dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

リライトからのプロデュース作品の一時休止。

カットしない

 

決めました。dbd プロデュース公演の話しです。

それを決めてから、第二稿のリライトが上がりました。8月5日での話です。

 

どうもdbd 半です。

 

最近かしげき参加に絡んだ話が最近多いですが、今日はdbd の話。

 

台本を書くのに少しは慣れてきましたが、それをリライト、、簡単に言うと要は"書き直し"、この作業をちゃんとするのは初めてでした。

 

リライトって、本当に難しいですね。

私は前にも述べた通り、一気に仕上げてしまうのが好きなので、誤字とか文脈がおかしいからという手直し以外で、『書き直す、手を加える』というのを、まともにやったのは今回が初めてでした。しかも自分が書いたやつ。

 

だいたい書き終わった後って、なんか、飽きちゃうんですよねσ(^_^;)。その時でないとテンションが維持されないと言うか。

カットのため繋げるという作業はエンドレスサマーの時にもやったけどね。

 

自分が書いた台本で手直しをかける苦痛。

なかなかのものでしたよ、これは。笑

 

 

今回のリライトの目的は大きく二つありました。

一つは主要な登場人物の初期設定し直し。

もう一つはQSCという演劇動画コンクール用に時間を短縮すること。目安5分削除。

 

前回はおおよそ20分くらいの予想でした。

ここから、

ここからが大変だった。

5分削りたくても、削れそうな箇所がない!

でも、でも、このままじゃ、仕上がらない!

どうする?どうする?

 

パーーーーン

 

 

放心です。

心が狭い視野に囚われ閉塞感を味わうあまり、自然を求め始めました。ww

 

 

こういう時は、無理に書こうとしても一向にアイデアなんて出ません。

書いても書いても、一つ目はなんとかクリアしても、二つ目の目的である時間短縮に繋がらない。繋がる要素がない。

 

 

自分が設けた期限もある中、どうしても出てこないし、時間が過ぎました。

 

 

そして、時間が過ぎ手元には書きかけの台本と終わらない課題。(*´ー`*)うーーーーーん。

 

 

そうしている時にある方からメールが届きました。

それは業者さんからのメールなのですが、今回の作品のため、こちらの業者さんを利用する場合にかかる費用についてお聞きするため作品の一部を送っていました。

結果的に、辞退する事を申し出たのですが、半はおこがましくも感想をいただけないか、お尋ねしておりました。

 

それが、火曜日に返事が来たのです。

 

 

実は半はこの業者さんに作品を送るのをとても緊張していました。

 

芝居のお客さんでもない、私の知り合いでもない、業者さんとは言え、今までの方々とは全く違う方に見てもらうわけです。

演劇関係者でもなくて、友人知人でもない、いわばご新規様。こういった方々にお芝居を見てもらうというのは自分が目指す演劇の道の一つなのですが、正直めちゃくちゃ緊張します。

 

怖いよっ。

超つまんないって言われたら立ち直れないかも(−_−;)

内面的な言葉を出すならこんな感じです。

 

この業者さんとはメールと電話だけのやり取りだけです。私がお客という立場上、悪く言われることは無いでしょうが、それでも、足りないところをズバリ言われたら、聞きたい半分落ち込む半分だったのは間違いありません。

 

 

 

内容は控えますが、そのメールを見て、確信しました。

 

 この内容を、このタイミングでもらえた。

いま、ポンと背中を押してもらった、そんな感触を感じました。

 

 

半は、その瞬間から迷いが消えました。

 

すぐにいっしーに連絡を入れました。

「決めた。カットはしない。

〜〜

この話にはもう生きてるんだ。だから何度も頭捻ってもカットできなかったんだ

〜〜

コンクールには出せないかもしれないけど、良い?」

 

いっしーのレスは、「もちろん!いいよ!」

いっしーの即レスに何度も嬉しい気持ちをもらいます。

 

「もし出すなら、2本仕立てで対応できるような作品にしていきたいと思う」

と付け加えました。

 

1本のカットがむずいなら、一つの話を2本の話に区切れるような設定にしようという作戦です。これは、少し案としてはありましたが、役者の負担や編集について不安があったので、どうしたものか・・と思い踏ん切りがつかなかったのです。

 

 

ここにきて俄然やる気が出てまいりました。

それから12分~15分物という考えは置いて、24分~30分物のイメージとして書き上げたのち、ご参加いただく方に台本を添付。

今後の事を話しました。

 

進行状況としては、のこり作業一つを私が仕上げれば、かしげきの公演に絞るため、私も一時的に休止。休止中、私といっしーが動けない間に、お手伝い頂くみさきさんに、重要なアイテムの作成をお願いする。

そんな話をしました。

 

が、前にもその残り作業と同一の事をした事があるのですが、その時はほぼ一晩でできたのに、今回全然進まない(><)若干気持ちだけがまた焦りを見せ始めます。

1.2進んでは眠気が、、、💦

一日少しの進捗・・・んん~~~~~~~~~~~~~~~( ,,`・ω・´)なぜじゃ?

 

 

というわけで、そろそろ私もエンジンをかけないと!という事で、実は本日その残りを仕上げました。^ - ^

 

 

だから、dbdの話があまり出てこなかったんですね。ハイッ。

ブログに書こう書こうとすると、なんか次のACTや気づきがあったり、前回読んでくださった方がいれば周知のこととは思いますが、メンタル的にダメだーと思う事もあって(^◇^;)

 切り替えに少し時間がかかってしまいましたm(__)m

でも今思えば凹むって、凄くありがたい事ですよね。きっと、周りの皆んなが、そっちじゃないよぅ!って教えてくれたように思います。

皆様のおかげで、変なスネ方とかせずに向き合えました。ご迷惑おかけした方こんな私ですみませんm(__)m

 

 

さて、今日ですべての作業が一区切りつきました。

はぁ~、やっと終わったぁ~。

と一息ついてはいますが、でもね、これだけは言わせて!

