dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

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ビジネスHowToから演劇戦略を考える~答えを見つけるためのヒント~

こんにちはdbd半です。

昨日言っていたデータを回収しました(笑)

時々下書きに手間暇かけているところ、我ながら豆だよね(笑)

さて内容です。

 

↓   ↓   ↓

先日ガンブリア宮殿を目にして、実演販売販売のプロを派遣している会社(コパ・コーポレーション)さんの話を見ることができました。

あのジャパネットたかたに追随する勢いの会社さんです。

価格.com - 「カンブリア宮殿 〜東急ハンズで客殺到!実演販売プロ集団の“伝える力”〜」2017年7月27日(木)放送内容 | テレビ紹介情報

 

なんかね、この社長が元演劇サークルに入っていて、そのサークルの伝統行事として実演販売のバイトをやったのがきっかけだったとか。
半はもともとビジネスハウツーが大好きなんだけど演劇にかかわると自分でも耳がピーンと立ったのを感じました(笑)芝居は伝える事が主なんだから副題の〜伝える力〜っていうだけでもかなり聞き耳要素はあるよね!

 


実演販売というと、「バナナのたたき売り」とか「ガマの油売り」とか、店先に立って、小気味のいい口上(こうじょう)を述べつつ商品を販売するというもの。
去年末にアップした「外郎売り」なんてまさしく今でいう店頭販売ですよね(^^)

 

 

株式会社コパ・コーポレーションさんの話、
「人をひきつけ魅せる→納得する→販売する」の流れがお見事でした。

そりゃ、買っちゃうよね。納得ぅ〜って言うか、買ってた!(笑)家にあったわこれ。


半はいろんなところにお芝居のヒントがあるのと思うので、このブログでもそのことを共有したいなぁと思っています。
いろいろ話が飛ぶけど許してくださいね。その時感じたものを発信して私も記録しておきたいの。


演劇って分野は、総合芸術だけあってあらゆるジャンルの集結でもあるんだけど、その逆も言えると思うんだ。
つまり、演劇はあらゆる生活や自然の中に点在している。
点在したものを集めて一つの作品に仕上げたものが公演。※(お客さんの温度が最後の仕上げ(^^))
作る側は演劇をやることで得たことは、生活や社会にまた還元されていく。
半は演劇活動と普段の生活って、相互作用があって、頑張れば頑張るほど生活の中の何かの向上にも繋がると思っているの。

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↑自作です。こういうところに時間をかけてしまうのです。

 

だから、芝居の話をすると普段のあらゆるものがネタになりえるし、芝居から得るもので普段の見過ごしていたことに"気づき"を覚えることだってある。
演劇は身近で、だれにでも出来るものなんだと思うんだ。

実際、半も芝居がなきゃブログなんて始められなかったし、文章上手くなりたいとか、みんなはどんな事に興味あるかな??って考えたら調べたり、そんなのやらないと思う。芝居がなきゃやらなかった事が、今はどんどんやりたくなるし、それが苦じゃないんだよね〜。


あぁぁぁぁぁ、もうこんな話し始めたら24時間位しゃべり続けたいよ(笑)


倒れちゃうので割愛(笑)


この中で書きたいことはたくさんあるのだけど、今日は少し絞りますね。

さて、半がねビジネスハウツーがなんで好きかというと、成功者の方の話に中には必ずWin-Winがあるからなんだよね。


Win-Win・・・つまり両者勝ち。
生産者(メーカー)も販売者(サービス提供者)も利用者(購入者)も「欲しいもの」を介して皆が得を得られること。

このカンブリアに出てきた方もそうなんだけど、皆が勝つ戦略を生み出すってすごくない?

ここでは商品には自信があるの売れなくて困っているメーカーと、良いものを売りたい販売のプロが手を組んで、困っている利用者に届ける仕組なわけなんだよね。

 

 

 

で、半は考えるわけだ。
芝居でWin-Winを生み出す方法。

 

 

実は、まだ答えは出ていない!


期待を持たせちゃ悪いので先に言うね。


答えは出ていない!

 

だったら書くなよ!って思うんだけど、今は下火になっている演劇業界をどうすればもっとまだ知らない人に届けることができるだろうか?って、考えたときに、このビジネスハウツーや成功者の方の話にはきっとヒントが隠されていると思うんだ。

※ちなみに半が言うここでの演劇は300人以下のキャパの小劇場と思ってほしい

ライブ・エンタメ市場規模は4年連続で過去最高。音楽市場が大幅に伸長|ぴあ株式会社

ステージの市場価値は2015年の集計で約1700億。この中でも言われているが、昨年度比に比べれば11.3%増だが、これは人気劇団の一単価が上がったことや2.5次元演劇の躍進ともいえる。小劇場、特に300人以下のキャパの会場でいえば現段階でも衰退方向と言っても間違いないと思う。

 


衰退には衰退の理由があるにせよ、良いものは良いと思うんだ。私らみたいなアマチュア劇団がどうやったら、まだ届いていない人により多くの人に私が好きなお芝居の良さを伝えられるか、それには絶対このWin-Winが必要になると思っている。

 

たまたま見たね、アニメのおさるのジョージでもね、そういうシーンがあったの。

www.nhk.or.jp


ジュースを売ろうとするジョージ。街中で、なんと無料でも売れないの。
そしたら通りすがりで工事現場にドリンクを運ぶための車が故障したのを耳にするの。
売りに行くジョージ。ご想像の通り、ジュースはもちろん有料で即完売。

欲しい物(ジュース)を介して、売りたい人が、買いたい人のところに移動したことでマッチングがうまれた。

 

これはよく営業マンのスキルアップにも使われるよね?
このグラスの一杯の水を1000円で売ってこい。お前ならどうする?みたいなね。
まさしくこれと一緒なんだけど、一般人の私も思いつかないことをお猿がやってのけちゃうんだからすごいよね。

 

 

この前気づいたけど、スーパーでもそうだよね。
スーパーはどうだろう?お店を構えているわけだし、場所を移動することはできないよね?
欲しい人が移動するだけ。でもどうやったら「欲しい人」と「欲しい物」「売りたい人(物)」のマッチングば生まれるだろう?

