dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

楽しんだもの勝ち

こんばんはdbd半です。

 

さっきはちょっとテンションあげすぎでしたよね(*´∇`*)引いちゃった方いませんか??

↓↓

 

と言うわけで、前回の記事に書かせていただいておりますが、これが199回目の記事になります

継続は力なりだよね!

どんどん進むぜっ!

 

 さて、せっかくアップしたんだから、動画のことを話そうかと思っていたんだけどね、この前読んだ所ジョージさんのインタビューがめっちゃかっこよくって、私も励みを頂いたので、ちょっとご紹介したいなと。^_^

 

全文はこちら。すでにご覧になった方もいるかもしれないけどね。

↓↓

 

 

(抜粋です)

俺は「苦節5秒」って言ってるんだけど、時間が経つと全部のことが笑い話になるから。

時には、自分で自分に目をつぶるってことも大事。ごまかしたっていいのよ。「俺はこんな器じゃない」なんて言い出すなってこと。

 

あぁ、ぐさぐさ刺さる(笑)

苦節5秒って、この内容も良いよね(笑)

少し前に半が書いた記事のことを覚えてくださってる方がいれば、ここに心をとめてしまうのは仕方ないって思って貰えるよね(//∇//)

許す - dbd-hans-collection101のブログ

 

 

でもね、この文よりさらに良いなぁって思えたのはさらに後半なの。

 

所ジョージさんが歌っているのを知ってましたか?最近の若い方は知らないんじゃないかな??

てゆーか、元々歌手希望だったって、半も知りませんでした(^^;

 

ちょっと長いんですが、引用を残させてもらいますね。

 

歌手としてデビューしたのに...

 

 

――所さん自身、シンガーソングライターとしてデビューしながら、タレントや司会業という別の領域でブレイクされた経験の持ち主です。複雑な思いはなかったのでしょうか。

 

20代で歌手デビューして、30代ぐらいまでは「何で売れないんだよ」って思ってたよ。だってそっちを目指してたんだから。最初のうちは逆ギレだよね。「どうせ聴かねえんだろ、お前ら!」って。

 

そこで音楽を辞めちゃって、司会業としてニコニコ暮らす方向にも行けたわけ。でも40年もやっていると楽しくなってきちゃって。聴かれない歌をどんどんつくる、みたいな。おかげさまで60過ぎていまだに歌をつくってる。

 

どこからか面白くなってくるのよ。だからみんなも、途中で「俺には向いてない」とか「つまんない」とかジャッジしないで、やり始めたことはずっと続けた方がいい。人生は長いんだから。

 

役者さんで売れなくても、会社員になって全部辞めちゃうんじゃなくて、ちょっと匂いのするところにいる。「もう辞めたよ」ってウソついて、内緒でやればいいと思うんだ。

 

「もう辞めたよ」ってウソついて、内緒でやればいいと思うんだ。

 

だって(笑)

 

おっもしろいよねぇ。

 

 

会社を中継所に

 

――きちんと暮らす、日々を楽しむことが大切だと。

昨日と同じことの繰り返しはつまらない。「何も起きなくて平凡だ」なんて言ってたらダメ。生きてる意味ないぜ。昨日より今日、今日より明日が充実してなきゃ。

 

充実っていうのは、何でもいいのよ。「朝、クツをはいた時に指も使わずかかとがサッと入ったぜ」とか。それだけで満足なんだ。前の日の俺、ちょうどいいところに脱げてたんだなって。

 

会社がつまらないと言うけど、実は自分がつまらないだけってこともある。そんな時は、会社へ行くまでのアプローチを変えてみる。最寄駅を使わないで、わざと遠回りしたりさ。

 

そうすると違う発見があるわけ。「こんなところに素敵なお店があるんだ」とかね。綺麗な女子との出会いもあるかもしれないし。

 

会社に面白みを求めずに、いっそ行き帰りを楽しんじゃう。会社は休むところでいいんだよ。バカな発想だけど、会社を中継所感でやってるヤツはいつも笑顔でいられるじゃん。「楽しそうだな、お前は」って上司にも引っ張られるよ。

 

――面倒なことや不便なことを愛する姿勢がありますね。

 

不便じゃないの。楽しいんだもん。

 

やっつけで進むと、やっつけで終わっちゃう。余計なことに対してエネルギーを使う方が豊かになれる。合理的になると全部つまんなくなっちゃうよね。

 

横断歩道を渡らずに、誰も使ってない歩道橋をダラダラ登る方が豊か。山登りに行ってる場合じゃないよ。まず目の前の歩道橋を登ろうぜ。

 

 素敵な文章ですよね。

 

私はちょっと変わっているので、世間一般との常識とか、時々ちょっと苦しくなる時があります。

 

