dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

ありがとう 劇団ギルドわむ

こんにちはdbd半です。

最近ぼちぼち更新です。^^;

さてご報告を一つ。
2年ほどお世話になっていた劇団ギルドわむさんを、年内中に抜けます。

 

 

f:id:dbd-hans-collection101:20181207151052j:plain


dbdが動き始めた当初、ちょうどわむさんも動き始めで、主催のとくろう氏とも何度か話せ、dbdのままでかまわないから、・・という事で所属していましたが、2018のかしげき頃からは、ついぞ参加しておらず、まるで幽霊部員のような存在になっていた半です(^^;)実質、ふぁんふぁんの活動のみになっているのが現状。

 

ま、わむ自体は、それでも別段問題ないと思うのですが、ふぁんふぁんが外部(わむ以外)としての参加形態が出来てきましたし、わむの所属メンバーも増えてきたところで、私としては、ちょうどいいタイミングかなと思いました。

あ、なのでふぁんふぁんは引き続き活動していきます。(^^)

また、お互い芝居はやっているので、何かの時は交流があると思います。 

引き続きごひいきにしてもらえると嬉しいな。

 


わむの事を少し、書かせていただくと、劇団と言うには従来のイメージとはちょっと違う感じかなと思います。
ま、大ざっぱに言うのなら、『いろんな表現活動ができるサークル集団』、とでも言いましょうか。
組織にはどこでもカラーというのがあります。テイストと言うか、強みというか。

それが、ファンを作り魅力になります。

しかしながら、大前提として「公演を打つ」というのが目的にあるわけです。

それは人に見せるもの、喜んでもらうもの。そしてその対価としてお金をもらい次の活動の資金に充てるというのが、いわゆる「劇団」の活動になるかと思います。

 

しかし、わむはそうではありません。

主体はあくまでメンバー個々です。本番を目的にはしておらずどちらかと言うと通過点に近いのではないでしょうか。あくまで、個人が自主的に楽しむことを前提にしています。本人たちが楽しまないものを観客は楽しめない、よく言われることですが、本番と言うのを頭から外せば、どれだけリラックスした状態になるでしょうか。

それは劇団や組織には必ずあるようなトップダウンシステムの完全排除であり、立候補方式での意思尊重スタイルなのです。

 

土台はあくまで演劇になりますが、演劇のジャンルも幅広く、誰かが「○○やりたいよ~!」と声を挙げて、「私も」「僕も」と、集まったメンバーでやる、と言う仕組みがメインです。


○○やりたいよぉ~。の○○は、インプロのような即興演劇の基本だったり。殺陣やダンスと言ったジャンルの稽古だったり。
企画として、どこどこの演劇を見に行こうツアーみたいなものだったり。
いつだったかは、富士山に登ったり、鋸山まで行くような企画もあったようです。

 

こんな中、私は月一度参加するかしないかほどのペースだったのですが、現状としてはそれもふぁんふぁんに充てるようになりました。

 

 

わむでの参加は少ないものでしたが、出会いはとても貴重なものでした。

自分との物の見方の違いもあれば、芝居に対してのイメージも大きく違いました。

好きか嫌いかは個人の持ち物として、違いを知ることはとても素晴らしいことだと思っています。

私の知っている従来の劇団のスタイルでは、芝居に興味があってもできない人は、たくさんいます。敷居が低く、忙しくても、形を変えればできるんだよと、体現された一つの形が、劇団ギルドわむ なのだと思います。

 


半が抜けることを決め、数人に告知をしたあと、なんだか申し訳ないなぁと思いました。

わむ内で中堅?古巣?の存在のわりに、何もしていないなぁ~と思ったのが理由の一つです。^^;

 

最後の最後だし、「へたくそでも良いから、いっちょやっとくか」という事で、一度だけ一日コーチをしますと手を挙げてみました。
それが明日、12月8日土曜の稽古3時間です。

 

 

上記の通り、わむは立候補制なので、誰かが声を挙げなければ賛同者はいません。
私は一プレイヤーとしての意識が高く、リーダーとか、コーチとか・・なんだか背中がむずむずしてしまうのです。
ただやるのなら、きっちりしたい気持ちもありますし、下準備もしたくなります。

 

関東に来てから、関西の芝居とのジャンルや活動拠点の違い、間近に教えてくれたのはわむでした。
インプロ(即興)という言葉がこれだけ身近にあることの不思議さ。小劇場が県内にない状況。かしげき参加による人とのかかわり。

dbd一人では、知りえなかったことが、わむに参加して、近くに触れることが出来ました。


置き土産というのには、はばかりがありますが、最後に台本好きの半が作品作りの楽しさをわむメンバーの方と共有したいなと思ったのです。

 


皆様忙しい時間の中で、3名私の稽古企画に来てくれると手を挙げてくれました。
先々週くらいから、楽しめそうな台本を探し、3時間のタイムスケジュールを考え、台本の中でかける曲探しをしています。
3時間はきっとあっという間に過ぎる事でしょう。
一本作りきりを目指そうかと思いましたが、時間的にはちょっと難しいかな。^^;

 

ただ、本作品の醍醐味をちょっとでもお持ち帰りしてもらえれば良いなぁ・・。
みんなが稽古場でたくさん笑ってくれればいいなぁ・・。
台本に対して、抵抗感がひくくなればいいなぁ・・。

(インプロ好きな人は台本が苦手な傾向があるようです。逆もしかりかな(^^;))
みんなが、最高に楽しめる稽古場づくりにしたいなぁ・・。

 


そんなことを考えていると、半の中でわくわくが止まりません。

 

さぁさ、パーティはもうすぐ始まりです。

 

 

  ↓明日のお品書き(ラフ書き)

 

f:id:dbd-hans-collection101:20181207133559j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優しい人

こんにちわdbd半です。


先ほど書いていたブログ記事が飛びました。(T-T)
急にキーボードもマウスも使えなくなったのです。
これは止む無しとシャットダウンをしました。

メモ帳機能で下書きをして、まだ未保存だったため、すべて消えてしまいました。

とても残念です。皆様も気を付けてくださいね。いきなり何が起こるかわかりません。

 

 

と言うわけで、書き直しの書き直しのため、さらりと書き直してアップすることにします。

このメモ書きは2回目の書き直しでした。
1回目に書いた際は、文章が長くなりすぎて、思っていた方向と違う気がしたからです。

と言うわけで、更新が遅くなりました。( ;´Д`)

 

さて、そうこうしている間に、季節はもうじき12月に入ろうとしています。


皆様、お元気でらっしゃいますか?お風邪ひいていませんか?
私は、ダンスで体を動かすようになったおかげか、この季節にもかかわらず、すこぶる元気です。

鼻炎も喉風邪にもなっていないのですが、もしかしたらこれからかもしれませんね。
油断はせずに、いつも通り早めの厚着対策をしています^^


さて、今回は、ふぁんふぁんのお話。

メンバーに「やさしさ」をもらった話です。

 


今回は稽古前に、公園ランチを企画していたのですが、メンバーの一人が、そこでなんと太巻き寿司(お手製)をって来てくれたんです。
お手製ですよ。お手製!!

