お客さんに目を向けよう
あえて本文にももう一度書かせていただきました。
dbd半です。
ずっとこの話題をしたいと思っていました。
そして私もこのことについて現在進行形で思考を巡らせています。
前回、下記のような記事をアップしました。
(過去記事)
dbd-hans-collection101.hatenablog.com
後でお話ししますが、お客さんについて話す前に関西小劇場について触れておかねばと思っていたのです。
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今回の内容は作る側の人に向けての書き方をしています。演劇なんてやってないよ。そんなのつまんないよ。という方はどうぞお気にせずに(^^;)それでも大丈夫だよ、という方、今回も6000文字ほどありますが、どうぞお進みくださいませ(^^)
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さて、今現在、お芝居で活動中の方にお聞きしたいのです。
「お客さんについて、考えていますか?」
考える・・と言っても漠然としていますが、
お客さんに向けての演劇活動をしていますか?という言い方が良いかもしれません。
できるできてないとかではなくて、何かをするときにお客さんの存在を忘れていませんか?ということです。
お客さんに来てもらうために何かをしたり、お客さんから見たらどうだろう?という視点を持つようにしているか?という事です。
アマチュアだから関係ないよ・・・そういう方もいらっしゃるかもしれません。
でも、少し待ってください。
本当にそれでいいと思いますか?
はっきりと申し上げますと、私は考えていませんでした。
自分の話をしますね。
私は、芝居は見世物(エンタメ)として成立しないといけないと思っていましたが、お客さんが楽しもうがそうじゃなかろうが本当はどうでも良かったんです。
私は基本的に目立ちたいとか、笑いを取りたいとか、そういうのが全く無くて、ただ自己表現がしたかったんです。自分の中でふつふつとある鬱屈した部分が芝居を見ると相乗効果がまし、いてもたってもいられなくなるような感じです。
いや、むしろ見られることに対して羞恥心も強くあります。目立つよりも隙間にひっそりと周りを見ていたいくらいの性質の持ち主です。宴席であればなるだけ端っこに行きたくなります。他の人に喜んでもらうことに喜びを感じますが、それを狙いにいくのに抵抗がありました。
今でもその名残はありますが、前の私は「見てほしい」という気持ちはほぼありませんでした。つまり見てもらう対象になるお客さんへの意識というのは、皆無に近かった。
アマチュアだし、自分がやりたいことだけをやれば良いじゃない?
何が集客?ノルマ?小遣い稼ぎがしたいの?
知人どうしで、見合いっこして、お金を行ったり来たりさせてるだけじゃ・・・すみません口が過ぎました。
そもそも、いったいぜんたい、お客さんをなんで呼びたいと思うの?
そんな明確な答えがありませんでした。
そんな私が、どうしてお客さんお客さんと言い出すようになったか?です。
そこには大きな理由がありました。
=当たり前の話ですが演劇は見てもらうことで存在価値があると言いうことです。=
演劇はもともと伝承としての意味があったそうですが、つまりは表現したものを受け取ってもらう存在が無ければ、意味がないのです。
そう、つまりお客さんの存在です。
リターンして一番最初、お金もない時間もない人脈もない・・・そんな状況でした。
そしてそこで気づくんです。
お金があって時間もあって人脈もあって、作品を作ったとして、誰が見に来るの?
たとえ作品を作れたとしても、お客さんは誰もいないじゃない・・・。
いったい私は何がしたいの?
誰に見せたいの?
