dbd-hans-collection101のブログ

さぁ、世界をつくろう。 人生には刺激が必要だ。 dbd-hans-collection略してdbdの半のブログ。ほぼ一人で立案から創作完了まで行う芝居何でも屋。そんな芝居人、半が感じたアレコレを書き綴って参ります。

dbdでは感想・ご質問"大募集"!! 少しでもご興味ある方、お気軽にご連絡ください お問合せ<dbd.hanscollection@gmail.com> ツイッターも始めました。 #dbd_han どうぞよろしくお願いします!!

HAPPY BIRTHDAY to ME !

 


HAPPY BIRTHDAY to ME !

 

どうもdbd半です。

なんと、なんと、本日で立ち上げ一年になりました!!

!! !!  (笑)

去年のちょうど今日、何もないことから立ち上げたこのブログ。

本当に山あり谷あり、でも楽しい一年でした。嬉しい出会いもたくさんありました。

 

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 携帯電話でご覧いただいている方には変わりないと思いますが、ブログのデザインの基本テーマを変更しました。(^^)

 

稽古場のないdbd 半にとって、このブログの"場所"がHOMEになっていることは間違いがなく、ピンでやっているこの活動が、活動しているといえるのはこのブログを書き続けてこれたからです。

 

ずっとね、何書こうかなって考えてました。

でも、最終的には一周年記念動画(静止画)になりました。ww

 

おめでとう私!!ということでかなり自己満な作成なのですが、作品をつくることが

私の活動結果なのだということにたどり着いたんです。(笑)

 

と、言ってもまだまだ1才(^^)。二十歳、アラサー、アラフォーになるまで生き延びて、続けたいなぁ(笑)それ以上になるとメンタル良くても体がついてきてくれるかな(笑)そんなことを考えつつ、よだかの星の考察はちょこっと置いておいての話を書きます。

 

というわけで、自分へのお誕生日プレゼントに、バースデーソングを聞きあさっていました。そしてたどり着いたのはB'Zの「Happy Birthday」という曲でした。

 

私は中学からB'zファンになりそのまま、高校の劇部に入部しました。

勉強中、移動中、いつも耳にはイヤホンをつけて。

何度かライブにも行きました。

そして去年、朝練を始めたときも、耳には稲葉さんの歌声に励ましてもらっていました。

 


Happy Birthday B'z(字幕付)

 

 

 

と、こんな曲を聴いていると他の曲も漁ってしまします。

 


B`z いつかまたここで PV

 

「いつかまたここで」

私も会いたい人がいます。いつか私がもっとBIGになれたなら、「ここ」で会えるでしょうか。

 

 


B'z/BIG

 

「BIG」

私がこうだなぁ、となんとなくぼんやりしている内面をすでに言葉にして形にしてくれます。(笑)

稲葉さんの歌には励まされたり、泣けたり、にやけてしまったり、

何年たっても変わりません。

 


Bz run

「RUN」

「早くたってゆっくりだってたどり着ける場所があるってことを教えてくれたのはみんななんだよ」

もう、歌詞だけじゃなくて、MCでもやられます。

 

中学生_半は何度この曲を聞いたことでしょう。

自分の将来がどうなるかなんてわからない未知への恐怖。

そんな物に少しだけ勇気を持たせてくれる。

がむしゃらでいいんだと、ただ「走れ」と。

 

何年たってもカッコいいです。

そして有言実行、走り続けてる。

 

半も、走り続けたいと思います。

どれくらいかはわからないけど、何ができるのかはわからないけど、早くてもゆっくりでもたどり着ける場所があるなら、どんなに遠回りしてもどんなにかっこ悪くても、前に進んでいこうと思います。

 

そうそ、自分でいうのもなんですが、この一年で少し吹っ切れたことがあります。

 

それは、周りの目を気にしない

 

です。

 

動き始めたころは、どうしたらいいのか、周りの人はどうなのか、小心者がむき出しで不安の塊でした。

 

でも、この数か月に至っては、自分のスタイルで良いじゃないか、と素直に思えるようになってきました。

 

人にご迷惑をかける事も、不快な思いをさせてしまうこともあると思います。

良いことも悪いことも、自分に返ってくるでしょう。

 

でも臆病になりすぎて自制してしまうようであればdbdとしてのカラーには、合わないような気がしたのです。無理が生じる、そう気がついたんです。

 

ご意見や感想などはもちろんお聞きしいところですよ(^^)

 

