こんにちはdbd半です。
1月が終わり2月がもう終わりです。
光陰矢の如しと言いますが、時間のすぎ方が毎年毎年早くなります。こんな風に時間の流れがスピードアップして行くんですね。
年度末に差し掛かり、皆様はいかがお過ごしですか?
劇ストは今お休み中です。
少し周りに目線を向けて、違う空気を吸ったりしています。
生きてると色んなことがありますね
見たことないもの
感じたことのないこと
知らないこと
初めての場所
多くの人が感じていると思いますが、アラフォーって もっと大人だと思っていました。
いやいや、まだまだです。
知らないこともやったこともない事がたくさんあります。あり過ぎます。
少し
振り返ってみると
自分の得意な事
苦手な事も理解するようになりました。
私は料理が苦手だし嫌いです。作って行く工程に楽しさを感じません。その上で食べ残されてダメ出しだけもらう事も多いので、尚更嫌いです。あ、美味しいものを食べるのは好きですよ。お口の中が幸せになる快感⭐︎
掃除は割と好きです。綺麗になって行くとやりがいを感じます。ですが片付けないといけない事が多過ぎて困ります。毎日毎日永遠とモノを拾っています。
運動は嫌いじゃないですが、体の動きは鈍いです。なので急にストレッチしたりスクワットしたりと謎行動をとります。
小説も漫画もアニメも好きですが、やはり漫画が好きです。
人と話すのが好きですが、人と話す仕事をしているわけではありません。
あれこれと、物事を考えるのが好きです。調べて実践を重ねて、練り直して、また作り直す。そういうことをよくやっています。
こうしてみると、好きだから得意というわけではありませんし、苦手だからやらない、というわけでもありません。
人はバランスなんだろうな、と思います。
自分の中での折り合い、落とし所。
体も心もバランスと折り合い。
随分昔、職場の上司に言われたことを思い出します。
どうしても数字が上がらなくて、日々鬱々とした毎日でした。マニュアルはあっても、その通りしたからと言って数字が取れるわけもなく、時間とゼロの数字だけが費やされていきます。
その当時、私には後輩ができて、後輩も同じような状況でした。中途採用だったので後輩といっても、同い年や少し上の方でした。
上司も女性で確か30前半頃。私はまだ20代後半でした。
上司は真っ当なことを言っているのに。わかっているのに。・・結果が出ない。
「どうして?」を突き詰めていけば、できるようになって行くはず。営業職は割と理詰めです。何日稼働して何%の進捗に対して残りの日数は?そんな机上の空論が繰り広げられていました。
月末が近づくに連れ、数字と睨めっこをして、反省を繰り返す日々。それでも結果はでません。袋小路。出口のない路地に入り込んだ上、逃げ場を塞がれているようでした。
そんな時、ポンッと肩の荷がおりた事がありました。
あ、後輩のこと見過ぎていて、結果出てないんじゃん。
まあ、ある程度教えることはしたんだし、自分に集中した方がいいじゃん!結果を出さなきゃ。先輩にもなったんだし、結果を見せなきゃ。
私はそのつもりで、自分の仕事に集中しようとしました。
結果は1でした。
数多くあげないといけないうちの数字1
ゼロではないかもしれない
一生懸命やっての事でした
久しぶりの0以外の数字
嬉しかった
・・でも、これでいいの?
