dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

自分のための演劇サークルがあったって良い

 

おはようございます。

dbd半です。

 

先週末から好天で、初夏の匂いを感じています。

明日から曇りマークもついて、お天気も梅雨の下準備に余念がないようです。

こうなると虫さんが元気になってきますよね。

虫刺され、日焼け、皆様もお気を付けくださいね。

 

日曜のふぁんふぁんカンガルー企画稽古(~大人も子供も冒険できる場所~)から明けて数日、いつも通り朝から出勤をしている自分を褒めてあげたいと思います。偉いぞっ!

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

当たり前だろ⁈

ですね。^^

 

数日経ち、ふぁんふぁん稽古で良かった副作用というか、お持ち帰りがありました。

普段の生活の会話に「good!」「いいね」が何気に増えていたことです。 

 ※ふぁんふぁんでは、半は皆様のサポ役・進行役です。今回は進行役を二人で行いました。

 

ふぁんふぁん稽古のお約束、現時点でのことですが、続けたいと思っていることがあります。

これは、私が演出をする際にも起用していきたいことなのですが、

「相手を否定しないこと」

です。

 

稽古場では、基本的に演出が仕切り、役者が演出からダメだしをもらって、それをクリアしていくことで作品の向上を目指します。なので、演出は厳しいお客様でもあり、自分を成長させてくれる親父おかんのような存在だったりします。

 

ですが、何度も言いますが、私たちはアマチュアです。

否定されれば傷つくし、面白くないとレッテルを張られれば萎縮してしまいます。

だから私は、自分の稽古場はできる場所”で、ありたいと思っています。

 

ほかの演出さんやリーダーもそのように考えられている方もたくさんいらっしゃると思いますが、言い回しなどに語弊が出るかましれません。いつも通り半個人の考えということで解釈いただければと思います。

 

 

「相手を否定しないこと」

と言っても、難しいことはたくさんあると思います。

訳が分からないことを言われたり、指示内容が届かなかったり。

人対人なので、時にはムッとしてしまうこともあります。

 

なので、これを分かりやすく言えば、どんなにへんてこなこと、理不尽なことを言われても、一度話を飲むこと、それだけです。

頭の中で、それを解釈してみないことには、本来、肯定も否定もないんですよね。分かっていても、これも難しい。

 

ただ、そのとっかかりとして、まずその発想いいね!と言ってみることです。

 

妙きちりんであればあるほど、自分の考えとの意外性があったということです。

自分では考え付かなかったことを誰かが言ってくれたことになります。それは、進行役をしている者にとっても、自分の枠を壊してもらう大きなヒントになります。

そうすると、意外な発想に、素直に小さな感動があるのです。

 

 

これが、子どもだったらどうでしょうか。

変なこと、やりまくりですよね?(笑)

子どもは大人の枠になんかはまりません。

それで良いんです。

それが良いんです。

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 *   *

 

もちろん静かにしてほしい時もあります。

でも、ふぁんふぁんの中では、それも そこそこでかまいません。

子どもに静かさを求めれば、大人が気を使うからです。

よくある景色です。パパやママが周りを気遣いながら眉毛を八の字にして、子どもにはきつく叱り周りには「ごめんなさい」と小さくなっている光景です。

ふぁんふぁんでは、そんな気遣いもしてほしくない。

しゃべりたい時は、しゃべって良い。

でも、おしゃべりより面白そうだっ。自分のやろうとしていたことより、なんか面白そうだ。そう思ったら、一緒にやろう。

お話をよく聞かないと、ルールがわからないぞ~~~。

どんなことをやるのか、よく聞いてね~~。

そんなスタンスが良いんです。

 

 

もちろん子どもなので、危ないシーンがあります。

そんな時は、直の親関係なくお互いがフォローしていきましょう♪

そんなことを最初に述べました。

 

 

するとね、半は自然と「いいね!」「good!」なんて言葉を連発していました(笑)

 

なんだろう。

その延長線上というか、名残というか。それが、普段の生活でもチラホラ。

ふと思うと、家のことで今までだったら、イラッとしちゃってたことに「good」ポーズしてたんですよね(笑)

 

 

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 なんか、自分でも意外な効果・・・。

 

 

 

でも、アマチュア芝居のいいところって、こういう所もなのかなって、思いました。

私は作品作りが好きだし、お客さんに見てもらって、なんぼ。メッセージを誰かに伝えたくて仕方ありません。それは、変わりません。

 

でも、見せる見せないとかじゃなくて。

お客さんに評価されたいとか評価したいとかでもなくって。

お客さんに楽しいんでもらうとかでもなくって。

もっと根本的な根底的な部分で、

もっともっと自分のための芝居をやっていいのかなって。

 

自分のための演劇サークルが、もっとあってもいいのかなって。

 

誰かのための演劇表現ではなくて、

 自分を解放するための演劇活動があってもいいのかもしれません。

 

 

ふぁんふぁんの稽古場は、きっとその一つ一つが冒険で、お宝さがしなんだろうな。(^^)

 

 

そして私よりこんな環境を求めている人は、きっともっと沢山いるんだろうなぁと思っています。

だって、芝居をやりたい人はもともと自己表現したい人なんだもん。

そんな人が、リアルな生活に自分で押し込めようとしていたなら、それは負荷が大きいよね。それはきっととても辛いこと。

 