 

たとえば、暑い夏の日に鍋の素なんかは売れないよね?
暑い日を想定したとして同じ素は素でも、浅漬けの素なんてどうだろう?
小一時間漬け込んだきゅうり、割りばしにさしておいて、食べる直前まで冷えっ冷えっ。

即席で買えるそうめんやお蕎麦なんて暑ければ暑いほど、買いたくなる。
麦茶の氷と氷が解ける瞬間になるカリンッっていう音なんかも購買意欲をそそるよね。
そう。欲しい商品の品ぞろえを変える事でマッチングが生まれたんだ。


場所ではなく、環境が人の「欲しい物」を変えたんだ。それを理解して店頭の商品の推しを変えれば・・。
そうすることで「欲しい物」「欲しい人」「売りたい人(物)」がマッチングした。

 

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では、お芝居ならどうだろう?
場所は固定され、感動も動画やテレビで手軽にを 得られるようなご時世。
この時代に、わざわざ小屋に行って、お金を払って時間を使って得られる価値があるだろうか?
そのマッチングはできているだろうか?

 

テーマパークや映画館だって、同じようにお金と場所を使うのにどうして演劇にその価値を見いだせないんだろう?

 

きっと、何かあるはずなんだ。
何かきっと、もっと、確信的により多くの人にお芝居を親しんでもらえる方法。
「欲しい物」「欲しい人」「売りたい人(物)」がマッチングすること。
たとえば「感動」「感動したい人」「芝居人」

 

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さらに具体的に・・・


「どんな感動を求めるのか?」「その感動をしたい人はどこにいるのか?」「芝居の(劇団)の今回のテーマ」にあっているのか?
・・・だろうか。


でも、これだけじゃ足りない。たぶん制作主催側(劇団)の信用。
演劇は一つの商品(公演)はその時にしか見られないのが基本だ。
再演やリメイクはあるものの、そのままパッケージ保存してスーパーに大量陳列するわけにもいかない。
 ※DVD化というのはあるが、それは生で見る演劇を切り取ったものであるのは確か。


そうなると利用者(観客)が、見るか見ないかの判断基準は安定したパフォーマンスを作り出している劇団かどうかになってくるのが現状。


これだと売れている劇団とそうではない劇団の差が開くのは歴然。
何かこう「欲しい物」「欲しい人」「売りたい人(物)」が一直線でつながる方法が演劇界にももっとあっていいと思うんだけどな・・・。

知り合いしか見にこない身内の芝居じゃなくて、、。もっと外にも向けた、発信しやすい切り口。

 

 

ごめんなさい。先にも言った通りまだ答えは出ていない。
でもこれを見た方が、私より先に良い方法をみつけて世間様にアプローチしていってもらえればいいし、何かヒントになるようなコメントをいただけるならそれはとても嬉しいことだ。

これからも視野を広げていきたいし、出来ることはACTしていきたい。

 

 

ちなみにこんなのを作ってみた。

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演劇発信者として、どこかで◎が付けれらるように、日々精進だな。

 

 

半、空を仰ぐ  ~徒然ブログ~

こんばんわ!dbd半です。

 

せっかく書いていたブログの下書きをとあるところに置いてきてしまい、考えていたことをすぐにアップ出来ないジレンマを抱えたので、なんとなく別の事を書こうと思います。(笑)

明日にでもアップしたいな・・頑張って書いてるから(笑)

 

さて、皆さんは今何をしていますか?

私はリライトが進まずまだアンテナを広げている最中です。

じつのところ、このリライトの猶予は今週、遅くても14日と自分で期限を決めました。

これ以上見送れば、いったんかしげきに集中して、dbdのプロデュース公演はそのあとに取り掛かろうと決めました。中途半端が一番よくないからね。

 

そうだ、そういえばこのかしげきについてあまり話していなかったように思います。

かしげき・・かしわ演劇祭略してかしげきです。

詳細はURLをクリックしてもらえればいいと思いますが、注目はここです。

○公演内容
・演劇祭に参加する団体を募り、各団体が20分前後の演劇作品を上演します。
・期間内1ステージ(20分×5団体+10分休憩)110分程度で計4~5ステージほどを設定。

2011年から毎年開催し、今年で5回目の節目を迎えます!

