今晩はdbd半です。
桜の季節が一気に過ぎて行きましたね。
まだ見られるところもあると思いますが、関東ではもう舞う桜も見れないかもしれません。
半も先週、先々週とお花見を堪能してきましたよ。
それはさておき、お芝居の話です。
ここでひた隠しにしても仕方ないので、言っちゃいます。
役者脳から切り替えられない!!
昨年の9月より、かしげき(劇団わむ)、かつげき(劇団蓮)、朗読劇(劇団アクア)、連チャンで役者をやらせて頂きました。
前にも言いましたが、半は役者と演出をする時の切り替えが必要です。
半の場合は、演出側(スタッフ側)と役者(キャスト側)では、使い所や考え方かかなり違います。大き分けると二つ。
1.見える視界が違うこと。
2.熱の掛け方が違うこと。
1.スタートからゴールを辿るとするなら、演出はグーグルマップ上で辿るようなイメージです。全体を通して流れを見ます。ゴールに向かってどう言う工程を描こうかと考えるわけです。
役者の時は、グーグルストリートビューで、目の前の街並みを感じながらゴールに向かうイメージです。
全体を見て進ませるのと、目の前だからこそ観れる風景をたのしみながら進むのと、視覚的なイメージとして全く異なるのです。
2.熱量の掛け方が違います。役者のときは、血湧き肉躍るように、5感を使って、内面から湧き出るものを感じています。
スタッフ側は要所要所で、お客さんとしてシーンを見たり、事務的に作業をこなす方もあります。しかし、良いものを作りたいと思う熱は常に根底にあります。スタッフの際は冷静さ7、8割くらいを保つのがちょうどいいと思っています。
最近、どうも、この二つが役者→スタッフになかなか切り替えられずにいます。
次の作品dbdとしての作品に取り掛かりたいと思っている反面、たじろいでいる自分がいます。
前回までやった役者としての反省点がクリアされていない事が一つ。
dbdとしての模索が色々ある事が一つ。
まだ時間はある、と余裕をかましていたことが一つ。
色んな作品やアートなどに触れたり、見たりすると感動する反面、私のできる事なんて・・とイジイジした気持ちかあるのも一つ。
(*´Д`*)
理由はいくつか考えられます。
芝居は総合芸術ですから、一つのものに特化して、それらを合体させて、作品として昇華させます。
私の聞きかじりなんかで、楽しんでもらえるようなものを作れるのだろうか??
時々沸き起こる自信の無さが噴出します。
劇団さんの何よりの強みは、1人では無いことです。意見の衝突や色んな問題はもちろんありますが、誰かいてくれるという安心感は、かけがえがありません。
最近ではプロジェクションマッピングを使ったような映像と舞台のコラボも頻繁に見かけるようになりました。
映像と芝居を掲げてdbdは一発目をしたわけですが、新しい技術は常に躍進しています。
到底そんな新しい技術や巧みな技巧、鍛錬された技量に追いつけるはずがありません。
トライする事、チャレンジする事、
それらを推奨している半ですが、怖いものが無いわけではないのです。芝居経験者だとはいえ、役者と演出をメインで、それ以外の分野はほぼ知らないのと同様です。
むしろ小心者で、こんなことやったって誰も喜びやしないんじゃないかっ!と、相反する半がもう1人いるのです。
うじうじ・・・。
でも
でも、
でも・・・
やめられないんだよね。
時間が経ったり、また別なものに刺激を受ければ心の中のうずうずが止まらなくなるのを知っています。
自分の中で<創りたい>というシンプルな衝動が沸き起こる事も何度も経験しています。
役者だけでは止まっていられなくのも承知です。
結論
やめられるわけねぇ。
と言うわけで、この記事を書いているうちに、“うじうじ” から “うずうず” に変化してきているのが今です。(笑)
(ちなみにこの記事は一週間ほど前から書いています^^;)
dbd半は、ほぼ一人でさびしん坊ですが、フットワークの軽さが売りです。
何かを始めることが、次へつながる。
まずは何かやってみよう。
こういう時は、元いた場所に戻ってみようと思います。
実は昨日から思い立って、しばらくしていなかつた朗読劇のアップをしようと模索中です。(笑)
内容は青空文庫から。約5・6分予定。
今は音探し中。
明日の夜1時間ほど時間ができそうなので、出来れば一気に仕上げてみようと思います。(^^)
自分の作品は自分が一番好きでいたいです。
シンプルですが、愛を持って制作しますので、仕上がったら見て(聞いて)くださいね。
遅くたって良い
早くたって良い
行けるとこまで行けば良い
※自作に集中すべく、劇団わむさんのタクラム企画は抜けました。色んな企画を試し試し活動されていますので、ご興味のある方は是非一度問い合わせて見てくださいね。^ - ^