「普通が一番偉いんや」
父は昔から同じことを何度も繰り返し言う人でした。
あ、ちゃんとご存命ですよ(笑)
電話でありがうを伝える時、ありがとありがとありがとさんと
まったく同じ言葉だったり少し語尾を変える事もありますがとにかく最低10回くらいは同じことを言います。
大げさではなくてそれくらい本当に言うんです。
私は壊れた時計のようだといつも思います。
それが何年たっても同じことを言うんです。一度言い始めると10回ほど繰り返されます。
定時を知らせる鳩が間違えて何度も何度も飛び出してくるようで、その時刻が来たらまた何度も飛び出してくるようで、父は少し壊れかけの時計のような人でした。
あ、死んでませんよ(笑)
痴呆が入っているというよりかは、本当に昔っからなので多分癖なんです。
もともと眼鏡屋さんの商売をしていた人です。
メガネのレンズを擦ってフレームの形に合わせる整形もしていたので商人(あきんど)権職人のようなところがありました。
皆さんも時々見かけたりしませんでしたか?
語尾に必ず「すんません」と必ず付けるような職人や、ちょっとせっかちな感じでハイッハイッと接客をするような方。
「普通が一番偉いんや」
そんな父が昔から時々口にする言葉の一つです。
まぁ親父の小言くらいにしか思ってはいませんでしたが、どうやら私の骨の髄あたりには染み込んでいたようです。
私はお芝居が好きで、お芝居の道に行きたいと思っていたこともちょっぴりありましたが、そんなに甘くないと容易に想像できました。
私のようなアマちゃんでは、到底「本気でやりたい人」にはかなわないから。
他の物を投げ打ってでも絶対に有名になりたいとか、公演が始まれば親の死に目にも会えないとか、そんな覚悟はさらさらありませんでした。
そして、それは今もです。
私は私が大事だし、自分のプライベートを<売り>にできるほど逞しくもありません。
しかし、お芝居のために周りの人を蔑にしていたこともありました。
当時の彼氏さんより芝居を優先していたこともありました。
体調気を付けてねと言いつつ、始終語尾には「本番近いから」と付けていたこともありました。
でも、そうやって一周するころ立ち止まる原点は、父の言葉になります。
「普通が一番偉いんや」
普段の生活にこそ、人の喜びや悲しみや、滑稽さやワクワクがあって、人生の生のワクワクにはお芝居なんていうのは絶対にかなわないわけです。
有名になるから偉いんじゃない。
お金がいっぱいあるから偉いんじゃない。
演出やるから偉いわけでもない。
普通に仕事に行って普通に帰って普通に毎日を過ごすこと。
悪いことに手を染めず悪い人と関わらないこと。
普通のことを普通にすること。
それが一番偉い。
父ちゃんはそんな考えの持ち主でした。
私もその言葉を受けて育ったものですから、一番の幸福はきっと芝居以外にあると思っています。
笑ったり泣いたり喧嘩したり、怒られたり、浮かれたり、何回やってもうまく行かなかったり、思わず思っても見ないことを言って後悔してしまってでも本当は早く仲直りしたいと思っていたり。
だってこれこそ本当のドラマじゃない?
私は普通のサラリーマンや家庭を支えてる人や、毎日を投げ出さずに生きている人が一番カッコいいと思う。
家も仕事もありながら、ほかの事も頑張ってる人。
「あんたは偉い」
大事な物分かったうえで、さらに別の幸福の手を広げているんだから。
得手不得手なんていい。好きか嫌いか、答えは出てるんでしょう?
家の用事やお仕事を続けてる人。
「あんたは偉い」
毎日毎日の生活、変わり映え無かったり急転直下したり人によってちゃうと思う。
でも、毎日ちゃんと生活してる。あんたは偉い。
朝起きて、ご飯を食べて、支度をして、仕事をしたり、家族の人のお世話をしたり、遊んだり。
家に帰って寝て、また起きて。
毎日毎日その繰り返し。
お芝居やっててもやってなくても。
毎日の繰り返しを、毎日普通に繰り返している。
やっぱりそれが一番偉い。
だから、私もそう思っちゃうんだよな。
普通の人が一番カッコイイ。
もしかして、
普通に家族で食卓を囲みながら笑ってご飯食べる風景。
これが一番泣けるシーンじゃないだろうか?
皆が笑ってる。
皆が心から笑ってる景色。
ん?いや、これってめちゃ難しいのかも?
こういう普通の景色に感動できる作品が、半は好きです。
人生のワンカット。
こういうのができたら面白いだろうなぁ。
余談。
そうそう、よく言う父の口癖がもう一つ
半は当時にしては遅い目の子供だったので当時父ちゃんは40歳くらい
(父は自分に無頓着で誕生日もあやふや(;一_一))
「あともう10年や」
(↑縁起でもない)
というのを半が物心つく30年位前から言っています。
ま、30年くらい変わらんねんからあと2・30年は言い続けてもらわんななぁ。
生きてるって、カッコイイ。