 


半は、ほっともっと(お弁当屋さん)で買ったお弁当を持参だけでした(;^ω^)

でもね、うちが連れてきていたお子ちゃま(6歳)がいきなりこう言うんですよ。


太巻きすきじゃな~~~い」


はぁぁ〜〜!!!???

これ、うちだったらブチギレですね。
うちだったら「なんだとぉぉぉ!!???時間と労力とコストをわかって言っているのかぁ!!!???(分かっているはずがない6才)


んでこうなるんでしょうねもう二度と作らないっ!!」
とまぁ、家ならそうなるんでしょうね。

半が、お料理が好きになれない理由がこれです。

やってもやっても食べる側はお店を利用する時と同様、言いたい事好き放題です。

ど素人が、しかも不器用な半が、見た目も味も美味しいものを作れるなんて、ミラクルなんです。それを分かりもせずに、食材の無駄も知らずに、一度も箸も付けずに、食べたくなーいなどと言われた日にゃ、ちゃぶ台ひっくり返すぞっ!!と、なります。

 

ですが、今は心に収めてとりあえず、メンバーに平謝りするしかありません。子供はよく分かっていない事情で、ぽやんと、しっぱなし。

 

ごめんねっ!と手を合わせていると、、


なんとメンバーがめちゃくちゃ優しかったんです!!

 

「○○ちゃんは、何が好き?何が嫌い??何だったら食べられる???」

「○○ちゃんは、嫌いなのとってあげるよ(^^)」


ガーーーーーーーン

半の頭に、でっかい岩がガーンと落ちてきたくらいの衝撃波がっ!!

 

い、今なんとおっしゃった??

(お目め、ぱちくり、ぱちくり)

 

具をそろえて、酢飯を作って、きれいに巻かれた、美しいこの太巻きを・・・
嫌いなものを避けて好きなものだけに取ってあげる・・・・

 

あ、あ、あり得ない・・・・

 

あぅっあうっ・・・


あり得ない優しさに呼吸困難になりそうだよぉぉぉ!!!

 

 

そうして半がフリーズ状態の間に、「卵と海苔が好きなのかぁ」と、何のためらいもなく、美しい太巻きの具材をバラし、好きなものだけにしてくれたんです。


あ・・あ・・ぁ・・

(ドラゴンボールのキャラがやられている時の喘ぎ方)

 

 

何という事でしょう。
半は日ごろ、優しい人間でありたいと、心に思っていますし、できうることは実行しているつもりです。


ですが、私にはここまでの優しさは持ち合わせていませんでした。

 

毎日の忙しさに追われ、ついビジネス換算する癖があります。
「労力」「コスト」「時間」

これらを一瞬で無に帰されることに、非常に腹が立ってしまうのです。特に家族間は、尚更な傾向があります。


「子供なんだから、仕方ないよ〜」


私があんまりに驚いたリアクションを取っているのを見て、フォローするように付け加えて言いました。

 

「子供なんだから」

 

私は、この言葉が好きではありませんでした。
ふぁんふぁんでも、大人と子供、それぞれが尊重できる場所として、うたっているわけですし、「子供は子供扱いするから、子供なんだ」という持論があります。←極端なのは承知ですが、子供は案外理解力があるのを間近で見ていてそう思うからです。

 

 

でも、メンバーが言ってくれたこの「子供んなんだから」というのは、妙に居心地が良い響きに思えたのです。

子供扱いというのとは、また別で。

能力差として子供である事を認めてくれている、そんなニュアンスです。

 


そして、見返りのないこの優しさが、半の中にも伝わってきました。
優しくしてもらえると、なんて人は優しい気持ちになるんでしょうか??

 


ここ最近味わっていなかった真綿のような柔らかい何かが心にしみこんでくるのがわかります。
心のトゲトゲが、どんどんまあるくなって、どんどん小さなお山くらいになって沈んでいく感じです。


「や、やさしくなろう」

 

 

なんていうか、もう口に出ていたと思います。


その日の稽古は、なんだか、みんなが大好きって気持ちでいられました。
そして、その柔らかい感じは今も続いています。

 

多分、半の性格上、すぐに突起物は出てくるだとおもいます。アレコレ考えたり感じたり、良くも悪くもこれが半だから。

でも。今はこの気持ちをなるだけ長く、忘れないように、味わいたいと思っています。

 

*                     *                      *

 

優しさは、伝達する。


誰かからもらった優しさは、また誰かに届くんだ。
メンバーが子供にしてくれたことは、子供から私に、私からまた誰かに。
そしてこのメンバーの優しさはきっといろんな人から流れてきたものでもある。

私は、そんなすべての人に感謝したいって思うんだ。

 

人と人が関わるから起こるわけで、劇団という組織には、いろんな交わりがある。

 


私は10年後20年後のふぁんふぁんを考えているんだ。
今の子たちが、卒業しても、また継続的に存在価値のある団体としての意義やあり方を模索している。

 

でも、あんまり遠くを見すぎているとさ、足元や中腰位で見つけられる宝物に気づかないわけでしょ。


今回はね、とっても良いことメンバーに見つけてもらったんだよ。
そのあとの稽古は、もうめちゃくちゃ楽しかった。集まれた時間は少なかったけど、意味のある稽古になったと思う。

 

先月の稽古でね、実は悩んでいたことがあったの。長くなるから今回は書かないんだけど、稽古のやり方や、ふぁんふぁん自体の方向性、私のコンパスがこっちじゃない!って言ってる気がして。


でも、それが払しょくされる良い稽古内容になったと思う。

ふぁんふぁんは、まだまだこれから。
みんなの刺激や関わりが、ふぁんふぁんを成長させてくれる。
私も、皆にいろんな事を気付かせてもらっている。

 

こうして書く事で、まだまだ気持ちは持続しそうです。
だから皆に感謝なのです。^_^


f:id:dbd-hans-collection101:20181129181143j:image

f:id:dbd-hans-collection101:20181129185812j:image


f:id:dbd-hans-collection101:20181129181135j:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181129181131j:image