ただ、演劇だけの半でもなくて、会社や家の事や友達や世情や、いろんなことが作用して私の作品はできるのだし、演劇だけの枠に囚われちゃいけないような気がしていったんです。たくさんの人に見てもらいたいと思っておきながら演劇人は身内で固まりがちなのが正直なところで、でもそれって自分が周りに蓋をしているようにも感じたのです。

 

そんなことや、他の事も重なって、今の半になってきました。

 

ごめんなさい。編集作業に時間がかかってしまって、今ちょっと眠くなっています。(笑)

話があっちこっち飛んでいますよね。

 

でも、きれいなものばかりじゃないんです。

私自身も、中身はかなりの大阪のおばちゃんだし、人にあれこれ言えるような人間でもなくて、そんなミジンコの精一杯を誰かに伝えたくて仕方ないんです。

 

あ、別に飲んでないですよ。

絡み酒っぽい口調にはなってきていますね。。。

 

なんか今日は墓穴をほりそうな感じなので、このままDOWNしようと思います。

 

最期に。

この一年、このブログを読んでくださった皆様、有難うございます。

この一年で、投稿87記事、2018PV頂きました。

f:id:dbd-hans-collection101:20170416045138j:plain

 

 

少しづつですが誰かが見に来てくださるようになり、どれだけ励まして頂いているか。

時にはたくさん読んでくださり、毎回読んでくださる方もいて、半も少し自信を持てるようになりました。

 

これからも、細々ですが、動いていきます。

どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。m(__)m

 

 

 

 

「よだかの星」Youtyubeにアップできましたよ!!!

こんばんわ。dbd半です。(^^)

やっと仕上がりました!!!

よだかの星」Youtyubeにアップできましたよ!!!


劇団AQUA 朗読劇「よだかの星」実演

(約20分ほどあります。)

 

長かったぁ。

いや、長かったのはひとえに私の作り方とスキルとそのほかの事を同時にしている生活スタイルが問題なんですけどねっ(^^)

でも、やっと一つ肩の荷が下りたような気持ちです。

 

よだかの星に関しては、まだまだ考察が終わっていませんからね。

引き続き書き綴っていきます。

 

やっぱりね、勢いがないとダメですね。ここ数日一気に集中して編集しました((;^_^A)

UPするように動画素材を撮るのと、撮った素材をUP用に改良するのは思った以上に半には困難で、思っているイメージ・本番で持っていたイメージを動画に反映するというのがとても難しかったです。

ぶっちゃけ初期の半は「ちょこちょこ静止画を挟まば良いや」程度でいたのですが、やっていくと”こうじゃない””ああじゃない”がたくさん出てきて、試行錯誤でした。

 

でも、こうやって形になるってやっぱりうれしい

是非、見てみてくださいね☆

 

 ≪ご感想・問い合わせは下記まで★励みになります。≫

dbd-hans-collection101.hatenablog.com

 

 

◆◆関連サイト及び過去ブログ・考察の目次です。★★
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よだかの星青空文庫より
よだかの星 宮沢賢治
http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html
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イメージ画像などモリモリの過去ブログ

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よだかの考察の目次です。

※すでに書いたものは過去ブログを張っていますので、関連内容になりますので、どうぞみてみてくださいね^_^

目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎

②情景描写は五感から入る!

③色


《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか? 

⑤よだかの“さいご”はいつなのか?

⑥ナレーションは何者なのか?演劇においてのナレーションのポジション
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動画編集は次は「たくさんのお月様」に取り掛かります。

またお時間はかかるでしょうが、形にできるよう頑張ります。

 

お楽しみにです(^^)

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おまけ

今回本番直前のベストショットです。

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二人は意地悪な小さな鳥役を演じていますが、とっても仲良しなのです(^^)

 

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文系本領発揮!半ちゃんの「よだかの星」考察(解釈) PART4!「なんで星になれたの!?」

こんにちはdbd半です。

 

ちょっこし家のゴタゴタ、会社のゴタゴタ、さらにさらにのんびり更新になっております。

気づけば、本のキャスト練習をしていた時より、時間をかけて書いております(笑)

 

さ、よだかの考察、後半を書いて参りますよ^_^

まずは、関連内容サイト及び目次です。
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よだかの星青空文庫より
よだかの星 宮沢賢治
http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html
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イメージ画像などモリモリの過去ブログ

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よだかの考察の目次です。

※すでに書いたものは過去ブログを張っていますので、関連内容になりますので、どうぞみてみてくださいね^_^

目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎

②情景描写は五感から入る!