 

まだ、一回の稽古でしかないんだけど、展望は大きくってさ、人が集まれば集まるほど、またいろんな可能性がある企画です。

その分、冒険できるし新しいお宝が発見できるかもだしね。^^

 

 

dbdメインの活動ではありませんが、こちらも随時記事更新していきますね。

可能性は無限大∞

 

あ、dbdメインはメインで動きますので、そちらもよろしく(^^)

 

ふぁんふぁんカンガルー企画稽古 始動

今晩は。dbd半です。

dbdとしての企画ではなく劇団ギルドわむの中の企画として、親子(大人だけも可能)で参加できる稽古を今日行いました(^^)

 

 

いっやぁ〜楽しかったね!

 

子供の自由性って、本当に無限大。

なんか、反省点もあったし、もっとこうできたんじゃねってたっくさんあったんだけど、また一周まわってきて、やっぱ楽しかったね!

 

何より一番フラッシュバックするのが、参加してきてくれた方の、今回は、大人は私を除いてママさん4人だったんだけど、そのママさんたちの笑顔なんだよね。

なんか、弾ける笑顔っていうかさ。

 

 

子供が言うことを聞かないなんて、当たり前だからさ、全員が一緒にするって言うのは難しいけど、それも前提にあることだから、それさえもなんか微笑ましく思える。

 

そいで、そんな子供達が、もう一回やりたいって言ってくれたりとか、ママじゃない半の膝の上に乗ってきてくれるとか、もうマジで嬉しい。

 

半吉はもうここ数年で一気に子供好き。

なんつーか、全人類の子供が可愛い(笑)

そりやぁさ、自分の子供は一番可愛いさ。でも憎たらしかったり、キーッてなったりするさ。

それが、少し離れた信じても良い人の話なら、子供だって話を聞いてくれたり本音を言ってくれたりする。

直の親もムキになって怒らなくて済む。

 

まずは、そんな手応えがあったのが大きな発見だったなぁ。

 

子供よりに合わせて稽古内容ではあったけど、きっともっと大人も安心して自由になれると思うんだよね。

 

まだまだ、攻略するところはあるけど、それはもっと良くなるってこと。

 

特に今日参加してくれたママさん方、マジ👍グッド👍チームプレー!

 

半もまだ、もっとこうしたらこうできたんじゃね?って事あるんだけど、みんなの顔思い出してたら、それも良くなってきた!!(笑)

 

参加してくれた皆様、

お疲れ様でした。

マジありがとうございました!

 

また、次回、やってみましょう♩

 

※もし、ふぁんふぁん(略語)にご興味が湧いた方いらっしゃいましたら、月一ペースで進める予定です(不定期)、まずは、劇団ギルドわむに、問い合わせてみてね(^^)

https://www.stagewam.com/

ツイッター、メアドから半に直接ご連絡いただいても大丈夫です🙆‍♀️

 

☆メアド

dbd.hanscollection@gmail.com

ツイッター

http://twitter.com/@dbd_han

 

まだじんわり、あったかい。余韻が残ってる(笑)

 

ショートストーリー「寡黙な男」

こんにちはdbd半です。 

そろそろ梅雨時期でしょうか。昨日今日と特にジメジメしていますね。

 

さて、ツイッターのほうで、思いつくショートストーリーを気まぐれにアップしています。

ダークのだったり、ヘンテコだったり。

どうやらショートストーリー<とあるところシリーズ>があっているようで、割と次から次へと浮かびます。

創作意欲の出し口としては、ちょうどいい感じです。

 

今日もその一遍が浮かんだのですが、ちょっとナイーブな内容なので、ツイッターではなくこちらに挙げてみようと思います。

思い当たる人には、ちょっとキツイかもですが、よろしければご既読くださいませ。

 

※時間があれば動画アップも考えております。

絵は浮かんだのですが、素材足らずで断念。f^_^;もし、ユーチューブに挙げたら、おしらせしますので、是非また見にいらしてください^ - ^

 

 

 

「寡黙な男」・・・・・・・・・・・・・2018/05/30  dbd半

 

 

とあるところに、一組の夫婦がいた。

ハムエッグを乗せた白い皿をテーブルの上においた。その手が残り、女がポツリと呟いた。

「どうして、私たち子供が出来ないのかしら」

男は黙っていた。

朝食はいつものように美味そうだった。だが、それを女に伝えた事は無かった。


女はただ逡巡していた。これは、ずっと考えていたことだった。どうして今、口をついて出たのかはわからない。でも、ポンと口から飛び出したのだ。
女はもうすぐ四十を迎えようとしてた。


男はどれくらいか経ったか分からない間の後、こう返した。

「できる時にはできるよ」

女は怒りを覚えた。
何を他人事のように。男はそれで良いかも知れないが、女には体のタイムリミットがあるのだ。自分はそれで良いかも知らないが、私は違う。
そう言って引き出しから勢いよく取り出し、判子を押した紙ペラ一枚を投げつけてやった。
の、つもりだった。
現実は、ただ床を見つめ、呆然と立ち尽くしているだけだった。