 

時間はかかったけど、

 

残り作業も楽しめました(^^)

 

一度目に作った時よりも、少しはまとまったかなぁと思いますし、一回目に気づかなかったことも少し気づけたしね。

 

 

dbdプロデュース作品としては、今回私のほうでもこれから一時休止に移り、かしげきに集中してまいります。

 

 

 

プロデュース作品は一旦置きになりますが、dbdとしては、あと一つやりたいことがあります。かしげきの本番までにdbd のフライヤーを完成させたい野望があります!

 

 

 

結構前に、演劇のチラシ(の前提)について書きましたがその後の話もまだしていませんよね

忘れている方も多いと思いますが、半は諦めていないのです。(笑)

私はデザイン系のセンスに乏しく、参考になるものに目を向けたり、自分なりに考えたりを繰り返しています。何を言いたいか、どういう風に言えば良いのかを試行錯誤中。

現状としては、ひとまずこういう方向性で行こうかな・・と思ったのがあったのですが、実はここにきて、やっぱり不一致じゃない?っていう見方も出てきて、またまた時間がかかる予想になってきております。

なんか、考えたのを見てると、難しく考えすぎじゃない?みたいなね(笑)

 

なんかこういう風にやりたい!っていうのが出てくればいいのだけれど、まだヒットがないんですよね。

 

っとととと、これ以上行くとまた話が長くなりますね(笑)

 

次回より、いったんプロデュース作品は置くことになりますので、役者の話がまた多くなるかな?(^^)

 

あくまで半流の気づきを引き続き書いてまいりますので、どうぞお付き合いくださいませ。

 

 

半がワークショップに行かない理由

こんばんはdbd 半です。

 

昨日少しワークショップの事が出ましたので、少し書きたくなったので書きます(笑)

 

 

私は関東での演劇方法を知らないし、作り方や取り組み方を知りません。つまりアウェイです。そして今の所あえてワークショップに行くという事もあまり考えていません。

※なぜなら、ワークショップで人が見つけたヒントを自ら身につけていくのはとても有効的ですが今の私は自らが感じたものや気づいたことを開拓していきたいのです。我ながら屁理屈だと思いますが、つまりところ演劇のヒントは自然であり実は目の前にある事が師となるだろうと思うからです。

 

とは言いつつ、もし行くチャンスが何かしらあれば突如行きたくなるかもしれませんけどね(笑)

 


ちなみにワークショップとは・・
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワークショップ

ここにある通り体験型講座ですね。

 

演劇のワークショップというのは、そりゃぁもう沢山あります。
一日体験もあれば一年かけてやるものなど様々、そのぶん、お値段もピンキリです。

 

内容は、ほとんどが役者向けのワークショップだと思います。主に現役活躍中の方が、シアターゲームや即興やマイムなど楽しみながらレクチャーして頂き色んな気づきを体験したりしてモノによっては最後に上演するような所もあります。

 

半も過去に2.3回行ったことが有りました。内一つは一年間かけてのものでした。

 

向上心のある方、他のところはどんなことをしてるんだろう?他にはどんな事が出来るんだろう?

 

興味があればぜひぜひ色んなところに足を運んでみてください^_^きっと面白い気づきに出会えるんじゃないかと思います。

 

 

・・・と、ここまで書いておきながら本人は行かないのかよっ!

 

ツッコミありがとうございます。m(_ _)m

 

 

はい、今の所行く予定もないしあえてお金払って行こうかっていう考えは無いです。

 

アウェイだし関東のこと知らないし興味あるくせになんで行かないのよっ?勧めるくらいなんだから、自分も経験してくればいいじゃん!

 

そうです。そうなんですが、、なんか、こう自分で見つけて行きたいんです。

良いなぁ〜って思った事とか、これ面白いっ!って言うのとか。前に書いたブログのよだかの星で言うなら、ハッとする何かを、感じたいのです。

 

半はこのハッとするものを見つけたり気づくととても嬉しい気持ちになります。 

 

ワークショップでは、複数名の参加で成り立ちますのでお互い刺激し合えるメリットやスキルアップには絶対いいと思います。

 

私は、どちらかと言うと遠回りでしょう。

でもその遠回りを楽しみたいというか、ね。^_^

 

ワークショップに行った人の話とかは大好きですよ。楽しい発見があった人の話しを聞くのはとても楽しい事です。

 

 

自分が行くと二番煎じになるようなのもあるんです。例えば、同じ事をしてもある人がやると面白いけど別の人がやると面白く無いとか。答えを聞いて問題を解こうとしたら自分では解けないとか。

 

半が経験した所は有名どころでは有りませんでしたが十分楽しめました。

でも、私の場合は、なんか物足りなかったんです。

 

皆さんは訳も分からないで涙が止まらなくなった経験はありますか?半は高校の修学旅行に姉妹校がある中国へ行くことになったのですが、その時歓迎の歌を在校生が歌ってくれたのですが、突然涙が溢れてきました。中国語なので何を言っているかはわかりません。もちろん泣くような事はなく他に一人でもそんな風になっている人はいませんでした。恥ずかしいので、他の人には見られないように何でもないようにしました。その時なぜ自分がこうなっているのか本当にわかりませんでした。

 

去年四年勤めた女の子が退職しました。

最終日、サプライズでお花を渡すと彼女は感極まっていました。私は同じ部署ではありませんでしたが、もらい泣きしそうでした。

 

なんだろう。

ワークショップで教えてもらうより前に、私はもっと目の前に起こる事象に対して感性を磨きたいと思うのです。それが楽しいのです。そしてできればそれらを演劇という形に変換して行きたいのです。

 

屁理屈めいてるかな?