 20分の制限で劇団ミックス公演といったところでしょうか。

 

はい、だからできるんです。

このブログを何度か見ていてただいている読者様は耳だこだと思いますが、半はお芝居に体を当てられる時間が短いのです。頭の中はいつも考えちゃうんだけどね(^^;)

演劇はどうしても稽古が夜志向だし、本番が決まると団体戦のためみんなと稽古をして練習をしないといけません。

 

通常演劇は1時間~2時間。間に休憩があるもので大きな公演だと3時間近いものもありますが、相当なスペックがない限り、とても作れるものではありません。

 

それに比べれば持ち時間20分です。

20分です。

だからこそやり切れるのではないかとも思えたのは事実です。

20分。

でも実は今回はこの時間制限がよくもあり難しいところでもあるかな。。と思えてきています。

半が去年アップしている動画×演劇コンクールのQSCは12分でした。

12分。ある意味一人だから稽古も一人で良いので、早朝とかでなんとか乗り切りました。

20分で複数名で・・・。見てみると他の方は結構稽古に来ているのに、半はまだまともに稽古に一度も行けていません。しかもリライト前の台本ですが、きっかけが多い。

半の苦手な分野です。

 

本番は9月の三連休。

今日から8月ですし、残り2か月を切りました。

 

大丈夫だろうか・・・。

どうしても稽古場での雰囲気や呼吸が見えないと不安になります。

一人取り残されていく気分です。

 

ま、ここで焦っても仕方ないんだけどね。

というわけで、焦るの止めました。ww

 

防衛本能なのか、沸点を超えたのかわからないけど、成るように成る。成るようにしか成らない。と力が抜けました。

 

なんかさ、時間が限られてるんだったら、限界はあるけど、その時にどれだけ集中できるかに賭けようかなと。

今のうちに、どれだけ周りの空気や情景をよく見ておいて、集中して放出できるように。その準備しておこうと思ったのかな。

 

なんかそんな感じでした。

 

dbdのリライトもめちゃ遅れだし、先送りにした半がかかわる別の企画物もありました。

 

こういうこともあります。

良い時もあれば、なんかごちゃっとするとき。

 

演劇にかかわらず創作物を手掛けるときは、良い時ばかりではありませんよね?

いい気分とは言い難いです。しかしながら、芸術と分野においては、これが糧になるときだってあるんです。

 

一方だけの視野では見えなかったものに気づくきっかけになるかもしれません。

より次元の高いものへと昇華するには、このモヤッとした鬱屈した気分が新たな切り口を見つけてくれる手掛かりになる事は大いにあり得るのです。

大事なのはそこで諦めないことです。

 

 

 

今回の今の状況がどう転ぶかは分かりません。

マイナスになることもあるかもしれません。

でもそれは、やってみてからのお楽しみ。

 

 

見られた方が、「面白かったよ、良かったよ」「また来てね」と声をかけてもらえるくらい、力を出せたら・・・

 

 

そうして、空を仰ぐ半なのでした。

 

 

 

新規作成

私はこの白いページが好きだ。

この白いページからすべてが始まる。

 

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何もないこの「新規作成」ページには何かが始まる無限の可能性が存在する。

 

何を始めようか?

何が書きたい?

 

この白いページと語り合う。

どんな絵を描く?

どんな物語を紡ぎだす?

 

おかしいかもしれないが、私はこの瞬間が一番ドキドキする。

 

 

以前にも書いたことがあるが私はプロットをあまり書かない。

書きながら即興芝居をしているようなものだから。

台本を書くときは出演者の目線や思考になって言葉を発する。

プロットを書いてしまうと、生感というか、自分の新鮮味が薄れてしまう気がするからだ。

 

ただ勢いに乗って書き綴るので、言葉の節々などのリライトは必須だ。それはこのブログも同様のこと。つまり誤字が多いのは勢いに乗りすぎて、伝える部分の「は」や「が」の違いに意識がいかない。客観的に見れば伝えるためには接尾語はとても重要なポイントなので、誤字が少ない人にはいつも敬服しているのだが、私自身は接尾語の「は」や「が」の意味ではなく、その先にある重要な「伝えたいこと」しか見えなくなっているのだ。

 

次に私が言いたいのは、リライトは少ないからできるということだ。

 

リライト・・つまり書き直し。

修正が多い場合、どこまで書き直しすることをリライトというのかは、私はきちんと物書きの所作を学んだことはないからわからない。

分からないが、一度書いたものを書き直しするのがリライトだと思っている。

 

去年作成に取り掛かった「エンドレスサマー」はコンクール条件がマックス15分だったため、大幅なカットを余儀なくされた。

その分話の展開は急になり、言いたいセリフをやむを得なくカットするしかなかった。

そして、今作ろうとしている作品にも同様のことが起きている。

 

一つは9月の三連休に行われる「かしげき」に参加する劇団わむさんの公演台本だ。おおよそ30分から40分はかかるだろう本を20分に短縮しなければならない。

そして、もう一つ。dbdとして次に作成する予定のプロデュース公演だ。本来はもう撮りにかかってもおかしく無いくらい前から思考しているのに、少しずつの遅れが今に至っている。

 

劇団わむさんは私が書いているのではなく以前から台本を書いていらっしゃる方の脚本なので、リライトについても、問題なし、だとも思っている。よそごとのように聞こえるかもしれないが、がんばれ~っと旗を振り、ほかほか出来上がり台本が手元にくるのをただただ楽しみにしているんだ。

 

 

ただ、もう一つのものはそうはいかない。

そうdbd-hans-collection発信の初プロでユース作品の方だ。

出演者であるいっしーに話を持ちかけ、やりたい話などのヒアリングをし、一つの台本を作成するまではよかった。

 

時期的にも、気持ち的にもエンジンぶるぶる!進行方向良し!レッツラゴー!そんな感じだった。

だが、だ。

だが、ここにきて非常に困っている事態を感じている。

 