例えば、ブランドとイミテーションとか。

ほとんどの人が間違えるくらいイミテーションだけど、美しくてキラキラしていて、自身も素敵だと思って買ったはずなのに、本物じゃないと分かった瞬間に、憤りが噴出する。なんで?っておもっちゃう。本物であることの価値が、よく分からないの。だって、それを知るまでのあなたはその商品を身に着けているとき、とってもいい顔をしていたはずなのに・・・。

 

最後の一文もとてもいいですよね。

 

 横断歩道を渡らずに、誰も使ってない歩道橋をダラダラ登る方が豊か。山登りに行ってる場合じゃないよ。まず目の前の歩道橋を登ろうぜ。

 

とても不思議なのが、山登りって、山を登りに、電車や車に乗っていくの。

なんか変じゃない?

もちろん見る景色は断然違うんだろうけど。

でも、近くの公園のお山でも、見たことない景色が広がっているかもしれない・・なんて思っちゃう。

 

芝居ってさ、ちょっと特殊。

稽古っていう割に習い事って感じゼロだし(笑)

芝居の作品も、注力の注ぎ方もそこそこで違うんだけどさ。

でさ、芝居って多ジャンルがあるからこそ、芝居好きだからと言って、すべてのジャンルの芝居が好きかというと全くそうではないしね。

むしろ真逆だし。

 

 

でね、所さんの記事を読んでいて、別にお山に登りにいかなくても良いんだ~って思ったの。

dbdには複数の意見もないし、チケット制でもないので、組織として大きくなってるなんて目に見えてわかるものはほとんどない。

時々これでいいのかな?なんて、さまよっちゃう時もある。

こんなんで良いのかな?なんて???がいっぱいでさ。

公演や道端にも感動できるものがあるのならdbdでも何かできるかな、なんて(^^)

 

というか、わざわざ山に行っても、楽しめる気持ちの状態がないんじゃ、どこへ行ったって景色なんて変わらないもんだしね。

 

楽しめる人と行けば楽しめる可能性は高いけど、そうじゃない人と行っても楽しめるのなら、それって最強じゃない?

 

 

ほら、今ってちょっと窮屈なところあるじゃない?

世間体とか、しきたりとか、常識とか、理想の自分とか。

理不尽すぎる偶然とか状況とか。

 

○○しなけらばならない ってやつね

 

これが○○したい ってなるんだったら、よっぽど素敵だよね。

 

でも、待って

 

これって他人事じゃないの。

 

なんで○○したいって置き換えちゃダメなの?

そんなのできないって思ってない?

 

ちょっとの事でもいいじゃん。

楽しいこと見つけて○○やりた~~~い!になったら、今がどれだけ楽しくなるんだろう?

周りが不愉快になるかも・・・

そんなの関係ない。

 

まずは楽しもうよ。

それでいいじゃん。

 

嫌われるかも・・。

いいじゃん。

嫌わない人がきっとそばに残ってくれるんじゃない?

 

 

自分らしくって、とても難しい。

 

何度も言っているけど、私は私の作品が好きで芝居には敬意をもって接したい。

でも、その結果、良い作品ができるかと言えばそうとは限らないものね。

 

それは真摯に受け止めなきゃ。

でも、作りたいものがそれなら、間違いでは無かった。

ううん。大正解だったのよ。きっと。

 

それでいい。

 

 

どんなこともさ、本当に楽しんだもの勝ちだよね?

 

誰も、あなたが楽しむことを責める人はいない。

だって誰も、そんなに気にしてないから(^^;)

 

だったら不愉快の数を数えるより、楽しむにはどうしたらいいかを考える方がきっといいよね。難しい顔の私より笑ってる人の方が断然いいんだもの。

 

 

んん~~~~、なんかうまくまとまんない!!(笑)

飲んでないよぉ。

眠気がマックスだけど(笑)

 

まとまんないけど、これを言いたかったの。

 

どんなことも楽しもうよ!!

 

(笑)

 

今日言いたかったのはこれだけ(^^)

 

200記事目は今日は上げられなさそうです。眠い!(笑)

改めて次にきちんと書くので、また見に来てね★

 

dbd第4弾 朗読劇「女仙」 原作:芥川龍之介 のご案内 他

こんにちは、dbd半です。


先日アップしますと申し上げていました朗読劇をアップしました^^


やったぁやったぁ 久しぶりのオリジナルです。

どんな形でも作品が出来上がるのは嬉しいです。

 


↓関連過去ブログ


「うじうじ」ブログの前から考えていたので、約半月での仕上がり。
作品は7分以内におさまりました。


過程を挙げると、こんな感じ。

台本として使いたいなぁというのは、前からストックしていました。

 

[大まかな振り分け]