そこで総合的にできそうになったのが演劇×動画でした。
動画であれば、その時でなくても、時間を超えて誰かに届くかもしれない・・そういう考えでした。
幸い、友人に教えてもらったQSCというコンクールにも乗っかることができたので、そこでのエントリーを目標にすることができました。
それでも、作品は見てもらわないと価値は出ない。
良いのか悪いのか、それさえも見えないか中の手さぐりで、ささやかながら宣伝活動をしました。
宣伝活動をする意味を実地で感じ始めるのです。
この経験があったので、かしげきに出演して、お客さんを目の前にするという喜びは他の人より大きい物だったと思います。
半が実際にお声掛けをしたのは親族と2劇団さんと友人だけでしたが、他の方がお誘いしたお客さんから「良かったよ」と劇団ギルドわむ にむけて言ってくださったことも、とても嬉しいことでした。
動画では、こんなお客さんの生の声を耳で聞くことはできないからです。
そこでもやはり対お客さんに向けた宣伝活動の重要性を感じました。
さて、ここで冒頭に言っていた関西小劇場の例を挙げたいと思います。
関西小劇場の衰退について前回の記事で少し挙げましたが、一つは前回の記事で書かせて頂いたように使いやすい小劇場がどんどん潰れるという自体が多発したことです。
近鉄小劇場
扇町ミュージアムスクエア
プラネットホール
・・・大阪の小劇場の登竜門的な会場ですね。
そしてもう一つ大きな要因があります。
他の人が書かれていた(サイトが迷子(^_^;))なのですが、この時、己の制作活動に尽力する人がほとんどだったんです。
ま、要はやりたいことをやればいい・・的なね。
制作活動、いわゆるディレクションの意識改革を持った劇団はとても少数だった、そういった内容でした。
リスタートする前の半もまさしくそうでした。
ぼやっと「こんな人向け」の作品で・・・というのは有りましたが、どうやってそのお客さんに向けて発信するかなんて考えてもいなかった。
もちろんお客さんに対しての責任もなくて、「面白いから絶対見に来て」なんて死んでも言えなくて・・ま、これは今も言えないですけどね(^^;)
集客するというのは、お客さんにお金を払ってもらうわけで、それはどこか後ろめたさを感じてしまうほどの意識でした。
兎にも角にも、お客さんについて考えられる役者なんてほとんどいなかった。
それほど、演劇=お客さんという概念を置き去りにしがちだったんです。
そうした顛末としてどうなっていくでしょうか?
知り合いだけのお客さん。
知り合いの数の限界・・
かさばるコスト・・・運営の無理・・解散・有料会場の使用が激減・・さらなる動員の減少・・業界自体の衰退・・・
芝居ができなくなる・・・
自分達で自分達を追いやる行為。
なんというか、極端な話ですが、とても分かりやすい構図ですよね。
ただ、これは関西のことだけではありません。
↓【引用】
客席の9割超は知人で、大半は他劇団の俳優!? ノルマを内輪で消費し疲弊する、小劇場の俳優たち
(省略)
他劇団の公演を見に行く際のチケット代は自腹なので、この等価交換システムで劇団の収支は保たれても、俳優個人はさらに支出がかさむ……
よくあるバターンの一つは毎月の団費の徴収が毎月いくらかあって、公演が始まるとチケットノルマが発生します。そしてある程度チケットがさばけると一枚につきいくらかのキャッシュバック・・のような形です。
本気度の高い方であれば個人や劇団自体に顔見知りではないファンがついてくるので、運営が回っていくと思いますが、アマチュアクラスになってくると採算は取れないことの方が多いので、自腹を覚悟するのが基本だと思います。
関西で経験したことがあるのは、友人同士の取り合いになることでした。
劇団員同士での知り合いであればAさんにチケットを売ろうとしたらBさんからもう買っていた・・とか。拍車がかかると、チケット販売が始まる前に、Aさんに自分から買ってねと逆予約を入れたり・・。
なんだか世知辛くなるのです。内情を知っているだけに人の事は言えません。金額が少額でも、ちりも積もればです。有料公演になれば、劇団員メンバーも少しでも潤いが欲しいです。学生上がりの若さもそこにはありました。
新しいお客さん、知り合いではないお客さんに公演に来てもらえれば・・・これがなかなか難しいのです。
演劇人はほとんどが役者です。稽古場に足を運んで、稽古をしなければ上達はできません。毎日稽古をするところなんて言ったら、友人にチケットを売る時間すらありません。作品作りと販売の両立は、空想とリアルの両立でもあり、おおよその人は空想を求めて演劇を始めるからです。
これは、ずっとある小劇場の問題点なんです。
こういった傾向を「授業参観」だと例えた人が居るそうです。
↓【引用】
「授業参観」という比喩は、中村悠介氏(大阪のカルチャーマガジン『IN/SECTS』編集者)が最初に発言したもので、身内客の多い公演を表現した言葉として印象に残りました。
「皆さんは、どうですか?