 

^_^

 

色んな楽しみ方があるのが芝居のいい所です!

 

 

皆さんの楽しみ方をどうぞ見つけて頂けたなら、半の幸いです。^_^

今日は。

dbd 半です。

 

 ごめんなさい。昨日に続き重い話です。

昨日書いたけど、素直になることはとても難しいです。

 

私の場合、演出企画を別でやっていて、リスタートしてからはほぼ一人で作ってきたというのも一つあります。

 

頭が硬いと言うか、先入観があるというか。

気をつけていたつもりがどハマりでした。

 

 

言葉のニュアンスや、ヒアリングの仕方、経験したことも人それぞれです。

私は関西小劇場でやってきて、当時は身内の芝居でほぼほぼ満足していました。それも社会人としてはほんのちょっぴりです。

 

私は関東での演劇方法を知らないし、作り方や取り組み方を知りません。つまりアウェイです。そして今の所あえてワークショップに行くという事もあまり考えていません。

※なぜなら、ワークショップで人が見つけたヒントを自ら身につけていくのはとても有効的ですが今の私は自らが感じたものや気づいたことを開拓していきたいのです。我ながら屁理屈だと思いますが、つまりところ演劇のヒントは自然であり実は目の前にある事が師となるだろうと思うからです。

 

というか、関西ですら、きちんと学んでいるわけではなく、全て好きにやっているわけですから、大したことは本当に知らないのです。

 

それにも関わらず主張が強くなる。

それは、間違いなく『思い込み』です。

 

これは、自分が主催の時には最も気をつける事項の一つですし、主催以外でも絶対的に気をつけなければなりません。

 

私は今回に関してスタートの仕方を間違ったように思います。

 

なんだか、わちゃわちゃする間に、稽古に行く前に固定概念をもちすぎてしまいました。

 

これは猛省です。

 

役者は任された仕事をきっちりやるのが仕事です。

それを理解する前にあぁだこうだと考えるのは演出や企画の仕事です。

 

役者は演出のイメージを具現化する役割です。頭の中で分かっていたはずなのに、それを逸脱していました。

 

 

こだわりと思い込みは異なります。

 

役を理解するためにあぁだこうだと考えるのは良いですが、余計な心配や方針をぶつけるのは違います。

 

 

私は、ここで演劇の面白さを、生の舞台の良さについて熱く語ってきました。

そのエネルギーをそのまま持ち込んでしまったのです。

 

ここで書いてきたように、私は私なりのアマチュアなりのプライドがあります。

ここで見ていただいて少しでも興味を持っていただいた方に、手を抜いてしまって全力を出し切れない舞台をやってしまったら、大変な裏切りだと思いました。

 

それはその通りなんですが、少し意図がずれていたのです。張り切りすぎたというか、前のめりになりすぎたというか。

それは読者様のせいとかではなく、はっきりと断言しますが、半の完全な思い込みだったのです。

 

 

それが、逸脱した行為。

 

私は今回企画者でもなければ演出でもありません。いち、役者です。

役者は自分の役について、きちんと向き合う事です。

 

役者としての気づき、参加者としての気づきは別ですが、それ以外のことで、ここで、あぁなってるこうなってるは、余計な事と言わざる終えません。

 

私と作り方が違う。考え方が違う。当たり前です。それを自分の杓子に置き換えて、勝手にマイナス思考になったり、前のめりになったり。

 

全くもってナンセンスです。

 

 

今まで違うところでやって来たのだから、それぞれがそれぞれの経験や考え方があります。

 

 

私の熱量の向けるところが違った。

そう思ったんです。

 

 

さて、このあとどうするかです。

私には一つやらないといけない事が浮上して来ました。

 

それは自分の考えを捨てる事。

自分の思考回路を壊す事。

なるだけまっさらな状態に戻す事。

それはまるで禊です。

 

己で作り上げてしまった概念を壊すのです。

一度持ってしまった思考回路を壊すのは簡単な行為ではありません。

 

これだけ言っているのに、分かっていても簡単に切り替えられない自分がいました。

 

捨てられない考え。繰り返してしまう行為。固執

 

 

でも、それじゃダメなんです。前に進めないんです。私のなりたい役者像とどんどんかけ離れていきます。

 

 

でも、ヒントがありました。

私の熱量です。私の熱量を使うのは、実はここなんじゃないかっていうのに、少し前に気づいたんです。

役を作り上げるんじゃなくて、自分で作ってしまった役を一旦戻すこと。役者として、原点回帰するために熱量を注ぐことです。

 

役者に集中する事が、私がここで書いて来た舞台の良さを伝える為の行動だって。

 

全く普通の当たり前の話なんですけどね。

 

今回これを読んだ方には少し見苦しかったと思います。m(_ _)m

私の考えを書き込むことで、禊完了な気がしたんです。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

素直になること

こんばんは。dbd 半です。

 

役者の稽古は大変です。

 

多かれ少なかれ内面を解放する作業です。

 

多分ね、私は今まで役者もやったりするのですが、そういう内面を出す辺りの稽古はやはり苦手な分野の一つなんだと思います。

 

 

さて皆さん、一番良い役者って、どんなだと思います??

私は多分タイトル通りなんだと思う。

 

 

仕事でもそうですよね。飲み込みが早い人とそうでない人との差ってなんだろうっていうと、一番はこれではないでしょうか?