録音するために演者としてトータル1時間ほど
音をイメージしたり探すのに5時間ほど
編集作業に5時間ほど


この音を探したり編集したりする作業のほぼほぼを昨晩から明け方に一気に行いました。
昨夜の23時ごろから取り掛かり、朝方6時ごろアップデート。室内が深夜の暗闇から明け方の薄ぼんやり白けてくるのを久しぶりに感じました。
あとは、通勤中、お昼時間を使って最終確認です。

さすがに眠気がヤバいww

 


当初の考えでは、ここまで手をかけると思っていませんでした。
もうサクッと、サクッと、仕上げればいいやぁ・・・って思っていたのに・・・
ME(BGM)を1曲、あとは少しSE(効果音)を適当に・・・くらいだったのに・・・。

 

 

いざやり始めると、あれやこれやと詰め込みたくなります。
素材になる映像データも手元には少なかったので、この1・2週間は絵になりそうだと思うと、なるだけ携帯を構えました。

著作権の絡み、時代的な差異、騒音、陰影、光量、
映像をとる難しさは尽きませんね。

私が録音日に充てていた時間も、とても風の強い日で、部屋にいるにもかかわらず、風の音を抑えきることは出来ませんでした。
それでも、ちょっと強行してやってみたんですけどね。^^;

 


そして、映像の恐ろしいところは、終わりがないことですね。

作って、確認して、修正して、確認して、修正し直して・・・
まだまだド素人な半ですので、この繰り返しです。


7分ほどのものを10時間越えして制作するのは、さすがに下手すぎかなぁと思いつつ、途中思いついたら、やっぱりやってみたくなるんですよね^^;


今回は効果音が盛りだくさんですww

作り込み始める前は、まったく思いつかないで、んんん~~~~と唸っていたのですが、やっていくと・・・
「これ、使える」「こんなふうにしたら面白いなぁ」「あぁ、こういうの欲しいな」
というのがどんどん出てきます。

この時点で声の収録は終わっているので、編集でどこまで出来るかなんですけどね。

 

 

普段、半は眠るのが大好きなので、ぶっ通しで徹夜してしまうなんて不思議なくらいです。
今日はちょっと、ふらつき気味ですが(笑)。デスクワークはこういった部分でも助かります。

 


実は、ちょっと頑張っちゃったのは一つ理由があります。

今日は、dbd-hans-collectionお誕生日です★
イエーイ!!


2年前の今日、ドキドキしながらこのブログの最初の投稿をしました。


dbdも今日から3年目に突入です。^^
なんか中途半端だとやり残した感あるしね。あとね、なにかお祝いもかねて作り上げたかったんです。
ハッピーバースデートゥーミー♪

おひとり様感、半端ないね(笑)


良いの良いの。
だって2年続けられたって素直に嬉しいんだもん(^^)

 


さて、あともう一つ実は狙ってることがあるんだよね~。

実はこの記事でブログの投稿が198記事目になります。


あと2つで200記事。

今日あと二つ記事アップできたらキリが良いよね~。
(ま、それだけんだけど(笑))

 

でも、ただアップしただけの記事なんて書きたくないから、自分が書きたいと、ちゃんと思ったことを書きたいしね。^^

 

今日なんてまたあと数時間だけど、(*´∇`*)できたらすぐにアップします。(笑)

次の記事も、良ければまた来てくださいね★

 


さ、話が飛ぶ飛ぶ。ここは居酒屋かッ!(笑)
良いの良いの。今日の半ちゃんは特にそんな気分なの(笑)
酔っていないからね!


では、お待たせいたしました。
今回制作した朗読です。

このテンションと全く違うので、深呼吸2回ほどしてからクリックして見てください(^^)

 

 


良ければ、コメント、感想、お待ちしております。
気に入ってもらえたらシェアしてもらえると嬉しいな(^^)

 

 

------------------------

20180425チラシを作ったので貼り付けます(^^)

 

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どうでしょうか?

渋くって、結構気に入ってるんですが(*≧∀≦*)よければこちらも印象などお聞かせくださいね!(^^)

 

追記終わり

----------------

 

 

 

 

 

 

ショートストーリー「落ちた花びら」

こんにちは。dbd半です。

実は4月、プライベート(芝居以外)がバタバタしています。

4月1日から来週まで、お弁当作りが必須になり、必要なものの準備がふんだんに増えました。

時々は、普段でもお昼にお弁当を作るのですが、大体は前日の残り物で済ましてしまいます。

所が今回はそうもいないなぁと言うのがこの弁当作りでした。

 

あぁ、毎日毎日お弁当を作られているお母様方、尊敬の念を抱かずにはいられません!

 

あぁ、弁当!!

作る時間に比べ食べる時間はなんとあっという間の事なんでしょうか!!

