dbd半です。
前回の記事で言語化について書きました。
言語化の何が難しいって、結局気持ちを伝えるってことは、相手の事を知らないと成り立たない事だからです。
自分の気持ちだけなら、このブログのように、一方的に書き出してくものにすればいい。私もこの記事を書く際、読んでくださる方のことを全く考えていないわけではありません。ですが、時や場所、今ユーザー様が感じられていることは私にはわかりません。それでも書き出したい欲求のため、ひたすら指を走らせていますが・・。
相手を知ることは、とても難しいです。
ことばが最終的に形になるものですが、
それまでに状態や思考パターンや態度や、なんだったら言葉の裏側、黙秘の意味を知らなければ相手のことは分からないから。
相手からすれば、自分の事を分かってもらえない人の言葉なんて、1ミリも届かない。
半もこの年になるまで、そういった経験を何度もしています。分かってもらえた時の気持ち。わかってもらえなかった時の気持ち。両方分かります。
人と自分は違うから、わかりたいと思うのに、分かり合えない瞬間のなんて辛い事・・。
歩み寄り・・
歩み寄りが大事だよね、と話した仲間がいました。確かに全てを理解するのは到底無理です。
少しづつしか理解し合えない。少しづつでも理解し合えたら良い。でもそうする前に、どちらかが疲れ果ててしまう事もあります。
言って欲しい言葉を、言って欲しいタイミングで言ってあげられなかった。その瞬間から心が遠ざかった事が、何度もあります。
人の気持ちを理解したいと思います。
でも・・、
一方で強気の半もいるのです。
分かって欲しい。
そう思ってしまう自分が。
人と意見が違った場合、
時に人はとても感情的になります。
皆違って皆良い。
今はそんな世の中ですが、それでも同じものを求めてしまうんです。
今世の中は変わり始めています。
自分を大切にしたいし、大切にして欲しい。
だから自分の考えや意見や行動も無下に扱ってほしくない。当然のことです。
良かれと思って言われた事でも、それは耳に入りにくい言葉です。
必要以上に牙を立てる人もいます。
このまま互いに平行線のままで良いんでしょうか?
干渉しない事はいい事なんでしょうか?
互いの気持ちや行動の尊重は、何も言わない・
関わらない事なのでしょうか?
それも一つの選択だとは思います。
やはり近しい価値観、近しい考えを持つ同士で、気兼ねなく時間を過ごせるのは素晴らしい事だと思うし、そんな人がいるのは羨ましいくらいです。
ただ、物事をやる時、意見を出し合った上で、他の意見も、それよりまたもっと違う意見もあった上で成り立ちます。
同じ目的を持つのなら、一つの視点にこだわりすぎるのは、違う。
最初から複数の考えがあるものとして席について、さらにそこから一緒に『目的』に対して試行錯誤するものだからです。
ここで問題になるのが、
会社の研修でもありましたが
上になればなるほど、視座が高くなってしまうことです。
同じ場所からでも一階の地上の景色と、展望台か見た景色はまるで違う。
どちらかが偉いとか偉くないとかではなくて、単純に役割の話です。
展望から見えているものは先が見えるからこそ、危険なことが来そうな時に、その回避法を考えないといけない。一階からなら、より人々の頑張りや大変さ喜びを実感しやすい分、その実態を他の皆に伝えないと行けない。
互いに情報交換しながら、互いの見えている景色を共有する事です。
でもね、見えている景色を共有するためには、互いに話を聞いて想像力を働かせなきゃ、なんです。
一方的に伝えてもダメ。
わからない言葉で伝えてもダメ。
聴ける状態でないとダメ。
片方だけかそうしてもダメなんです。
そのためには、やっぱり相手の事を知ろうとする努力、なのかな。
聞いて聞いて、聞いて、そうしたらどうなるんだろう。
話を聞くことは、時には自分の考えとは違うことも耳にします。
半はね、多分それが怖かったかもしれません。
個性といっちゃぁ個性だけど、人のこと知りたいくせに、自分と違った時にどう対処していいのかわからなくて。相手を不快にしてしまうんじゃないだろうかって。聞いてしまうと、同じ考えだと思われてしまうんじゃないだろうか。それ嘘をついてしまうことなんじゃないだろうか。それは不誠実じゃないか。
とかね。
時々自分のことばかり話しがちな人を見かけます。その人にもよるけど、優しさのあまり自分のことを話してるのかなって思う人、結構います。
だって、今はプライベートを聴くのは失礼、はんて言われちゃいますからね。
自分の話かニュースに流れていく情報か。
相手に簡単に心を許してくれる人はそういないものです。
それでも仲良くなりたくて、この人は自分のことを話してくれてるんだなって。
優しいなって。
互いに理解しうるために、目的が大事だし、そのためには言葉が大切です。
でも、これまた難しい話で、同じ目的を持つのだって、簡単じゃないんです。
本の引用ですが、
ある壁職人に、何を作っているんですか?と聞いたら
ある人は「壁を作っている」
ある人は「建物を作っている」
ある人は「教会を作っている」
ある人は「みんなが笑顔になる教会を作っている」
と答えが違うそうです。
どうしたら、同じ物を作っていると言えるのでしょうか?
芝居なら、
私は、「作り手もお客さんも笑顔になる舞台を作りたい」と答えます。
わたしはこれをどうやったら、皆に伝えていけるのでしょうか?
どうやったら、そんな舞台が作れるようになるのでしょうか?
より具体的により解像度をあげて、それを伝える術を持たないといけません。
アクセス方法はきっと山ほどあります。
その中で、適正で潤滑に回る言葉と、方法が欲しい。
あぁ、わたしは、貪欲です。
人を動かしたい。
強欲です。
皆が動きやすいフィールドを作るために、人を動かしたい。
恐れ多くも、人の心を動かしたくて仕方ない。
人の心は簡単に動くものじゃないと分かっているのに。その人その人の大事なものです。
なのに、私が見ている皆と笑ってる世界を作りたく仕方ないんです。
ジレンマばかりです。
自分の中の答えは直ぐには出せない。
もっと皆に笑って欲しい。
もっと気持ちよくなって欲しい。
もしかしたら、ずっと答えは出ないかもしれないけど・・、わたしの芝居人としての目指すものなのかもしれません。