dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

許す

こんにちはdbd半です。

先週、収録をしたのにもかかわらず、編集が追い付かずアップができませんでした。

従来の私であれば、有言実行がモットーでしたので自分を苛めて卑下したことを、ここで書いていたと思います。

でも、何か違うものを得ようとしています。

f:id:dbd-hans-collection101:20180412174353j:image

※小学校の近くで咲いていたお花。小学生になった新一年生の息吹を感じ取っているように咲いていました。

 

 

 


今まで、私は大人になれば、「自分を叱ってくれるのは自分しかいない」そういった気持ちで自分を奮起させて社会人生活を営んでいました。
それはある種、意味のある事だったと思います。

自分を戒め、次への反省と活力へつなげるには必要なのだと。

実際それは効果があったと思います。


でも、ここにきて、その思考にプラスされるものがあるんじゃないかと・・そういうことです。


つまり、それは


「自分を許す」ということ。

 


昔ワークショップで参加した卒業公演のストーリーの軸が、この「自分を許す」という作品でした。
当時の私は、主役に当ててもらいながらその世界観が掴めず、無謀にも掛け持ちを実行し、自分としては、結果、想像通り、納得できる仕上がりではありませんでした。
(一緒に参加してくれた皆様、こんな事言ってごめんなさいm(__)m)

 

そのせいもあってか、その時の最後のセリフが忘れられないのです。


普段覚えが悪い半ですが、なんと忘れるのも早い(笑)
公演が終わると、結構すぐに忘れます。(笑)
なのに、この言葉は残っているんですよね。

脚本の著作権的なこともありますので、作品名などは伏せさせていただきまが、少し話させてください。

 


その作品は、一人の男の回顧の話でした。
粗野で生きる活力にあふれた戦後の闇市のようなところで生きた、内気で不器用な少年。

活気はありますが、人と人が混濁し本能をさらけ出すようなぶつかり合いの中少年は思春期を迎えます。

彼は、誰にも言えないひとかたらぬ恋をします。
それから少年は誰にも言えない闇を密かに抱え続けるのです。
それは、自身でさえも忘れていたのではないかというほどの暗い暗い心の奥底にしまわれて行くのですが。

 


クライマックス、最後のシーンで少年は自分の力振り絞り精一杯の声で叫ぶのです。


「さようならぁ。僕の少年時代」

 


この言葉は、少年だった自分が、今の自分に向けられた餞(はなむけ)の言葉です。悔恨残る自分との決別。自身を受け入れた許しの言葉。

自分からの卒業。手放せなかった想いの浄化。

 


そう。
自らの許し。

 

 

私はこの時、言葉の意味の理解は浅い物でしたが、何故かこのセリフが大好きでした。印象深く奥深くに響く台詞です。

 

 


「さようならぁ。僕の少年時代」

 

 


今なら、あの当時より随分このセリフの解釈が出来るように思います。(^^;)

 

 

f:id:dbd-hans-collection101:20180412181242j:image

 


自分を叱ってくれるのも自分だし、褒めてくれるのも自分です。
そして、自分を許してくれるのも、やっぱり自分だと思うんです。

でも、これって案外難しい・・ですよね?

 


私は有言実行というのが好きだし、そう出来る人はすごいと思います。
自分もそうありたいと思っていました。


一方で、出来ない事を出来るようになるため、努力をしている人リスペクトしています。
その結果がたとえ、一歩でも、半歩でも、他人が1秒で出来る事に丸一日かかってもそれにチャレンジをすることはすごい事だと。

 

有言実行で努力ができれば一番ですが、有言実行ではなくても頑張れる人、頑張り続ける人にエールを送りたいと半はいつも思っています。

言い換えるなら無言実行。本当に叶えたいことこそ、誰にも言いたくない、その気持ちも分かります。だからこそ本気だってことも。

 

そしてもう一つの〇言〇行という言葉も挙げたいと思います。


有言実行です

 

 

・・人には許せても、自分には許せないってことが、ありませんか?

 

「ごめん。できなかった。あはは」

 

人には優しく自分には厳しく。

昔の教訓か何かがしみ込んでいるのでしょうか。私は、この自分の失敗を受け入れるほどのキャパも無いのです。

 

甘いものは別だけどね^^;

 


己の失敗を笑い飛ばす事が、出来ない。
過去に失敗した自分が許せない。

何よりこんな言葉が自分突き刺します。

「この、嘘つきめっ!」

 

恥ずかしくて、次の事へも臆病になる。

 

 

 

そんなね、そんな半もいるんですよ。

 

 


あ、何か過去にあったトラウマがあったとかそんな大きなことではないですよ。
私が言いたいのは、心のバランスをとるために、逆に自分を追い込みすぎちゃうこと、ありませんか?ということなんです。

 


でもさ、それって、結構しんどいよね。
自分でしてる事なんだけど、がんじがらめでさ。
出口への光がちょっとしかなくってさ。

 


少年少女時代、学生時代、一般社会人世代を経て、何が自分にとって本当に良いんだろう?って、思うようになりました。
芝居をやっていて楽しいけど、全部が楽しいの一言で収まるかってそうじゃないしね。
芝居の世界は楽しいし大切だけど、現実世界はもっと大切だしね。もっと楽しみたいしね。


この年になって、ようやく自分を許してあげてもいいのかなって、少し思えるようになってきました。


他人に許しを求めるのではなくて、自分に「いいよ」って思える事。
ガハハと笑い飛ばすほどの力強さはないけど「ったく、しゃーないなぁ」って、笑ってやっても良いのかなと。
そして「次、がんばろう」って、素直に思うこと。

 

 

 


ぁぁぁぁぁ!!!!!

こんな根暗ですみません!!!!!

(笑)

 

 

 

 

と、釈明が長くなりました。

この前録音した朗読ショートは必ずアップします。
時期は未定になりますが、好きな作品なので必ず(^^)


こんな調子ですので、良ければ是非このブログにちょこちょこ様子を見に来てみてくださいね。
次にはどんな内容になるのやら自分でも予測不可能(笑)
でも、めげずに行きます。^^

 

 

 

ね、

 

「好き」を形にしよう。