dbd半です。
先週アクアさんの稽古に参加し、台本を頂きました。
その後落ち込むことがあって、少し引っ張ってしまいました。
そんなテンションの低いブログを書くのはいかがなものなのか?(←今更)
今はブログより台本を読む事が先決なんじゃないか?
ブログは、ちょっとお休みして台本に集中した方が良いんじゃないか?
不出来になった時に、そんなお声が聞こえてくるような気がして、少し手が止まってしまいました。
順調だったとしたら、さらに良いものを目指すなら練習しかありません。
だったら、やはりブログより、練習する時間の方を優先した方がいいんじゃ無いか?
なんてゆーか、負の迷路というか、アンハッピースパイラルというか、上手くできない、自信が持てない、そんな気持ちになっていました。
今でも、完全に吹っ切れているわけじゃないのですが、なんかこう、余りにダメな方に向かってる気がしたんです。
自信がないって、つまりは自分に期待しずぎとか何かに怖がってるとかに、繋がることもあるんですって。
謙虚だというのではなく自意識過剰。
グゥの音も出ませんね。
( ̄ー ̄)
こういう時、いつも半は一つのイメージが浮かびます。
それは道路に引いてある歩道と車道を分ける白線。
子供の頃、この上を平均台か何かに見立てて、この白い線から落ちちゃダメっていうルールで遊びませんでしたか?
白線以外は深い深い海なのか?
グツグツ煮えたぎるマグマなのか?
白線は大きな山と山を結ぶ吊り橋なのか?
とにかく落ちたらとんでもない事が待ち受けています。恐らく命はないでしょう。
このまま、向こうまで渡りきれるのか?
バランスを崩せば終わりです。
一歩踏み外せば、この緊張の中、持ち直すことなんて到底できません。
線より下は闇です。
暗い暗い闇の底。
間違いは許されません。
真っ直ぐです。
真っ直ぐしか歩けないのです。
ま、一種の自己暗示ですよね。
大抵は緊張の余り、早々にはみ出すか、はたまた車や他の人たちのチャチャが入り我に返り一本の橋はただの白線に戻るわけです。
半がダメダメちゃんになるときは、こんな感じで、白線しか歩いちゃいけない縛りの世界にはまっている時です。
こういう時は何をやっても上手くいきません。
何を聞いても、裏目にしか受け取れないし、いつもは出さない悪口に該当する心の声の蛇口も緩くなります。
口に出していない時も半の中の負のオーラが漏れ出し、やたらと溜息をついていました。
でもね、よく見るとただの白線なんですよ。
そこは深い海でも骨まで溶かすマグマでもなく、落ちたらその死骸を鷹がついばみにくるような断崖絶壁の渓谷でもなく、ただのアスファルトです。
もちろん線からはみ出したって何も起きません。
そうですよね。
そうなんです。
これがイメージです。
今日は、家族のリクエストでラスコー展に行ってまいりました。
内容は割愛します。
ですが、出てきた時にふとね思ったんですよね。
ブログを更新しないで台本読んで時間を空けるのと、ブログを更新しながら芝居やって思っていた成果を出せなかった。
どっちがいい?
私は最初前者でした。
でも、よく考えたら、どっちもやるのが一番なんじゃない?
そりゃそうだけど、できない可能性もあるんじゃない?それ誰が決めたの?だから通常の劇団さん達はブログの更新は難しくなって、やらなくなったり、最終的に更新しなくなったりするんじゃない?
大きな劇団さん地盤のある劇団さんならそれでも大丈夫だと思う。
でもdbdがそうなったら、何が残るの?
ほぼ一人の組織で、普通の劇団さんと同じことしてて、それで良いの?
なんか、答えが出た気がしました。
前に一度言いましもんね。私。
このブログをひっくるめて、私の公演活動だと。
その言葉が私を引き戻してくれました。
今
白線は地面に書かれた線に見えます。
そう、これがイメージなんです。
なんで、こんなにイメージっていうのを強調するかって?
実は私は朗読劇というものをちゃんと知りません。
朗読劇を見に行ったことはないからです。
普通のお芝居とは違い絵も動きもないわけですから台詞だけでイメージを伝えないといけないわけです。
私がイントネーションや強調を変えるとイメージはそのまま伝わります。
ですが、表現を入れすぎるとお客さんのイメージの自由を奪ってしまうような気もします。
朗読劇とは、どうあるものなんだろう?
