お花見の季節ですね。
どうもdbd半です。
一週間ほど芝居の頭をお休み。
一歩離れたように、普段の生活にいそしんでいました。
アニメや見ていなかったドラマを見たり、上の姉が泊まりに来たので、東京見物や東京ディズニーシーに行ったり。
普段制作サイドのことばかり考えがちな半ですが、この一週間はお芝居とは無縁なんじゃないかというくらい、普通の生活をしていました。
今年は開花が早く、姉が来たこともあって先週土曜日お花見に出かけました。
たまたま前日に見たニュースに、上野で花見の場所取りをしている若手社員が映し出されていました。
姉御は、私の実の姉ですので大阪生まれ大阪育ち。上野にはまだ行ったことがないというのですから、それならちょうどいいという事で出かけました。
やはり桜は素敵です。
残念だったのは、場所取りが微妙だった為、ゴミ収集車の近くで少しすると、異臭が・・。
早々に場所を離れ、大混雑の中上野のお寺を見て回り帰宅しました。
翌日はディズニーシーです。
去年10月末に一度行きましたが大雨・・と言うか嵐・・だった為、今回はリベンジでした。
シーズンオフのため、パレードなど野外のイベントはやっていなくて残念でした。抽選も外れたので、動いているミッキーを見たのは最後のファンタズミックだけになりました。
シャドウオブランドのショーも今回も見ました。
姉御は私の姉妹ということもあって<感動しい>です。※大阪弁で<〇〇しい>と言うと〇〇しやすい人のニュアンスです。例:気にしい→気を使いすぎる人
特に、「がんばれ~」「一人じゃないよぉ~」的なものに弱い。ww
見ると隣の姉御が目頭を押さえていました。
クライマックスになり出演者みんなで歌うシーンは確かに迫力があります。
ハンカチを取り出す姉御。
驚きとともに思わず笑ってしまう半。姉御も泣き恥ずかし笑い。
前回見た時とキャストさんはほぼ変わっているようでした。
dbd-hans-collection101.hatenablog.com
正直な感想でいうと、私は前回のキャストさんのほうが好きでした。
でも、素晴らしいものには変わりありません。
ストーリーは単純なものの、普段から鍛錬されている技術はにじみ出るものがあります。
姉御が涙しているこの事実を、今ステージに立っている方が知れば、どれほどやりがいを感じられるでしょう。舞台の素晴らしさを感じている人がここにいること、紛れもない事実でした。
目が肥えて行ったり、やればやるほど薀蓄を垂れたり、斜に構えた見方しかしなくなる傾向はどこにでもあります。でも素直に感動してくれる人もたくさんいるわけです。
会場を出て日が暮れてきていました。
私たちは服を着込み次のアトラクションへ移動しました。
そのあと、このステージの話は一度も出ませんでした。
姉が感動したのも事実だし、かといって一日中考えているほど感動したかと言えばそうではないことも事実でした。
おそらく、1年後、5年後にはきっと、「あぁそんなのがあったわね」それくらいに留まる位でしょう。いや、もしかしたら「そんなのあったっけ?」くらいかもしれません。
私は舞台が好きだし、この作品もすごいと思う作品のうちの一つです。
到底私なんかが真似できる範囲ではないです。
でも、きっと私は姉よりもこの作品を記憶していると思います。
それは私にとって舞台が特別だからです。
私の芝居・舞台好きはここでは割愛させていただきますが、一般的な反応はむしろ姉のほうだと思うんです。
どれだけ素晴らしい作品だろうと胸に残る作品やシーン、一つの台詞、そういったものは、見る側は、ほんのちょっぴりしか残りません。
おそらくぼんやりと「良かったなぁ」に留まるのが、良いところなのです。
何が言いたいかって?
私がすごい!!すげぇっ!!って思って作ったとしても、芝居が大事だ!!好きだ!!
と感じていていも、
見る側のほとんどにとっては、≪些末なことである≫というのを忘れてはいけないということです。
まれに1年後も5年後も10年後もずっと覚えてくださる方もいるでしょう。
観客側の私にもそういう作品があります。
でもどれだけクオリティもよくても、お金も使っても、時間をかけて、とても素晴らしいものを作っても、たいていの方は、ほとんど断片的、いやむしろ忘れてしまうくらいが普通なのです。
おそらく、どこかにぼんやりと「よかったなぁ」と暖色系で感じる思いが残るだけです。ただ、ぼんやりと。
姉御はその足で夢の国から現実へと帰る夜行バスに乗って帰っていきました。
姉は満足そうでした。
それを見て半も満足でした。
年に2回くらいしかこの姉御には会いません。
一度は私が帰省するとき。もう一度はこうして姉御が来たとき。
わざわざ千葉まで来てくれる家族はこの人くらいです。
普段ぶつくさ言いながらする家事も、姉御は率先して一緒にやってくれました。
上野では、もうお腹いっぱいと言いながら屋台で何が売られているのか、最後までチェックしていました。帰宅後、笑いながら臭くなったレジャーシートを一緒に洗ってくれました。
太ったからと肉の脂身をお残ししておきながら、自身の腹肉をつまみんでサツマイモの水煮を二つもたいらげていました。
ディズニーシーではファストパスを全力で取に行き、最後には泣き笑いもしました。
頼りないところもあるけど、欲求に素直な姉御。
姉は、楽しそうでした。
舞台は、とても素晴らしいものです。
私もその素晴らしさに射抜かれた一人です。
でも、だからと言って、万人がそれを感じるかと言えば違うのです。
舞台なんて、たかが舞台なんです。生活の中でほんのちょっとだけ関わるだけです。
制作をしていれば価値観は偏ります。
自分の世界を展開する代わりに、周りの人との距離は自然とできます。
一般の人にはどう映るのか?見ようとしていますか?
今手がけているものが100パーセント観客に受けることはありません。
自分の大事なものが他の人にとって大事なものであるとは限りません。
腕時計の時間を合わすように、針がずれていないかを、時々見てみても良いかもしれません。
たかが芝居です。
私は制作者する側だと必死になりがちで、それこそ視野が狭くなります。
視野が狭くして目の前に集中するからこそ一本作れるっというのもあるのですが、重くなりがちな思考の反対側は常にあることを、忘れずにいたいと思います。
ただ、そんな「たかが〇〇」だと分かったうえで、何かに注力できる人を半はかっこいいと思っちゃうんですけどね。