私は「効率」的な事が大好きです!それに比べてお弁当と言うのはなんて非効率なのでしょうか・・_| ̄|○・・

自分が子供だった頃を思い出してもそうですが、頑張って作ったところで、文句を言われお残しされ廃棄部分も多い、親の弁当ほど報われないものは、ないのではないでしょうか・・。

 

インスタ映え」なんて言葉が流行るくらいネットにはお料理の腕自慢が盛んなのに、相反する流れになりますが、半は声高に言いたいと思います。

そうではない人もたくさんいるんだよ!!w

(できる人向けへのアピールでないことをご理解くださいね!出来る人はマジすげぇって思ってるので^ ^)

 

うぅ・・。

↑やさぐれ感パないっす(笑)

それでも、カリオストロの城の名言と共に、一つだけアップ。

 

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「今は、これが精一杯」

 

(笑)

 

 

 

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懐かしの名言をたくさん集められている方がいたので、思い出したくなった方、リンク貼っておきますね^ ^↓

 

さて、話が飛び飛びですが、ここは芝居ブログ、制作ブログですので、一つショートストーリーアップしまーす^ ^

 

春の華やかさを感じる度、足元の花びらの儚さを想うのです。

 

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「落ちた花びら」   20180415 dbd半

 

 

ひらりひらりと落ちていく
花は美しいと人は言う

私も誇らしげに咲いてみせる


虫たちよ来なさい
私の蜜に吸い寄せられて

人たちよ魅入りなさい
私の美しさに


ひらりひらりと風と共に花が舞う
この可憐な舞に誰もが見惚れる

 


地面につくその時までは・・・

 

 

泥にまみれ
土足で踏まれ


見るも無残なこの姿


汚れて千切れて
踏みにじられて


誰も見向きもしないこの姿


もうあそこには戻れない
もうあそこには戻れない

私がいたあそこには

 

見ないで薄汚れたこの私を

耐えられない醜悪な姿を

 


赤子は母の腹には還られない
栄華は咲き誇れば後は散るのみ

 

風はなりやまない

雲は流れ続け形を変える

 


落ちた私は生まれた場所を見上げる
その向こうに、見たことのない高く広い広い空を見た。

 

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許す

こんにちはdbd半です。

先週、収録をしたのにもかかわらず、編集が追い付かずアップができませんでした。

従来の私であれば、有言実行がモットーでしたので自分を苛めて卑下したことを、ここで書いていたと思います。

でも、何か違うものを得ようとしています。

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※小学校の近くで咲いていたお花。小学生になった新一年生の息吹を感じ取っているように咲いていました。

 

 

 


今まで、私は大人になれば、「自分を叱ってくれるのは自分しかいない」そういった気持ちで自分を奮起させて社会人生活を営んでいました。
それはある種、意味のある事だったと思います。

自分を戒め、次への反省と活力へつなげるには必要なのだと。

実際それは効果があったと思います。


でも、ここにきて、その思考にプラスされるものがあるんじゃないかと・・そういうことです。


つまり、それは


「自分を許す」ということ。

 


昔ワークショップで参加した卒業公演のストーリーの軸が、この「自分を許す」という作品でした。
当時の私は、主役に当ててもらいながらその世界観が掴めず、無謀にも掛け持ちを実行し、自分としては、結果、想像通り、納得できる仕上がりではありませんでした。
(一緒に参加してくれた皆様、こんな事言ってごめんなさいm(__)m)

 

そのせいもあってか、その時の最後のセリフが忘れられないのです。


普段覚えが悪い半ですが、なんと忘れるのも早い(笑)
公演が終わると、結構すぐに忘れます。(笑)
なのに、この言葉は残っているんですよね。

脚本の著作権的なこともありますので、作品名などは伏せさせていただきまが、少し話させてください。

 


その作品は、一人の男の回顧の話でした。
粗野で生きる活力にあふれた戦後の闇市のようなところで生きた、内気で不器用な少年。

活気はありますが、人と人が混濁し本能をさらけ出すようなぶつかり合いの中少年は思春期を迎えます。

彼は、誰にも言えないひとかたらぬ恋をします。
それから少年は誰にも言えない闇を密かに抱え続けるのです。
それは、自身でさえも忘れていたのではないかというほどの暗い暗い心の奥底にしまわれて行くのですが。

 


クライマックス、最後のシーンで少年は自分の力振り絞り精一杯の声で叫ぶのです。


「さようならぁ。僕の少年時代」

 


この言葉は、少年だった自分が、今の自分に向けられた餞(はなむけ)の言葉です。悔恨残る自分との決別。自身を受け入れた許しの言葉。

自分からの卒業。手放せなかった想いの浄化。

 


そう。
自らの許し。

 

 

私はこの時、言葉の意味の理解は浅い物でしたが、何故かこのセリフが大好きでした。印象深く奥深くに響く台詞です。

 

 


「さようならぁ。僕の少年時代」

 

 


今なら、あの当時より随分このセリフの解釈が出来るように思います。(^^;)

 

 

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自分を叱ってくれるのも自分だし、褒めてくれるのも自分です。
そして、自分を許してくれるのも、やっぱり自分だと思うんです。

でも、これって案外難しい・・ですよね?

