役者ってなんだ・・・?
先日演出ってなんだって、いうのを書いていて、きっと役者についても、ふと立ち止まる人は多いんじゃないかと思いますので
今回は役者のことをメインにしつつ、演出との関係性なんぞを書いていきたいと思います。
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今回の話も例のごとく、半流だからね。
決してプロの方と張り合おうとか思っていないので。
あくまで半がやってきた中で、こうでありたいとか、こういうもんかなぁっと言うのを書いていきます。
さて、役者・・・これも語ると長いよね。
俳優と何がちがうの?とか、こういう役者さんて良いよねとか、こうもろもろ出てきちゃうので、今回は舞台の役者と演出の関係について絞るね。
簡単に言うと、役者は
演出の頭の中にある登場人物のイメージを具現化する人・・・だと思っている。
演出の頭の中から飛び出したキャラクターというかね、そんな感じww。
まず、台本を読むよね。
分かりやすい台本はそこでだいたい個性が出てる。
セリフ回しや他の登場人物との関係性である程度の輪郭が浮かび上がってくると思う。
あとは、この前の記事でも書いたけど、何百何千ある演技のやり方をどんなふうに出して表現するのかっていうのが
役者のお仕事で、そこから演出のリクエスト・指し示すベクトルをヒントに、さらに個性や空気を作っていくの。
ちょっと分かりづらいね。
演出が道しるべならその道を歩く人っていうイメージかな。
でね、ここからが重要。
先日ちらりといったんだけどね。
演出の面白いところは、自分の考える効果や流れが、頭の中を飛び出し具現化しそれを感じることができる事です。さらにそのイメージを役者がよりいい形でアウトプットしてくれることを望んでいます。そうなったときが一番面白いww。
ただ演出のイメージを再現するだけじゃなくてね、
演出のイメージを超えるのが本来の役者の役割だと思うんだよね。
さっき、こう言ったじゃん。
役者は
演出の頭の中にあるイメージを具現化した登場人物・・・だと思っている。
演出の頭の中のキャラクターを具現化するのに、そのイメージを超えるって、
意味不明じゃん!
うんうん、わかるわかる。
でもね、これを先に言わせて。
演出はね、自分がイメージしているものが、完璧だなんてこれっぽっちも思っていない。
演出の考えをそのままやって、それ以外はやるな!って人もたまにはいるかもしれないけど、ま、そういう人はプロの中の一握りだと思う。
そうじゃない演出の大概は、自分の想像だにしないアクションや、言葉にならない思いの強さの表現を求めている。
その人にしか演じきれないパワーっていうか、演出が考える以上の登場人物らしさっていうか。
たとえばさ、単に「ここで必死すぎて声裏返って叫んで」って言われても、
あんまり信憑性なくない?
演じる方も、その絶妙なタイミングでわざと声を裏返らせて、なおかつわざとらしくなく
必死さをだすって、難しくない?
たぶんさ、その前後があって、気持ちがあって、今のシーンの状況があって
思わず声が裏返った。そしたら見る側にもその必死さって自然と伝線すると思うのよね。
思わず見る側も引き込まれるっていうかさ。
たとえばさ、演出から、売れない芸人っていう役を当てられて
「今日の飯はこれだけか」ってあんパンをかじるとするじゃない。
で、ここでただ食べるだけにするのか、
泣きながら食べたりするのか、
一口一口かみしめながらちぎって食べるのか、
誰にも取られないように、すぐさま大口で食べるのか、
ここのバリエーションを持っていくのは役者のお仕事なのよ。
で、演出がここでは尺的に(時間的に)魅せるシーンじゃないからぱっとやって・・
っていうなら、一つ目のただ食べるだけをセレクトするんだけどね。
でも、ここに能天気なキャラ設定とかがあるなら、全部やめて、ちぎって上に投げてパクリってしててもいいわけでしょ。
ちょっとしたシーンなんだけどね、キャラクター(能天気)とリクエスト(ぱぱっと食べる)が分かっていれば、こまごまとしたところで、そのキャラを生かせるしふとした個性の表現がエンドに向かっていくときにさらに深みがましていくってことなの。