  *    *

女は公園にいた。
木陰のベンチに座り公園で遊ぶ親子を眺めていた。

無邪気な仕草が可愛らしかった。
ボールが転がり、女の前に来た。女は笑顔で投げ返してやった。
お礼を言って親元に向かう子供を見ていて、自分にはもう体験できないのかと思うと、やりきれなかった。


やがて男がやってきて隣に座った。
男はまたしばらく黙っていたが、珍しく言葉数多く語った。

 

「自分たちには、子供は出来ないかもしれない。どうか分からない。
でも、俺たちが生きることで、人と関わることで、影響をしながら、次の世代に続いていくと思っているんだ。
それは次の世代を育てるって事なんだ。
だから、俺たちにとって、これから生まれてくる子供たち皆が、子供なんだ。

俺は、・・そう思ってる。」

 

女はいつも寡黙な男が、ぎこちなくとも何とか言おうとしていることにまず驚いた。
そして、納得できているはずもないのだが、答えを求めるでもなくこう聞き返していた。


「私が投げたボールは誰かを育てるのかしら?」


男は、女を見つめていた。そして黙って、またぎこちなくうなずき、しっかりと女の肩を抱いた。

女は驚いたが、そのままでいた。
女の肩に温かさが伝わってきた。温かさは徐々に伝わり頬にも伝って流れた。

ポタリ、ポタリと、服にいびつな円形のシミができた。

 

女はこう思った。
いますぐに、そんな風に思えるはずはない。

自分の子供と他人の子供は違う。

それは、どうしようもない。

どうしようもない。

私はただ子供が欲しかった。この手で育てたかった。子供と過ごす時間を、ずっと描いてた。

まだ、わからない。わからない。


でも、でも、もし、それができないなら・・。

 

私の行動が、言葉が、次の世代の子供のためになるのなら、どれだけ私の救いになるだろう。
どれだけ私の価値になるだろう。

どれだけ・・・。

 

 

穏やかな昼下がりの公園、木陰で女はひっそりと嗚咽をこぼし始めた。
風が吹くと木々の間から日差しがこぼれ、向こうでは明るい子供たちの元気な声が鳴り響いた。
男も何も言わずに唇をしっかりと結びんでいた。男もまた外傷のない痛みにぐっと耐えていた。

 

 

何でもない昼下がり。

二人は芝生を見つめていた。

親子で遊ぶその姿はとても眩しかった。

二人は何かを語ることもなく、ただ互いに温もりを感じあった。


そろそろ蝉が鳴きはじめていた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

悲惨な事件や有り得ないニュースを目にします。その度に、やりきれない思いが増幅します。

 

私にとっても、作品は一つ一つが小さな子供です。

今、目の前にいなくても、全てが影響しあい、いつか後世に何かを伝えられたらと思っています。

 

くだらないことでも良い。子供達の心からの笑顔が見たいです。

 

 

年上

こんにちはdbd半です。

 

運動会シーズンですね。

私の住むところでは、小学校が近くにあり、ベランダからは校庭の一部が見えます。

先週は運動会の録音機の音や、運動会用に選曲された音楽が朝から漏れ聞こえていました。

 

私の頃とは違い今は5月に運動会をやるところが多いようです。

小学生の頃を思い浮かべると、こうも芝居にはまり歳を重ねてもやり続けるようになんて思いませんでした。ですが、その片鱗は確かにあったのを記憶しています。

 

物語が好きでお芝居も好きでした。でも、学校に来てくれた劇団の方が見せてくれた作品に本当は感動していたのに、クールな友達がいる手前、良かったと声を上げて言う事はできませんできた。クラスの演劇発表の時も、目立つのが嫌でなるだけ端役を希望しました。

 

今、小学生の子供たちの中にも、トキメキはあるもののひた隠ししている子がいるかもしれません。そんな子供達が好きな表現を自由にできる将来であればと、願わずにはいられません。

 

 

 

さて、

ずっと書こうと思っていたお題ですが、これには勝てないと思うものがあります。

「年」です。

今日は、「年」について。

約10年ブランクがあって、土地柄としても仲間のいないところからdbdはスタートしました。

そして気づけば、同年代の方というのは、ほぼいない状態でした。そりゃ10年前とは異なりますよねf^_^;

ま、会社でもそうなんですけどね。うちの会社は、4.50代の方が先導を切っていて、そこから20代がちらほら。30代はほんの数名です。

 

どこまでもフリースタンス♪(´ε` )

同世代というのは本当に貴重だなと思う昨今です。

 

今、私の世代で続けてらっしゃる方といえば、昔から劇団に所属したりしながら続けている方か、私のようなブランク組です。

そして、その中でも二つに別れます。

主催側でやりたい人と、役(もしくはスタッフ)を全うしたい方です。

 

半はリスタートしてから「初めまして」の方にお会いする機会が沢山ありました。

そしてその大半は、思ったより年下だったのです。同世代かなと一括りで考えていましたが、実年齢を聴くと自分より下の方がほとんどでした。おほほ。

 

普段から何事においても甘えたい体質の半ですが、そればかりじゃダメかもしれないなぁと、思い始めております。

 

半は学生演劇育ちです。誰かに師事を仰いだこともなく仲間内でわいのわいのと、作り上げていくのがスタンダードでした。高校の時なんて演出もいなかったくらいだったしね。

そういった性格は後輩ができてもそれは変わらずで、今も続く後輩は、私のことをよく分かってれていて上手く扱ってくれていたように思います。

 

だから根っからの末っ子体質と、培われてきた甘えたい症候群は、人より半端ないのです!