 


私は有言実行というのが好きだし、そう出来る人はすごいと思います。
自分もそうありたいと思っていました。


一方で、出来ない事を出来るようになるため、努力をしている人リスペクトしています。
その結果がたとえ、一歩でも、半歩でも、他人が1秒で出来る事に丸一日かかってもそれにチャレンジをすることはすごい事だと。

 

有言実行で努力ができれば一番ですが、有言実行ではなくても頑張れる人、頑張り続ける人にエールを送りたいと半はいつも思っています。

言い換えるなら無言実行。本当に叶えたいことこそ、誰にも言いたくない、その気持ちも分かります。だからこそ本気だってことも。

 

そしてもう一つの〇言〇行という言葉も挙げたいと思います。


有言実行です

 

 

・・人には許せても、自分には許せないってことが、ありませんか?

 

「ごめん。できなかった。あはは」

 

人には優しく自分には厳しく。

昔の教訓か何かがしみ込んでいるのでしょうか。私は、この自分の失敗を受け入れるほどのキャパも無いのです。

 

甘いものは別だけどね^^;

 


己の失敗を笑い飛ばす事が、出来ない。
過去に失敗した自分が許せない。

何よりこんな言葉が自分突き刺します。

「この、嘘つきめっ!」

 

恥ずかしくて、次の事へも臆病になる。

 

 

 

そんなね、そんな半もいるんですよ。

 

 


あ、何か過去にあったトラウマがあったとかそんな大きなことではないですよ。
私が言いたいのは、心のバランスをとるために、逆に自分を追い込みすぎちゃうこと、ありませんか?ということなんです。

 


でもさ、それって、結構しんどいよね。
自分でしてる事なんだけど、がんじがらめでさ。
出口への光がちょっとしかなくってさ。

 


少年少女時代、学生時代、一般社会人世代を経て、何が自分にとって本当に良いんだろう?って、思うようになりました。
芝居をやっていて楽しいけど、全部が楽しいの一言で収まるかってそうじゃないしね。
芝居の世界は楽しいし大切だけど、現実世界はもっと大切だしね。もっと楽しみたいしね。


この年になって、ようやく自分を許してあげてもいいのかなって、少し思えるようになってきました。


他人に許しを求めるのではなくて、自分に「いいよ」って思える事。
ガハハと笑い飛ばすほどの力強さはないけど「ったく、しゃーないなぁ」って、笑ってやっても良いのかなと。
そして「次、がんばろう」って、素直に思うこと。

 

 

 


ぁぁぁぁぁ!!!!!

こんな根暗ですみません!!!!!

(笑)

 

 

 

 

と、釈明が長くなりました。

この前録音した朗読ショートは必ずアップします。
時期は未定になりますが、好きな作品なので必ず(^^)


こんな調子ですので、良ければ是非このブログにちょこちょこ様子を見に来てみてくださいね。
次にはどんな内容になるのやら自分でも予測不可能(笑)
でも、めげずに行きます。^^

 

 

 

ね、

 

「好き」を形にしよう。

朗読劇の編集作業


こんにちはdbd半です。

 

昨日は急遽時間があいたので、編集の続きをしました。
編集の続きというのは、2月の行った劇団AQUAさんの朗読劇の動画アップです。

 

実際の朗読劇は、ほぼ編集無しでしたので、実はかなり前から準備ができていました。


ですが、たくさん写真を撮っていた分があり、思い出記念にそれらもフォト集として動画アップしますと自己申告していたんですね。

 

実はそちらの方が時間を要していました。

音楽×3曲ほどで、写真にアニメーション転換を付けるくらいで~。
先々週行い、ざっと2時間ほどで作成できました。

 

半の場合は、だいたいですが5分程度のもので音探しもやるとなるとだいたい2時間ほどかかります。
音楽に合わせるって、リズムの取り方の重要さをここでも感じます。

 

はぁ~。
いっきにできたぁ~と思い、いざアップロードを行うと・・・。

 

 

「データは著作権に基づきアップロードできませんでした」のテロップが・・・。

 


あ、そういえば・・・。


今回は、一般のお客様の映り込みもあり、限定公開を踏まえての作成でした。
メンバー間だけで見るものという区切りをつけての制作です。

 

でも、音楽は・・・

 

 

しまった~~~!!!
調子に乗って、皆が好きそうな曲で仕上げてしまった!!