自分自身納得できているモノではありませんでしたが、ゼロからの脱却はこれからの兆しにも見えました。
その時女上司が私に近寄り、この結果について問われました。
私は、後輩のことは置いておいて、もっと自分の仕事に集中します、と答えました。
上司はため息混じりに怒りを滲ませながら
「それをとったら、あなたの良いところなくなるじゃない」
自分の良いところって、自分ではわからない物です。もう 何年も昔の話です。
私が求めた1の数字より、周りを気にかけられる人材として上司は、見ていてくれていたようです。
上司の言葉を代弁するなら、「自分の数字、自分の数字、とこだわったところで、1か0の数字。そんなところでせめぎ合ってどうする?もっと大事なものがあるでしょ?」
そう言われたようで、私はとても恥ずかしくなりました。自分の責任から逃れたい一心で、微々たる物に囚われ大事なことを手放そうしていたんです。こうありたい自分と、実際の自分とのギャップに打ちのめされていました。
私が手に入れたかったものはそれじゃなかった。上司が求めているものはそれじゃなかった。
仕事は数字をあげないといけなかった。でもね、人と人とが関わり合った時、「個」では成り立たない事も多いんです。目の前に見えるものだけじゃない。本当の意味で私がそれを知っていくのはもっともっとずっと先のことです。
全てはバランスや心の折り合い・落とし所で成り立っています。
大事な物や大事な事が、時には重なって、一方の手を離したくなる時があります。もう抱えきれないよ。私はもっと〇〇したいんだよ。もう無理だよ。他にどうしようもないじゃん。
確かに今の抱えている重しが無くなったら、軽くなるかもしれない。自由に羽を伸ばせるかもしれない。もっと遠くに飛べるようになるかもしれない。
でもね、
そうじゃない
それだけじゃない
時々ね、大事な比重が変わって、一方に傾く事があります。だってその時その時で、「やらないといけない事」は変わるから。
人は一面でできているわけじゃないから、色んな顔があります。それと同様にやりたい事もやれる事もその時その時で変わる。
天秤が傾いた時は、それでも良い。
大事なものがその瞬間は別のものになったって良い。誰かの力を借りて少し軽くしたって良い。
でもね、手放しちゃダメなんだ。自分から手を離しちゃダメなんだ。自分が軽くなるために、自分が大事だと思う一部を手放して軽くなっても、結果はそんなに変わらない。
大事な物だと思う物は、すでにもう私の一部だから。どんなに細くなっても、どんなに手を借りても、そのつながりを自分から手放しちゃいけない。
忙しくて時間がなくて、私は言い訳ばかりを探していました。うーん、厳密にいうと探していたつもりはなかった。できない原因追及という名目で、確実に、彷徨っていました。 けど結局、目につく物は、自分が大事にしていたうちの一つで、できない自分の粗探しや言い訳ばかりになったんです。
数年後、私は営業職を辞めました。
職業の中で「自由」になるには、少しセンスも必要です。頑張れば大抵のことはできます。でも頑張らないといけない比重は随分変わります。向き不向きというやつです。
それでも「好き」や「やりたい」っていう原動力があるなら、頑張れる大きなエネルギーになるでしょう。
私にとっては?が多すぎる仕事でした。
私にとっては、もっと別のものが大事でした。
転職してから、選んだ仕事は天国でした。
転職先で皆が大変だという事が全く苦に感じませんでした。仕事で説明された内容が点と点になって線になっていきました。
私が営業職で得た経験は、私の強みになりました。
その時もらった言葉たちは私の財産です。
人の思考は繰り返します。今でも時々色んなことを無意識に手放したくなることがあります。
子供がいなかったら、もっと時間ができて自由になれるのにな。
家庭を持っていなかったら、もっと自由に使えるお金があるんじゃない。
あと、ほら、誰かがこう言ったせいで、こうせざるを得なくなった、とかね。
自分で選んだ道でも、欲張りになって、別のことを求めてしまうことがあるんです。
私の頭の中で一瞬よぎる空想の世界。
そして、そんな空想をしている自分を恥ずかしく思うこともあるし、わがままだな、自分勝手だなって考えて、また恥ずかしくなるんです。
でも、今はね、その先があります。この思考の先に次の思考が浮かび上がります。
それでも、無かったら良かったものなんて、何一つない。
私が、今ここにいられるのは、過去の自分のおかげです。私が関わった全ての人のおかげです。芝居に出会えて、熱中するものに出会えた。仕事でうまくいかなかった時本当に辛かったけど、たくさんの言葉をかけてもらえました。家人と出会いこの千葉に根を下ろし、お子達が生まれてくれました。お子達に出会うために私は生まれたと言っても過言ではありません。そして劇団ストのメンバーに出会えた。
去った団員も、今いてくれる団員も、私にとっては、宝物です。
見失っちゃいけないのはね、自分自身です。
自分ができない理由を探すんじゃない。
できる自分を想像するんです。
人はたくさんの可能性があります。
いきなり無理難題は大変です。
目の前に階段を用意して、できそうなことから少しずつ、段階を踏んで目指していけばいいんです。
私はまだ知らないことがたくさんあります。
大人と思っていたアラフォーなんて、こんなもんです。アラフォーになっても半はこんなもんです。
だから今でも間違ったり迷ったり。
それでいい。
だってまだまだ私は、これからだから。
まだやりたい事が沢山あります。知りたい事が山積みです。
アラフォーを楽しんで、
アラヒィフになって、
アラフィフを楽しんで、アラシック?になって(笑)
何より、私は、"生きている事はたのしい"、と伝えたいです。
最後の最後には笑ってたいと思います。
間違ってもいい
失敗してもいい
その手は離しちゃいけない
きっとそれは自分自身の一部だから。
私はね、こう思っているんです。
最後に笑っていられたら勝ちです。