 

「素直な人」

 

逆に中途採用でベテランなんかの採用を敬遠するのは、自分のやり方や考え方を変えれなかったり押し付けちゃったりするところですよね。

 

今、まさしく半は上記の状態なのかなと思っています。

今はまだ演出視点が変に邪魔したりしていて、私が純粋に1役者になりきれてない。

今まで色んなことやってきて、誰かとやるっていうのが、極めて少なかったのもあると思う。

でも現状、自分でも私が思う良い役者ではないという感じです。

 

久しぶりの絡みのある稽古だからね、アクアさんとは別で初めて作品づくりをしているわけだからね。まだアンテナが定まってないのは、仕方ないんだけど。

 

 

役者の練習でね、内面を気づいて出す、外面に気づいて言葉にするっていう稽古があるんだ。

なかなか得意不得意がでる稽古だと思うんだけど、あれはまるっきり自分の心と向き合うわけでね、心のガードを取り払うような行為なのね。

ま、つまり自分の心に素直になる。壁を無くすっていう行為でさ。

 

それって、やっぱりとても難しいと思うの。

 

 

簡単な人にはなんでもないかもしれない。

でも、人っていろんなガードがあるよね。

傷つきたくない。とか。

傷つけたくない。とか。

奢りとか。

プライドとか。

警戒心とか。

トラウマとか。

羞恥心とか。

 

ま、大人になばなるほどいろんなガードが出てきて周りとの関係性をうまくしていくんだろうけど。それは処世術の一つだし、そう感じる心があるのだから、それで当たり前なんだと思うんだけどさ。

 

でも、時にはさ、その奥に引っ込んでるモジモジしてる自分に、正直になった方がいい時もあってさ。

特に役者っていう生き物はそのモジモジしてる自分でさえ出し入れできるようにするわけなのね。

 

それがシーンで役に立ったりする。

役自体の話ではなくてね、役者自身にとっても素直になることっていうのは周りと関わりあうスタンスの状態でとても大事なの。

 

 

 

でさ、今の半は、ダメダメなわけなの。

なんか、こう空回りしてる感じもあるし、ぶっちゃけ変なプライドが邪魔してるって今日分かった。

 

凹むよ。

そんな簡単じゃないよ。素直になるなんて。

自分が傷つくのが怖い。、相手を傷つけるのが怖い。

 

 

役者って、こんなに大変じゃないはずなんだよ。半が不器用なだけ。

 

これは、誰が悪いとかじゃないんだ。

あえて言うなら自分の問題。

素直になれてない自分の問題。

これからどう対処するかは、自分次第。

 

何でもそうだけど、全部自分に返っていく。

 

人の話に耳を傾けること。

人の考え方を理解しようとすること。

 

自分の気持ちを伝える努力をすること。

 

今思ったけど、半は意外とこの三つ目が苦手なんだろうな。

 

だからこそ、芝居で何かを伝えたい!って強く思うのかも。伝わった時のことを考えると、喜びが人一倍あるのかも。かもかも。

 

 

伝えるって難しいね。演劇だけじゃなくても仕事でもプライベートでもそうなんだけど。

 

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※雨で濡れた公園

 

 

 

 

だからこそ、面白いんだけどさ。

 

 

役者ってなんだ?~役者からみた演出との関係~

役者ってなんだ・・・?


先日演出ってなんだって、いうのを書いていて、きっと役者についても、ふと立ち止まる人は多いんじゃないかと思いますので
今回は役者のことをメインにしつつ、演出との関係性なんぞを書いていきたいと思います。

このまえの過去ブログ
まだ読んでない方はどうぞ見てみてね。
↓    ↓

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 


今回の話も例のごとく、半流だからね。
決してプロの方と張り合おうとか思っていないので。
あくまで半がやってきた中で、こうでありたいとか、こういうもんかなぁっと言うのを書いていきます。


さて、役者・・・これも語ると長いよね。
俳優と何がちがうの?とか、こういう役者さんて良いよねとか、こうもろもろ出てきちゃうので、今回は舞台の役者と演出の関係について絞るね。


簡単に言うと、役者は
演出の頭の中にある登場人物のイメージを具現化する人・・・だと思っている。


演出の頭の中から飛び出したキャラクターというかね、そんな感じww。


まず、台本を読むよね。
分かりやすい台本はそこでだいたい個性が出てる。
セリフ回しや他の登場人物との関係性である程度の輪郭が浮かび上がってくると思う。

あとは、この前の記事でも書いたけど、何百何千ある演技のやり方をどんなふうに出して表現するのかっていうのが
役者のお仕事で、そこから演出のリクエスト・指し示すベクトルをヒントに、さらに個性や空気を作っていくの。
ちょっと分かりづらいね。
演出が道しるべならその道を歩く人っていうイメージかな。


でね、ここからが重要。
先日ちらりといったんだけどね。

 

演出の面白いところは、自分の考える効果や流れが、頭の中を飛び出し具現化しそれを感じることができる事です。さらにそのイメージを役者がよりいい形でアウトプットしてくれることを望んでいます。そうなったときが一番面白いww。

 

ただ演出のイメージを再現するだけじゃなくてね、
演出のイメージを超えるのが本来の役者の役割だと思うんだよね。

さっき、こう言ったじゃん。

役者は
演出の頭の中にあるイメージを具現化した登場人物・・・だと思っている。

演出の頭の中のキャラクターを具現化するのに、そのイメージを超えるって、
意味不明じゃん!