朗読劇とは?
少し話は変わりますが、皆さんお買い物好きですか?
お買い物をする時、どういうものを良いもので、どういうものがダメだったものになりますか?
ブランド?色味?価格?素材?
今お気に入りのものを買った時の理由って何だったか覚えていますか?
ブランド名にしても、好きな配色にしても、お値段にしても、素材にしても原材料にしても、それが良いって思って買ったのには違いありませんよね?
もう少し踏み込みます。それを良いと思った動機は何ですか?
ネームバリュー?成功体験?口コミ?これが好きだという好み?お店の人の紹介?
実はこれって、全て共通することがあるんです。
それは、「これは良いっ」って思ったイメージがあったからです。
〇〇のブランドは△△の中でも有名だし前に買ったのも丈夫だ。なら、これもきっと良い商品だろう。
〇〇さんがCMしてて、△△さんがブログでも書いてたアレ欲しいなぁ。
人がものの良し悪しを決めるのが、これは良いだろう!というイメージなら、
それを手に入れる行為は、つまり、良いというイメージを買う事、そのものなのです。
良いものが買えた!
安く買えた!
これを使えば楽しくなる。褒められる。かっこよく見える。おしゃれになる。綺麗になる。得をする。
帰りの道中は、そんな事を考えて気分が高揚します。
まさしくイメージですよね。
人はイメージにお金を払うと言っても過言では無いでしょう。
お芝居はイメージの塊です。お芝居に関わらず芸術はそうなのですが。
その末端ではありますが、私は朗読劇をするわけです。
例えを出しましょう。
今回二つの作品をします。
その中の
「よだかは、ジッと目をつぶって考えました」というセリフがあります。
これをおどろおどろしく言った感じと、楽しそうにウキウキしているように言う感じでは、皆さんお話の前後の内容が違って聞こえると思います。
何でもないセリフでも、怖いよぉとか、めちゃハッピーなどのイメージを吹き込むとそのセリフの単語ではなくビジョンが連想されると思います。
言い方、話し方でメッセージは変わるのです。
そうです。
これです。
この作品のイメージを伝えるのに当たって、ただでさえ、動きも絵も音響もない朗読劇で、お話をちゃんと届けないといけないわけです。
セリフに抑揚もなければ緊張感もない。ただ言葉を連ねてセリフ一個一個聞き逃さないで見ないと伝わらない話じゃ、誰が楽しめるでしょうか?
それなら、本を買って文字を追って行く方がよほど良いです。
私が
しなければならないのは台詞を読むことではありませんでした。
セリフから漂う流れる物語、イメージでした。
私のできるのは、お客さんが、さらに自ら想像し楽しめる、作品とお客さんのイメージの橋渡しでした。
何でしょうか。
先日から引きずっていた、私の中でのモヤモヤが今日は二つも解消されたのです。
ブログは私にとってdbdにとっても、作中の一環。
劇は台詞じゃない。イメージを伝えること。
そして、イメージを作り出すために必要なこと。
それは稽古しかありません。他にどんな抜け道も近道もないのです。
そして稽古場に行けないなら、家で読むしかありません。
作品の持ち時間は15分くらいと25分くらい途中休憩は有りますが、皆出演者はその間出ずっぱりです。
私の今回の目標は読むことです。
残り日数毎日最低一回。できれば2回。
日を空けずに読むこと。
本番まであと12日。日数を数えるとビクつきそうになりますが(*´-`)、大事なのは伝えることです。
有難いことに私の役どころはは、場をいかようにでもできるポジションです。
分かりやすくイメージしやすく伝える事。
二つとも童話の区分です。子供にも分かるように、楽しめるようにすること。
通して読んでも二つの作品をやれば40分ほど。
二回やれば80分。
あまりやりすぎると喉を痛めるので、体調管理を含めての挑戦です。
本当は毎日2回読みたいところですが、これがなかなかできないものです。そして、なかなか満足して読みきれない。
でもね、できなくても焦っんなくてもいいんです。
空回りして余計な時間を過ごすより、目の前のことを進むこと。
それが、大事なんだと気づきました。
もう白線は吊り橋では無いのですから。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とは、言え、 やはり時間は有限です。
本番前までにブログは少しペースダウンするかもしれません。しないかもしれません(_ _).。o○
半は頑張ってると思って、暖かく見守っていただければ幸いです(_ _).。o○