わざわざ、強調するなって?(笑)

 

いや、もうこれは仕方ないよね。性分なんだもん。甘えられると分かると無性にうれしくなるの(笑)。オヤツもらったり、フキフキしてもらったり、こっちだよと手を引っ張ってもらえると、気持ちがぽわ~んとなるわけさ。

さらに天性の不器用さがプラスしているから誰かからのご尽力がなければ生きていけないんすよ!まじで(笑)

 

でもね、それでもしっかりせねばなぁと思い始めているのには、私より手をこまねいている人のほうが多いんだろうなぁって最近思うんです。

 

例えば、初めて会う人ならこうだよね。

最初に「初めまして」って自己紹介するでしょう。

そのあと、お互いどんな人だろうって、警戒と探り合いがあるじゃない(言い方っ!)。

で、会話でもインプロ(即興)でも、シアターゲームでも、お互いの押し引きを測りながら、コミュニケーションをとるよね。で、ちょっと距離が縮まったり、好きなツボ、嫌いなツボがわかって行ったりする。ちょっと距離が縮まる、みたいな。

 

第一に、芝居を始める人は意外と人見知りが多い

    ちなみに半も自分の畑以外はダメ。※でもこれも時により自分でもよく分からん(^_^;)

第二に、どうしたら良いかわからない

     芝居経験者と未経験者さんであれば特にその差はあるよね。

     皆このあと、どうしたら良いかわらないってなるよ。

そして、第三に、私は経験者で年上だという事実。

     私は、芝居でさほどできるわけでもないと思うし、プレイヤーでありたいと思っている分、人に教えられるようなテクニックがある訳でもない。人を引っ張っていきたいって性質が、根本から無い。

 

でも、だからと言って、いつまでも甘えちゃてちゃいかんなぁって事なんですよね。

あ、言うけどね。甘えたいっ甘えたいって言うけどね(笑)。これからも(笑)。

でも、どうしたら良いかもわからない子たちがいる中で、お互い遠慮して無音で時間をつぶすより、先に半はこんなだよって、提示してあげるだけでも、違うのかなって、思ったの。

 

そいで、私は敬語は敬意だと思ってしばらく年下の方にも使っていたんだけど、返って相手に気を遣わせてしまっていたのかなって、感じたのもあったんだよね。

これは、たまたまだけど、主催をやってる年下の方と喋っていたときね、ポロリとタメ口で喋ったら、明らかにいつもよりリラックスしているように喋ってくれたの。

 

私は自分が思っているより、お姉さんなんだなぁって・・・実感。

 

お相手のほうが返って私に気を使ってくれていたんじゃないだろうか・・・と。

もちろん人によることだと思うんだけどね。でも先方が気を使えば、余計に気を使うことって、あるよね。

はい、そこ。ちっちゃく、おばさん・・とかは言わないように!

 

幸いなことに、良い年齢にも関わらずおばさんて呼ばれたことが無かったんだよね。

親戚ですら、ちゃん付けで呼ばれてる(笑)ちっとも年上らしくない!

 

ま、てなわけで、内面的には、狭いとことか暗いところとか大好きなんだけど、もう少し堂々としているほうが、後人にとっては楽なんじゃないかって思ったんだよね。

 

私?私が無理してないか?

ん~~、どうだろうね。無理してたら泣いちゃうかもね(笑)泣いちゃったら泣けばいいし(←やっぱり年上っぽくない(笑))、そうやって大人になってくんだろうねぇ。うんうん。

何より、私は相手に気を遣わせてしまって薄くても分厚くても壁を作っちゃう事より、フランクに話せる接し方をしていきたいなぁと思うのです。話し方や接し方のこだわりは、その次かな。

 

そういった中でこそ芝居作りは面白くなっていくと思うから。

 

ま、やろうと思ってすぐにできるわけではないので、

出来ることからコツコツだろうけどね

( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

 

 

 

芝居をやってたからなんです。

こんばんはdbd半です。

一週間、良いことと残念な事、楽しいこと、困ったことが、ぐるぐる回ってきていました。

もうここで書ききれないっ笑

 

何というか、今回はやはり一番良かった事を書きたいと思います。

 

昨年末、私は自分の話を一つコンクールに出していました。

書き物のコンクールなるものに出すのはこれが初めてです。長いものは書けないので、苦なく書けるような短いお話。

募集内容と制作趣旨、タイミングがあった事、とにかくその時は、私の知らない人に自作のものを見てもらいたいと言う波が来ていました。

どんな形でも人に自分の作品を見てもらうのは慣れていなくて、出す際はとてもドキドキしていました。

 

リピ読者様はご存知だと思いますが、芝居以外の作品を書くのも私にとっては演劇活動の一環です。いろんな集大成が芝居に繋がるからです。

 