 


有名どころの曲はノリが良いですし楽しめます。
個人的なDVD制作のノリで著作権に引っかかるような曲のリズムに合わせて作ってしまっていたのです。

 

 

ブロック・・・。
そりゃそうだわな・・。

 

 

苦肉の策でニコニコ動画にアップロードする策も考えましたが、Youyubeのように限定公開機能は有りませんでした。
というか、ログインしないとニコ動は見れないので、一緒に出演させてもらったお母様世代の方には気軽さがありませんよね。

 


んん~~~〜〜〜〜~。(ーー)

 

 

 

その日は諦めました。

 

 


後日音楽の選定をし直しです。


候補曲を探し、なんとなくイメージ。

体力気力も必要なので、時間ができたときに、すぐに取り掛かれるように。

 


という訳で、昨日はその飛び入りの時間が急にできたという訳です。

 

皆様にお見せできないのは残念でしたが、自分的にも◎なものが出来ました。
やり直しも、まずはやってみることに意味があります。

 

 

曲を変えての編集作業でしたが、最初にリズムに合わせていたので曲を変えてもそれとなくテンポにあった形になりました。

いや、むしろ曲の雰囲気もあって、今回の方が良いかもしれません。( ̄+ー ̄)


ブロックされたときはさすがに気持ちが折れましたが、やり直す度に<学び>が蓄積されます

 

 

今晩は、昨日言っていた自作に取り掛かるつもりですが、使いたい曲が一曲しか決まっていません。

朗読劇の編集後に、今回の曲探しと効果音探しを行いましたが、気に入るものが見つけられませんでした。


短い物なので、それでもいい気はしますが、また一味二味加えたくなる可能性は大です。

キャストしての読みを2・3回本番として録音。
噛まないように出来るかしら?

その後、編集作業予定です。


今までの作業内容と同等なら時間はかかりませんが、新たに無料ソフトのダウンロードや無料効果音や動画素材探しの旅に出かけたくなったら今日のアップは出来ないかも。


こうなると、それとなく素材になるものを普段から録画し、オリジナル素材のストックをもっとたくさん保持していれば良かったと思います。

 

ん~どうしようかな。

雰囲気のある素敵な話なので、素敵に仕上げたいです。

うじうじ

今晩はdbd半です。

桜の季節が一気に過ぎて行きましたね。

まだ見られるところもあると思いますが、関東ではもう舞う桜も見れないかもしれません。

半も先週、先々週とお花見を堪能してきましたよ。

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それはさておき、お芝居の話です。

ここでひた隠しにしても仕方ないので、言っちゃいます。

 

役者脳から切り替えられない!!

 

 

昨年の9月より、かしげき(劇団わむ)、かつげき(劇団蓮)、朗読劇(劇団アクア)、連チャンで役者をやらせて頂きました。

 

前にも言いましたが、半は役者と演出をする時の切り替えが必要です。

半の場合は、演出側(スタッフ側)と役者(キャスト側)では、使い所や考え方かかなり違います。大き分けると二つ。

 

1.見える視界が違うこと。

2.熱の掛け方が違うこと。

 

1.スタートからゴールを辿るとするなら、演出はグーグルマップ上で辿るようなイメージです。全体を通して流れを見ます。ゴールに向かってどう言う工程を描こうかと考えるわけです。

役者の時は、グーグルストリートビューで、目の前の街並みを感じながらゴールに向かうイメージです。

 

全体を見て進ませるのと、目の前だからこそ観れる風景をたのしみながら進むのと、視覚的なイメージとして全く異なるのです。

 

2.熱量の掛け方が違います。役者のときは、血湧き肉躍るように、5感を使って、内面から湧き出るものを感じています。

スタッフ側は要所要所で、お客さんとしてシーンを見たり、事務的に作業をこなす方もあります。しかし、良いものを作りたいと思う熱は常に根底にあります。スタッフの際は冷静さ7、8割くらいを保つのがちょうどいいと思っています。

 

 

最近、どうも、この二つが役者→スタッフになかなか切り替えられずにいます。

 

 

次の作品dbdとしての作品に取り掛かりたいと思っている反面、たじろいでいる自分がいます。

前回までやった役者としての反省点がクリアされていない事が一つ。

dbdとしての模索が色々ある事が一つ。

まだ時間はある、と余裕をかましていたことが一つ。

色んな作品やアートなどに触れたり、見たりすると感動する反面、私のできる事なんて・・とイジイジした気持ちかあるのも一つ。

 

(*´Д`*)

 

理由はいくつか考えられます。

 

芝居は総合芸術ですから、一つのものに特化して、それらを合体させて、作品として昇華させます。

私の聞きかじりなんかで、楽しんでもらえるようなものを作れるのだろうか??

