dbdの半です。
突然ですが、友人がCDを出しました。
許可をいただいていないので、ここでは名前は伏せておきます。彼女は同じ劇部で、昔っから歌が大好きでした。
私が芝居をやったり休んだりしていた間、彼女は歌を続けていたんだと改めて実感。話では聞いていたんですが、曲を聞いて、彼女の力強い歌声やリズムを聞いて、なんだか痺れちゃいました(笑)
何かを表現するって良いですね。
音楽も絵画も小説も漫画も映画も写真もこういったブログを含む物書き全般も。
あ、それにアミューズメントパークも、普通の公園も道路も一般企業も表現するヒントがたくさんあります。
後半は何かを表現するのとは違ってきますが、なんというか、見る人や使う人はどういう風に見えるのか、どういう風に楽しめるのか、安全なのか、どうやったら利用してもらえるのかっていうのをあらゆる面で見るからこそ、今の状態になってると思うんですよね。
そう思うと、利用者を対象とするという考えでいくと、たくさんのピカリンと光る豆電球を感じます。
なんだかアンテナを広げすぎかもしれませんが、表現するってことはお客さんありきなわけで、すでに先人達が幾多の方面で活躍されていると思うとワクワクが止まりません。
ちょっと抽象的ですね(⌒-⌒; )
突然ですがアトムってご存知ですよね?そう、あの鉄腕アトムです。
数年前、バイト先が2階で、斜め向かいに保育園がありまして、私はそこで小さなアトムを見たんです。
もちろん未来からの来訪者でも100万馬力でもありません。
あのアトムの独特な髪形、まさしくあの髪形をした小さな小さな男の子です。
スプレーでガチガチなわけじゃないですよ(^ω^)
その日はそれはそれは風の強い日で、それでも元気に走り回るその瞬間、まさしくその瞬間だけ髪形がアトムだったんです!
私はそれを見た瞬間、ちょっとポカーンとしちゃいました。
かの手塚治虫先生はもしかしたら、この瞬間を捉えて子供達のヒーローを作り出したのかもしれない。経緯はわからないので、半の勝手な想像なのですが。
でも、そんなことを考えていると、瞬間瞬間をとらえたり、ちょっとしたことを強調したりデフォルメしたりすることで、また新たなかつ親しみのある表現が生まれるんじゃないかと思うんです。
ゼロから何かを作ることは多分、半にはできません。
大半の方はそうではないでしょうか?
でも1があるなら何かを生み出せそうな気がしませんか?
身の回りには1どころではありません。
半のピカリンは明るいところから突然星空を見上げてやっと目が慣れてきたような、今そんな状態です。
早く目を慣らして、一つづつの光をしっかり吸収して、形として表現できるようにしたいとおもいます(o^^o)