結果、みごと落選。

流石にそんな生易しいことはありません。

当然の結果です。

学んだテクニックもなく、ストーリーとしては驚くほどシンプルで、大きな流れはありませんでした。

 

ただ、私の得意な分野を発揮した内容でした。

それは、ユーザーのことを考えること。

本で言えば読者様、芝居で言えば観劇してくれるお客様です。

そして、設定を考えることです。

今回であれば、読み手の方はどんな人でどんな時に、どんなふうに読んでもらえるだろう?というのを具体的に設定して書いたものでした。

 

月曜日、封書が手元に届きました。

「落選はしたものの高い評価だった応募者様に連絡させていただいております。

良ければ次の書籍化として、確定ではありませんが、再検討を、、」というお話でした。

 

昨日お電話の上、担当の方と内容を確認し、結果今回は辞退させて頂くことになりましたが、私は嬉しくて嬉しくて。

 

知り合いという贔屓目や、誰が書いたというレッテルのない中で、たくさんある作品の中の一つとしてきちんと評価をしてくださった方がいた事や、物語の中で私のやろうとしている事にご興味を抱いてもらった事、そして、それを電話越しとは言え、生の声として聞かせてもらった事、その事自体が嬉しくて嬉しくて、条件としては合いませんでしたが、今の段階ではそれだけで嬉しい結果だったのです。

 

「自分のやろうとしている事は間違いじゃない。今は芽が出なくても、みてもらえてる人にきっと届く。やりたい事をやってみればいいんだ。」そんな風に肩を押してもらった気がしました。

 

 

そして、嬉しいと思ったその後に、さらなる発見をしてしまったのです。

 

私は芝居をやってるから、評価をもらえたんだ!

という実感です。(笑)

 

私はほぼ1人の活動だったからこそ、台本を書くことやチラシデザインに興味を持って、チャレンジするようになりました。

今回だって、お芝居の制作の途中経過です。

どうしたら読み手が楽しくなるかしら?は、いつも念頭にあります。

 

今回読み手を想定して書かれているところ、絵をイメージして描かれていた事、言葉のリズム感が、お話の中に出ていて評価に繋がったそうです。それは芝居を作る時にすべて自分の中にある事でした。

 

芝居はたくさんのジャンルがある上に、各ポジションの方は好きなジャンルに思う存分能力を発揮できます。出来る人が集まってさらにクリエイティブしちゃうんですから、芸術力の基礎はしっかりしていきますよね。

 

でも、逆の事も言えるんです。

素人でも芝居の中で身についた事は、他のことにだってきっと役に立つ!

 

空間把握だったりフォーカスだったり、言葉の引用だったり、リズム感だったり、コミュ能力だったり、もうやろうと思えばいくらでもです。総合芸術だからこそ、全体やもしくは一点が、他ではできなかっことも磨かれていきます。

 

何が言いたいかと言うと、これは今までの逆なんじゃないかって思うんです。

 

私たちは事あるごとに、人を集めます。

本番に向けて、音響経験者、照明経験者、舞台美術、広報担当者、裏方全般をまとめる制作能力、コミュスキルその他諸々。

 

でもね、芝居で培われる物もたくさんあるんだ!

 

経験者をメンバーにするんじゃない。

経験する事で、経験者を輩出していくんだ。

 

他のことで得られる経験もあるだろう。でも芝居はやろうと思えばどんな事も経験できる〈場所〉なんです。関心が強ければ強いほど、色々なジャンルにおいて自然と創意工夫がされて自分磨きをしたくなります。こうした経験が他で生かせられない訳がない。

 

そして、皆んなは不思議に思うんです。

「何かやってたんですか?」

「いつから出来るようになったんですか?」

 

それは、何を意味するか。

 

芝居が原点であると言う事で、演劇の価値を世間に打ち出せるんじゃないでしょうか?

 

能力を評価された方が、原点は芝居でした、と言うと、どうでしょうか?

演劇人→従来の暗くて変わった人たちがいる集団のイメージは、ガラリと変わるんじゃないでしょうか?

 

そうつまり、演劇以外で評価をされると言う事は、ベースになった芝居に他の人にも目を向けるきっかけになるんです。

すると演劇人口または舞台に足を運ぶお客さんが自然と増えるわけです。身内では無く、付き合いでも無く、自然と見てみたいと思ってくださるお客さんの増加です。

 

低迷気味である演劇の世界は必ずv字する。

芝居の波は必ずまたやってくる、半はそんな予感がしてざわついたのです。

 

 

でも、これには先駆けが必要です。

私自身がそう慣れたら良かったのですが、残念ながら辞退してしまいました。

辞退しないで済むくらい、引く手数多になるくらいもっとスキルと感性をを磨きたい!