 

f:id:dbd-hans-collection101:20181129185816j:image


f:id:dbd-hans-collection101:20181129181139j:image

 

 

佐倉時代まつり2018-エキストラ出演

おはようございます。dbd 半です。

 

少しアップが遅くなりました(^-^;

2018年10月11日、つまり先週日曜日、前の記事で、さらりと告知しました佐倉時代まつりにエキストラ参加してまいりました。

f:id:dbd-hans-collection101:20181116235103p:plain

第20回 佐倉“江戸”時代まつり ~江戸風情と賑わいの一日~ | 千葉県佐倉市公式ウェブサイト

 

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 


10月に行きました遠征エキストラ昭和の音楽祭に一緒に付き合ってくれた芝居仲間のご紹介です。
このお祭りに参加するにあたって、前回の遠征エキストラ出演での経験ーーーーーー衣装や小道具、それを着る人によって、見る人をこんなに喜ばせる力があるんだなと、実感したのが大きな理由でした。


私は、どちらかと言うと、あまり小道具や衣装にこだわりが無いほうです。
なんとなくイメージを彷彿とさせられるものであれば、それで良しと思ってしまいます。同じ舞台を見ても、衣装や小道具にこだわるよりも、なるだけ演技力のあるものに魅了されるからです。

演技力も様々な手法や好みがあるので、沢山、沢山、語りつくしたいのですが、今日はその話はしません(笑)

 


半が今まで着目しようとしていなかった衣装や小道具の力は、ここ関東に来て実感する機会が増えています^ - ^
フォトジェニックが売りのインスタがはやる理由が分かるようになってきました。
(インスタは先日、半も始めました)

コスプレイヤーさんが、年々増加するその魅力も分かる気がします。
思いっきりの遠征エキストラの出演に、とても影響を受けています。ww

 

 

*    *     *

 

 

 

今回も、そんな「物」の力はすごいなぁと、今回佐倉時代祭りに参加してみても、感じることが出来ました。

 

だってね、想像以上に、人、人、人。

笑顔。笑顔。笑顔。だったのです。
思った以上の賑わいで、アットホームなお祭りでした。

 


ただ、「凄いねぇ~!!」「見てあの衣装!!」と、思う半面、私の中で「自分もやってみたい!」「そこ、めちゃめちゃ、こだわりたい!」と言うのは、少し違うようで、やはりコスプレイヤーさんのように、衣装やメイクだけで楽しむのは、半にはハードルが高いようです。そんな衣装を手作りして楽しむプレイヤーさん達は、尊敬に値しますよね!

衣装や小道具が作れるっていいなぁ(^ω^)

 

衣装や小道具で、格段に世界観が広がるのは、もう歴然です。
それだけで存在価値があるくらい。見る人の心を瞬時に鷲掴みです。

 

 

*    *     *

 

 


こんな私なので、せっかく衣装を着せて頂いたにも変わらず、最初の最初、素の自分と役者半とのチューニングが合わなくて、「ハズイ」「ハズイ」(恥ずかしいの意)を心の中で連呼し続けていました。
よくよく考えてみると、舞台を降りた状態で、普段の街中を芝居のような芝居じゃないような状態で、見られる側に回るのは始めただったのです。

 

Σ(゚д゚lll)ガーン‼︎!


役になり切れないし、かといって全くの素でもない。
どこに自分を置けばいいんだ?!

 


ただ衣装を着て練り歩くだけって、うーん・・・出発してから数分。すでに早い方はカメラを持って私たちをどんどん撮影してきます。


”や、やっちゃったなぁ・・”と、正直思いました。

 

 

半の素は、とてもとても一般人なのです。
一般人が、いきなり見られる側にまわってしまい、いきなり写真を撮られて平気なわけではありません。  (※事前説明はありましたが、実感できていませんでした(;^ω^))
「もう今すぐ部屋の隅っこに行きたい!」そんな衝動にかられました(外なのに・・w)
プルプルと上ずる声で、それでも引き受けたからには、きちんと最後までしなければ、それはそれで気が済みません。w
役者根性と言うより、商売根性でしょうか^^;せっかくお仕事をもらったのに、きちんとこなせないのは信用問題ですw


いつもより上ずった声で、口上を言います。


「いたずら者はおらんかな~~~。

石見銀山ねずみとりぃ~~

石見銀山ねずみとりぃ~~~」

 

そこで私がラッキーだったのは、隣で歩いて下さるチームの方が、こんな私を、わかるよぉ~」「舞台とは違うよねぇ~」と温かく同調して見守ってくださったことです。

 

ご一緒に参加してくださっているのは劇団88と言う成田での活動をメインにされている劇団さんです。今回のチームは私を含むわむメンバー3人と劇団88さんとのダブル劇団構成になっていました。

劇団88さんは半と同年代くらい、女性がメインの方々で、話しやすく気が利き、周りをよく見れる皆様でした。


「わかるよぉ~」と言ってくださり、余談などを挟みながら朝の練り歩き(行進?パレード?)が終わりました。

少しづつ、リラックスしてきたのが自分でもわかります。

 

 

*    *     *

 

 

改めてみると、私たちエキストラ以外にも着物を着ている女性や子供たちがいます。
私の大阪下町の地元では考えられないお祭りです。


でもこうして、今は昔となった衣服や昔の玩具に触れ、童心にかえったり、地元で盛んな農作物を販売し理解するのは、結構なお祭りではないですか。
他にも、ガマの油売りや落語、着物の着付け実演、動かない大道芸、地元を愛するゆるキャラたちの不可思議クイズ、なんとも愛おしさのあるお祭りです。

 

通りがかりで、殿が、「よく働いておるな」とお声をかけてくださいました(笑)
こちらは「ははぁ~~」と平伏。

なんか、楽しくなってきました。昔やった学園祭みたい(笑)

 

 

*    *     *

 

 


大学で、演劇サークルを立ち上げた半ですが、学園祭の当日は芝居の公演は打たずに、たこ焼きの屋台をやったのを思い出しました(笑)
なんでたこ焼きなんだよって?
もちろん私がやりたかったからです(笑)

いやぁ~~売れたよね(笑)

味は正直普通だったけど、サークルメンバーがパフォーマー(目立つのに抵抗がない)だったから目立つ目立つww


あの何でも有りの感じを思い出します。(^^)

みんなノリがいいなぁ。

 

*    *     *

 


後半は、少しだけ任せられた手売り販売をチームメンバーと一緒に売り歩きました。金平糖にジェリービーンズ、風車。
売り物の対象物があると俄然やる気になれます。

そしてお約束、ミイラ取りがミイラ取りがミイラに。(笑)
良いと思うものは買っちゃうよね。
お手製の風車を購入し、ちょっとした思い出のお土産です。

 


