「曲、作ってるの?」
「まぁ、癖みたいなもんだからね」
親類に音楽活動をしているサラリーマンがいます。彼は弾き語りオンリーでバンドマンではありません。時折自室で撮った動画をアップするようなスタイルです。楽譜も読めないそうで、以前「楽譜を書けるようになりたい」と言っていたのを覚えています。
だからなんでしょうか?
彼の作る曲は誰にも邪魔されない唯一無二を放っています。耳で音を覚え、指でギターを弾き音楽を作っています。
顔も見たことも声も聞いたこともない誰かが作った音楽のメソッドなんて知らないし関係ありません。もちろん知ってるに越したことは無いのは彼も承知でしょう。でも、それよりも自分から出てくるなにかを表に出す方が彼にとっては優先順位が高かった。それだけのことなのでしょう。
正直なところ、私の好みはロックなので曲を聴いた当初は少し物足りないと思ったものです。
ですが、最近どんどん深みが増して、曲の中に彼の個性をより感じています。
ミュージシャン
アーティスト
芸術家
ホンモノってこういうのなんだろうな。
プロとかアマとか関係ありません。
彼はきっとそう言った部類の男です。
癖・・。
癖みたいなものだから・・。
私は一瞬ポカンと口を開けましたが、とても彼らしくって、その響きが好きになり思わず笑ってしまいました。
なんて自然体なんだろう。
最近気に入った弾き語りの少年がいます。
崎山蒼志君です。
流行に遅れを取らないようにヤフーのトップ画面から流し読みをしていたところ、彼にたどり着きました。
私は文学的要素が好きな上、熱い女なので、どろっどろっの心情を歌った彼の歌詞には度肝を抜かれました。
私の親類と崎山蒼志君は、少し似ています。
同じ弾き語りと言っても、熱量のかけ方は真逆ですし、もちろん年齢だって異なります。
勝手な感想ですが、蒼志君の歌詞には体の中、血管の中から沸騰するような熱量のある歌詞です。
一方の彼は飄々とした風景の中に溶け込んだ存在として自分を置いて、岩に当たる川面のように時折自分の存在を感じるような歌詞です。
そこには、年の差・経験の差もあるのでしょうが、まるで体の内側と外側なくらい印象が違うのです。
でも、どこか似てると思ったのは、両者とも間違いなく本人から生まれてくる楽曲だからなのでしょう。
私は、芝居の中でも、一つのことに、どんな事をしたらより伝わるかを、しこたま考えたり練習したり閃いたりするのが好きです。
言うなら、一つ黒い石があったなら、その黒を伝えるのにどれだけ黒さを出せるか、どうしたらその黒さを伝えられるか、というとても部分的なところに、こだわったりするわけです。
ただ、最近少し臆病になっていました。
こだわりすぎて、手が出せないのでは、仕方がありません。
表現というのは、より素直に何度もぶつかって、たまたまその黒にぴったりな発想が浮かんだりするものです。
隣の芝生なんて関係ねぇ。
あ、言い方がワイルドすぎでしょうか?
でも、今はそんな感じです。
息をするように音楽を奏でるように、もう癖みたいに新しい曲を作ったり。
たまたま心がふわっとなるものに出くわして嬉しくなったり。
そんな当たり前の中に、沢山の創造の起点が隠れています。
私も、いつか「癖みたいなもんなんだよね」なんて言ってみたいものです。w w