dbd-hans-collection101のブログ

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「ダメ出し」はもう流行らない ~演出から役者へ~

残暑お見舞い申し上げます。

dbd半です。

 

 

前回の記事に書きましたが先週日曜日に友人の芝居「シャッフルシアター」を見に行きました。
7人の演出・・という事で、少し感化されています。


以前に演出とは何ぞや・・みたいな記事を書いたことがあります。

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 


演出をする回数は私もそんなにあるわけでは有りませんが、自らの勉強を兼ねて思うがままに、つづらせて頂こうと思います。

 

 

 

 

 演出から出演者へのノート(note)について

   note・・・提案という意味が強いそうです。※井上芳雄さんのコラムより引用

  演出が作品作りをするうえで役者さんたちに伝えたいことや、リクエストはいろいろあると思います。でも、一筋縄ではいきません。「泣き笑いして」の一言で・・で見る人の心を動かす芝居をできるか・・という事です。

 

 

◇演出の意向を出演者に伝えるには・・・

 シャッフルシアターの公演を見終わった後、ついつい自分だったらどうするかな~とぼんやりと考えていました。
演出の効果は「○○してほしい」、「○○したい」という事を伝えればいいので、比較的具体的に話が出来ます。

 

でも演者に伝えるとき、それはなかなか難しい分野です。
私たちの世代やもっと前からされている方はこの言葉をよく聞くでしょう。

 

「ダメ出し」

 


私は、ちょっとストイックなので(笑)ダメ出しをもらうのが好きです。
ここで自分の足りないところが見つかるんじゃないか、自分の分からないところを他の人からもらう事で足りないピースのヒントをもらえるのではないか、と思います。

 

10数年前私と同い年の友人の芝居を見たとき、見終わった瞬間に「ダメ出し頂戴」と可愛く言われたのを記憶しています。

 

今思えば、普通なら「感想もらえる?」「どうだった?」ということを聞きたいのに、「『ダメ出し』ちょうだい」とつい言ってしまうくらい、単語として「ダメ出し」が浸透しているのです。

 


所が、です。

やはり人によって、その風潮は現代にそぐわないのではないかと、ひしひしと感じているのです。

ダメ出し→自分の悪いところを教えてもらう、指摘される行為です。
つまり昨今主流のSNSでの「イイネ」とは真逆の行為です。

 冷静に見れば、できれば言われたくないって思うのは普通の心情ですよね。


自分の短所を知り切磋琢磨を繰り返し、教えて頂いた方にこびへつらい、人間否定されても御礼を述べなおかつ勤勉に努力を続け根性に根性を重ね、さらにそのてっぺんに到達できるのは、一握りに人たち・・・・なんていうのは、今の時代と逆行しているのを感じずにはいられません。

 

◇「ダメ出し」が増長するとどうなるか・・・

 少し前、初演出をされた鈴木砂羽さんと出演者さん達とのトラブルは印象的でした。
出演者側事務所は下記のように発表していました。

 

「演出鈴木砂羽氏より二人の受けました人道にもとる数々の行為に対しまして、弊社と主催側で検討をしました結果、残念ながらこれ以上の稽古及び舞台への出演をお受けすることは出来ないと判断し出演をお断りする運びとなりました」


劇団側はこれを否定しているので、事実はご本人達しか知り得ません。
ただ、驚いたのはこれが真実だったとしてその上で擁護するテレビ出演中のベテラン役者さん達でした。
「自分たちの時は、こんなの当たり前」
「教えてもらう側なんだから・・・」


そうかもしれません。
でも・・・。
歴史をしょった文化のある芸能の世界だからこそ厳しさも修行のうちかもしれませんが、今の時代の中で人間をも否定するような言い分は、演者には伝わりません。

そもそも「演出」=「師匠」ではないのです。

演劇といっても、多様なジャンルがあります。

私たちのような伝統も文化もしょっていない趣味としてたしなむ芝居人が、人間否定、尊厳皆無をしたのであれば、だれに心にも響かないただの駄々っ子の暴言になってしまうのは明らかです。

鈴木砂羽さんが本当のところどうだったかは分かりませんが、演出だからって、敬ってもらえるなんて言うのはナンセンスだし、威張り散らかすのもおかしな話です。

持ち上げることも怯えることも、蔑むことも必要ないのです

 

◇「ダメだし」をしない監督や演出達

ここまで強くいってしまうのは、私自身への注意でもありますし、近年、実際にダメ出しをしない演出や監督の作品達が高く評価されていると感じるからです。

 


2016年大ヒットした新海誠監督の「君の名は」はもうたくさんの方が見られているともいます。
私はテレビで見ましたが、この作品にはまった方々が沢山いて驚いたし、すごいなぁと素直に感心してしまいました。
この新開監督はもともとゲームのオープニングの制作者さんだったそうで若い頃から下積みを経験してきたアニメーターさんではないそうです。
その畑違いの出身のおかげか、いつもチェックを入れるときに誉め言葉や感謝の言葉があるそうです。
「素敵!」「可愛く書いてくださってありがとう!」などなど。
それまで一人で作成をされていた分、他の人の力をもらえる有難さを痛感しているのかもしれないですね。

 

 

またこんな記事を目にしました。
ミュージカル界のプリンス井上芳雄さんのコラムです。

style.nikkei.com

海外で活躍される演出家さんは「ダメ出し」をしないそうです。
記事がなくなると読めなくなってしまうので、私がビビッと来たところをupさせて頂きます。

 