 

うんうん、わかるわかる。

でもね、これを先に言わせて。


演出はね、自分がイメージしているものが、完璧だなんてこれっぽっちも思っていない。
演出の考えをそのままやって、それ以外はやるな!って人もたまにはいるかもしれないけど、ま、そういう人はプロの中の一握りだと思う。

 

そうじゃない演出の大概は、自分の想像だにしないアクションや、言葉にならない思いの強さの表現を求めている。
その人にしか演じきれないパワーっていうか、演出が考える以上の登場人物らしさっていうか。

 

 


たとえばさ、単に「ここで必死すぎて声裏返って叫んで」って言われても、
あんまり信憑性なくない?
演じる方も、その絶妙なタイミングでわざと声を裏返らせて、なおかつわざとらしくなく
必死さをだすって、難しくない?


たぶんさ、その前後があって、気持ちがあって、今のシーンの状況があって
思わず声が裏返った。そしたら見る側にもその必死さって自然と伝線すると思うのよね。
思わず見る側も引き込まれるっていうかさ。


たとえばさ、演出から、売れない芸人っていう役を当てられて
「今日の飯はこれだけか」ってあんパンをかじるとするじゃない。

で、ここでただ食べるだけにするのか、
泣きながら食べたりするのか、
一口一口かみしめながらちぎって食べるのか、
誰にも取られないように、すぐさま大口で食べるのか、
ここのバリエーションを持っていくのは役者のお仕事なのよ。

 

で、演出がここでは尺的に(時間的に)魅せるシーンじゃないからぱっとやって・・
っていうなら、一つ目のただ食べるだけをセレクトするんだけどね。

 

でも、ここに能天気なキャラ設定とかがあるなら、全部やめて、ちぎって上に投げてパクリってしててもいいわけでしょ。

ちょっとしたシーンなんだけどね、キャラクター(能天気)とリクエスト(ぱぱっと食べる)が分かっていれば、こまごまとしたところで、そのキャラを生かせるしふとした個性の表現がエンドに向かっていくときにさらに深みがましていくってことなの。

 

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そういったのを少しずつ肉付けしていくことでね、薄っぺらいキャラクターがどんどん肉厚が増していって、等身大になっていくんだと思うの。

 

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演出は、たくさんの役柄の設定や動きや時間配分を考える。
でも、その個性の出し方はすべて考え切れているわけじゃないの。

 

この役者だから出せるキャラクターの面白さを、出してくれる(持ってきてくれるっていう言い方をすることも)のを待っているの。

 

 


ずっと前にとある稽古場に見学に行ったところでね、こんなことを言っていた人がいた。

「演出がいないから何もできない。」


これは、正解なんだけど、パーフェクトじゃないと思う。


演出がいなければベクトルがないから、迷子になっちゃうんだよね。
演出がいなければどんどん方向性がかわっていくからね。

でもね、ある程度の輪郭から、演出が線引きしたあと、肉厚を付けていくのはあくまで役者の仕事なんだよ。


それまでも演出に求めちゃいけないと思うし、わからなくて迷子になったなら、忙しくても演出にくらいついて、ベクトルもらおうよ。

 

そしてもらったベクトルは消化しよう。
方向もらってるのに消化しないで、演出いないからできない・・っていうのは、・・うーん、そこはがんばろ。


頭使おう。分からないなら食らいつかないといけないし、目線を変えて情報収集してみたり周りの言葉に耳を傾けよう。
(↑半分、自分に言っています。(笑))

 


じゃなきゃ、いつまで経っても、演出が作った枠組みから出られないし、それなら自分っていう役者が演じる意味なくない?
むしろ、この肉感をどうやって見せるかが役者の面白いところなんだからさ。

 

肉を付けるのは、やっぱり役者なんだよ。
演出のイメージを超えるのが役者。
こいつにしかできね~なって思ってもらえる役者になろうよ。なりたいよ。

 

演出はアウトラインしか示せない。
道しるべがあっても実際に歩くのは役者なんだよ。
歩きながらその面白さをお客さんに届けるのは役者しかいない。
演出は、自分の想像が形になった時にものすごい面白味がある。
でも、その頭の中の想像って言う枠を超えてより立体的に目の前に現れた時、実はその時がいっちばん面白い。

 


あぁ、役者の話はやっぱり長くなるね。
本当はもう少し語りたい部分があるんだけど、疲れたので今日はこの辺で。

 

まとめッ!

役者とはなんぞや?

  1. 演出の想像を具現化してお客さんに届ける役割
  2. でも実は演出の想像を超えてお客さんに届けるポジション
  3. 肉厚を付けるのは役者次第

 

だからさ。同じ役でも違う役者が演じれば違う面白さが出る。その中での、自分オリジナルは必ずあるはずなんだ。

ダブルキャストっていうのがあるじゃない。好きな人なら同じ話でも〇〇バージョンの回と△△のバージョンどちらも見たりする。もちろん料金は倍かかるけどね。

見る側なら役者の違いで客席に届くものが違ってくる。その違いを楽しむのも一興なのさ。

 

 

 


半はどうしようかね。
台本を頂いて、わむさんでやる今回の役どころは20分の芝居のはずだけど半が思っていた以上にボリューミーだったよ。

半はやればやるほど楽な作品づくりに向かって言ってるしねww


本番まであと一ヶ月とちょっと。


余裕をかましていると、役に追いつけない。演出のイメージ、その上を狙えないと感じている。まずはその役として演出の方向性を理解しないと次には進めないからね。どこまでできるだろうか?
ま、そのために一つの役は降りたんだけどさ・・。

 

 

今はイメトレ中。
この前、立稽古一回やっただけなんだ(笑)※一回の稽古ではなく、流れを一回やっただけ(笑)

 
正直、久しぶりなのもあるけど、一人でやる時より妙な緊張感を感じている。
内容はめっちゃコメディなんやけどね。

油断していると台本に食われそうっていうかさ(笑)
台本が面白いだけに、どれだけ肉付けできるかなぁって。
掛け合いだけにどれだけ息を合わせられるかなぁって。

一人じゃないから、
一人じゃない面白さがある。

一人じゃない難しさがある。

 