③色

 


《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?
⑤よだかの“さいご”はいつなのか?
⑥ナレーションは何者なのか?演劇においてのナレーションのポジション
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

やっとこ、後半に入ってきましたね。

ここからは、このよだかの星の真骨頂。

「ハッとする」瞬間に目線を向けながら④⑤⑥と書き綴っていこうと思います。

 

改めまして、今回のお題

《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?

 

ここまで読んでくださっている方からすれば、なんぞや?というタイトルですよね(笑)

 

ツイッターをフォローしてくださっている方はご存知だと思いますが、半はここ数ヶ月、二度見しちゃう、繰り返し見ちゃう聞いちゃうものはどんなものか、自分のハッとする気持ちやまた見たいと思うものについて、拾い出しをしています。

こんなの一個人の感想じゃないか!っと言われても、おっしゃる通りなのですがσ(^_^;)、いざ作る側になるとそう言った瞬間のハッに鈍感になってしまうんですね。

それって、一瞬のインスピレーションだし、実際、繰り返し繰り返し見続ければ、その感情のきらめきは薄れて行きます。

だいたいにして、また見たいっ!と、思った理由なんて普段は考えないはずですから当然です。。

列挙していく中で、きっと何か共通点や好みや、その他のよく分からない何かがあるんじゃないかと思ったのがきっかけです。

 

半の中では、このハッはとても大事で、私が感じたハッを皆さんにも伝えたいと思うわけです。

逆を言えば、面白い!また見たい!すごい!と思うものには、必ずこのハッがあると思うのです。

 

このよだかの星に関しても、上記の事があてはまります。今回私は繰り返しよだかの星を読んでいく事で、この"ハッとするもの"の大事さを教えてもらったように思うのです。

 

ですので、あくまで半なりの解釈ですが、順を追ってお話しして行きたいと思います。

 

④よだかはなぜ星になれたのか?

 

皆さん、どう思います?

 

ズバリこれって、この作品よだかの星の一番のクエスチョンでは無いでしょうか? 

 

半は読んでも読んでも解読できず、頭を悩ましました。

他のサイトでは宗教的な観点から、書かれていて、そういう見方もあるんだと思いましたが、どうも納得できません。

 

あ、ここでいう納得できないというのは、役者や演じる側にとって、辻褄が合わない、話が途切れる、という事です。これは作品制作者にとっては、世界が途切れるのと同じ意味になります。世界が途切れる、つまりは演者が途切れるのなら、見る側はシラフ(現実に)にかえる結果になります。

ですから、半の中では、納得できないことは納得できるまで読んで読んで読んで読んで読み倒さないと行けないわけです。(あくまで半流の作品作りですが)

 

とすると、宗教的な観点からだけだと、どうしても読者に偏りがあります。

そんな差別的な書き方を、 この宮沢賢治さんが書くでしょうか?

ニッチな話ほど気になるといえば、それまででしょうが、それではなぜか半の中では消化不良でした。つまりは納得できない。

 

では、今一度文章を読み解いてみましょう。

 

 寒さにいきはむねに白く凍(こお)りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変りません。つくいきはふいごのようです。寒さや霜(しも)がまるで剣のようによだかを刺(さ)しました。よだかははねがすっかりしびれてしまいました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。そうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。ただこころもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居(お)りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
 そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
 今でもまだ燃えています。

 ※引用:青空文庫

 

うん。分かりません。

ではよだかはなぜ星になりたいと思ったのでしょうか?

「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼(や)けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」

死ぬことで光を出す。それが星になったということでしょうか。

では、もっと掘り下げて。

よだかはどうして死を求めるようになったのでしょう?

ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。

 そうそう、鷹に殺されそうになったことで、死というものを近く感じ、ひどい理不尽さを持っているにもかかわらず、実は自分も他の生き物を殺して生きている存在だったことを自覚する。こんな内容でしたよね。

 

さて、私たちは教育という制度があり、植物や生き物を食べることはごくあたりまだと認知しています。けれど、いざ生き物を目の前にして、その肉を喰らえというのは、はなはだ抵抗を感じるのではないでしょうか?

 

肉の旨みを知っているものの、可愛い動物が、動物の親子が殺されるところを見ればどうでしょうか?単純に「可哀そう」なんて思ってしまうわけです。

自分の体内に当然のように吸収しているくせにです。

 

よだかは、ここに不条理を感じたのでしょうね。

不条理はどこにでもつきものです。

その不条理さを感じたうえで、あなたなら肉を食べないで生きていく道を選べますか?野菜を食べないで生きていこうと思えますか?

