dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

ROOTS

こんにちはdbd半です。

 

大阪より千葉に戻ってきました。

滞在中にも更新できればと思っておりましたが、いやいやいやいや、楽しむことに夢中になり夜はぐっすりねんね、快適な日々を過ごさせていただきました。

 

改めてですが、私はここで産まれ育ったんだなぁと、珍しく感慨深い気持ちになりました。

f:id:dbd-hans-collection101:20170508163039j:image

我が家の家族を紹介しちゃいます。

ムサシです。♀

なぜこの名前になったのかは、もう忘れました(笑)

最初は家族で皆それぞれ好きな名前を呼び続けていたのですが、いつの間にか母が名付けた名前が定着しました。

 

私は猫好きの猫アレルギーの為、この子と遊ぶのも10分が限界です。

この子は元々野良猫で今でも半分野良猫で、まぁ要はサザエさん家のたまのように今でも半分外で過ごします。

なのでいつでもダニやら外の物をくっつけてきます。私のくしゃみ、涙目が止むはずがありません。

 

10数年前、飼い始めた当初は全然懐かなくて、ある日大きな病気をしました。動物病院で入院していた日、様子をみにいき、ケージ越しに「むさぁ〜 」と呼ぶと尻尾だけパタンパタンと弱々しく返事をしてくれました。

私たちを恋しいと思ってくれていたことが分かり、愛おしい気持ちがいっぱいになりました。

 

むさしは、今でも気分屋でした。

お腹が空いたら足元ですりすりしながら台所へ誘導。みんながいるといつの間にかいます。

いない時はいつまで呼んでもきません。

 

耳の凹み、キズは去勢の印ではなく、今年どこぞのニャンコとバトルした勲章だそうです。もうおばあちゃんなはずなんですが、今でも現役、半分野良のうちの家族です。

 

「むさぁ〜」と呼びかけると、あの時と同じように尻尾をパタンパタン。ゆっくりお返事してくれました。

私はそれを見ると、帰ってきたなぁ〜と感じます。

 

そして、昨日の最終日、おかんがアルバムやら引っ張り出しておりまして昔の写真を見ました。

母「これ、うちの母ちゃん」

半「え、なにそれ」

母「せやから、おかあ(自分の)の母ちゃんの結婚式の写真」

半「え。」

半「え〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 

見たことない。見たことない。見たことない!!

 

てっきり昔のやつは全部無くなってしまったと思ってたし、おかんも昔のことはあんま言わんかったし、聞いても◯◯のおっちゃんがな、でな△△のおばさんがな、それで◇◇のおばちゃんがなって、登場人物多すぎてよくわからなかったんです。(笑)

極論、母は兄弟と死別し苦境もありましたが、今は父といる。

この程度でした。

 

ま。まさか、実のばあちゃんの写真がずっとこの家にあったなんて。

私が産まれた時両方の曽祖父母はいませんでした。父方の曽祖父母は額におさまり鴨居の上にありましたので顔だけは知っていましたが、まさか母方の生みの曽祖母に会えるなんて。

 

写真に23歳と横に書かれていました。

33の若さで亡くなられたそうです。

もう半はその年齢を越しています。

名前は道子さん。

あなたがおかんを産んでくれた人なんですね。

初めまして、あなたの孫です。

半が今こうしていられるのも、おかんがいて、そのまたおかんがいて、命が続いていたのを見た気がしました。

 

 

ふと思いました。私のこの芝居好きは、いったい誰の血を受け継いだのやら。さらにルーツを辿るともしかしたら、芝居狂いの芸能かぶれがいたのかもしれませんねww

 

私が芝居にどハマりしていたのは、高校から第二新卒として就職するまで約8年。その後辞めたつもりもなく転職と転職の間やったり、時間と心に余裕があるときにやるというスタイルになっていきました。

 

そのどハマり時代が、この実家での生活でした。

f:id:dbd-hans-collection101:20170508171041j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508171148j:image

f:id:dbd-hans-collection101:20170508181854j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508181911j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182005j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182029j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182108j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182137j:image

f:id:dbd-hans-collection101:20170508182156j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182218j:image

f:id:dbd-hans-collection101:20170508182240j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182302j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182842j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182934j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508182949j:imagef:id:dbd-hans-collection101:20170508183034j:image

 

 

見たよね〜。

大学時代はバイトでモギリの(チケット切る人入り口で立ってますよね)劇場スタッフやってたから、休憩時間忘れて怒られる時もあったよね(笑)

あと自分でもやったし、呼んでも頂いたね。

楽しかったね。

 

私はアマチュアのちっちゃいちっちゃいお芝居をやっていたので、結局、劇団には所属しなかったんですね。それは今も同じか。

 

この中にあるチラシの中で今でも続いてる劇団やユニットやピンの人もいます。

 

私のブランク10数年。

そりゃ補いたいものいっぱいあるわっ。

やらんなあかんわっ。

そんな気持ちになりました。ww

 

 

今回の帰省で、芝居がらみの知り合いに、リスタートした事をカミングアウトしました。

違う土地柄やし、まだまだ制作として完成形の土台があるわけじゃないけど、報告しようと思って。

 

劇部の部長が言ってくれたよ。

0と1は全然違う。そうか。そうかって。

 

1があれば何かが産まれるかもしれない。

おかんの母ちゃんが繋いでくれたみたいに。

末は広がったり狭まったりする過程はあっても、何か痕跡が残せるかもしれへん。そこから、別の誰かに伝えられるかも。

 

私のルーツは大阪の下町育ちで私は頭も良くなかったしお金持ちでもない子やったけど、まだまだなんか、できそうな気がした。

いや、なんか続けたいと思った。とりあえずやり続けたいと思った。それが一番しっくりする気がした。

 

千葉に向かう電車の中で夕日とスカイツリーを見た。

帰ってきたんやなぁ。

f:id:dbd-hans-collection101:20170508185603j:image

 

充電完了。

明日からバリバリ仕事です(笑)バリバリお芝居もやるんでよろしくです(^^)