リライトだ。

台本上たぶん5分オーバー、演出効果を盛り込みたければさらに3~5分はオーバーすることが考えられる。

そして、助っ人のみさきさんの話を聞いてみて、もうひと工夫の必要性を感じた。みさきさんの話し合いの時には、「わかった、じゃ台本書き直したら連絡するね!」と勢いよく話していたにもかかわらず、スケジュールを組立て少しきついなかぁ〜と思いつつ、お月様を仕上げたるのにさらに時間がかかってしまった。

そして、いざリライトに取り掛かろうとしても、どうにもこうにも筆が進まない。このままではいかんと生き抜きかねて、今感じていることを物語としてブログにアップしてみた。※前回の2作品がそうだ。

 

 

 

 

そうするうちに、かしげきさんの打ち合わせが先週の日曜日にあった。一昨日のことだ。

※この記事を書いていたのは火曜日でしたm(__)m

半はすこしだけの顔出ししかしていないわけだが、たとえ20分でも舞台に立てる沸々とした快感が体の中の奥にあることを感じるわけだ。

 

白状しよう。

悩んでいる。

 

舞台の掛け持ちの怖さを過去に経験したことがある。

それからは掛け持ちはやることはなかった。

でも、今回のはのびのびになったが故に、ブッキングになってしまった結果だ。

 

かしげきには、いっしーも出るので、役者として良い予定ではある。

 

問題は私だ。

私は役者をやる時は、体も心持ちも違う。

体は動けるようにしたいし、声についても以前に書いた通り、問題がある。要はちゃんと下準備をしないと体がもたない。楽器でいうメンテナンスをこまめにする必要がある。

 

返して、制作サイド・裏方は体は使わない。頭と五感を使ってアンテナを張り、熱さは秘めつつも頭の中は冷静でないといけない。

 

例えるなら、視界がまったく違うのだ。

同じものを見ていても主催や演出は全体をみとすため、全体地図を見ているような感覚。

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返して役者はストリートビューで街中に立ったように、目の前の物はよくわかるが全体は見えにくい。 

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引用:googlemap in船橋  ※先日ラストオーダーまでしゃべり続けたお店ドトールはこちら

 

そんなことはない人もいるだろうが、半にはこの切り替えが必要だ。そしてとても重要。

 

 

 

ただ、純粋に役者だけをできるチャンスなんて滅多にない。

 

今までも小スタジオを借りてスタッフオンリーの一人芝居や、室内での動画制作だった。

 

 

半が舞台に立つ。

もしかしたら、そんなチャンスはまた数年訪れないかもしれない。

役者だけをする。

それはdbdをやる私にとってはとても貴重だ。

役者のことしか考えなくてもいい。

役だけのことに集中できる。

そんな美味しい状況。めったにない。

 

 

舞台に立てる。板に立てる。私にとって舞台は特別なのだ。

 

 

それが自分演出ではなくても、たとえ20分でも。効果に制限があっても。

大げさかもしれないけど、小屋で芝居ができる特権は、一度でも「舞台ができない」という挫折感を味わった役者なら、身震いが止まらななるほど、息ができなくなるほどのときめきで胸に感じるだろう?

 

 

 

・   ・ ・ 。

 

 

自分でも若干ひく。

 

どうして、こんなにざわつくのかは分からない。

でも、やはり舞台は特別なんだ。

 

 

だからこそ、20分だろうが、全力でやりたい。出し切りたい。

中途半端に8割の力で“よくできました“をもらうんじゃなくて、10割の力で出し切ってその向こうにある名前のつかない何かの塊に手を伸ばしたい。

 

そこを目指すことは、マイナスになる可能性だってある。それに私一人ではきっとそこに到達しない。演劇は複数名でやる楽しさはある反面、独り突っ走っても面白くないのが舞台だ。

 

分からない。どうなるのか。どこまでできるか。

 

 

 

そんな状況の中、わたしはやはりdbdの作品も愛しているのだ。

絶対やる。

それは決定事項だ。

ぶれないし ぶれる要素もない。

 

ただ、時期としてはどうなのか?

今の時期に筆が止まった状態で、心半分で、生の舞台に挑めるのか?

そんな状況で自分もお客さんも満足できるものができるのか?

 

葛藤がよぎる。

 

 

 

落ち着こう。

気持ちが高ぶっている時の判断ほど、後で後悔するものはない。

 

 

一番の問題は、台本のリライトが進まないことだ。

リライト。

なぜなら、私がプロデュース用に書いた本は、私の言いたいことがたくさん詰まっているのだ~~!!

出来不出来はともかく、私はこの台本の中身が大好きだ。キャラクターとしてはメイン2、劇中劇的なもので4つ登場するが、私は皆が好きだ。

削りたくない・・・削りたくないよぉ・・・

 

話の構成も、気に入っている。

リライトに挑戦してみたが、どうも気に入らないし、繋がらないし、あまり時間のカットにもならない。

 

また、手が止まってしまった・・・。

 

 

 

一から書くか。

 

リライトができないならライトから始めるの一番かもしれない。

こうして私はワードの新規作成のボタンをクリックした。

 

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もしかしたらdbdのプロデュース作品は延期をするかもしれません。

「かしげき」は「かしげき」で集中して役者 半の天井をもっと高くしたいし、舞台に立てる喜びを味わいたい。何より中途半端な作品ほど目に入れて痛い物は無いから。

 

dbdの作品は今現在、延長という可能性があります。でも頓挫ではありません。

ただ、そのタイミングを見極める必要があります。

 

私は、まだ迷っています。

足掻くのは私の性分でしょう。

 

リライトがダメならまたライトから。

ライトができないなら、ライトができるまで・・・。

 

