dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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うちの子の気持ちがわからない

こんにちはdbd半です。

 

あたためている記事がどんどん風化していきそうで、そうなるくらいなら思いついた事を書いていくのもいいんじゃないかと思う今日この頃です。

 

 

皆さまお元気ですか?

 

今日は子供の話です。

 

 

うちには小4と一歳の女子たちがおります。

 

お子さんを持つ親御さんは思い当たる節があると思うのですが、なんというか、うちのお子はちょっぴり変わっております。

 

 

いやいや、たいそうな変人ではありません。

むしろ個性的な方に比べれば、凡人の域を超えないと思っております。

ですが、ですが、時折お子の考えが全く理解できない時があるのです。

 

お子にはお子のアイデンティティを感じますし、子供なりに習得した言葉を理解しているようですが、どうも付属物が付いていたりして、いわゆる『ニュアンスの違い』が親子の間でもハッキリとあるのです。

 

 

先日こんなことがありました。

 

ご近所さんと仲良くさせてもらっているのですか、最近外で遊ぶのがめっきり少なくなりました。

家人曰く、外に行かず部屋に引きこもっていると。

ええーっと、我が家は子供部屋はあるのですが、彼女の部屋としては整えておりません。

なぜなら私がめんどくさいのと淋しいからです。

ごはんたべるのも勉強するのもリビングで事足りますし、寝るときや起きたときにお子達がいると癒されます。はい、私の意向が多分にあるわけです。そして今のところ個人の部屋で何かしないといけない状況ではないと判断しています。


はて、そうすると・・何してるのかな?


どうやらリビングまたは在宅している家人の部屋でyoutyubeやら折り紙にいそしんでいる様子でした。
小さい頃は外に遊びに行けない時は泣きじゃくっていた子が・・・どういった心境の変化でしょうか?


小4と言えばお年頃です。身体的にも内面的にも他者と自我が拮抗する年齢だと思っています。
しかも仲のいいお友達は2歳下3歳下。
ご近所のお友達には言えないナイーブなことがあるのかもしれません。


ま、悪いことしてるわけじゃなし良いんじゃね?

と結局、大雑把な思考で片付けていました。


それを見透かすように家人から追加でラインが・・・。

 


「自分は反抗的なことばかり言われます。半のほうから何とかしてください」

め、めんどくさいっ!!

こっちはなんでも家じゃねーよ。依頼の仕方もざっくりだなぁ。


・・・・。

 

だがしかし、気にならないわけでも無し。
どうれ、一肌脱ぎますか?

 

 

 

 

とまぁ、詮索と言う下心を隠し、お子に話しかけました。
「今日も遊びに行かなかったんやって?なんで?」

「学童で教えてもらった折り紙の制作をしたかったから。これとおんなじやつあと20個くらい作らないといけないの。」

 

って、どストレートに聞いてもうたわっ!!

しかも普通にやる事あったから?本音は?本音はどうなの⁈

 

※私は関西弁ですがお子ちゃまは関西弁を話しません。そんな感じでお読みください。

 

うちのお子は授業参観中にも折り紙を下り続けていたなかなかの強者です。

普通、かーちゃん来ると思ったらええとこ見せようとするんちゃうん?!って言うことなんてまったく気にせず!母は大爆笑でした。

 

小4になった今でも折り紙熱は冷めやらぬようです。我が家には何体も折り紙で作られた作品が散らばっています(゚o゚;;

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ちなみにうちは折り鶴が精一杯。


「あらら大変。結構時間かかんの?ふ~ん、やりたくなっちゃたのか。すごいなぁ。何ができるん?」

「シラナミってやつ」

「しらなみ?聞いたことないなぁ」

「こうやってつなげてこうするの(ちょっと嬉しそう)」

「ふ~ん、(あんまりわからんかったけど)すごいのできそうやな。できたら見せてな。」

「うん」

「お水のむ?」
「うん」
「(水を入れに行く)なんかさ、最近お子が外遊びしーひんからって、パティが心配しとったで」

「・・・・」

「・・・・」

「なんかね・・・学校でね・・・先生がダメって言ってた」

「????」

 

そこから彼女の話をヒアリングできたんですが、聞き出してそれを理解するのがなかなか大変で。
結論から言うと、先生から言われた二つの事が嫌で、なんとなくご近所遊びに行く気にならなかったそうです。

 

一つ、「めんどうみがいいね」って言われた事


二つ、先生が役を演じてピンポンして「○○ちゃんあ-そ-ぼ」これって良いと思う?って言われた事

 


二つとも意味が分かりません。普通に聞いている分には一つは褒め言葉だしもう一つは大事な事が欠けています。

 

紐解くと下記になりました。

一つ目、自分は面倒を見てあげているつもりはない。年下でも友達として接しているだけ。
お姉さんぶってるわけでも、○○してあげてるわけでもない。
かってにお姉さんポジションをあてがわないでくれ。