時々沸き起こる自信の無さが噴出します。

劇団さんの何よりの強みは、1人では無いことです。意見の衝突や色んな問題はもちろんありますが、誰かいてくれるという安心感は、かけがえがありません。

 

最近ではプロジェクションマッピングを使ったような映像と舞台のコラボも頻繁に見かけるようになりました。

映像と芝居を掲げてdbdは一発目をしたわけですが、新しい技術は常に躍進しています。

到底そんな新しい技術や巧みな技巧、鍛錬された技量に追いつけるはずがありません。

 

 

トライする事、チャレンジする事、

それらを推奨している半ですが、怖いものが無いわけではないのです。芝居経験者だとはいえ、役者と演出をメインで、それ以外の分野はほぼ知らないのと同様です。

むしろ小心者で、こんなことやったって誰も喜びやしないんじゃないかっ!と、相反する半がもう1人いるのです。

 

うじうじ・・・。

 

 

 

 

でも

 

 

 

 

でも、

 

 

 

でも・・・

 

 

 

やめられないんだよね。

 

 

 

時間が経ったり、また別なものに刺激を受ければ心の中のうずうずが止まらなくなるのを知っています。

自分の中で<創りたい>というシンプルな衝動が沸き起こる事も何度も経験しています。

役者だけでは止まっていられなくのも承知です。

 

 

結論

 

 

やめられるわけねぇ。

 

 

 

 

と言うわけで、この記事を書いているうちに、“うじうじ” から “うずうず”  に変化してきているのが今です。(笑)

(ちなみにこの記事は一週間ほど前から書いています^^;)

 

 

dbd半は、ほぼ一人でさびしん坊ですが、フットワークの軽さが売りです。

 

 

何かを始めることが、次へつながる。

 

まずは何かやってみよう。

 

 

こういう時は、元いた場所に戻ってみようと思います。

 

実は昨日から思い立って、しばらくしていなかつた朗読劇のアップをしようと模索中です。(笑)

内容は青空文庫から。約5・6分予定。

今は音探し中。

 

明日の夜1時間ほど時間ができそうなので、出来れば一気に仕上げてみようと思います。(^^)

 

 

自分の作品は自分が一番好きでいたいです。

シンプルですが、愛を持って制作しますので、仕上がったら見て(聞いて)くださいね。

 

 

遅くたって良い

 

早くたって良い

 

 

行けるとこまで行けば良い

 

 

 

※自作に集中すべく、劇団わむさんのタクラム企画は抜けました。色んな企画を試し試し活動されていますので、ご興味のある方は是非一度問い合わせて見てくださいね。^ - ^

 

 

 

 

姉御が来た ~たかが芝居~

お花見の季節ですね。

どうもdbd半です。

 

一週間ほど芝居の頭をお休み。

一歩離れたように、普段の生活にいそしんでいました。

アニメや見ていなかったドラマを見たり、上の姉が泊まりに来たので、東京見物や東京ディズニーシーに行ったり。

普段制作サイドのことばかり考えがちな半ですが、この一週間はお芝居とは無縁なんじゃないかというくらい、普通の生活をしていました。

 

今年は開花が早く、姉が来たこともあって先週土曜日お花見に出かけました。

たまたま前日に見たニュースに、上野で花見の場所取りをしている若手社員が映し出されていました。

姉御は、私の実の姉ですので大阪生まれ大阪育ち。上野にはまだ行ったことがないというのですから、それならちょうどいいという事で出かけました。

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やはり桜は素敵です。

 

残念だったのは、場所取りが微妙だった為、ゴミ収集車の近くで少しすると、異臭が・・。

早々に場所を離れ、大混雑の中上野のお寺を見て回り帰宅しました。

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 ↓上野東照宮

 

上野東照宮公式ホームページ

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翌日はディズニーシーです。

 

 

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去年10月末に一度行きましたが大雨・・と言うか嵐・・だった為、今回はリベンジでした。

シーズンオフのため、パレードなど野外のイベントはやっていなくて残念でした。抽選も外れたので、動いているミッキーを見たのは最後のファンタズミックだけになりました。

 

 

シャドウオブランドのショーも今回も見ました。

www.tokyodisneyresort.jp

 

姉御は私の姉妹ということもあって<感動しい>です。※大阪弁で<〇〇しい>と言うと〇〇しやすい人のニュアンスです。例:気にしい→気を使いすぎる人

特に、「がんばれ~」「一人じゃないよぉ~」的なものに弱い。ww

見ると隣の姉御が目頭を押さえていました。

クライマックスになり出演者みんなで歌うシーンは確かに迫力があります。

ハンカチを取り出す姉御。

驚きとともに思わず笑ってしまう半。姉御も泣き恥ずかし笑い。

 