頑張るね。

頑張ってる人は頑張るって言わないらしいけど、半は実際、今はまだ何にもやれてないから、こう言うね。

 

 

気合だけは十分入ってるから。

 

 

出来ないと言うこと・・・・

出来ないと言うこと・・・・


どうもdbd半です。

 

今日は続けて2つの投稿になりました。

さっきのが一昨日くらいから書いているやつね。今回は今日のリアルタイムの話です。

埋もれちゃうからどっちも見てね。

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

ま、そんなことはいいのですが、今日の話をします。


仕事でも友人同士の付き合いでも、男でも女でも、若年でも老齢でも、
一度振られたものや引き受けたものを断るというのは、とても言いづらいものです。

前者であれば、「自分だから任せてもらえたのに、なんて不甲斐ない」と思うし、、
後者であれば、「自分でOKだしたのになんて責任感ないんだ」と思ってしまいます。

で、どちらにせよ、その分誰かに迷惑がかかるわけで、そういうのは自分にも周りにも良い空気にならないのは、
避けては通れません。

 

でもね、大人になるとね。
出来ないことは出来ないで、やっぱり早めに言わないといけないと思うんだ。

 

迷う時間や、考える時間は必要なんだけどね。
それで一番迷惑なのは、直前で「やっぱ止める」って言い出したり
「本当はしたくなかった」なんて言うことだと思うんだ。

だったら、傷つけるのは覚悟の上で、その分何ができるかだと思うんだよね。


今回"かしげき"のイベントに劇団ギルドわむさんとして出演を希望していたのですが、
当ててもらった役が二つでした。


私としてはね、せっかくの舞台だし。
やりたいんだよ。
やりたいんだけど。
二つ請け負って、残りスパンを考えて・・満足できるものができるか??
って思った時にどうしてもYesにならなかったんだ。


やるなら、キッチリしたい。
時間がないなら、その分関わる方全員に時間を裂いていただいて、ああしたいこうしたいをぶつけながらそのうえで良い物を出したい。

それは一つの時でもそうなんだけどね。

それが二つ・・。

 

 

私が学生さんやフリーターならガンガン引き受けていたかもしれない。

でも、それじゃこれからの私では長続きしない。
今のスタンスからは逸れてしまう。
そして、万が一、私自身が満足しないものを作ってしまったら・・?
私がここでどれだけ、生の舞台について語り、小屋に足を運んでほしい、
動画ではなくLIVEはまったく違うんだ!・・・そう言い続けていたのはなんだったんだ?

 

私を信じてきて見に来てくださる方に、がっかりなんてさせられないじゃないか。
下手くそでもカミカミでも、生の舞台だから感じてもらえるものがある。
どんだけ棒読みでもどれだけアマチュアでも、一生懸命やり切れるから
お客さんに来てほしいと言える。

私は・・・

今日、一つは降ろさせてほしい旨を連絡しました。

 

 

 

皆さんは、無理していませんか?

過去の私で言うと、かなり調子に乗っていた時期は台本が二つ三つある時期もあって、
そういう時は、私はなんですが、あまり満足できませんでした。

二つ三つ台本を持つことが無理だとは思いません。
出来る方には全く問題ないと思います。むしろすごいと思います。

 

単に半のスタイルに合っていなかったんです。
dbdのプロデュース作品についても、本来かぶらせるつもりは毛頭なく
オシオシになった結果やむを得なくの形になりました。

そして、関係者の方には、10末仕上げは無理になる可能性も伝えたうえで
しっかりやりたいことをやる方向性で話をしました。

 

お芝居・・楽しいよね?
やりたいことたくさんあるよね?

今しかないかもしれないって思うよね?
でも無理していない?


無理というのは・・芝居を続けていける演劇活動のスタイルになっていますか?
ということです。


「できない」っていうのって、とても勇気がいります。
今回のことに限らずなんだけどね。

期待してもらったことを裏切っているようなことになるし、
自分の実力はここまで。。って線引きしてしまってるようにも感じる。

 

役者だけではないよね。
企画運営サイドだってその岐路に立たされることは多々ある。
家庭だって。仕事だって。

かかわればかかわるほど、周りのこと考えれば考えるほど
言えなくなっちゃうことはあるよね。

 


でもね、やっぱり・・決断はお早めに!だと思うよ。
やればやるほど、引き下がれなくなるのは常套だから。


どう采配するかは自分次第。
ここで迷っていることに対してやめろとか続けろとか半が何かを言うことではできないんだけどね。

 

ただ、
周りに流されたり、このあと周りのせいにしてしまいそうな自分がいるなら、
ちょっと立ち止まって、周りをよく見て考えればいいんだ。
TRYしてみるのも価値はある。STOPすることにも価値はある。

どんな決断でも自分が決めなきゃいけない。


進むのも、引き返すのも、どんな事柄でも
決めるのは自分次第なんだから。

 

 

私は私のやり方で、突き進もうと思う。

 

演出ってなんだ?〜演出と役者の関係〜

演出ってなんだ?

 

どうもdbd半です。

今回は演出について語ります。

今まで読んでくださってる方は、また話が飛ぶなぁとお思いでしょうが、思う事がいろいろありすぎるのです。

演出の分野は、私は役者と並列で大好きな作業の一つなので、話すと長いのですが、いつもの通り思いつくまま書いていきたいと思います。

 どうぞお付き合いください。

 

舞台にはそれぞれの役割があります。

役者はなんとなく分かりますよね。

一番お客さんが見るもので演者のことを言います。

 

その他に舞台と言えば、スタッフがいます。

脚本家、音響さん、照明さん、舞台美術さん、舞台監督さん、衣装さん、小道具さん、広報、紙系の制作(チラシ、チケット、パンフ)、そのほか当日スタッフさんなどなど・・。拾い出せば、やることに応じてさらに細分化されますが、概ね上記のスタッフさんと役者、つまりはキャストに成り立っています。

 

えっ?何か忘れていないかって?