 

私は否です。

肉だって食べるし野菜も食べます。

可哀そうだと思いつつも、美味しい、と思ってしまうでしょう。

 

よだかはこの分かれ道、多くの人とは違う道を選択したと言っていいでしょう。

そう、ここに私は何やら、よだかが星になれた理由のヒントが隠されているように思うのです。

 

ただただ、いじめられて、我慢して我慢して、そしたら星になれた。めでたしめでたし。当初の半の印象はこんな感じなのです。

でも、これじゃ全然面白くないですよね。それに児童向けの話としてはあまりにお粗末です。

 

それが、何やらヒントが見えてきました。

肉を食べない選択。

命を奪わない選択。

他の人とは違う選択。

 

純粋で単純で明確。

 

でも、どうしてこの選択を選んだのでしょう。

そこには鷹の存在と醜さを理由に苛めを受けていた境遇があります。

 

そこまで、プレッシャーをかけられていた。他の選択肢がなかった。苛めから解放されたいがための死の選択。自由を求めるための選択だった?

 

またまたお粗末な設定になってしまいます。

こんなことを児童が素直に受け取ってしまえば自殺者が後を絶ちません。

宮沢賢治さんはこんなことを言いたかったのでしょうか?

 

本当のところはわかりませんが、他の答えもきっとあるはずです。

 

もっと崇高で、お日様やお星さまにも見放されたよだかが星になれた理由。

他者を殺して自らが生き残るよりも、自らの命を絶つことを選ぶ理由。

 

そうそ、他の方が書いた解釈で、だれからも見放され、自力で願いをかなえた所に美しさがあるという風におっしゃっていた方がいました。

なるほど、そういう見方もできますね。

でも、自力で星になる力なんて、こんな非力なよだかにあるのかしら。。。

どうやら製作者としての半はまだ納得できません。

 

ん~、ん~、

 

ていうか、そもそもなんでお星さまや太陽は光るんでしょうか。

ま、燃えているからですよね。うん。うん。ん?

ただ、燃えている。

それって、つまり自然現象・・・ですよね。

 

おっとっと、ちょっと違う角度から考えてみましょう。

 

もともと、よだかは星になる素材(素質)を持っていた。

その着火剤がなかっただけで。

それがこの死を求めることで、いや生と死の境界線を越えることで、点火された。。。

 

なんだ、なんだ謎のひもがほどけてきそうですよ。

 

順に解釈を建ててみましょう。

①よだは星になる素質を本来持っていた。

②状況は最悪。いじめられるしついには変なあだ名をつけられて殺される寸前。

③でもよく考えたら自分も殺生してた。

④もうやだ。殺すのも殺されるのもやだ。だったら死んでもいいからどうせ死ぬんだったら、一つの光にでもなってやろうじゃないか。

⑤けれどもやっぱり邪険にされる。

⑥ねばる。ねばる。ねばって。天を目指す=死(着火)

⑦星になっていた。

 

 

流れをざっくり列挙するとこんな感じです。(笑)

ではこの①の素質が問題です。

素質、星になるべくしてなる素質。

純度の高い何か。でしょうか。

純度の高い・・・ベジタリアン。。。いやいやいや。さっきのアレ。

アレな気がします。

そうです。よだかは虐められても殺されそうになっても、自らがいじめる側になろうとしたことはありません。むしろ、自分が生きるための殺生でさえ、断ち切ろうとするのです。自分に受けた痛みを誰かにまき散らすのではなく、それを決して問い詰めることも、仕返しをしてやろうとすることもありません。

 

前にも少し書きましたが、よだかは決して弱い生き物ではありません。弓のように空をかけ鷹のような鳴き声を持っているのですから相手を威嚇することもできたでしょう。もともとポテンシャルの高い生き物だと思うのです。

 

でも、決してしない。

 

これって、原石みたいじゃないですか?相手を思いやる。傷つけたくない。そして一縷の光になりたい。

まるで子供のように純粋でまじりっけがなくて、原石というか原色というか。一番自然に近いもの。

 

そう。これが素材なんじゃないでしょうか!?

