こんにちはdbd半です。
タイトル通り、私は時々思います。
劇団AQUAさんも、蓮さんも、わむでの活動でも、参加してみると、その輪の中が羨ましいなぁと、思うのです。
特に蓮さんAQUAさんを見させていただいて、今もそう思っています。
あ、でも先に言っておきますね。
劇団を<作りたい>なんです。
作りたい・・・○○したい・・・今私はそれが可能だとは思わないからこそ○○したい止まりなんです。
私にはそのバイタリティがありません。時間もお金も。責任能力も。
その中で継続的にできると最初に踏んだのがこのWEB、このブログでした。
本来は舞台の作品を作りたいなら劇団を立ち上げ、呼びかけ、作品に磨きをかけていくことこそ、ストレートな活動方法だと思います。
どうして劇団にこだわるのか。
今だって活動はしているのに。
自問自答しています。
とある稽古場にお邪魔していた時に、主宰の方が仰っていました。
_______これだけしんどいことやるんだから。劇団でやることの付加価値をどれだけ与えられるか、だよな。________
別の時には、
_______○○は、居場所をさがしてたんだよな。__________
・劇団の付加価値
・居場所
その言葉が、半の心の中に染み込んでいきました。
そのままずっと眠っていて、先日のAQUAさんの舞台を観劇後、友人と話していて、さらに思ったんです。
友人「半がやるときは手伝うよ」
半「ありがとう。でも劇団を作るには力がないから・・・。」
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半「うちが作った演劇サークルで10年に一度同窓会するねん(笑)皆バラバラになったから。」
友人「10年て(笑)。集まるの?」
半「集まる。集まる。なんか、会ったら皆息が合うねん。ノリっていうか、フィーリングっていうか」
落ち着いて振り返ってみると、主宰がおっしゃっていた「居場所」って、これじゃないかしら?
なんか、帰ったら自分の席がちゃんとあるイメージ。
腰を下ろしていいんだよって言わなくたって言われなくたって通じている。
半の席はここね。○○はここ。△△はここ。××はまだだね、ここは××の席だね。
それが会った瞬間、自然に構築される感覚。
居場所か。
半は<劇団>に憧れがあります。
それは手が届かないから。
ピンが楽な人もいるだろうけど、半はほら、さびしがり屋だから(^^;)
一緒にやろうと思ってくれる仲間がいればどれだけ強くなれるだろう?
劇団を作るのはね、簡単なんだ。
何が大変かって、継続すること。責任がある事。
今までの事で学んだのはね、やっぱり振り回すだけ振り回して、無責任にメンバーに迷惑かけちゃうんじゃないかってこと。
一番分かりやすいのは、私が仕事で千葉を離れることになったらどうだろう?
その時点で、劇団の継続は難しくなる。
やりたいと思ってくれたメンバーに、これから半は出来ませんって、集めておいてほうっぽッちゃうことになる。
そんなリーダーに誰が付いてくるんだろう?
今、半はやりたいスタイルとやれるスタイルを探しています。
WEB上での作成も面白いというのはあるけれど、生を提供できる舞台は、生身の自分たちでしか提供できない。
生身でやるから目の前のお客さんに届くものがある。
半は、自分に正直になりながら、自分に合う制作方法を模索します。