dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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半、カタルシスを語るっす。

ふと出てきた言葉
「演劇は、特に演技はメンタルの解放の意味があるからね」

芝居仲間とラインをしていた時に出てきた言葉です。
先日より、少し役者の分野とイメージの分野を考えている半です。

どうもdbd半です。
今日は珍しく半仕切りのお稽古を1時間弱ほどする予定があります。

そこで前回に引き続き「役者とは」ということについて考えていました。
どうして演劇にこれだけハマる人がいるのか?
半もアマチュアではありますがその一人です。

その魅力に関しては個々に答えがあるとは思うのですが
その一つは、上記に挙げた「メンタルの解放」というのがあると思います。

皆さん、カタルシスって言葉ご存知ですか?
http://d.hatena.ne.jp/keywordtouch/�����륷��

こちらにもあるとおり

[引用]
文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること
(略)
最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。


泣くことや笑うことってなんかすっきりしますよね。(^^)


演劇というのは、そういった浄化作用があります。
そして役者というのは、この浄化作用を強く求める人間ではないかと思うのです。


社会において、生きることはストレスフルです。
会社の抑圧。家庭での抑圧。交友関係の抑圧。

自分の思い通りにできるストレスフリーな人は、そうはいないでしょう。
他の人から見れば、ストレスフリーに見えても、抑圧された個人が感じるものは必ずあります。


役者というのは、実はとても常識人だと半は思うのです。
だって、こころのうっ憤や嘆き、抱えきれない衝動、それらを現実(リアル)に出したら、どうでしょう?

明らかに『狂気』です。

でも、人の心ってそんな狂気が全くないってことなくないですか?
誰しも、心のどこかで、
「もっとこうしたい」
「こんな自分じゃない」
「こんな風になりたい」
「こんなことを言いたい」

そういう現実離れした心のわだかまりはあると思います。

役者は、いろんな役をやることで、己自身でカタルシスを引き起こし心の浄化を行えます。
もちろん場所をわきまえ、やっても良い環境の中で行うのです。
そういったことをお芝居というカテゴリーでは許されるものです。
お芝居の中だからこそ、そこに行けばいくほど、他者から認められ絶賛されるのです。


ただ、そのマインドコントロールをするのは、自分次第になります。
時々マジにトランス状態になる人や過呼吸を引き起こす人もいます。

その調整ができてこそ、役者としては一人前なのだろうと思いますが
そこは私と私の周りはアマチュアだし、先の話だとは思っています。

ただ、そのほんの入り口
カタルシスへのほんの入り口、ちょっぴりとした心の浄化を味わえたなら
たぶんその稽古はきっと成功なんだと思います。


タイトルに「カタルシスを語るっす」なんて書いていますが(語呂が良くて言いたくなった(笑))、カタルシスについては、まだまだ語りきませんが、役者とカタルシス、演劇とカタルシスは切っても切れないものだと思います。

今日の稽古に演劇の楽しさ、演じる事の楽しさのほんの入り口にご案内できたらと思います。(^^)
ま、小一時間ほどだしね。

いっちょ行ってきます。