 

するとするとですよ。

 

生と死の狭間が着火剤になると仮定して、それにはどんなくだりがあったでしょうか。

 

よだかはもうすっかり力を落してしまって、はねを閉じて、地に落ちて行きました。そしてもう一尺で地面にその弱い足がつくというとき、よだかは俄(にわ)かにのろしのようにそらへとびあがりました。

 

 ここで着目したいのはここ、地に落ちて行きました。という文です。

実はここだけ地に落ちるという表現を使っています。地に落ちる。この単語だけを拾うと地獄に落ちるの、表現に近いものがあります。

そしてよだかはどこから落ちるかというと、お星さまのいる天からです。

つまりよだかは天から地に落ちるのです。

 

そして最後のくだりではこのように書かれています。

もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。

 これは天と地の隠喩だとするなら、天でも地でもわからない。無我の境地。昇天。

とも受け取れるのではないでしょうか?

 

 

はい、ここで、まとめます。

 

④よだかはなぜ星になれたのか?

   ・もともと星になれるピュアソウル(星になれる素質)をもっていた。

  ・逆境にいることで引き金になり、着火剤になるだろう死への選択をしていく。

  ・それでもさらに拒絶されるが、拒絶されることでさらに純度の高いピュアソウルへと近づき天と地の境界線を渡る。

  ・境界線が着火剤となり、よだかは昇天。

  ・無我の境地の中自分が光り輝いていることに気づく

 

 

これが半なりの解釈です。

どうでしょうか?

 

他の方からすると、私の解釈のほうが納得できないよぉ~という方も多いかと思います。でもいいんです。(笑)

 

いろんな解釈があってよくって、特に役者や演出をする側は独自の視点があるものなので、自分がきちんと辻褄があっていて納得できたならそれで世界はつながるんですから。(^^)

 

でも、なかなか面白いと思いませんか?

星の原石を持ち合わせていたよだか。

生死の境がそのきっかけだった。

 

でも、半はこれだけだとまだ納得できなかったんです(笑)

 

次回に話が続きますので、是非次回も連続してお読みくださいね。

次回は・・・⑤よだかの“さいご”はいつなのか? です。

お楽しみに~(^^)

 

 

演劇の良いところ-ずっと忘れない舞台

今晩は。dbd 半です。 

今日は夜更かし半ちゃんです。

今から作業の続きをちょこちょこやっていきます。

 

よだかの星の考察(解釈?)の続きに関しては、現在進行形で書き留めていますので

そちらも良ければご覧くださいね。

 

今日は、昔見た演劇作品の事をお話ししたくなりました。

私が1・2を争うくらい大好きな作品で・・・、

大好きというか、もう胸にずっきーんときてしまった作品とセリフなのです。

 

自転車キンクリートSTOREさんの

「絢爛とか爛漫とか」です。

 f:id:dbd-hans-collection101:20170410012928j:plain

 

 

絢爛とか爛漫とか―モダンボーイ版・モダンガール版

絢爛とか爛漫とか―モダンボーイ版・モダンガール版

 

 

 

 

この作品は、何が好きかといえば、もう全部好きです

 

最初は、惑星ピスタチオ解散後の蔵さん(勝手な愛称です:佐々木蔵乃介)目当てで見に行った舞台でした。場所は今は無き近鉄小劇場(大阪)。私は舞台左側(下手側)前のちょっといいお席でした。チケット代は確か4000円だったと思います。

 

ダンボーイ・モダンガールが流行する若き文豪たち4人の話。

 私が見たのはモダンボーイ版の男性4人芝居です。

 

時代設定、キャラクター設定、役者さん、内容、舞台美術、演出。

 

すべてが最高でした。

 

何度も思い出し何度も繰り返し頭の中にふらりと現れます。

 

 

私は、時々猛烈に人の才能に嫉妬を抱きます。負けたくない。

頑張る。でも敵わない。いつもその繰り返しをしているのです。

心が折れそうになる時は何度もあります。いやいや実際折れまくりです。

 

私がお芝居に復帰すると言い出しもう丸一年。

心は折れるし、手は震えるし、出来ない出来ないと出口のない迷路にはまり込んでしまうことも多々ありました。

 

今でさえ、私自身の居場所に不安を持たずにはいられません。

劇団でもない。コンスタントに作品を作れているわけでもない。動画という作品作りはしたものの、ちゃんとした小屋での舞台を踏んでいない。

こんなことで、活動していると言えるのか。

私は芝居人といえるのか。

 

寂しくて孤独になることもあります。

 

そして何より、舞台で輝く皆さんがうらやましくて仕方ないのです。

 