二つ目、何かの指導の一環なのは明白ですが、その何かがわかりませんでした。

かつ今日先生に確認をしました。今コロナの影響で時短になってるため、本来勉強する時間に宿題もせずにお友達の家に遊びに行くのはダメだよね?という意味で、実演しながら言ったそうです。リアルに他の保護者さんからそういうお声があったそうな。先生とは大変なお仕事です。

問題は「宿題もせずに」というのが頭についていることです。
うちのお子は後半の「ピンポンしてお友達の家に遊びに行くのはダメだよね?」だけを強く受け取ってしまったのです。
自粛で遠出はできない分、ご近所ではしょっちゅうピンポンして「あ~そ~ぼ」と言っていた姿が、先生の実演と強く結びついたようでした。しまいには誰かに「チクられた」ように感じたと言っていたので、先生の演技力はなかなかなものだったのでしょう。

 

二つ目は思いっきりの誤解です。言葉尻だけが強く刺さり、抜けないとげになっていたのでしょう。一度入った思い込みは解消するには時間がかかるものです。お子の誤解をなんとか解きほぐす手段を考え中です。

 

 

 

しかし、実は私が気になったのは二つ目でした。

本来「面倒見がいいね」は誉め言葉で使われる言葉です。先生もそのつもりでおっしゃったのだと目に浮かびます。

担任になった当初、お子はあまり自信がなく何かで表彰されるような褒められるような事がなく嘆いていたと、相談した事がありました。

先生はそれを心にとどめおき何かと褒めるところを探してくれていました。


しかし、この「面倒見がいい」という言葉。

盲点ですが、深い意味合いが含まれています。

 

シッカリしている。合わせてあげている。守ってあげている。我慢している。奉仕している。


「面倒見がいい」の言葉の裏にはそんなニュアンスが息をひそめています。

 

 

だからでしょうか、以前私も他の親御さんから「長女ちゃんは面倒見イイネ」と言われてもシックリ来なかったことがありました。
「そう?そうかなぁ?」と言葉を濁しました。

 

 

そ、その答え(理由)がこれだったのか!?


わが子のイメージからこの言葉の裏のニュアンスは全くと言って感じとられなかったんです。


うん、うちの子は面倒見ていなかった!!

うん、単に自分も子供の一人としてただ一緒に遊んでただけ。ただそれだけ!

 


(笑) なんて清々しいんでしょう?
呆れかえるほど、シンプルではないですか!?

 

 


うちお子はなんてすごい子なんだろう。
それだけ対等にお友達と過ごしているという事です!
一個人として自分のアイデンティティがあるという事です!

 

年功序列が大好きな日本人は何かと年上年下というのを物差しにしてピッと線引きを、したがります。

中学高校と一学年違うだけで、先輩後輩と分別され、年下は敬語を使うのが当たり前になります。
下手したら学年違うだけで1ヶ月しか変わらない子だっているのにね。
不思議な価値観です。


しかしこれが社会の大きな仕組みでもあります。
人を見るときに個人の前に年下の○○、年上の○○、その他のグループや肩書き、~~のという透明なベール越しに会話することは多いでしょう?それに違和感を覚えた人もいるんじゃないでしょうか?


なぜなら、そこには単なる事象以外の言葉が潜んでいて、その裏側にあるニュアンスをかぎ取る人がいるからです。場合によっては保身のために相手のベールも活用しようと舌なめずりする人もいるからです。

時としてこのベールは単なる事象ではなく、本人をも見えなくしてしまう厚手の毛布になり替わることもあるのです。

肩書だけの存在。器だけの自分。誰がそんなことを嬉しがるでしょうか?

 

 

一括りにして作られた器ではなくて、ちゃんと私を見てっ!

 

私にはそんな叫びに聞こえました。


お子は大人でも難しい気持ちをなんとか吐き出し泣いていました。
私もそれを見てこみ上げてきました。
この子は、ちゃんと「個人」を見抜く力がある子なんだ。


一般的な言葉に左右されず、個人として向き合い、個々として対等に接する事ができる。

 

 

これから求められていくのは個人です。
個人を尊重できない組織は廃れていくでしょう。

この子が大きくなった時、世間は、この子はどう変化しているのでしょう?

 

 

私は、当初私が思っていたハードルよりもさらに上を行く大きな壁にぶつかっているこの子を、応援したい気持ちは変わりません。

 

 

しかしながら、すぐに世界がこの子に追いつくわけでは有りません。
この独特な思考に直結できる人は、まずいないでしょう。

 

子育ては一筋縄ではいきません。

 

 


さて、このことは家人にはまだ言っていません。


なんでかって?
状況をぶん投げてきたささやかな仕返しです。

 

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