そうなるとスケジュールを作成した感覚からして、コンクールに間に合わない可能性は高まります。

でも、もっともっと言うなら、私は賞を狙っているわけではないので、それでもかまないのです。

コンクールに応募したいと考えるのは、私の知名度では届ける事の出来ない人にも作品を見てもらう可能性が高まるからです。

でも結局、納得できる作品ができなければ意味は有りません。

 

 

大事なのは期限です。

それより大事なのは完全燃焼です。

 

半はまだ考えます。

 

まだ、時間はあります。

孤独じゃない夜

ツイッターではしゃいでいましたが、今晩初めて千葉の演劇仲間と夜のお遊び、飲み会に行ってまいりました。

dbd半です。

 

 

かれこれ2ヶ月くらい前からの予定です。

 

楽しみじゃない訳がありません。

 

ただ、もうここ一二週間、仕事は落ち着いているのに、家の予定や芝居仲間の衝撃告白もあって、内面的にはかなりばたついておりました。

 

でも、今日は、私が私らしくいられる時間でした。

芝居のあれこれを話したり聞いたりしているだけでも、楽しい。

なんでこんなに楽しいんだろ?

 

私はね、演劇の中でたくさんのジャンルがあるんですが、小劇場というジャンルが好きなんです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/小劇場

衝撃を受けて、自分もやろうと思えたのは小劇場だったし、私がいまやっているのも動画や小説化したりしていますが、ジャンルは間違いなく小劇場なんです。

なんだかっていうと、小劇場って、お客さんと近くて、なんでも有りなんですよ。

どんな事をやっても、それが見世物として成立しているなら、やり方はアイデア次第で、どんな風でも表現が許されるんです。

 

だから、頭の中はいつだって柔軟にしておかなくてはいけません。凝り固まった頭の中では、不可能がいっぱいだから。

 

そうじゃない、そうじゃないんです。

 

同じ台本でも、100人いれば100通りの解釈があって100通り以上の演出ほうほうがある。

1000人いれば、1000以上の解釈と演出方法がある。

しきたりや、上下関係とか、規律とか、そういった演劇は古典演劇の分野で引き継がれていることでしょう。

 

小劇場は違う。

自由なんです。

なんでも有りなんですよ。

 

劇団の組織のあり方も、運営のあり方も、10000人いれば10000人のやり方で良いんです。

 

人は何かに許しを求めていると思います。

肯定です。

演劇の中では、他者に対して批判をぶつける人がいます。

作品に対してではなくて、演劇の仕方や、仕組みに対してまでも。私には全く理解できないのです。それぞれが模索して自分なりのアンサーを見つけたのなら、それが良い。

アドバイスや提案はわかります。でも、「お前のはアンチ演劇だ!!」なんて言われたら、きっとショックだと思います。不幸中の幸い、半に直接それをおっしゃる方は現れてはいませんが、そういう考え方を持っていらっしゃる人がいるのは、分かります。

 

 

演劇は、いろんな意見や要素が入り混じっていて、個人の感想があるからこそ、新しいものが産まれます。

いろんなアイデアや考え方を聞くことで、それもまた良いと思えるからこそ楽しいんです。

演劇は、私たちの「こんなんでも良いかな?」を全て受け入れてくれるように思います。

 

今日来てくれた仲間の話は、私と同じことを思っているところもあれば、違うところもあって、それがまた良かった。

 

 

夜の帰り道、千葉で、こんなに心地いい風に吹かれたのは何年ぶりでしょうか

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夜中に一人で帰るのに今日は寂しくありません。

 

付き合ってくださったお二方、ありがとう。(^^)

 

そして、演劇人のあるあるだけど、ラストオーダーまで、でかい声でハイテンションな面倒な客だった私らなので、利用させてもらったお店に感謝しつつ。

 

 

今日の余韻を楽しむ半でした。

 

 

ショートストーリー「マジシャン」

どうもdbd半です。

皆様暑いですね。
今、半は物書きモードのようです。

そして、伝えたいことが湧いてきました。
昨日に引き続きストーリーでお届けします。


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「マジシャン」   2017/07/21  dbd 半

 

 

そこに立っていたのはシルクハットをかぶった変な男だった。

彼は自分のことをこう紹介した。
「私はマジシャン」


変な奴だった。
何をするわけでもなく突然現れたかと思うと私のそばをつかず離れずにいた。
時々、おしゃべりもしたけど、大した話はなかった。ただ、細い目で口元はいつも笑っていた。

マジシャンなんて言うけどすごいテクニックなんて一つもなかった。

私は奴に、「マジシャンなんて言うくらいなら、手品の一つも見せてよ」と言うと、
百均にでも売っていそうなステッキを使って、自然には絶対ありえない色の花らしきものを出した。

「そんなの誰でもできるわ」と言ってステッキを取り上げ同じようにステッキを振り回してみた。
仕組みはいかにも単純で、左手を前に出して意識をそっちに向かせている間に右手のステッキをぐるりと回転させる。
遠心力がかかり重心が端に傾けばステッキの中に仕込まれた花が飛び出す、子もでもできる玩具だ。
のはずだった。なのに、出ない。
何度も振り回し、ステッキの中を覗き込んだが、仕込まれた花は出てこなかった。
私はぶっきらぼうに
「こんなの誰も喜ばねーし」
と、悪態をついた。
マジシャンなんて怪しすぎるし、こいつ自体うさん臭すぎる。
やっぱり、近づきすぎるのはやめた。
変な奴はどこにでもいる。そういうやつには近づかないのが身のためだ。