今活動中のみなさん『授業参観』になっていませんか?」
「新しいお客さんをもっと呼び込みたいと思いませんか?」
「お客さん一人一人が私たちを支えてくれることになるんです。
自分たちのフィールドを自分たちで守っていきませんか?」
1997年に模様されたワークショップで、私も大きく影響を受けた劇団ピスタチオ、この劇団の演出家西田シャトナー氏がこう言われたそうです。
http://fringe.jp/knowledge/k055.html
↓【引用】
(~話の中の抜粋です~)
舞台作りだけではない。こうした様々な要素をすべてひっくるめ、宣伝活動すらアートとして楽しむ。それが劇団活動と言える。
カンパニーを進化させ集客へと導く具体的な方法/(10)制作者がいても劇団員全員が制作を自分事として考える | fringe
さらにこのサイトの方が下記のように言われています。
↓【引用】
俳優も制作面に関心を持ち、ディレクション自体に参画しましょう。カンパニーの中長期計画、劇場契約や作品ラインナップ、広報宣伝の方向性――これらは制作者がいる/いないに関わらず、劇団員全員で議論すべきことです。演劇制作と言えば公演制作の実務中心に語られがちですが、カンパニー付け制作者の場合、団体自体の運営・戦略決定が大きなミッションであり、これに関わることこそが醍醐味だと思います。重要な意思決定なので、制作者も俳優の意見を訊きたいはずです。制作者任せにせず、広義の演劇制作を劇団員全員が自分事として考えることが、創生期のカンパニーのあるべき姿だと思います。
※文字のハッチングは私の方で付けさせていただきました
↓【引用】
芸術と興行が同時進行する舞台芸術の特殊性を表わしたものですが、「宣伝活動すらアートとして楽しむ。それが劇団活動と言える」と言い切る演劇人は当時いませんでしたし、現在もいないと思います。
どんな立場でも制作を自分事としてとらえる演劇はライブパフォーマンスであり、準備段階から本番までが連続した行為です。すでに完成されたモノを売るのではなく、観客は企画に集うスタッフ・キャストの可能性に期待し、貴重な時間をやりくりしながら時空を共有するのです。その意味で、企画の発表から本番までのすべての活動が演劇制作だと言えます。広報宣伝や票券管理といった可視化された業務だけでなく、カンパニーがカンパニーであるための活動が演劇制作と考えるべきです。
私たちはアマチュアです。
アマチュアの範囲なので、in family でも問題はありません。ただ、それだけでは、限界があるのは目に見えています。
現状維持ではなく下降に向かってしまうことを、自覚しなければなりません。
アマチュアでも、同じことが言えるのです。
なんでも良いのです。
チラシでも口コミでも、DMでも、ポスティングでも、その他でも。
何もせずにお客さんが来てくれるなんてムシのいいことは有りません。
私の方で、宣伝活動にはこれが良いよ!というものはありません。
あれば言いたいですが・・・(^^;)
それぞれの企画や劇団にあった手法は、極論やってみないとわからないことだと思います。最初は全く効果のないことも繰り返し行うことで、結果が出てくることもあります。
やっていくうちに、この手ごたえは・・というのが見つかるかもしれません。
やらなければ、何もないままです。
そして、これは一つの団体がやるよりも、二つの団体がやるよりも、三つでも四つでもより多くの組織が外に向かってアプローチを続ける方が、大きな効果をもたらすと私は信じています。
知り合いや劇団同士のやり取りだけではなく、より外へ向かっていくことです。
友達を読んだなら、友達の友達にもいいよねって言ってもらうことを目指すことです。
地域密着を目指すならポスティングだって有効です。
社会人の方に向けての作品なら行きつけの飲み屋に一時的にチラシやポスターをはることだって有りです。
一人では一瞬で消えるかもしれないけど、誰かの一回の宣伝で、コアなあなただけのファンに出会えるかもしれないのです。
ほぼ一人から始めた半は言います。
かしげきでお客さんの前でやってみて、さらに強く思ったことです。
お客さんがいなければ演劇はできません。
お客さんがいるから私たちはお芝居ができるんです。
調べていくと、関西でも新しい"風"が吹いてきているようです。
壱劇屋(本拠地・大阪府枚方市)というところが、今急上昇中のようです。
大阪・壱劇屋が勝負をかけた3都市ツアーでやった10のこと、公演企画とTwitterの相乗効果で動員目標達成 | fringe
↓【引用】
当初は大阪で1,000名、3都市で2,000名が目標だったが、最終的に大阪で1,128名、名古屋・東京で957名、合計2,085名を動員
このツアーでやった10のこと・・については、あけっぴろげというくらい宣伝活動報告をされていますので、皆様の中でも、何かヒントになりえるものがあるかもしれません。
この記事は私個人としては、とても興味深く読ませていただきました(^^)
皆さんにもより多くのお客様がきてくれるといいですね(^^)
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演劇をしていない皆様、なんか今回は作ってる人向けに話をめちゃめちゃしちゃいました(^^;)
なんかマニアックな話になっていましたよね(;´・ω・)
それに最近、話が飛び飛びだしpart1とか言っているわりにpart2がない現象が続いていますが・・気長にお付き合いくださいませ。
次回作品にも取り掛かりたいのですが、なんだかまだエンジンがかからなくて・・(;´・ω・)
書くことで、一つづつ整理できている部分もあるのです。
次回作品まで、もう少し、はき出させてください。