました。

肉を食べない選択。

命を奪わない選択。

他の人とは違う選択。

 

純粋で単純で明確。

 

でも、どうしてこの選択を選んだのでしょう。

そこには鷹の存在と醜さを理由に苛めを受けていた境遇があります。

 

そこまで、プレッシャーをかけられていた。他の選択肢がなかった。苛めから解放されたいがための死の選択。自由を求めるための選択だった?

 

またまたお粗末な設定になってしまいます。

こんなことを児童が素直に受け取ってしまえば自殺者が後を絶ちません。

宮沢賢治さんはこんなことを言いたかったのでしょうか?

 

本当のところはわかりませんが、他の答えもきっとあるはずです。

 

もっと崇高で、お日様やお星さまにも見放されたよだかが星になれた理由。

他者を殺して自らが生き残るよりも、自らの命を絶つことを選ぶ理由。

 

そうそ、他の方が書いた解釈で、だれからも見放され、自力で願いをかなえた所に美しさがあるという風におっしゃっていた方がいました。

なるほど、そういう見方もできますね。

でも、自力で星になる力なんて、こんな非力なよだかにあるのかしら。。。

どうやら製作者としての半はまだ納得できません。

 

ん~、ん~、

 

ていうか、そもそもなんでお星さまや太陽は光るんでしょうか。

ま、燃えているからですよね。うん。うん。ん?

ただ、燃えている。

それって、つまり自然現象・・・ですよね。

 

おっとっと、ちょっと違う角度から考えてみましょう。

 

もともと、よだかは星になる素材(素質)を持っていた。

その着火剤がなかっただけで。

それがこの死を求めることで、いや生と死の境界線を越えることで、点火された。。。

 

なんだ、なんだ謎のひもがほどけてきそうですよ。

 

順に解釈を建ててみましょう。

①よだは星になる素質を本来持っていた。

②状況は最悪。いじめられるしついには変なあだ名をつけられて殺される寸前。

③でもよく考えたら自分も殺生してた。

④もうやだ。殺すのも殺されるのもやだ。だったら死んでもいいからどうせ死ぬんだったら、一つの光にでもなってやろうじゃないか。

⑤けれどもやっぱり邪険にされる。

⑥ねばる。ねばる。ねばって。天を目指す=死(着火)

⑦星になっていた。

 

 

流れをざっくり列挙するとこんな感じです。(笑)

ではこの①の素質が問題です。

素質、星になるべくしてなる素質。

純度の高い何か。でしょうか。

純度の高い・・・ベジタリアン。。。いやいやいや。さっきのアレ。

アレな気がします。

そうです。よだかは虐められても殺されそうになっても、自らがいじめる側になろうとしたことはありません。むしろ、自分が生きるための殺生でさえ、断ち切ろうとするのです。自分に受けた痛みを誰かにまき散らすのではなく、それを決して問い詰めることも、仕返しをしてやろうとすることもありません。

 

前にも少し書きましたが、よだかは決して弱い生き物ではありません。弓のように空をかけ鷹のような鳴き声を持っているのですから相手を威嚇することもできたでしょう。もともとポテンシャルの高い生き物だと思うのです。

 

でも、決してしない。

 

これって、原石みたいじゃないですか?相手を思いやる。傷つけたくない。そして一縷の光になりたい。

まるで子供のように純粋でまじりっけがなくて、原石というか原色というか。一番自然に近いもの。

 

そう。これが素材なんじゃないでしょうか!?

 

するとするとですよ。

 

生と死の狭間が着火剤になると仮定して、それにはどんなくだりがあったでしょうか。

 

よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄(にわ)かにのろしのようにそらへとびあがりました。

 

 ここで着目したいのはここ、地に落ちて行きました。という文です。

実はここだけ地に落ちるという表現を使っています。地に落ちる。この単語だけを拾うと地獄に落ちるの、表現に近いものがあります。

そしてよだかはどこから落ちるかというと、お星さまのいる天からです。

つまりよだかは天から地に落ちるのです。

 

そして最後のくだりではこのように書かれています。

もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。

 これは天と地の隠喩だとするなら、天でも地でもわからない。無我の境地。昇天。

とも受け取れるのではないでしょうか?

 

 

はい、ここで、まとめます。

 

④よだかはなぜ星になれたのか?

   ・もともと星になれるピュアソウル(星になれる素質)をもっていた。

  ・逆境にいることで引き金になり、着火剤になるだろう死への選択をしていく。

  ・それでもさらに拒絶されるが、拒絶されることでさらに純度の高いピュアソウルへと近づき天と地の境界線を渡る。

  ・境界線が着火剤となり、よだかは昇天。

  ・無我の境地の中自分が光り輝いていることに気づく

 

 

これが半なりの解釈です。

どうでしょうか?