 

そう思いました。

 

皆さん、もしお芝居をしている方で、芝居をやってたから良かったという経験があれば、是非口にして言ってみてください。

すぐに反応が起こるとは思いませんが、きっとその波が来ると半は信じています。

 

dbd hans collectionの一つのテーマは

芝居好きになる人の増加です。

 

普段の生活の中で、「私芝居やってるんです」と言うには私もハードルがあります。

でも創作活動の一環なら、どんどん打ち出したいと思いました。

 

写真でも、音楽でも、ダンスでも、なんでもうですよね。

 

芝居をやりたい。カッコよく見せたい。高揚感を味わいたい。皆んなと仲良く喋りたい。

 

どんな事も、繋がってるんだ。

 

半も、芝居なんだけど芝居のカテゴリーに囚われず、他の事にも興味を持って、チャレンジしていきます^_^

 

自分の中の何かを信じて。

ネタの出し惜しみはするな

こんにちは。dbd半です。

 

今回は少し語調の強いタイトルをつけてみました。


少しばかり書き物を初めてみて、自分が思ったこと、言い聞かせていることがこれです。

 

「ネタの出し惜しみはするな」

 

ネタというのはここではクライマックスの内容だったり、シュチュエーションだったり、キャタクターだったりを示すとします。


※例のごとく、誰にならったわけでもなく、自分が創作活動をする上での気づきですので、きちんとした事をお知りになりたい方は、こういう人もいるね~と、優しく見守って頂けたらと思います。

 

物書きと言うには、半は末端で物書きの研修生の様な者ではありますが、事あるごとに設定やキャラクターを考えています。
↑前回からちょっと間を置くとか言ってたじゃん!そう思っていても、頭の中では浮かんで消えてを繰り返す性分なのです。 形になるにはまだ先の事です。

 

書いていくと素人ながら、これ面白いんじゃん!と高揚していくことがあります。

 

そう、そして書くには構想が必要になります。
いわゆる筋書、プロットです。

半はあまり考えない方でしたが、最近これを考える時間が増えてきました。

 

この筋書きがスタート地点からゴール地点まで見えているのは、当然ながら手が進みやすいです。
ただこれが浮かばないときは、マインドマップと言うんでしょうか。

マインドマップ - Wikipedia

そういったのを考えるようになってきました。ま、簡単に言えば漫画の2巻以降で前ページに記載されている人間相関図のようなものです。

半の場合は我流なので、思いついたことをどんどん書きなぐります。

人間相関図と異なるのは、1タイムの事ではなくさらに展開があるので縦軸が+されたような形になるので、見た目グチャグチャです。
主人公を取り巻くキャラ設定から人間関係。そこから起こる事象を書きまくるんです。

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そこにこうしたら面白いなぁ。こうきたらこのキャラクターはこんな感じかなぁというのが出て来ます。

 


そして、肝心なのはこの中で何を見せたいか?と言うことです。

ぱっと浮かぶこともあれば、考えても考えてもすんなり出てこないこともあります。

 

今は、それを繰り返しながら、体と同じで頭の思考運動を続けるようにしています。
考える体力と言うか思考能力と言うか、とにかく思っていても言葉へ具現化するにはまだまだ足りないものが多すぎるので。

と言っても、それもなかなかなんですがね。(^^;
ただ、繰り返せばそのうち形になるだろうし、やらない限りは私のようなタイプは頓挫して終わりなだけ。だからスピードや進捗率よりも、重要なのは継続して「前に進もうとする気持ち」なのだろうとつくづく思います。


自分のスピードで構わないじゃないかと。^_^
ね、少し間を置いた成果みたいなのがあるでしょう(笑)

 

そう、それでね書いていて思っていたのが「これいいな!」と思ったひらめきを最後にしちゃダメだなってことです。

 

 

ックスにかけて徐々に加速するような展開をかけるのなら、本来はそれで良いのかもしれません。

でも起承転結の転は浮かんでもそこまでに行く承が面白くなくちゃお客さんはクライマックスを楽しめないなぁと思いました。
半はその承が浮かばない、要は下手くそなんです。


そうそう、一方で、身近で体感できた脚本や本を書いてらっしゃる方が日ごろから気になり始めたんですね。
小説や絵本、ドラマなんかの作家さんです。

その中で衝撃を受けたのは「トイ・ストーリー3」でした。

1も2も面白かったのですが、随分記憶のかなたでした。
3は少し前にレンタルして借りたのはディズニーランドを一層楽しもうとしたことがきっかけだったように思います。
そして、衝撃の連発をうけるんです。

こんなにピンチになって良いのかよッ!!!!

あまり言うとまだ見ていない若者もいるでしょうから、自分の目と耳で確かめてほしいんですが、
ピンチのピンチのそのまたピンチが息つく間もなく訪れます。

見てみると、Wikiの下の方にこんな記載がありました
https://ja.wikipedia.org/wiki/トイ・ストーリー3

評価[編集]

映画評論家によるレビューのデータベースのRotten Tomatoesによると、99%(248人中245人)が本作に対し肯定的な評価を下し、
「コメディ・冒険・ドラマ的要素が上手く交わっており、珍しく優れたシリーズ第3作である」と評されている[26]。
また、同サイトで特に注目度の高い評論家のレビューを集めたCream of the Cropでは、38人中100%の支持率を得ている[27]。
また別のレビューデータベースのMetacriticでは、39のレビュー全てが肯定的なもので、平均点が100点満点中92点であった

これほどまでの多くの高評価を得られる作品はあるでしょうか?