最後にもう一度メイン通りを練り歩き(パレード?行進?)をしました。
おこちゃま連れのママはお子さんが寝ちゃったりして大変そうでしたが、みんながフォローしながらで、おこちゃまの笑顔もたくさん見ることができて、楽しい一日だったように思います。


最後の半は、久しぶりの声出しで、後半イイ感じで喉が開いてきて、より声を出しやすくなっていました。めちゃやる気やん(;^_^A

 

*    *     *


たくさん写真も撮って、着替えも済ませ、帰り際、劇団88のメンバーの方が、「このメンバーで(半たちも含めて)何かやりたいね!」と、言ってくださいました。


なんて有難いお言葉でしょう。
私の事情で、ほとんど稽古ができない加減で、その話が具体的になるかどうかは分かりません。
でも、そう言ってもらえるくらい今日のこの時間が良かったと思ってもらったのなら、こんな嬉しいことはありません。もちろん私もできうることなら、また皆さんと時間を共にしたいと思いました。
きっと稽古場は笑いが絶えない事でしょう。

 

 

*    *     *

 

 

 

今でも大阪と千葉との演劇事情の違いに戸惑いがあります。
私が大阪にいたままなら、こんな経験はしなかったでしょう。
きっと、やりたいとも思わなかったはずです。

いろんな状況が重なり、今の半があります。
まだこれからも、戸惑いは尽きないでしょうが、出会いとお楽しみがまだまだ山盛りです^^。これからも、まぁまずはTRYしていこうと思います。

 

 

*    *     *

 

最後に御礼!!!!
お誘いしてくださった芝居仲間、
初めましてからチームとして一緒にお仲間に入れてくださった劇団88さん、
わむメンバーで今回一緒してくれた芝居仲間、
この企画を考え運営されている皆様、
そしてお客様の皆様、
本当に、有難うございました!!!!

 

【今回のフォト一覧】

f:id:dbd-hans-collection101:20181119194940p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119194929p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195140p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195115p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195000p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195132p:image


f:id:dbd-hans-collection101:20181119195009p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119194903p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195027p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195045p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119194919p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119194910p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195103p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195053p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195016p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195124p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195111j:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119194952p:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195034j:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195146j:image
f:id:dbd-hans-collection101:20181119195041j:image


f:id:dbd-hans-collection101:20181119194948j:image

f:id:dbd-hans-collection101:20181121082323j:image

f:id:dbd-hans-collection101:20181121082332j:image

 

 

 

 

 

指の演技

こんにちわdbd半です。

8月末から週一回で2時間ほどのダンスレッスンを始めました。
まだ3か月程度。

10数回のレッスンです。

 

 

ですがこの2時間、とても学びが多いです。
声を使わないこと以外は、芝居に通じることがたくさんあって、最近ついぞ忘れがちだった事や、動かしていない体や頭を使い、自分の中でマッチングと効果を感じています。

 

余談ですが、右足だけですが少し曲がったY字バランスができるようになってきました(笑)
体の可動域が広がればそれだけダイナミックな動きができます。
直ぐできることは少なくても、すこしづつできることが増えるとモチベアップになります。^^


さて、先日先生のご指導で「そうだわ」というか「そうだったわ」と思うことが。

それは指先の動き。

手の先、指の、指の先までの表現!


レッスンしながらのほんのご指導の一部でのことでしたが、これはきっちり心にとどめないといけないと、半のセンサーが反応しました。
「指先までしっかりね!」

 

 

指先の動き。
これは、表現者の言葉になるくらい実に雄弁です。

指先が綺麗なのと、なんとな〜く、それっぽ〜くしているのでは、綺麗にデコレーションされたケーキと、スポンジにただ生クリームだけを塗ったくって「はい、どうぞ」と出されたものくらい、見た目もテイストも異なります。

 

 

そうです。見た目で味が変わるんです。同じスポンジと生クリームで味は同じはずなのに、そこをキチンと見せようとしている人と、そうでない人とでは、ユーザー側、つまりお客さんにとっては大きな味の差を感じるものです。


表現者の手、というのは、舞台ではほんの数ミリくらいにしか見えないことでしょう。
でも、人の力はすごいんです。
その数ミリの形、動き、から表現者の機微を感じ取れるんです!
それは足のつま先も同様です。
私が習っているところはジャズ系のダンスが取り入れられていて、足先の動きの基礎をしっかりやっています。つま先立ちがとにかく多い(汗)、というのが最初の印象でした。
今思うのは、体のバランス(体幹)を鍛えるうえでも、対象物(表現者)を大きく見せる上でも、つま先立ちって重要だなとメリットしか感じなくなっています。(笑)


ですが動画で何度も見ているはずですが、自分の思う用には、なかなかできません。
頭の中では何度もイメトレしたりするんですが、はやり見るとやるとでは大違い。
なんとなくになりますが、自宅出来そうなストレッチや、ちょっとした動きをやってみたりします。

家とレッスンしている場所では、色々違うのかもしれません。
靴が違う。
広さが違う。
スピードが違う。
他の人がいて違う。

思うようにできない歯がゆさを感じながらも、できるようになるためには練習しかありません。

 


やりたいことがあるのは、有ればあるほど嬉しいものです。そして嬉しさをを噛み締めつつ、ひやりと冷たいものも感じています。

実はこのレッスン、日曜日にも行われています。
半はおうちの事情で日曜日は参加していません。

他の曲もされているので、レッスン量が少ないから・・と言うのはあまり言い訳にはならないのですが、
単純に「いいなぁ~」と思う部分と、その分しっかりしなきゃな、と思うのです。

 


この日のレッスンの後、自宅で1アクション手の動きだけをやってみました。
動きとしては5秒くらいのものを数十回。

お題の曲は2分半
出演するのはその後半部分だけです。
なので、実質1分あるかないかでしょうか。

そしてできなかった所は、沢山あるのですが、自宅でやったのは一番最初から取り組んでいるクライマックス部分の1アクションです。一番レッスン量が多い箇所でさえ、思うようになっていませんでした。

納得できるまで、「できるようになる」って、時間がかかります。
ほんの5秒の動きでさへ、自分の中でGOが出ません。
指先の角度、スピード、滑らかさ。右手はできても左手ができていないとか。

あぁぁぁ、もっと練習したい・・。

 