そういったのを少しずつ肉付けしていくことでね、薄っぺらいキャラクターがどんどん肉厚が増していって、等身大になっていくんだと思うの。
演出は、たくさんの役柄の設定や動きや時間配分を考える。
でも、その個性の出し方はすべて考え切れているわけじゃないの。
この役者だから出せるキャラクターの面白さを、出してくれる(持ってきてくれるっていう言い方をすることも)のを待っているの。
ずっと前にとある稽古場に見学に行ったところでね、こんなことを言っていた人がいた。
「演出がいないから何もできない。」
これは、正解なんだけど、パーフェクトじゃないと思う。
演出がいなければベクトルがないから、迷子になっちゃうんだよね。
演出がいなければどんどん方向性がかわっていくからね。
でもね、ある程度の輪郭から、演出が線引きしたあと、肉厚を付けていくのはあくまで役者の仕事なんだよ。
それまでも演出に求めちゃいけないと思うし、わからなくて迷子になったなら、忙しくても演出にくらいついて、ベクトルもらおうよ。
そしてもらったベクトルは消化しよう。
方向もらってるのに消化しないで、演出いないからできない・・っていうのは、・・うーん、そこはがんばろ。
頭使おう。分からないなら食らいつかないといけないし、目線を変えて情報収集してみたり周りの言葉に耳を傾けよう。
(↑半分、自分に言っています。(笑))
じゃなきゃ、いつまで経っても、演出が作った枠組みから出られないし、それなら自分っていう役者が演じる意味なくない?
むしろ、この肉感をどうやって見せるかが役者の面白いところなんだからさ。
肉を付けるのは、やっぱり役者なんだよ。
演出のイメージを超えるのが役者。
こいつにしかできね~なって思ってもらえる役者になろうよ。なりたいよ。
演出はアウトラインしか示せない。
道しるべがあっても実際に歩くのは役者なんだよ。
歩きながらその面白さをお客さんに届けるのは役者しかいない。
演出は、自分の想像が形になった時にものすごい面白味がある。
でも、その頭の中の想像って言う枠を超えてより立体的に目の前に現れた時、実はその時がいっちばん面白い。
あぁ、役者の話はやっぱり長くなるね。
本当はもう少し語りたい部分があるんだけど、疲れたので今日はこの辺で。
まとめッ!
役者とはなんぞや?
- 演出の想像を具現化してお客さんに届ける役割
- でも実は演出の想像を超えてお客さんに届けるポジション
- 肉厚を付けるのは役者次第
だからさ。同じ役でも違う役者が演じれば違う面白さが出る。その中での、自分オリジナルは必ずあるはずなんだ。
ダブルキャストっていうのがあるじゃない。好きな人なら同じ話でも〇〇バージョンの回と△△のバージョンどちらも見たりする。もちろん料金は倍かかるけどね。
見る側なら役者の違いで客席に届くものが違ってくる。その違いを楽しむのも一興なのさ。
半はどうしようかね。
台本を頂いて、わむさんでやる今回の役どころは20分の芝居のはずだけど半が思っていた以上にボリューミーだったよ。
半はやればやるほど楽な作品づくりに向かって言ってるしねww
本番まであと一ヶ月とちょっと。
余裕をかましていると、役に追いつけない。演出のイメージ、その上を狙えないと感じている。まずはその役として演出の方向性を理解しないと次には進めないからね。どこまでできるだろうか?
ま、そのために一つの役は降りたんだけどさ・・。
今はイメトレ中。
この前、立稽古一回やっただけなんだ(笑)※一回の稽古ではなく、流れを一回やっただけ(笑)
正直、久しぶりなのもあるけど、一人でやる時より妙な緊張感を感じている。
内容はめっちゃコメディなんやけどね。
油断していると台本に食われそうっていうかさ(笑)
台本が面白いだけに、どれだけ肉付けできるかなぁって。
掛け合いだけにどれだけ息を合わせられるかなぁって。
一人じゃないから、
一人じゃない面白さがある。
一人じゃない難しさがある。
頑張るね。
頑張ってる人は頑張るって言わないらしいけど、半は実際、今はまだ何にもやれてないから、こう言うね。
気合だけは十分入ってるから。