トイストーリーの脚本についてこちらの方も詳しく評論されている方もいらっしゃったので
合わせて載せさせていただきます。http://kyakuhonkakikata.com/toystory
脚本から見る作品の面白さって、また楽しみが増えてしまいますね。

さて、話がいつも通り行ったり来たりしていますが(笑)、この作品の中で私が衝撃を受けたのはピンチによるピンチの連続です。
つまり、一度のピンチを大きく乗り越えて終わりじゃない。
しかもそのピンチの度合いがジェットコースター級のドキドキの展開だったことです。


私がこれを見るまで、山場は1つという固定概念がありました。
勝手にそう思っていたのです。
こういう展開をしたいのならそれに向かってすすむだけ。

確かに私は自分で考える山場は好きだしシュチュエーションが浮かんだからこそやりたい、と思うものです。
それだけ気持ちも高ぶっている分、変更しにくくなってしまった自分がいたのです。
さらに、途中で述べましたが、そこまでの話に持っていくまでの流れがきちんとできていなければ、お客さんは置いてけぼりです。
やりたいイメージはあるけれども、柔軟性がない。
手が止まる理由の一つがここにありました。

つまり、これ以上発想しようという見えない扉が閉まっている状態だったんじゃないかと思ったんです。

ネタを出すなら、さらなるネタを考えればいい。
出して詰まるようなネタなら、その程度じゃないか。
お客さんはもっと楽しみたいんじゃないか。

勿体つけて奥の手として出してもその頃には鮮度は落ちているかもしれません。
タイミングを見計らうのと、出し惜しみするのは違います。
きちんと状態をみてネタを出せるなら一番です。
でも、限られた手の内を隠しているだけなら、枯渇するのは時間の問題かもしれません。


思考と言うのはもっともっと自由であってしかるべきです。
フットワークを軽くして、イマジネーションを解放して。
時には書いているときの自分のマックスをさらに超えるくらいのスぺクタルがあって良いように。
一つ出せばまた別で二つでも三つでも出せば良いじゃないかと。
自分の想像に泉はちょっと出したくらいじゃ乾かないぞと息巻いてみようと思ったのです。。

 

 

 

半は役者もやっているせいか、台詞とキャラ、1場面だけをよく思い浮かびます。
繋ぎを考えるのはちょっと苦手です。
フォローしていただいている方はお気づきの方もいると思いますが、時々ツイッター内でも遊んでいます。

こんなキャラクターを使いたいな。
こういったメッセージを言いたいな。
このネタ良いな。
このネタやキャラをベースにいつか舞台でも使えたらな・・・などなど。
密かなメディアミックスを企み楽しんでいます。

でも、これは一つの挑戦でもあるのです。
ここで出しておいてネタ切れをするくらいなら、所詮半の想像力はその程度だったんだろうと。
ここでのネタも含めて、それを上回るエンタメを提供できるように

 

自分を知る

おはようございます。

 

dbd半です。

 

先週の日曜日は母の日でした。

皆さまお母様に何かされましたか??

 

うちは、花よりダンゴなので、何かお取り寄せの物をと探しているうちに、これだと思うものを注文したら受付終了だったというボケをかまし、それからポチポチ、ネットで探しまくりましたが、最終的にお肉、と言ってもハンバーグを送ることにしました。

 

でもでも、

 

一個2000円のハンバーグ!!

 

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2個入り

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うわぁ、自分だったら絶対買わない笑

 

 

いつも母は私が大層なお金を使って送るのを好まないので、ちょっとコストオーバーでしたが、お礼の電話がかかってきた時の母の声は、やはり嬉しそうでした。

 

'食べることは正義'ですね。

(byアンパンマンの原作者やなせたかしさん)

 

 

さて、前回の記事から、自分と向き合いますと書かせていただきましたが、私自身思うことがあり、時間を置く=焦らない、無理しない、いい時間だったと思いました。

 

お気付きの方も多いと思いますが、私のブログは自分の内面を書くことが多く、外の情報が少ない記事だと思います。

 

沢山の情報や深い情報を知りたい方にとっては、正直つまらないだろう記事です(笑)

 

はい、いきなり自虐から入ってみました。^ - ^

そうなんです。

 

それはあえての部分もあり、自然とそうなった結果だとも言えます。

 

誰でも見られるブログに対して、私は常に怖さを持っています。

自分はもちろんのことですが、自分以外の人や物を書く時は特に慎重になります。

それは当たり前のことだと思いますが、それでも時折アウトかな?セーフかな?とビクつきながらもアップしている事もあります。

 

そうすると、ある意味「逃げ」になるのかもしれませんが、自由に書ける内容が絞られてしまうんですよね。そうして自分のことばかりになりがちなのです。

言葉は難しいですね。

言われたことはないですが、もし、自己愛の強い自己満足のブログだ!と言われても反論できないなぁと思います。

逆にきちんと他者のこと考え、何であれ書込める人は強いなぁと思います。

叩かれても自分の言葉でコメントし続けられる、自分スタイルを崩さない強さにいつも憧れています。

こんな半ですが、良ければこれからもお付き合いくださいませね。

 

 

 

*     *      *

 

というわけで、やはりまたまた内面のお話です。

次の手を打つために、どうしようかと考えてしましたが、それも少し控えめにして、自分のことを考えていました。

 

自分がどういう人なのかを知ることはとても大切なことです。

 

 【目次】

 

あなたはどんな人ですか?