そう、冒頭に挙げました演出です。

 

演出は作品の中での取りまとめで、映画やドラマだと監督と同等のポジションであると考えていただいていいと思います。作品のイメージの構築、それに合わせて各セクションへこうしてほしいというリクエストしていきます。

※ここでは指示しますとはあえて言いません

 

ただ、舞台で言えば、演出は脚本と兼任することも多く、照明出身の演出さんもいれば脚本出身、音響出身の演出さんもいて、それらを兼任することも多く、テレビなどの監督さんよりも比較的マルチな作業を行うイメージがあります。

そして、何より主催=演出・脚本家というスタイルがアマチュア劇団であればほぼほぼ決まっていることが多いのです。

 

つまり、演出の決め事で動くことが多く、兼任すればするほどその劇団内での発言力は自然と強まるというわけです。

 

そしてその演出スタイルは個々の劇団さんによります。

 

少し前までは、灰皿が飛んでくるようなきついダメだしをしながら演出絶対主義で行われる劇団もあり、一言一句、小っちゃい「っ」ですら、抜けると怒られるみたいなところもあるような・・。

 

それも一長一短有るわけなのですが、半のように、すべてキッチリするのが苦手な人間にはとても難しかったりします。

 

ただ、このスタイルのすごいところって、毎日稽古やったり、台本を一字一句よんだりすることをみっちりやるので、初めて演劇を始めた方はそれが「当たり前」になっちゃうところなんですね。

 

だから、こうメンタルが強いというか、打たれ強いというか。

 

千葉に来てから、演劇関係の方とたびたびお話することがあり今回もかしげきに参加する劇団ギルドわむさんにお世話になっているのですが、この言葉を聞きます。

 

「演劇始めたのがそこ(の劇団)が初めてだったからさ、そこしか知らないし、それが当たり前だと思ってた」

 

これは、半が「休憩とかあまりないね?」とか「えっ毎日稽古してたの?」とか聞いた時に返答いただく言葉です。

 

マジでか~~~。

うちは無理だわ~~~

 

もともと半は毎日の稽古は大嫌いなんです。稽古は好きですよ。

でも考える時間がないというか、遊びがないというか、ねかせられないというか。

 

ある程度の余裕がないと半の場合は、稽古に追われる状態、ただ稽古場に来ているだけみたいになってしまいます。頭の中は全く回っていません。

 

 

社会人になって週一ででもできる演劇活動を知りました。

 

今はさらに少なくなっていますが、それでも創作活動はできるという気持ちでいます。

なので、この発言を聞くたびに、みんなすごいなと思うのと、我流だけど違うやりかたもあるよ(^^;)という気持ちになります。そういうところはだいたい上記に挙げたように演出の権限というか発言力というか、発信力というか、そういう傾向を感じます。

 

そこで、ふと演出の役割について、書いてみたくなったのです。

 

ただ、極論を最初に言っておくと、半は結果主義でもあるので、いろんな演出さんがいて、結果的に良い作品ができてそれで満足出来ているのなら・・有り!と思っています。

 

 

ですので、ここで話すのはあくまで半流です。

今劇団に所属されている方はその劇団の方針ややり方があるかと思いますので、自分が信じるやり方を進んでいただければと思います。

 

こういうのもあるんだぁ~ということや、まだ始められていない方は、あぁそういう風に半は制作するのかぁ~と思っていただければと思います。

 

   *    *    *

 

さて、前置きが長くなりましたね。

 

では、演出は何をするのか?

 

半はベクトルを指し示すもの。

そう理解しています。

 

先日のブログで役者と演出の目線は同じものを見ているようでも、見え方が全く違うと言いましたね。

 

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 演出が地図上でスタート(オープニング)地点からゴール(エピローグ)地点まで全体を見ている感じだとするならば、稽古が開始したばかりの役者はその場所に立って、右左確かめながらあたかもスタンプラリーするように道を歩くイメージです。一歩ずつ確認しながらA地点からB地点へと向かいます。

 

どうして、演出が全体を見通す地図上の目線になるか。

それは話の流れを統べるものだからです。

最初から最後までを通してどのように作品を仕上げるかを見通さないといけません。

 

なので同じ脚本でも、演出が変われば、作品スタイルはかなり変わります。

 

イメージです。

 

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こんな感じで、仮に同じ台本だったとしても全体的にどうやって盛り上がりを見せるかどのようにクライマックスに運ぶかというのは演出の見せ方によって異なってくるのです。

この演出のつけ方は演出の数だけ手法や好みがあり、どれが正解というものではありません。あえて言うならすべて正解なんです。

 

演出はその作品の全体を見通したうえで、どのように話を運ぶかを決められるポジションです。役者個人個人がここはあれで、でもここはこうで・・というのでは盛り上がり方に作中に偏りが出ますし団員の中でも言える人と言えない人もいるでしょう。

そこを一括して担うのが演出であり、逆を返せば演出の頭の中のイメージを再現するのが役者やスタッフになってくるわけです。

 

たとえば「ここはテンポよく見せて、勿体つける感じはなくていいよ」とか。

「この間(ま)はしっかりとって」とかリクエストがあったとします。

 これははトータル的に見て、この後に続く流れなどを踏まえているからこそ出てくるんですね。

少し余談ですが、たまに役者さんで勘違いされる方がいるのかなぁと思いますが、<間>これはただ間を開ければいいという話ではありません。

次につなげるための動作として、その間、空白、セリフのない時間が必要なんです。ただセリフを発しないのが間ではなく、そこには「考えているのか」、「言葉を飲んでいるのか」、「頭を整理すためのもの」なのかなど、そんな言葉にならない時間を表現されたのが間として演出は求めているということです。