 

他の方からすると、私の解釈のほうが納得できないよぉ~という方も多いかと思います。でもいいんです。(笑)

 

いろんな解釈があってよくって、特に役者や演出をする側は独自の視点があるものなので、自分がきちんと辻褄があっていて納得できたならそれで世界はつながるんですから。(^^)

 

でも、なかなか面白いと思いませんか?

星の原石を持ち合わせていたよだか。

生死の境がそのきっかけだった。

 

でも、半はこれだけだとまだ納得できなかったんです(笑)

 

次回に話が続きますので、是非次回も連続してお読みくださいね。

次回は・・・⑤よだかの“さいご”はいつなのか? です。

お楽しみに~(^^)

 

 

演劇の良いところ-ずっと忘れない舞台

今晩は。dbd 半です。 

今日は夜更かし半ちゃんです。

今から作業の続きをちょこちょこやっていきます。

 

よだかの星の考察(解釈?)の続きに関しては、現在進行形で書き留めていますので

そちらも良ければご覧くださいね。

 

今日は、昔見た演劇作品の事をお話ししたくなりました。

私が1・2を争うくらい大好きな作品で・・・、

大好きというか、もう胸にずっきーんときてしまった作品とセリフなのです。

 

自転車キンクリートSTOREさんの

「絢爛とか爛漫とか」です。

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絢爛とか爛漫とか―モダンボーイ版・モダンガール版

絢爛とか爛漫とか―モダンボーイ版・モダンガール版

 

 

 

 

この作品は、何が好きかといえば、もう全部好きです

 

最初は、惑星ピスタチオ解散後の蔵さん(勝手な愛称です:佐々木蔵乃介)目当てで見に行った舞台でした。場所は今は無き近鉄小劇場(大阪)。私は舞台左側(下手側)前のちょっといいお席でした。チケット代は確か4000円だったと思います。

 

ダンボーイ・モダンガールが流行する若き文豪たち4人の話。

 私が見たのはモダンボーイ版の男性4人芝居です。

 

時代設定、キャラクター設定、役者さん、内容、舞台美術、演出。

 

すべてが最高でした。

 

何度も思い出し何度も繰り返し頭の中にふらりと現れます。

 

 

私は、時々猛烈に人の才能に嫉妬を抱きます。負けたくない。

頑張る。でも敵わない。いつもその繰り返しをしているのです。

心が折れそうになる時は何度もあります。いやいや実際折れまくりです。

 

私がお芝居に復帰すると言い出しもう丸一年。

心は折れるし、手は震えるし、出来ない出来ないと出口のない迷路にはまり込んでしまうことも多々ありました。

 

今でさえ、私自身の居場所に不安を持たずにはいられません。

劇団でもない。コンスタントに作品を作れているわけでもない。動画という作品作りはしたものの、ちゃんとした小屋での舞台を踏んでいない。

こんなことで、活動していると言えるのか。

私は芝居人といえるのか。

 

寂しくて孤独になることもあります。

 

そして何より、舞台で輝く皆さんがうらやましくて仕方ないのです。

 

分かっています。私が選んで今の状態をキープしていることも、今はまだ模索の段階だということも、まだまだ己のやるべきことをやり切っていないということも。

 

なのに、すぐに答えが欲しくなって、つい自分の首を絞めたくなるのです。

「私はこんなに頑張っているのに・・・」

邪な心に支配されて、自分の居場所が分からなくなってしまうのです。

「あの人達はは、にこにこと周りと笑っているだけじゃないか・・・」

自分は真っ黒く周りは光り輝いて見えるのです。

「なんで・・・?なんで・・・?」

 

どんな世界でも、器用な人はいます。

もちろん陰の努力家もいますが、そうではなく本当に努力なんて関係なく出来てしまう人がいるんです。

 

すみません、これは愚痴ではないのです。

愚痴っぽいですよね。

 

でもね、こんな風に思うことはきっとたくさんの人が経験していると思うのです。

 

そしてね、もし、今このブログを見ていただいている方が、

私のようなどす黒い感情に囚われているなら、私は「絢爛とか爛漫とか」に

出てくるセリフを送りたいのです。

 

※昔の記憶の中で書いているので、内容・セリフは全く同じではありません。ご了承ください。

 