 

先ほどの話でいうと、「半はメンタルよぇーなぁ」という気づきです。弱さを知ることは強さにつながります。頑張って鎧を着込んでも、脱げば弱さ丸出しなんです。

鎧をきたまま自分だと言い続けられればいいけど、ずっと着たままではいられないですよね?できれば、鎧なんてつけなくて、裸で歩き回りたいよね。

 

 

あなたはどんな人だと思われていますか?

 

遠い昔、半がまだ小学生の頃、確かなにか問題があってホームワークの時間です。

先生がクラスメイトに半はどんな人かな?っと質問したことがありました。半はただの一例で名指しされただけなのでしたが、クラスメイト(めちゃ仲がいいわけではない)は一様に「明るい子」と言いました。

クラスメイトが言葉につまり、当たり障りないことを口にしたのは一目瞭然でした。

だろうね〜。

ま、いいけどさ。

 

半は半分安心して半分は毒づきました。

特徴ないしね。

でもない方が安心だよねと。

 

周りの目は良くも悪くも気になるものなのです。

 

 

周りから見られている自分と自分が思う自分って、あっていますか?

 

先日テレビを見ていて、長く続くタレントさん、人気のあるタレントさんの共通点を見つけました。

キャラクターがわかりやすい。

こういう人なんだろうな。と、想像できる人。

 

例えば、明石家さんまさんだとしたら

こう言ったらこう言ってくるだろうなってところまで想像できませんか?

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所ジョージさんも、

マツコデラックスさん、枡アナウンサー、梅澤富美男さん、北野武さん、

昨今でいうと、みやぞんさんも人気ですよね。

 

それぞれ共通しているのは、自分が、みんなに思われているイメージでいるのに、しんどくない、ってことではないでしょうか?素に近い。作りすぎていない。(もちろん真意はわかりませんよ^^;)

そういう点ではないでしょうか?

 

視聴者からしても

分かりやすい=安心

    (↑これはどの宣伝でも営業でも重要★)

 

たとえ失敗しても、

この人だから、こうなっても仕方ないって思えるくらいの自然体。

 

そして、この人が出てる番組は〇〇だろうな。

見ようかな、今はやめておこうかなと選択できます。

 

 

あなたが思っている自分と周りから見たあなた 

 

 自分が思っている自分と、周りから見られている自分とのギャップが少なければ少ないほど、自分が楽になるんじゃないかと思うんです。

 

つまり、作らなくていい。

そのままでいい。

 

そんなのできない

 

でも、難しいですよね。それにはどうしたら良いでしょうか?

半が考えたことは、自分はこうだよって発信していくことなのかなって思います。

良いところも悪いところも含めて、「こうなんですって。こういうところがあるんです」って。

 

人に勝手なイメージを付けられる前に、自分らしくを発信しちゃうってこと

自分はこういう人なんだよって、理解してもらうこと

発信の方法なんていろいろでいい。

ちょっと声を張るだけでも違うし、こまめに連絡をとるっていうのでも感じてもらえる。先手必勝でマウントを取りに行ってもいい。

 

手法は何でもいいんだ。

ただ、自分の置き場所が確保しやすいようにすれば

 

それにはね、最初に書いた自分を知ることが必要

見晴らしが良い高い場所が好きなのか、ひっそりとたたずむ窓際席が良いのか、誰かの右隣が良いのか、自分にあったところがどこなのかを知る必要があると思うんです。

席が空いているけど、自分が落ち着ける場所じゃなかったら、すぐに席を立ちたくなりますよね?

 

あなたはまわりをどう思っていますか?

 自分を知るってことは他者を知ることでもあります。

自分がこうだよって発信するってことは、ほかのみんなはきっと〇〇だろうけどね。

っていう比較がついて回るから。みんなはこうだと思うけど、自分はこうなんだよって。

周りを見ないと自分の事は分からないってことになるんです。

 

 

っていうことを考えていました。

なんにせよ、自分を知ることは鎧を脱ぐとともに、最強の武器になります。

上記のタレントさんでいえば「売り(個性)」ね。

この人だったら、きっとこうするだろうとか。この人はこれは無理だろうってことに逆に挑戦してみるとかね。

 

半の場合はどうだろう?

優柔不断

熱い女

根暗?

変わっている?

怖がり

頑張るけど不器用

時々挫折

焦り性

 

 

言われたことと、自分でそうじゃないかなと思っていること半々くらいだけどこんな感じかしら?

って、ほとんどネガティブじゃね??

ふう~~~

私自身のマイナス部分ですら個性という武器に変えられたなら、私はもっと強くなれるのかしら?もっと迷わず踏み込めるのかしら?自分はこうだよって言う勇気を私も持てるかしら?

↑わかってはいても、実践は大変よね(^^;)

 

ん?ちょっと待って。

これだと裸で武器?みたいな恰好?

さすがにそれはちょっと嫌かも。(笑)

一枚、いややっぱ寒がりやから2・3枚服は着たいよね(笑) 

 

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