そうです。私、こだわり性なんです。('◇')ゞ
子供のころを思い出します。
漢字や平仮名の練習。

私は習字(毛筆と硬筆)に週一で、小学一年生から高校三年生まで通っていました。
紙にかじりついて文字のはみだしや、曲がり方が気に入らなくて、何度も何度もそれはもう物凄い集中力で書き直していました。
これは、すごいねぇ~という話ではなくて、一部分にこだわる性分の現れなんです。


この一部一部にこだわり、文字の角度、払い方、トメ、ハネをしっかり、やりたくなるのです。
そこに「美」すら感じていました。太さや細さが出る曲線美、滑らかさを打ち消すような鋭い2画目の入り。どこまでも続いていきそうな払いや直角と曲線美を兼ねたハネ。次の二画目三画目につながる書き順につながる一文字の流れや次の文字へと続く強弱のついた運び。

見れば見るほど見惚れるものですから、時間なんてあっという間です。
だからいつも私の手首から小指にかけて鉛筆で真っ黒。紙は何度も消しゴムで消すので、クチャクチャです。
そうするうち、私は書道で六段、硬筆でも三段くらいを取得していました。くらいというのは、子供の頃から習っている習字教室なので、到底大人の世界に通じないと思い、もう曖昧にしか覚えていませんでした。

 


が、子供ながらでも段を取得する半ですが、ふたを開けてみると、字が汚い。(-_-;)
なんで=====!!

 

習字を習っていた人が字がきれいになるかと言うと、断じて違うのです。
毛筆の癖が鉛筆の時には変な癖になり、草書の癖もついて、字と字がくっつきます。
なにやらミミズがうにょうにょ・・・。文字はいつも右や左に偏っています。

私は近視でもないのに、字を書くときは他のものは視覚に入らなくらい紙に近づいて書いていました。
多分、紙と目との距離10㎝未満。
そうしているときが一番集中して書けたのです。


今ならわかります。
あんなに字を習ったのに、なぜ私の字が汚いのか。
部分にこだわるあまり、全体を見ることを学ばなかったからです。全体を見て何を書きたいか、全体としてどういう印象に見せたいかを、考えてはいませんでした。


部分を極めることは、とても大事です。
そして部分は全体の中での一部だというのを見落とさないことです。

部分が集まり全体になる事。

全体の中に部分部分がある事。

 

 

細かいことが気になる私ですが、もう大人になりました。

私は、自分のこの性分を利用しない手はありません。


さ、現状に置き換えてみましょう。
指先の動きはとても大事です。
表現者は指で語ります。
部分が集まり全体を構成すること、1アクション1アクションが繋がり全体が仕上がります。

その1アクションにどこまで、こだわれるのか?


そして、、こだわりはありつつも、全体を知ることです。
全体の中の一部として、やってみることです。

 

 

手の角度や滑らかさで、柔らかさと女性らしさが表現されます。
この角度でしょうか?
指はこの開きでしょうか?
タイミングは大事です。

次に動くときに瞬時に動かせば、滑らかさとの対比ができます。
瞬時の動きは、強さや鋭さが表現されます。
速さが加われば、滑らかな動きが<見せ場>に変わります。

速さが加われば指の開きが疎かになります。
腕の角度が違います。
もう一回、もう一回。
右手の動きはよくても、左手の動きが弱い。
もう一回、もう一回。
あっという間に15分経過。

 

実際、何回やっていたかは数えていません。
でも、まだ足りないのは分かります。
それでも幾分かマシになりました。
しっかりトメが出来ていなかったこと。
手の形があいまいで、見せ場になっていなかったこと。手首を返すことで印象が変わる事。
指と指をしっかり開くことで、表現になっている事。

f:id:dbd-hans-collection101:20181111075712j:image

1カットですが、例えばこんな形の手の動きです。これを瞬時に繰り出します。


やる前とやった後ではほんの5秒の動きですが、自分でも全く違います。
でも100%じゃない。
10回やれば3回くらい失敗があります。
どうしたら、10回中10回できるようになるか。
次の課題です。

全体を見るのなら、
これが5秒の動きとして、90秒やるのなら、4時間半の練習が必要になります。

 

 

で、できるかしら・・・。

毎日できるわけではないですし、場所の狭い自宅では、やれるところは限られてしまいます。
全体の流れの中での一部として、ほんの1秒でも、5秒でも、良いと思えるところを増やしていくことを、念頭に、できるかできないかはともかく、半は見せるダンスをしたいと思いました。

 

 

全体を見るのなら、手だけではなく、体全体を見て、作品全体を見て、周りに人全体を見ることです。
全体を見るのなら、このダンスの中で何を見せたいかです。


それは何か?

私が感じているのは、ダンスが好きだっていうみんなの輝きです。
ちょっと言い方として恥ずかしい表現かもしれませんが、レッスン中、みんな素敵なんです。
私ははっきり言って、ダンスより芝居が好きです。
でも、ダンスを好きな皆さんを見ていると、何かエネルギーがもらえるのを感じるようになりました。

楽しそうな皆さんを見ていると楽しさが伝わってきます。
一部のこだわりは大事なことだけど、これは絶対外しちゃだめですよね。

 

 

 


段を持っているのに字が汚い半ですが、そんな自分への劣等感とはおさらばです。
紙と対峙する10センチ未満の満たされた世界から顔をあげつつ、書きたいものの全体を見据えて、こだわりること、これが次へのステップです。

ま、言うのは簡単。
やるのは逆です。

まずは気づきがあったことを褒めつつ、こだわる性分を生かして、ダンスの楽しさを心と体に入れていきたいと思います。

 

 

話は変わりすが、いま朝の7時、成田に向かって移動中です。

今日は佐倉市時代祭りにエキストラとして参加しに行きます。

正直、何をどうしたら良いのか分かっていませんが、いっちょ楽しんできます( ´ ▽ ` )

 

第20回 佐倉“江戸”時代まつり ~江戸風情と賑わいの一日~ | 千葉県佐倉市公式ウェブサイト

f:id:dbd-hans-collection101:20181111074231p:image

全部正解なんて無いように、全部間違いなんて事もない

こんばんはdbd 半です。

 

今日は夜遊び半ちゃんです。

深夜0時23分今なぜか上野にいます。

はい、帰り道を間違えました。

 

 

どうしても団体メンバーとお話ししたいことがあり、珍しく平日の時間を使ってのことでした。

ついつい話は長くなります。

こういう時間は貴重です。

お酒を飲んでいるわけでも無いのに、時間が過ぎるのが早いの早いの。

 

それでも終電を確認したら、余裕で帰られる時間でした。

のはずでした。

ここは、お約束を破らない性格のようです。

柏から新松戸で乗り換えという文字を確認したら、着いた駅名は松戸駅

あら、ここじゃ無いのかしら?