 

しばらくして一週間で一番嫌な曜日がまたきた。
こんな日はなくていいのに。
どうして、毎週毎週この曜日は来るんだろう。
水曜日は母との面会日だ。

母と言っても、私はこの人を母とは思っていない。
私を憎んでいる人だ。
母は父に捨てられ、だんだん父に似てくる私を心底憎んでいる。
私はいつも父の代わりをやらされる。
「あんたのためにすべて捨てたのに」「私を裏切った、この裏切り者」と罵られた。
もちろん周りには見えないように。
どうして、国はこんな日を設けるんだろう。
これに、何の意味があるんだろう。

母は時に手を挙げることもあったけれど、大きくなった私にはさほど痛みを感じなくなっていた。

帰り際、私はいつも通り良い子を演じる。
「母さん、またね。元気にすごしてね」

当然ながら、そんなことは微塵も思っていない。
手続きを済ませ、いつも通り、施設を後にした。

私はバス停に行き、自販機でジュースを買った。ここは山奥でバスは1時間に一本程度。
バスを待つのは私しかいなかった。
自販機の光に集まる蛾がひどく鬱陶しかった。
私は無自覚に自販機に蹴りまくっていた。バンバンという音だけが心地よく響いた。

理由なんてない。ただそうしたかっただけだ。目の前に蛾がいて鬱陶しかった。それだけだった。
きっと犯罪をおかす人間は私みたいな人間なのだろう。
私は頭のどこかで、自分はおかしいことを自覚している。犯罪者は何かの拍子に一瞬で線が切れて、ところ構わなくなっただけの話だろう。
だが私はまだ人の目を気にするし、めんどくさい事は嫌いだ。
でも、「今はまだ」というだけなんだろう。きっと私は、変なんだ。

自販機は私の足より固いからそれほどのダメージはないように思えた。取り出し口のふたははひび割れて一部粉々になって、ちょうどロゴのあたりに大きな凹みができた。それを見て私はよくわからない優越感みたいなものを感じた。
足の脛の方にが痛みが走った。取り出し口のひび割れたところが私の皮膚を裂いたのだ。
痛い。そう私はまだ痛みを感じられる。
この痛みを感じなくなった先には、私はきっと向こう側に行ってしまう。
いや、その時はきっとこの痛みが快感になるだろう。
私の体はそれを予感していた。


傷口を拭き、血の付いたハンカチをしまい、身なりを整え直してバスの時刻表に目をやった。
するとその奥に自称マジシャンの姿が見えた。


そうだった。こいつがいたんだった。


でも、こいつは何もしない。ただいるだけだ。
こいつに見られていようが、誰もこんな奴の話なんて耳を傾けないだろうし、私のこれからに何の支障もない。


もう一度見直す。奴は変わらずこっちを見ていた。
無視をすればよかった。
それなのに、やつの口が気になった。

いつものシルクハットに笑ったように細い目だ、でも口元はいつものように笑っていなかった。
そしてずっとこっちを見ている。

「なんだよっ」

私は今までに発したことがなくらいドスをきかせた声で、言い放った。

やつは、少しずつ距離を縮めてきた。


「なんだよぉっ!きもいんだよっ!お前なんかに見られても何にもないんだよぉッ」

やつはさらに近づいてくる。


「はっ、なんだよ、あぁ、お説教か?それともあきれてんのか?かっこわりぃとか思ってんだろ。
お前なんかに、なんか言われる筋合いなんてないんだよ!」

やつは黙っていた。

「あぁ、そうか同情ってやつか。そうそ、俺ってかわいそうな奴なんだよ。
親からは虐げられて、だれも助けてくれない。行き場のない憤りだよ。
だから仕方ないだろう。自販機なんてなんだよ。別に生き物殺してるわけじゃないだろう。
物損だとか言うなら、あとで弁償すれば良いんだろう。思春期なんだよ。
こうでもしないとどこにもウサを晴らすとこなんて無かったんだよ。
かわいそうだろ。だから、こんなのなんて大したことないんだって」


それでもやつは何も言わなかった。


私は苛立ちを覚えていった。
「なに、ずっと黙ってんだよ。なんか言えよ!!」

奴との距離はもう一歩位しかなかった。
そして奴はこういった。

 

 

 

「君を助けてもいい?」

 

 

 


身震いがした。
なに言ってるんだ。助けてもらう?何に?何から?あの母親からか?
いい子ちゃんを求める世間からか?こんな風にした世の中からか?
足元から震えがきた。何をされる?怖い。どうしたらいい?
奴が手を伸ばしてきたが、私は一歩も動けなくなっていた。
こんな奴に私を助けられるわけがない。何も知らないくせに。何も知らないくせに。何も知らないくせに。


奴は、両手を広げて、私をぎゅうっと抱きしめた。
もがいてもあがいても、蹴りを入れてもその腕はほどけなかった。
なんなんだ。何してやがるんだ。やめろッやめろッ。

私はできうる限りの力を振り絞って奴の腕を振りほどこうとした。
けれど、何をやってもダメだった。こいつ、ただ見てただけで腕だってこんなに細いのに、どうしても抜け出せれない。

 

初めての感触だった。
足掻きながら、人の腕の中で、人の体温を初めて感じた。
こんなに人はあたたかいのか?
こんな風に包まれても良いのか?
安心してもいいのか?
他人にゆだねてもいいのか?
私は一人じゃないのか?