通し稽古の後は、ルヴォーが何か一言話すという感じで、こう動きなさいとか、こう演じなさいとかは言わない。その代わりに何回も通し稽古を繰り返して、俳優が自分で役の動き方やテンションを見つけていくというやり方でした。

演劇って、本来はそういうものだと思います。しかし演出家からすると、早く思い通りに動いてほしいから、違うんだ、こう動きなさい、と言うのでしょう。でもルヴォーは、俳優が自分で見つけるまで待ってくれる。俳優の側も、ダメ出しがないし、怒られるわけでもないから、どんどん自由になっていくという感覚です。

だから、自分の考えでやっていると思わせておいて、実は全部ルヴォーの世界の中で動かされているのかもしれません。そこが彼の素晴らしいところで、俳優に魔法をかけるんです。それには作品に対する理解力や洞察力がいるし、俳優を信じる気持ちも忍耐力も必要でしょうから、すごい人だなと思います。

(省略)
月に開幕する『ナイツ・テイル -騎士物語-』の演出家ジョン・ケアードは『レ・ミゼラブル』などで知られる人で、僕は『ダディ・ロング・レッグズ~足ながおじさんより~』でご一緒しました。彼はダメ出しじゃなくて、「『いい出し』をします」という言い方をします。

ルヴォーもそうですが、海外の演出家は、とにかく褒めます。何かすると、まず「ベリーグッド」と褒める。そのうえで「ここをこうすると…」という感じで意見を言う。それが結果的にはダメ出しなのかもしれませんが、頭ごなしに否定することはありません。

言い方の問題なのですが、それはとても大事なことだと思います。僕に限らず、俳優って、初めての役をやるときは、怖くて不安なものです。そこで、いきなり否定されるとつらいし、落ち込みます。ルヴォーはそこを分かってくれていて、「役者はプレッシャーの多い職業だから、守られるべきだ」と言います。だから、否定したりはしないんだと。

日本と海外、それぞれの国に歴史や文化があるので、どっちのやり方がよいということではないと思います。俳優にとっては、自分にあってるかどうか。僕の場合は、海外の演出家の褒めて伸ばすやり方のほうがしっくりきます。

 

 

特にこの文面すごくヒットです。

俳優って、初めての役をやるときは、怖くて不安なものです。そこで、いきなり否定されるとつらいし、落ち込みます。ルヴォーはそこを分かってくれていて、「役者はプレッシャーの多い職業だから、守られるべきだ」と言います。だから、否定したりはしないんだと。


「役者はプレッシャーの多い職業だから、守られるべきだ」・・・・なんて優しんだろう。


役者と演出はチームであって敵では有りません。
プレッシャーは逆に自らをカチコチにさせてしまう一番の敵では無いでしょうか。
だから演出と役者が向き合っちゃダメなんです。
同じ方向を見つめる仲間でないと。


「俳優が自分で見つけるまで待ってくれる。俳優の側も、ダメ出しがないし、怒られるわけでもないから、どんどん自由になっていくという感覚です。」

演出は役者をどこまで自由にできるかが、カギなんだなと思います。
そして自分の固定観念に捕らわれてはいけないというのを他の記事でも目にしました。

 

 

◇「演出はプランにこだわってはいけない」

 脚本家・演出家、9PROJECT主宰。つかこうへいさんを師事した渡辺和徳さんの言葉です。

www.kazz-spot.com

 


(省略)最後に、演出に当たる際の心構えを述べておきたいと思います。
それは、作品への奉仕者であれ、ということです。

演出を行うには、入念な準備が必要です。それは決して楽な作業ではないはずです。ですがそうして生まれた演出プランに、こだわってはいけません。それは俳優の創造性を否定することになるからです。実際の稽古の段階でも、その場で生まれたものにあわせて、どんどんプランを変えていかなくてはなりません。

 


演出の構想を形にするのが役者やスタッフでは有りますが、よりいい作品になるのであれば、生で呼吸する役者に合わせて作品を作り直すのもまた演出の仕事なのだと思います。自分の固定観念にとらわれて役者をないがしろにしては元も子も有りません。

なぜ語気が強くなるのかと言えば、一つ演出の頭が固くなっている時でもあると思います。何かに捕らわれると何かを見失う、普段の生活でも起こる落とし穴です

 

 

◇「演出は作品への奉仕者であれ」
 

 

そして、やはりこれにつきますね。
「作品への奉仕者であれ」

 
ダメ出しをすることで、役者の心を固くするのならいい作品はできません。
役者は自由でなければ本来の力が発揮できないのは、どこの劇団もどの役者でも一緒では無いでしょうか。


もちろんそういった芸能の世界もあるものは否定しません。

苦悩の上に絞り出される本音・・そんなリアルもあるからです。

けれども、素人がやるには荷が重すぎです。

もっとストレートにもっと素直に、役者と演出は作品に取り組んでいいんだと思います。

 

 

 

 ◇まとめ

 ・・・と、いろいろ書き連ねていますが、では具体的にどうするか、どのように演出の意図を伝えるか・・・・、これがまた難しいところです。
繰り返し通し稽古を行う事も「自由」へのヒントですが、それだけでは足りないように思います。
演出が役者を、自由かつお客さんに伝えたいように伝えることができるのかは、まだまだ私も探索中です。

どうすれば演出の意図が役者に自然と伝えることが出来るのか。

どうすれば役者に楽しんでもらえる土台を提供できるのか。

 

今日もそんなことを考えています。