確か乗り換えは新松戸駅のはず。

 

もう一度車内に乗り込みます。

シューッ

ドアが閉まります。

 

北千住

 

 

北千住?

 

 

 

ふっ、いつものことです。

そうなんです。

私はどうもこういう時、間違いなく間違えるのです。

少し言い訳をするのなら、一つめで電車が遅延していました。すでにその時点で、どこか見るところを間違えていたのかもしれません。

 

そう言えば、むかし、母親に、豆腐を買ってきてと言われて、何度も念じて自転車に乗って買い出しに出た事があります。

もめんもめんもめん、、きぬじゃないほうきぬじゃないほう、きぬじゃないほう、 きぬきぬきぬ・・・はい、もうお分かりですね?

 

こういう性格なのも、もう慣れっこです。

何年自分と付き合っていることやから。

次は間違えずに、帰られるようにしっかり調べます。

 

ダメ

 

ダメ

 

めっちゃ遠っ!

 

仕方ない。

 

到着予定朝5時は無視して、遠回りでも着実に変える選択をしましょう。

 

北千住から、日暮里、日暮里から秋葉原秋葉原から西船橋

 

西船橋

 

こうなると、西船橋の文字を見るだけで安堵感が。

 

私、本当に千葉から、と言うか、地元と会社以外出歩いてないなぁ。

 

今ようやく秋葉原から総武線に乗り換えられたので、もう安心です。

 

終電〜

終電〜

 

ま、こんな夜遊びしちゃうなんて、いけない半ちゃん。←もうへんなテンション

 

終電て、こんなに混むものなんですね。

たくさんの人が経ったまま、千葉方面へと電車が走ります。

 

 

さて、この間に前回の続きを書きましょう。

え、前回の話って何だったって?

はい、相槌のおはなしでした。

何かを、コミュニケーションをするのにあたって、イエスノーの前に、「聞いてるよ」って、大事だよね?ってお話。

 

 

でもね、もう一方も話も書きたかったの。

それはね、発信者側のお話。

 

前回の記事は感情的になる部分があったのね。でも、一方で、自分がそんな空気にさせてしまったんだなって思う部分があるの。

 

誰しも、率先して意見を言えるわけでも無い。

意見を求める前に、聞こえてるかどうかの話なんだけど、それも言える空気言えない空気ってあるよね?

 

私にはそんな空気を作ってしまった一因があるのは、間違いないの。

全て私のせいだなんて、それはそれでおこがましいと思うのね。

皆や相手があっての今だから。

でも、結果というのは皆の行動や意思が折り重なって現れる瞬間瞬間の事だから。

 

ここで、肝心なのは、折り重なるのをやめないこと。

やめるのは簡単。団体でも、個人でも。

でも、その先に、行きたい<場所>があるのなら、今はその過程でしかないから。

どうにだって道は繋がっていけると思うんだよね。

 

こうなった一因があるのなら、行きたい場所へ向かう方角をズラす一因にも私はなれると思うの。

 

自分がなんでここまでしなきゃならないの?なんて昔なら、思ってたかな。

 

そういうのはさ、どうでもいいんだ。

いや、時には感情的にはなるけど、何か違うと思うのなら、いつもと違う行動を起こせばいい。ま、シンプルにそれだけの話。

自分に素直になって、どうしたいか?って自問自答して、動きたいってタイミングに行動を起こす。

自分きっかけなのか、誰かきっかけなのか、事象きっかけなのか、それはその時。

 

ただ、間違っちゃいけないのは、全否定すること。全てが正しいなんて事は無いように、全て間違ってるなんて事もない。

自分の中で違うと感じるのなら、良いと思う方向に修正すれば良いと思うんだよね。

 

きっとさ、その積み重ねがあって、その部分が太くなって、行きたい<場所>へ辿り着けると思うんだ。

 

人に対して、求める部分はあるよ。

だって私、人間が好きだし。

人との関わりは、他には変えられない。

 

でも、自分なりの核になるアンサーにはさ、迷い無くオッケー出して良いと思ってるのね。

 

変える部分は、ほんの一部。ほんの何かのきっかけで、一因になって、結果という瞬間瞬間が生まれるんだ。

 

だから、全て間違ってるなんて事は、人生において、ほぼ無いと思ってる。

 

だから、人はいつだって輝けるし、人は変われる。自分は変われるし、物事は変わる。

変わりたい方向をしっかりイメージして、方角を確認、どうすればいいのかを考えてやってみる。

それだけ。

 

それだけの話なんだけどね。

 

相槌の話では、相手に求める部分の話だったけど、そうではなくて、自分の中で変えられる事がまだまだあるはずだと思ってたの。

 

私だけの力でなんとかなるとこともあれば、なんともならないこともある。

 

でも、大事なことなら、自分を信じてブレずに行動することって、何より大切。

 

すぐに辿り着かなくたって、すぐに辿り着いたって、どっちでも良い。

今、目の前のお題に、自分がどう向き合うか。だよね?

 

 

あぁ、なんか深夜半ちゃんだね。ちょっと眠気モード→無駄に饒舌。

 

 

 

さて、書いている間に無事我が家にたどり着きました。急に視界が明るくなって、眩しいε-(´∀`; )

電車気をつけないとね。

 

ま、またやっちゃう可能性大だけど。

遠回りしたお陰で記事を書ける時間がありました(^^)

 

明日も仕事だー。あ、今日か。

ま、何とかなるっしょ。

 

あいづち

こんにちわ、dbd半です。


最近、大人のほうが、相槌を疎かにしているような気がしています。

 

相槌・・・別にすべてにYESとして答えを求めているわけではありません。
ただ、私の話は理解できますか?どうですか?言葉足らずでしたか?ということを知りたいと思います。

 

芝居仲間、ダンスグループ、家族間、友人間、そのほかのグループ。
私も複数の仲間とラインでグループ機能を使い、話を共有しています。

ですが、若年層というより特に良い年した大人に見受けられるなと思うのは、いわゆる既読スルーと言うやつです。
ネットの普及で、様々なかかわりができるようになりました。

 

言いたくないことを言わなくても構わないと、基本的に良いと思っています。
でも、大人だったら、「返事ぐらいしろよ」「挨拶くらいしろよ」「分かったか、分かってないかくらい言えよ」そう思います。

 

子供のころ、教わりませんでしたか?
「挨拶は大きな声で」
「始めと終わりはきちんとしよう」
「お返事をしましょう」
子供の頃に教わることは、大人にとっては常識だと思いますが、私が間違っているのでしょうか?