 

「俺は・・・俺は・・・」


奴は何も言わなかった。
ただ、どんなに暴れてもダメで、そのうち私は周り目も気にせずに咽び泣いていた。


頭の中でぐるぐると昔のことがよみがえってきた。
何度も殴られて、それでも母と呼ぶ人に縋り付いたこと。
誰かに助けてもらいたくて、裸足で家を飛び出して、でも誰にも何も言えずに家に帰って、また殴られたこと。
悩みなんてなさそうに笑う同級生たちの顔。
いい子だねぇと無責任に言ってくるおばはんたち。
鏡を見る度に会ったことのない父親のことを考えて吐きそうになったこと。
他人は信用しないと何度も呪文のように繰り返し言ったこと。
自販機を蹴りながら「俺って、かっこわりぃ」って本当はずっと思っていたこと。

 

本当はいつも思っていた。


誰か、ここから連れ出してください。
誰か、安心して眠らせてください。
誰か、私を受け入れてください。
誰か、私を一人にしないでください。


私は、これ以上行きたくない。

 

これ以上、感じない人間になりたくない。
このままいけば、俺はきっと生きているものを殺しても感じなくなる。
そんな人間になりたいわけじゃないんだ。
本当は上っ面じゃない、心から笑いたいんだ。本当は・・本当は・・・

 

 

 


私を・・助けて・・・

・・・・・誰か、私を・・・

 


          ・・・・助けてください。
                ・・・止めてくれ。

 

 

 

 


自分の体温と奴との体温が同じくらいになっていく。
心がほどけていくのを感じた。

 

 

 


俺が落ち着きを取り戻し始めると、軽く押しただけで腕は離れた。
あのとんでもない力は何だったんだ。
奴は、小さく「イッツマジック」と言い放った。
目は細くて、今まで見てきた通りの口元に戻っていた。

「お前、、、何もんだよ」
私は呆然とした頭でまだ整理のつかないまま聞いた。

「私はマジシャン。君を助ける魔法をかけにきたマジシャンだよ」

 

 

自称マジシャンはそれからすぐに消えた。
どうやら次の仕事が見つかったらしい。
やつのシルクハットとあの細い目と笑う口を見ないですむなら、こっちはせいせいする。

出発する前に、また会うことがあるのか聞いてみると、
やつはいつも以上ににっこりと笑って見せただけだった。

 

 

 

あれから数年経った今でも、私はあのぬくもりが体のどこかにあるのを感じている。

私は向こう側に行かずに済んだ。

怪我をすれば痛みを感じる。誰かを傷つければ悲しくなる。
誰かが泣いていれば、助けたくなる。声をかけたくなる。

そして今は、泣き方も忘れた子には私のマジックを見せたくなるんだ。
シルクハットをかぶり変な花の出るステッキを持って。

 

さぁ、最高の魔法をかけよう。
自称マジシャンがお送りする、最高の贈り物。

 

 

今度は君に届けよう。


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ニュースを見ると、悲しい事件が多いです。
その人の苦しさはその人しかわからない苦しさです。


私はお芝居を通して、メッセージを届けたいと思っています。
それは、「生きる事の楽しさ」です。

劇場でする演劇はすぐにはできません。
でも演劇は見せ方や演出次第で不可能を可能にします。
要は、なんでも有りなんです。

今現在、先が見えなくて、暗闇の中にいる人もいるでしょう。
自分の力じゃどうしようもなくって、苦しんでいる人もいるでしょう。

私に何かができるはずもありません。
私にすごい力があるわけでもありません。
このマジシャンも何のマジックもできません。


出来るのは、だれでもできる事だけです。
私は苦しんでる人に何もできないけど、
マジシャンを通して、誰かをぎゅうっと抱きしめたくなったのです。


ただ、ぎゅうっとするだけです。
誰かに私の温度を伝えたくなったのです。
ただ、ぎゅうっと、するだけです。


そして一つご提案です。
もし読者様が身近に愛おしい存在があるのに
伝え方が分からない方がいらっしゃれば何も言わず抱きしめてあげてください。

それで問題が解決することは、とても少ないでしょう。
でも心が近ければ、しないよりも伝わりやすくなると思うんです。


簡単にできないですけどね(^^)


どうか、一つでも悲しい出来事が起こらなくなりますように。
負は負の連鎖を起こします。
でも逆だって起こせるはずです。
正の連鎖。私はそれを信じたいと思います。

マジシャンには誰だってなれます。
最高の魔法をかけられる最高のマジシャン。

どうか、悲しい事件が無くなりますように。
どうか、悲しい心が救われますように。

祈りを込めて。

 

ショートストーリー「Another」

こんにちはdbd半です。

 

わむさんの稽古場では時々「テキスト」をやります。

あらすじだけを把握して、即興でストーリー組み立てるのです。

その題材に使われるのが

星新一 - Wikipedia

のショートストーリーなんですが、

なんとなくその影響で書いてみたくなりました(笑)

 

半には珍しくダーク系です。これも星新一の影響かしら?

いや、勝手に影響とかうけると失礼かな。

ま、とりあえずアップします。

 

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「Another」             dbd 半 2017/07/20

 

つまづいた。

 

何につまづいたんだろう?

 

今石ころのようなものを蹴った気がした。

でも違うかもしれない。

誰かに足を引っ掛けられたのだろうか?