前回見た時とキャストさんはほぼ変わっているようでした。 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

正直な感想でいうと、私は前回のキャストさんのほうが好きでした。

でも、素晴らしいものには変わりありません。

ストーリーは単純なものの、普段から鍛錬されている技術はにじみ出るものがあります。

 

姉御が涙しているこの事実を、今ステージに立っている方が知れば、どれほどやりがいを感じられるでしょう。舞台の素晴らしさを感じている人がここにいること、紛れもない事実でした。

 

目が肥えて行ったり、やればやるほど薀蓄を垂れたり、斜に構えた見方しかしなくなる傾向はどこにでもあります。でも素直に感動してくれる人もたくさんいるわけです。

 

会場を出て日が暮れてきていました。

私たちは服を着込み次のアトラクションへ移動しました。

 

 

そのあと、このステージの話は一度も出ませんでした。

姉が感動したのも事実だし、かといって一日中考えているほど感動したかと言えばそうではないことも事実でした。

 

おそらく、1年後、5年後にはきっと、「あぁそんなのがあったわね」それくらいに留まる位でしょう。いや、もしかしたら「そんなのあったっけ?」くらいかもしれません。

 

 

 

私は舞台が好きだし、この作品もすごいと思う作品のうちの一つです。

到底私なんかが真似できる範囲ではないです。

 

でも、きっと私は姉よりもこの作品を記憶していると思います。

それは私にとって舞台が特別だからです。

私の芝居・舞台好きはここでは割愛させていただきますが、一般的な反応はむしろ姉のほうだと思うんです。

 

どれだけ素晴らしい作品だろうと胸に残る作品やシーン、一つの台詞、そういったものは、見る側は、ほんのちょっぴりしか残りません。

おそらくぼんやりと「良かったなぁ」に留まるのが、良いところなのです。

 

 

何が言いたいかって?

 

 

私がすごい!!すげぇっ!!って思って作ったとしても、芝居が大事だ!!好きだ!!

と感じていていも、

見る側のほとんどにとっては、≪些末なことである≫というのを忘れてはいけないということです。

 

 

まれに1年後も5年後も10年後もずっと覚えてくださる方もいるでしょう。

観客側の私にもそういう作品があります。

 

でもどれだけクオリティもよくても、お金も使っても、時間をかけて、とても素晴らしいものを作っても、たいていの方は、ほとんど断片的、いやむしろ忘れてしまうくらいが普通なのです。

おそらく、どこかにぼんやりと「よかったなぁ」と暖色系で感じる思いが残るだけです。ただ、ぼんやりと。

 

 

 

姉御はその足で夢の国から現実へと帰る夜行バスに乗って帰っていきました。

姉は満足そうでした。

それを見て半も満足でした。

 

 

年に2回くらいしかこの姉御には会いません。

一度は私が帰省するとき。もう一度はこうして姉御が来たとき。

わざわざ千葉まで来てくれる家族はこの人くらいです。

 

普段ぶつくさ言いながらする家事も、姉御は率先して一緒にやってくれました。

上野では、もうお腹いっぱいと言いながら屋台で何が売られているのか、最後までチェックしていました。帰宅後、笑いながら臭くなったレジャーシートを一緒に洗ってくれました。

太ったからと肉の脂身をお残ししておきながら、自身の腹肉をつまみんでサツマイモの水煮を二つもたいらげていました。

ディズニーシーではファストパスを全力で取に行き、最後には泣き笑いもしました。

頼りないところもあるけど、欲求に素直な姉御。

 

 

姉は、楽しそうでした。

 

 

 

 

舞台は、とても素晴らしいものです。

私もその素晴らしさに射抜かれた一人です。

でも、だからと言って、万人がそれを感じるかと言えば違うのです。

舞台なんて、たかが舞台なんです。生活の中でほんのちょっとだけ関わるだけです。

 

制作をしていれば価値観は偏ります。

自分の世界を展開する代わりに、周りの人との距離は自然とできます。

一般の人にはどう映るのか?見ようとしていますか?

今手がけているものが100パーセント観客に受けることはありません。

自分の大事なものが他の人にとって大事なものであるとは限りません。

腕時計の時間を合わすように、針がずれていないかを、時々見てみても良いかもしれません。

 

 

たかが芝居です。

 

 

 

 

 

私は制作者する側だと必死になりがちで、それこそ視野が狭くなります。

視野が狭くして目の前に集中するからこそ一本作れるっというのもあるのですが、重くなりがちな思考の反対側は常にあることを、忘れずにいたいと思います。

 

ただ、そんな「たかが〇〇」だと分かったうえで、何かに注力できる人を半はかっこいいと思っちゃうんですけどね。