芝居間にとどまらず、家族間やその他のグループでも、こういったことが気になったことが最近立て続けにありました。
なので、どこか・・・と言うのは控えます。
ま、要はずっと思っていたことの一つと言うわけです。

 

職場で教える側をしたことがある人なら、一度は思ったことがあるはずです。
”この人は私の話で理解してもらえているのだろうか?”


挨拶できない人は仕事はできない・・・なんて事は言いません。
できる人はできます。
ただ、自分がされて嫌なことはしない方がいい。
逆にしてもらって嬉しかったことはしていこう。そう思っています。
どうしても、気が向かないことは、私にもあります。無理に必ずしろと言うわけではありません。
しかし大人として生きる先輩として、どうあるべき姿なのか、どうしていきたいのかは、まず大人が見せなきゃいかんと思うのです。


芝居でも学校でもクラブでも、新人の人が入ったなら、まずは元からいた人を見習うのは、当然です。
そこに年齢的なものではなく、在中している人が先輩になります。
メールでも、対面でも同じ事です。
メールだからしなくてもいいとか、直接会ったのならちゃんとできるし、なんていうのは、傲慢さを感じます。


簡単な想像をしてみてください。
新しいドアを叩くとき、皆さんは緊張しませんか?
上手くやっていけるだろうか?どんな人がいるのだろうか?
そんな面持ちだったはずです。

初めての空間に入るのはとても勇気がいります。知り合いが一人二人いても同じです。
新しいところに自ら飛び込むときは、いつでも緊張と戸惑いがあります。
在中メンバーもそれは経験してきたはずです。

ドキドキのさなか、ドアを開けた瞬間。

 

 

「はじめまして○○です。よろしくお願いします」
シーーーーーンf:id:dbd-hans-collection101:20181101143004p:plainこれって、どういう心境でしょうか?
相手を知らないのは当然です。お互い様です。
だから挨拶しているんです。
なのに、既存のメンバーが誰も何も発しない。
既存メンバーからのウエルカムの姿勢が無いのと在るのとでは、その後の取り組みの差が大きく違います。
実は、こういったことを目の当たりにしたのは1度や2度ではありません。
所詮、メール、所詮ライン・・・かもしれませんが、団体としてそれでいいのでしょうか?


そもそも挨拶というのは、コミュニケーションをしやすくする第一口です。
電話の時に、なぜ「もしもし」というのか、知っていますか?
最初の音は聞き取りずらいんです。
たいていの場合、「もしもし」の「も」の音は切れてしまいます。
「もしもし」の後からなら、本題の話が聞き取りやすくなり、聞く姿勢になり話を受け入れられます。
一方、話す方も一度声を出して、自分の声のトーンや癖を耳で聞いて感じています。
次に出す本題の内容に話し方を調整して次の話を始められるんです。
つまり、双方にメリットがあるのが、言葉としては意味のない「もしもし」なんです。


挨拶できない。相槌打てない。イエスもノーもない。
そんな事が、当たり前で良いんでしょうか?


発信者の内容が明らかにチンプンカンプンで意味不明な内容なら、私もスルーします。
ですが、基本的に内容に同意しているとか同意していないとか、そんなのは二の次で、私の声は届いていますか?の確認作業は必要なことです。

相手やその内容を理解しようとする姿勢が在るの無いか?まずはそこからでは無いでしょうか?

 

 

*    *    *


なぜ、芝居ブログで、こんなに相槌や挨拶に語気を強めているか?というと、それは必ず芝居に影響するからです。
演出と役者、役者同士、役者とスタッフ、スタッフと演出。
あらゆるコミュニケーションが芝居を形成する礎です。

「もしもし」同様、初歩的なコミュニケーションがとれる間柄は次の本題に入りやすいのです。
次の本題に入りやすいという事は、決められた時間の中で、クオリティの高いところを狙えるという事です。打点の高いところで打てば、高得点をとれるチャンスは高まります。

 

良い団体、良い組織は内部のコミュニケーションが素晴らしいです。
一人が質問を投げれば、別の人が質問の意図を汲み取り、分かりやすく説明したりできます。一人が問題定義をすれば、別の人やさらに他の人が、アイディアを出したりできます。
それができる団体と、そうではないワンマンで進行する団体との差は、大きい。

 


私が営業経験をしていることが、ここまで強めに言える理由でもあります。
上手い営業マンは、必ず相手の相槌を引き出します。
相手がわかってないと思えば、応えやすい質問に変えたり、相手の興味のあるものに話を変えます。
そして、トークの要所要所で、「そうですね」と相互理解を確認し、それから「せーの」で次の段階の話をしていきます。
話の内容のイメージが共有されているから、次の話も分かりやすくなります
上手い営業トークは聞いているだけでも気持ちのいいものです。

 

対して、下手な営業マンは相手のことを気にしません。自分の知識のノウハウをただ津々と話し続けたり、自分の目線での話でしかない。買う気満々だったとしても、意気消沈、最終的に購入したとしても良い気持ちは残りません。

この違い、雲泥の差だと思いませんか?


上手い営業マンとの会話は、それだけで高揚しますし、勉強になります。
それだけ相槌と言うのは、とても重要なことなんです。

「お互いここまでの話は、理解していますね。(うん。)では次の話をしますね。」
「お互いここまでの話は、理解していますね。(うーん。)ではもう一度話しますね。」の大事な合図です。


と、ここまで言いましたがもちろん私たちは営業マンでもなければお客でもありません。
お客ではないんです。もう一度言いますね。お客ではありません。
相手を喜せようとすることはあっても、喜ばしてもらえる人はいません。
団体に所属したからと言って、サービスを提供してもらえるなんて思うのは大間違いです。

営業マンが相手なら、手を変え品を変え、お客さん(自分)を喜ばせようとします。そこにはマネーの対価があるからです。
芝居仲間の間でそんなことがあると思いますか?

そう、答えは、NOです。

 

誰も自分を楽しませてはくれません。自分が楽しもうとしなければ、誰もあなたを楽しませてくれる人はいないのです。
そんな「待ち」になった状態が続けば、いったいどうなるでしょうか?
楽しくないと思いませんか?
せっかく意思を持って参加した団体を、自分の中で有っても無くてもいい存在にしてしまって良いのでしょうか?

しつこいようですが、もう一度・・と言うか、たぶんこれからも何度も言うと思います。

「自分を楽しませるのは、あくまで自分です」
自分が楽しむために、どうするのかは自分次第です。


そして芝居は、お客さんがあってこそです。
お客さんを楽しませるのは私たちです。
さきほどの営業マンの話に戻りますが、自分の知識や価値観を押し付けるだけの人に誰も、相槌を打たないでしょう?