4人の文豪の中で、一作品はヒットしたもののそこから一向に書けなくなってしまった主人公。真面目だけが取り柄で、文学作家とはこうあるべきものだと、正論を並べ今は次回作に向けて案を練っているところだと見栄を張る。それに引き換え、文学にあまり興味がなく適当にしか書いていない友人。話も途中で終わっている作品。にもかかかわらず読んでみると登場人物が生き生きとしている。主人公は絶望と羨望を抱く。そんな時、友人が自分は文学をやめるという。親の後を引き継ぐと。

 

主人公は、友人に止めに入る。”なぜ、文学を続けない?お前はこんなに才能があるじゃないか。俺はお前に嫉妬した。けれでも、俺は嬉しかった。お前が前を走っていてくれることを。なのに、そんなお前が文学をやめるなんて、、俺は許さない!”

そのあと、友人が言ったセリフです。

 

お前は池の中に立っているのに、喉が渇いたと駄々をこねる子供のようだ。むしろ、俺はお前がうらやましい。こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。

俺にとって、文学は夢中になれるものではなかったのだ。俺は妾の子だ。本妻の兄が倒れたので俺が呼ばれた。俺は次に会う時は社長さんだ。喜んでくれ。」

 

 

お前は池の中に立っているのに、喉が渇いたと駄々をこねる子供のようだ。むしろ、俺はお前がうらやましい。こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。

 

 

こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。

 

 

あなたは、夢中になっていますか?

夢中になってるからこそ、今があるんですよね。

好きで、好きで、たまらなく好きで。だからこそ心がぐちゃぐちゃってなっちゃったんですよね。

 

大丈夫です。

あなたは、また頑張れます。

 

走れなくなって、歩けなくなって、前にあった背中がどんどん小さくなって、自分だってそこに行きたいのに・・って、声に出したいのに、言えなくって。結果が出せなくって。悔しくって、涙で前が見えなくなって、小さくなった背中がどんどん涙でぼやけて。

 

ね、こんなにも何かに好きになれるって、凄いことだと思いませんか?

それこそがが才能だって、知っていましたか?

 

しゃがんで手を出せば、いくらだって喉の渇きは癒せる。あなたの才能は前を走る誰かの背中じゃなくて、自分の足元にいくらでもある。・・・のかもしれませんよ。

 

これがドラマや小説ならここまで印象に残らなかったかもしれません。

温度。

あの時生で見たあの熱は、私は今でも忘れることができません。

ラストの軒先から見える桜の舞。ちょうど今の時期のような春の季節がこの作品のラストシーンでした。

 

私の邪な心を代弁・浄化してくれる作品です。

あぁ、演劇って素晴らしいですね!

私はこの言葉に何度も救われました。たぶんこれからも、何度もお世話になるでしょう(^^)

上手い下手の点数制なら、もう落第かもしれませんが、好きの気持ちは誰にも点はつけられないし、止められないものですもんね。

 

 

今日はお芝居・演劇の素晴らしさを伝えたくて書いてみました。

今まで制作サイドの話が多いですが、一お客としての目線で演劇の楽しさを伝えるのも良いですよね(^^)

 

まだ演劇に触れたことがない方は是非一度見に行ってみてください。

合わない残念な作品もあると思いますが、ぴしゃりとハマったときはもう抜け出せなくなりますよ(笑)

 

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蛇足です。

私は下手でしたが絵を描くのが好きでした。

小学生のころは、よく分かりませんが、絵ばかり描いていました。でもそれは断片的で、目だけだったり口元だけだったり、ひたすらそこから広がるイメージを楽しみながら書いていたので、後で見るとあったまでっちだったり、バランスの悪いお絵かき帳になっていました。

中学生になり、絵や漫画を描いたり交換するのが流行りました。

友人の一人が即席でびっくりするくらいの完成度で絵を描いてくれました。

彼女は、特に漫画にドはまりしている訳でもなく、好きでお絵かきするようなタイプではありません。でも、見せてくれたのは、人物も背景もバランスもすでに漫画家デビューできんじゃね?というレベルだったのです。

中学生_半は、こんな友人がいて嬉しいと同時に、あぁ天才ってきっとこういう人を言うんだと認識しました。

そして、きっと絶対勝てないし、きっとその事を彼女に言っても、別に気に掛ける範囲ではないのだろうと察知しました。なぜなら、彼女にとって絵を描くことが、そこまでの"好き"ではないのは明らかだったから。

 

さっきちらりと見た漫画の絵が、彼女の絵のタッチに似ていて、「絢爛とか爛漫とか」を思い出しました。

 

なんか、いろいろ懐かしいなぁ。(^^)