 

ううん。違う。

もっと昔。

私がもっと若くて、選ぶ道がたくさんあったころだったかもしれない。

 

あの時、もし別の道を選択していたら、こんなことには。

 

 

 

目の前には知らない人がいる。

知らない人がなれなれしく私に話しかけ、体に触れてくる。

 

気持ち悪い。

 

今しがた大好きな赤い飲み物を飲んだはずなのに。

あれは特別な時にしか飲まないようにしているのに。

 

この人といたら、せっかく飲んだ美味しい味を忘れちゃう。

 

どうして私はこの人と腕を組んでいるんだろう。

 

何も感じない。

 

いいえ、嫌悪感はある。

 

 

 

車のライトが私たちを照らした。

一瞬ショーウィンドウに腕を組んだ私たちが浮かび上がった。

 

 

映し出された自分と目が合う。

 

どうして?

 

どうして、私は笑っているの?

 

もう一度隣にいる人を見てみる。

 

知らない。

 

この人は誰?

 

どうして私はこの人と笑いながら話しているの?

 

何を間違えたの?

 

どうして私はここにいるの?

 

 

私が何かを話して、信号のところで立ち止まった。

隣にいた人は少し名残惜しそうに信号を渡っていった。

私は微笑みながら手を振り彼を見送り、見えなくなったところで、きびすを返した。

 

 

誰も知らない。

「私」の存在。

まっすぐ別の男の人に向かっていく私でさえも、この「私」の存在を知らない。

 

 

訳も分からなく涙が出た日があったならそれは私が泣いた後。

急に赤い飲み物が飲みたくなったらそれもやっぱり私の衝動。

 

 

誰にも気づいてもらえない「私」という私

 

ねぇ、もし、急に変なことをしたらごめんなさい。

それはこの子のせいじゃないの。

もしそんなことをするとすれば、そうそれはきっと私のやったこと。

 

 

何をするって?

そんなの見当もつかないわ。

でも、その時が来たら、私はやるわ。

 

だから、いつ前に出るか分からないから、見くびらないでね。

 

 

 

でも、もし、そうなったら、さっきの人と話をすることもできるのかしら?

そうして、さっきと同じように別れ際に名残惜しそうにしてくれるかしら?

 

私はその時何を感じるのかしら?

 

 

 

あなたはどう思う?

 

 

 

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くらいですねぇ~こわいですねぇ~

でもこれくらいの<もの>は、女性なら持ってるんじゃないかなぁと思いました(笑)

女は複雑ですから(^_-)-☆

 

気が向いたらなんか他にも書いてみようっと♪

半、カタルシスを語るっす。

ふと出てきた言葉
「演劇は、特に演技はメンタルの解放の意味があるからね」

芝居仲間とラインをしていた時に出てきた言葉です。
先日より、少し役者の分野とイメージの分野を考えている半です。

どうもdbd半です。
今日は珍しく半仕切りのお稽古を1時間弱ほどする予定があります。

そこで前回に引き続き「役者とは」ということについて考えていました。
どうして演劇にこれだけハマる人がいるのか?
半もアマチュアではありますがその一人です。

その魅力に関しては個々に答えがあるとは思うのですが
その一つは、上記に挙げた「メンタルの解放」というのがあると思います。

皆さん、カタルシスって言葉ご存知ですか?
http://d.hatena.ne.jp/keywordtouch/�����륷��

こちらにもあるとおり

[引用]
文学作品などの鑑賞において、そこに展開される世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること
(略)
最も一般的な理解では、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化するという意味。


泣くことや笑うことってなんかすっきりしますよね。(^^)


演劇というのは、そういった浄化作用があります。
そして役者というのは、この浄化作用を強く求める人間ではないかと思うのです。


社会において、生きることはストレスフルです。
会社の抑圧。家庭での抑圧。交友関係の抑圧。

自分の思い通りにできるストレスフリーな人は、そうはいないでしょう。
他の人から見れば、ストレスフリーに見えても、抑圧された個人が感じるものは必ずあります。


役者というのは、実はとても常識人だと半は思うのです。
だって、こころのうっ憤や嘆き、抱えきれない衝動、それらを現実(リアル)に出したら、どうでしょう?

明らかに『狂気』です。

でも、人の心ってそんな狂気が全くないってことなくないですか?
誰しも、心のどこかで、
「もっとこうしたい」
「こんな自分じゃない」
「こんな風になりたい」
「こんなことを言いたい」

そういう現実離れした心のわだかまりはあると思います。

役者は、いろんな役をやることで、己自身でカタルシスを引き起こし心の浄化を行えます。
もちろん場所をわきまえ、やっても良い環境の中で行うのです。
そういったことをお芝居というカテゴリーでは許されるものです。
お芝居の中だからこそ、そこに行けばいくほど、他者から認められ絶賛されるのです。


ただ、そのマインドコントロールをするのは、自分次第になります。
時々マジにトランス状態になる人や過呼吸を引き起こす人もいます。

その調整ができてこそ、役者としては一人前なのだろうと思いますが
そこは私と私の周りはアマチュアだし、先の話だとは思っています。

ただ、そのほんの入り口
カタルシスへのほんの入り口、ちょっぴりとした心の浄化を味わえたなら
たぶんその稽古はきっと成功なんだと思います。


タイトルに「カタルシスを語るっす」なんて書いていますが(語呂が良くて言いたくなった(笑))、カタルシスについては、まだまだ語りきませんが、役者とカタルシス、演劇とカタルシスは切っても切れないものだと思います。

今日の稽古に演劇の楽しさ、演じる事の楽しさのほんの入り口にご案内できたらと思います。(^^)
ま、小一時間ほどだしね。

いっちょ行ってきます。