今晩は。dbd 半です。
今日は夜更かし半ちゃんです。
今から作業の続きをちょこちょこやっていきます。
よだかの星の考察(解釈?)の続きに関しては、現在進行形で書き留めていますので
そちらも良ければご覧くださいね。
今日は、昔見た演劇作品の事をお話ししたくなりました。
私が1・2を争うくらい大好きな作品で・・・、
大好きというか、もう胸にずっきーんときてしまった作品とセリフなのです。
「絢爛とか爛漫とか」です。
この作品は、何が好きかといえば、もう全部好きです。
最初は、惑星ピスタチオ解散後の蔵さん(勝手な愛称です:佐々木蔵乃介)目当てで見に行った舞台でした。場所は今は無き近鉄小劇場(大阪)。私は舞台左側(下手側)前のちょっといいお席でした。チケット代は確か4000円だったと思います。
モダンボーイ・モダンガールが流行する若き文豪たち4人の話。
私が見たのはモダンボーイ版の男性4人芝居です。
時代設定、キャラクター設定、役者さん、内容、舞台美術、演出。
すべてが最高でした。
何度も思い出し何度も繰り返し頭の中にふらりと現れます。
私は、時々猛烈に人の才能に嫉妬を抱きます。負けたくない。
頑張る。でも敵わない。いつもその繰り返しをしているのです。
心が折れそうになる時は何度もあります。いやいや実際折れまくりです。
私がお芝居に復帰すると言い出しもう丸一年。
心は折れるし、手は震えるし、出来ない出来ないと出口のない迷路にはまり込んでしまうことも多々ありました。
今でさえ、私自身の居場所に不安を持たずにはいられません。
劇団でもない。コンスタントに作品を作れているわけでもない。動画という作品作りはしたものの、ちゃんとした小屋での舞台を踏んでいない。
こんなことで、活動していると言えるのか。
私は芝居人といえるのか。
寂しくて孤独になることもあります。
そして何より、舞台で輝く皆さんがうらやましくて仕方ないのです。
分かっています。私が選んで今の状態をキープしていることも、今はまだ模索の段階だということも、まだまだ己のやるべきことをやり切っていないということも。
なのに、すぐに答えが欲しくなって、つい自分の首を絞めたくなるのです。
「私はこんなに頑張っているのに・・・」
邪な心に支配されて、自分の居場所が分からなくなってしまうのです。
「あの人達はは、にこにこと周りと笑っているだけじゃないか・・・」
自分は真っ黒く周りは光り輝いて見えるのです。
「なんで・・・?なんで・・・?」
どんな世界でも、器用な人はいます。
もちろん陰の努力家もいますが、そうではなく本当に努力なんて関係なく出来てしまう人がいるんです。
すみません、これは愚痴ではないのです。
愚痴っぽいですよね。
でもね、こんな風に思うことはきっとたくさんの人が経験していると思うのです。
そしてね、もし、今このブログを見ていただいている方が、
私のようなどす黒い感情に囚われているなら、私は「絢爛とか爛漫とか」に
出てくるセリフを送りたいのです。
※昔の記憶の中で書いているので、内容・セリフは全く同じではありません。ご了承ください。
4人の文豪の中で、一作品はヒットしたもののそこから一向に書けなくなってしまった主人公。真面目だけが取り柄で、文学作家とはこうあるべきものだと、正論を並べ今は次回作に向けて案を練っているところだと見栄を張る。それに引き換え、文学にあまり興味がなく適当にしか書いていない友人。話も途中で終わっている作品。にもかかかわらず読んでみると登場人物が生き生きとしている。主人公は絶望と羨望を抱く。そんな時、友人が自分は文学をやめるという。親の後を引き継ぐと。
主人公は、友人に止めに入る。”なぜ、文学を続けない?お前はこんなに才能があるじゃないか。俺はお前に嫉妬した。けれでも、俺は嬉しかった。お前が前を走っていてくれることを。なのに、そんなお前が文学をやめるなんて、、俺は許さない!”
そのあと、友人が言ったセリフです。
「お前は池の中に立っているのに、喉が渇いたと駄々をこねる子供のようだ。むしろ、俺はお前がうらやましい。こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。
俺にとって、文学は夢中になれるものではなかったのだ。俺は妾の子だ。本妻の兄が倒れたので俺が呼ばれた。俺は次に会う時は社長さんだ。喜んでくれ。」
お前は池の中に立っているのに、喉が渇いたと駄々をこねる子供のようだ。むしろ、俺はお前がうらやましい。こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。
こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。
あなたは、夢中になっていますか?
夢中になってるからこそ、今があるんですよね。
好きで、好きで、たまらなく好きで。だからこそ心がぐちゃぐちゃってなっちゃったんですよね。
大丈夫です。
あなたは、また頑張れます。
走れなくなって、歩けなくなって、前にあった背中がどんどん小さくなって、自分だってそこに行きたいのに・・って、声に出したいのに、言えなくって。結果が出せなくって。悔しくって、涙で前が見えなくなって、小さくなった背中がどんどん涙でぼやけて。
ね、こんなにも何かに好きになれるって、凄いことだと思いませんか?
それこそがが才能だって、知っていましたか?
しゃがんで手を出せば、いくらだって喉の渇きは癒せる。あなたの才能は前を走る誰かの背中じゃなくて、自分の足元にいくらでもある。・・・のかもしれませんよ。
これがドラマや小説ならここまで印象に残らなかったかもしれません。
温度。
あの時生で見たあの熱は、私は今でも忘れることができません。
ラストの軒先から見える桜の舞。ちょうど今の時期のような春の季節がこの作品のラストシーンでした。
私の邪な心を代弁・浄化してくれる作品です。
あぁ、演劇って素晴らしいですね!
私はこの言葉に何度も救われました。たぶんこれからも、何度もお世話になるでしょう(^^)
上手い下手の点数制なら、もう落第かもしれませんが、好きの気持ちは誰にも点はつけられないし、止められないものですもんね。
今日はお芝居・演劇の素晴らしさを伝えたくて書いてみました。
今まで制作サイドの話が多いですが、一お客としての目線で演劇の楽しさを伝えるのも良いですよね(^^)
まだ演劇に触れたことがない方は是非一度見に行ってみてください。
合わない残念な作品もあると思いますが、ぴしゃりとハマったときはもう抜け出せなくなりますよ(笑)
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蛇足です。
私は下手でしたが絵を描くのが好きでした。
小学生のころは、よく分かりませんが、絵ばかり描いていました。でもそれは断片的で、目だけだったり口元だけだったり、ひたすらそこから広がるイメージを楽しみながら書いていたので、後で見るとあったまでっちだったり、バランスの悪いお絵かき帳になっていました。
中学生になり、絵や漫画を描いたり交換するのが流行りました。
友人の一人が即席でびっくりするくらいの完成度で絵を描いてくれました。
彼女は、特に漫画にドはまりしている訳でもなく、好きでお絵かきするようなタイプではありません。でも、見せてくれたのは、人物も背景もバランスもすでに漫画家デビューできんじゃね?というレベルだったのです。
中学生_半は、こんな友人がいて嬉しいと同時に、あぁ天才ってきっとこういう人を言うんだと認識しました。
そして、きっと絶対勝てないし、きっとその事を彼女に言っても、別に気に掛ける範囲ではないのだろうと察知しました。なぜなら、彼女にとって絵を描くことが、そこまでの"好き"ではないのは明らかだったから。
さっきちらりと見た漫画の絵が、彼女の絵のタッチに似ていて、「絢爛とか爛漫とか」を思い出しました。
なんか、いろいろ懐かしいなぁ。(^^)