今日はdbd半です。
コロナの影響、長引いていますね。
いや、まだまだこれからが正念場なのかもしれません。
単純な話、日本が収束したとしても、外国で感染者がいる限り完全に収束したとは言い切れないですものね。
仲間内でも、公演を予定している作品を上演するのは有りか無しか、と議論しました。
直接話せた方は上演予定がなかったのも有り、比較的冷静にお話しすることができました。
そんな爆弾を投じたのは例の記事ですよね。
この内容は、賛否両論分かれるものです。
「やらないと生活できない」そんな方々にとって、上演自体は命がけです。
野田英樹さんがおっしゃり他の方もおっしゃっていたことですが、
「やらなければ『演劇が死ぬ』ことになる」と。
衣食住は人として生きるのに最低限必要なことです。
でも、魂がキラキラしないで、ただただ息をする事が「生きている」事になるのでしょうか?
演劇は、喜びや悲しみ、人と人とのつながりがあった上で、交わる事が生まれ、そん瞬間にヒカリを出せるものです。
演劇という文化が無ければ生きていけない人もいるのです。
ただ、
ただ、
私は「演劇は死なない」
「何度でも蘇る」
そう思っています。
末端の末端の私の言葉なんて聞いたこともない蟻の声みたいなものでしょうが、個人的に思うのは、今自粛をしたとしても演劇は死なない、ということです。
今やれば、とあるライブ会場のようにクラスターになるリスクの方が高い。
むしろクラスターになってしまってからでは風評被害で劇場そのものが使えなくなることの方が恐ろしい事です。
そして、今やらなくても、どれだけ赤字を抱えていても、演劇の死には結びつかない。
それが、事実だと思います。
芝居の傾向や表現方法は変わっても、表現する事は、人間のDNAに刻まれた本能そのものです。一時期的にやらなかったからと言って、人間の本能まで変えられるわけがないからです。誰かがやるなと言っても踊らずにはいられないのです。
肝心なのはその次なんだと思うのです。
このような劇的な新型コロナショックはあらゆる業界に大打撃を与えています。
演劇は死なないからと言って、下火になるのは目に見えています。最前線を走っていた人ほどその打撃は大きい。
演劇というカルチャーが今までのように今まで以上になるにはコロナが落ち着いた後どれくらいの時間を要するのでしょうか?
その間、演劇が死ぬ前に、リアルに芝居人が死んでしまうかもしれません。その道で生活していた人には本当に死活問題なんです。
人の死は、ここでやっと演劇の死 になります。
演劇が死ぬことは無くても人が死ぬことはあり得るのです。
人が死ぬ事で、演劇自体も死ぬ事になるのです。
私たちにとって演劇や芝居は実はとても身近です。
演劇を知らない人は日本人にはいないのではないのでしょうか?
ドラマ、映画、寸劇、朗読劇、人形劇、紙芝居、〇〇ごっこ、そして舞台の生の臨場感。
みんなお芝居から教えてもらったことって、沢山あるんじゃないのですか?
舞台で放たれた躍動感やセリフにビビッと来た人も沢山いらっしゃるのではないですか?なんかようわからんけど、魂が震えた人も沢山いらっしゃるんじゃないですか?
全てはつながって行きます。
大人が表現できる機会がなければ、若年層には伝わりません。若年層の中でさえ、姿を消した時、本当に演劇の死がおとずれます。
今回の新型コロナショックは芝居人当人だけではどうにもできないのです。
国政や市政、この日本の力が、劇団員たちにも必要なんだと思うのです。
今はそれどころじゃないっ!
学校や医療、社会全体の問題なんだっ!
そうです。
優先順位は確かにあるでしょう。
でも劇団のジャンルを置いてけぼりにしないで欲しい。
社会全体の問題の中に演劇という文化を、きちんと精査して欲しいのです。
「生で見ることで感じられる唯一の異世界」の文化を、劇団たちが汗水垂らして支えてきて生の表現の文化を、忘れないで欲しい‼︎
多くは望みませんが、演劇業界にも、何かしら助成制度が出来ることを望まずにはいられません。