じゃ、どうすればお客さんが相槌を打ってくれるよう作品を作れるでしょう?
相槌をうつ、共感できる作品を作る、人を楽しませる作品。

そういうものではないでしょうか?

 

さらに具体的に、どうやって相槌ができるような作品が作れるでしょう?

分かりません。

私も、まだ模索中だから。
でもまずは自ら体感することではないでしょうか?そして、客観性を持つことです。

 

「こうしたら、こう見えるだろう?」
「こうしたら、こう思うだろう?」

「挨拶をして挨拶を交わせば、嬉しいだろう?」
「うなづいて、話が盛り上がれば、楽しくなるだろう?」

「挨拶をして、だれも返事を返さないのなら、どんな気持ちだろう?」
「話を聞いてほしいのに、無反応だったら、どうなるんだろう?」

 


冒頭で言ってしまいましたが「返事くらいしろ」「挨拶くらいできるでしょ?」そう相手に言うのは、簡単です。
簡単すぎるくらい簡単です。
でも、これには漏れなくプラスアルファ、「圧(あつ)」がかかります。
それは、今の私には余分な気がしているんです。

圧は、みんなの心を縮まらせます。
瞬間的なものかもしれませんが、それは根強く心に残るものです。
何より、強制してやらせるものなんて、アマチュアの演劇サークルには不要でしょう。

だから、私も書いてはいますが、悩んでいます。
悩んでいるからこそ、たかが相槌、たかが挨拶くらいで、こんなに長文を書いてしまうのでしょうね。(笑)

 

 *    *    *

なので、ここまで読んでくださった方が、どのように受け取ってくださるかは自由です。
こんなことはあくまで、半の思うことであり、一般的にはもう古い考え方なのかもしれませんし。
既読してくださった方が、半の文章を読んでいただき、自らどうするかを選択してください。

ぶっちゃけ挨拶一つしようがしまいが死にはしません。

願わくば、ささやかな事象ではありますが、自身の後悔の残らない選択を。

 


私は先生でも無ければ、指導者でもありません。
ながながと書き綴っていますが、それは教えでも何でもない、ただ半が感じていることです。
いちプレイヤーとしてどうあるべきかを、いつも考えています。

 

アマチュアはプロより面白い

お疲れ様です。どうもdbd半です。

前回自分の稽古動画について書かせていただきました。
恥ずかしいけど、出来ているか出来ていないかは、自分で見るのが一番です。

 

★そうそ、前回言っていませんでしたが、全部だめだから見たくないっていう方、いると思いますが、私は自分の動画を見るときは、「自分は小道具の一つ」くらいにしか認識していません。

置く場所が悪かったな、使い方イマイチ、向きを変えよう、そんな感じです。考え方だけですが、小道具の一つだと思ってしまえば見れると思いませんか?なので、「ヤダ」「恥ずかしい」「見たくない」は考えないようにしています。ww

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 

 


昨今では、ダンスは、音楽市場、芝居中、ドラマ、学校、とても身近になりましたね。

でも、見るとやるでは大違い。

 

見れば見るほど、難易度の高さを感じます。

芝居でも通じることですが、自身たちが気持ちよくなればいい。・・と言うのは根幹にありますが、それをエンターテイメントに昇華するには、かなりの道のりだと思います。

 

エンタメと一言で言っても様々ですが、他者を楽しませる側に行くのなら、自分との葛藤がついて回るでしょう。

自身の向上心と怠惰と妥協との葛藤。

メンバーに対してどこまで言動を行うかの葛藤。

あらゆる外的要素をどう扱うかの葛藤。

それら全てが自分に降りかかってくるのです。


かと言って、いやいやで<作業>になり下がったものに、人は共感しません。

心から溢れるものに、人は共感して共鳴し、感動するのです。


すなわち、エンタメに持っていくのなら両方が必要だと言うことです。

 

表現するツールを、自分のお楽しみととらえるのか、他者を巻き込んだそれ以上のものを目指すのか、この差はとても多きい。
(社会人になった私たちにとって、どちらかが上とか下とかそういうわけではありません。あくまで方向性の違いです。)


ダンスは無声のため、すべて動きで表現することになります。
芝居なら、声の美しさ、感情のぶつかり合い、所作、もろもろ。見せどころは複数あります。

 

ダンスは動き一点集中。

 

一人で踊れば、それだけ魅了するpaworが必要です。
複数で踊れば、ほかのダンサーとの動きが揃わないと、とても残念です。

 


私が今取り掛かっているお題の曲は動きがとても速いんです。
そのため、先生の動きを一時停止・再生を繰り返しながら、動きを確認しています。
一瞬過ぎて目で追えない(^^;)
(そういえば、昔アニメの一つづつの動きが見たくて一時停止・再生を繰り返しながら見ていたことがありましたが、皆さんはしませんでしたか?なんだかデジャブww)


だからでしょうか。
見れば見るほど、「ちゃんとしないとやべぇな・・・」と緊張感が走るのです。

 

週一ペースで始めてまだ数ヶ月です。
できなくて当たり前です。
でも、のんきに週一回2時間のペースのレッスンだけでどうにかなるような、半ではありません。


不器用で、記憶力が弱く、リズム感も中の下。
これが分かっているのなら、やることはおのずと見えてきます。
体の動きを作るのに、直近一ヶ月じゃ遅い。
これも以前に別の時に経験させてもらったことでした。
長期的に継続的に行うことが大事。

 

 


グループラインの中で誰かが質問したのでしょう。


"どうしたらもっと上手くなりますか?"

 

切実でピュアな質問です。
私も思うところがありました。

 

"私も上手くなりたくて朝・放課後、毎日練習しました"


"毎日練習しました"

とてもシンプルですが、なんだか、胸が熱くなりました。
私は今何をしているのでしょう?
隣の芝生は青い・・・ように見えるかもしれません。
でも自分の芝生もちゃんとお手入れしてやれば、どんどん青くなれる。

 

素敵だなって思う人は、それだけのことをやっています。

 


半はプロでは無いけど、私なりのプライドがあります。
だからこそ頑張りたいと思える。


そして「プロよりもアマチュアのほうが面白い」と思える瞬間があります。


青臭くて、完璧じゃないかもしれない。
でも、純粋に気持ちをぶつけて、時には粉砕するかもしれないけど、何かを必死に求める心があります。

私は、そんな本能的な人間臭いところが、大好きなんです。

頑張っている人、頑張ろうとしている人を応援したいです。
私自身も応援されれば、私の力になります。

 

 

たまたまの出会いですが、私は私が思っていた以上に、自分にあったダンススクールを見つけたようです。