 

 

さて、どんな見せ方をするのかを指定していくのが演出と言いました。

これを役者の目線から見てみましょう。

 

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役者は台本を読んでみると、なんとなくの展開は理解できます。

ただ、それだけでは作品にはなりません。

なぜなら、セリフの一つをとっても100通り10000通りの表現方法があるはずなのです。

セリフ1(さきほどのスタンプラリーでいうならA地点)の次にセリフ2(B地点)があったとするなら、セリフ1からセリフ2まで行くにはたくさんの方法があるのです。この時点では、気持ちができているのであれば、どれも間違いではなくすべて正解です。

 

その何百、何千通りある中のどういうセリフの出し方で次の展開に持っていくのか?それを考えて出すのが役者です。引出は多ければ多いほどいいというのはこういうところですね。

セリフ1からセリフ2まで行く手段がたくさんあるのですから必ず迷いがあるはずです。

なんでか?

 

だって、それは演出が決める事だもん。

もっと言うなら、どの道を進むかは演出の好みなんだもん。

 

別人格の役者が別人格の好みをすべてわかるわけはないのです。

それを指し示すベクトル、道しるべのようなものが演出です。

 

 

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演出は役者にベクトルを示すと同時に、効果を考えます。音響効果、照明効果、舞台設備による効果。それらをすべて統括し、まるで指揮者のように作品の世界を構築するのが演出なのです。

 

 

マチュアの世界では時々勘違いしてしまうことがあります。

作品の世界を構築するのが演出であるならば、演技向上をさせてくれるのも演出だと思ってしまうことです。

演技指導と演出は全く異なる部署だと私は思っています。

 

こういう風に話を持っていきたいと考えている人が、そのテクニックを必ず身に着けていないといけない理由はないからです。演技が上手くなりたければ、演出家のところではなく、好みの演技をされる役者さんのワークショップに行かれるのが最適だと思います。

先人がそのままレクチャーしてくれるのですから一番手早い方法に違いありません。

 

 

ただ、演出はある意味お客さんの目線に近いのです。

お客さんの目から見て、今このシーンがどうなっているのか、次をどうしたら気持ちのいい展開になるのか?たぶんそれを考えながら演出は効果を付けたりダメ出しをしたりします。。ですからよりシビアに客観的に役者人を見ているのも演出家なのです。

そういった意味で、演出の目線を信じる事、これはとても重要だと思いますし、演出はお客さんの目線を忘れて自分の好みだけを押し付けていては、極論面白くないと思います。

 

 

ですから、実質ここでも目線が異なるんです。

役者は舞台から共演者やお客さんを見ます。

ですが、演出の目線は客席側から、つまりお客さんからの目線で作品を作るのです。

 ※客席から舞台を見たときに右側を上手(かみて)といいます。逆、左側を下手(しもて)といいます。

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公演中、お客さんにメッセージを伝えるのは役者です。

でも、本作をどうやったらお客さんに伝えられるかを総合的に見ていて完成形をいち早くイメージしているのは演出家なのだと思います。

 

段取り的(きっかけ的)なことを除いて、演出家らのダメ出しをもらったとするなら、それは客観的にみてお客さん目線で見て、「そう見えない」「違和感がある」「やってほしいことはそれじゃない」と思ったからなのだと思います。

 

 

演出の面白いところは、自分の考える効果や流れが、頭の中を飛び出し具現化しそれを感じることができる事です。さらにそのイメージを役者がよりいい形でアウトプットしてくれることを望んでいます。そうなったときが一番面白いww。

 

ここで言えるのは、演出は、作品ができる前から、稽古が始まる前から、頭の中で完成形をすでに構築しており、すでのその作品の第一のファンであるということ、これはまず間違いないでしょう。

 

 

今回はずいぶん真面目に書き込みましたね(笑)

 

少し長くなったのでまとめます。

 

演出ってなんぞや?

 

  1. 演出は作品の完成形をイメージし、イメージを具現化するポジション
  2. 演出は全体を踏まえ、役者・スタッフに演技のベクトルを示す人。要は立て看板のような存在。
  3. 演出に演技指導をもとめていはいけない。演技向上が目的ならしかるべきところに行くべし。
  4. 演出は制作する中で一番観客に近い目線をもつ存在。
  5. 演出は完成形を誰よりも早く強くイメージしその作品が好きすぎる人。

 

 5に関しては若干自己愛強すぎて気持ち悪いですが、ま、概ねこうだと思います。

これ見れたら、めっちゃカッコいいとか、めっちゃええシーン、もう泣けるなど

作成される前に本気でそう思っています。目の前なんにもできてなくてもね!

 

<注意>

あくまで半の考えなので(笑)

 

 

というわけです。Ww

参考になるかならないか分かりませんが、こんな風にまとめてみました。

 

私は演出のポジションは大好きで、役者をやっている時とは違うワクワクやぞわぞわが溜まらんわけです。

少なくとも、半流の演出スタイルは上記なわけで作品作りをするときはお客目線と制作側を行ったり来たりします。

お客目線で、「これいいわぁ~」と納得できる演出効果ができると最高だし、それが現実化した時はぞわ~~~~ッ!!となるんですね。

 

 

また、機会があれば演出関係のこと書くかもね。

長くなったので、今回はこの辺で。

 

いろんな演出の人がいますが、気の合う演出かさんとの出会いがるといいですね(^-^)