分かっています。私が選んで今の状態をキープしていることも、今はまだ模索の段階だということも、まだまだ己のやるべきことをやり切っていないということも。

 

なのに、すぐに答えが欲しくなって、つい自分の首を絞めたくなるのです。

「私はこんなに頑張っているのに・・・」

邪な心に支配されて、自分の居場所が分からなくなってしまうのです。

「あの人達はは、にこにこと周りと笑っているだけじゃないか・・・」

自分は真っ黒く周りは光り輝いて見えるのです。

「なんで・・・?なんで・・・?」

 

どんな世界でも、器用な人はいます。

もちろん陰の努力家もいますが、そうではなく本当に努力なんて関係なく出来てしまう人がいるんです。

 

すみません、これは愚痴ではないのです。

愚痴っぽいですよね。

 

でもね、こんな風に思うことはきっとたくさんの人が経験していると思うのです。

 

そしてね、もし、今このブログを見ていただいている方が、

私のようなどす黒い感情に囚われているなら、私は「絢爛とか爛漫とか」に

出てくるセリフを送りたいのです。

 

※昔の記憶の中で書いているので、内容・セリフは全く同じではありません。ご了承ください。

 

4人の文豪の中で、一作品はヒットしたもののそこから一向に書けなくなってしまった主人公。真面目だけが取り柄で、文学作家とはこうあるべきものだと、正論を並べ今は次回作に向けて案を練っているところだと見栄を張る。それに引き換え、文学にあまり興味がなく適当にしか書いていない友人。話も途中で終わっている作品。にもかかかわらず読んでみると登場人物が生き生きとしている。主人公は絶望と羨望を抱く。そんな時、友人が自分は文学をやめるという。親の後を引き継ぐと。

 

主人公は、友人に止めに入る。”なぜ、文学を続けない?お前はこんなに才能があるじゃないか。俺はお前に嫉妬した。けれでも、俺は嬉しかった。お前が前を走っていてくれることを。なのに、そんなお前が文学をやめるなんて、、俺は許さない!”

そのあと、友人が言ったセリフです。

 

お前は池の中に立っているのに、喉が渇いたと駄々をこねる子供のようだ。むしろ、俺はお前がうらやましい。こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。

俺にとって、文学は夢中になれるものではなかったのだ。俺は妾の子だ。本妻の兄が倒れたので俺が呼ばれた。俺は次に会う時は社長さんだ。喜んでくれ。」

 

 

お前は池の中に立っているのに、喉が渇いたと駄々をこねる子供のようだ。むしろ、俺はお前がうらやましい。こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。

 

 

こんなにも、夢中になれるものがお前にはあるじゃないか。

 

 

あなたは、夢中になっていますか?

夢中になってるからこそ、今があるんですよね。

好きで、好きで、たまらなく好きで。だからこそ心がぐちゃぐちゃってなっちゃったんですよね。

 

大丈夫です。

あなたは、また頑張れます。

 

走れなくなって、歩けなくなって、前にあった背中がどんどん小さくなって、自分だってそこに行きたいのに・・って、声に出したいのに、言えなくって。結果が出せなくって。悔しくって、涙で前が見えなくなって、小さくなった背中がどんどん涙でぼやけて。

 

ね、こんなにも何かに好きになれるって、凄いことだと思いませんか?

それこそがが才能だって、知っていましたか?

 

しゃがんで手を出せば、いくらだって喉の渇きは癒せる。あなたの才能は前を走る誰かの背中じゃなくて、自分の足元にいくらでもある。・・・のかもしれませんよ。

 

これがドラマや小説ならここまで印象に残らなかったかもしれません。

温度。

あの時生で見たあの熱は、私は今でも忘れることができません。

ラストの軒先から見える桜の舞。ちょうど今の時期のような春の季節がこの作品のラストシーンでした。

 

私の邪な心を代弁・浄化してくれる作品です。

あぁ、演劇って素晴らしいですね!

私はこの言葉に何度も救われました。たぶんこれからも、何度もお世話になるでしょう(^^)

上手い下手の点数制なら、もう落第かもしれませんが、好きの気持ちは誰にも点はつけられないし、止められないものですもんね。

 

 

今日はお芝居・演劇の素晴らしさを伝えたくて書いてみました。

今まで制作サイドの話が多いですが、一お客としての目線で演劇の楽しさを伝えるのも良いですよね(^^)

 

まだ演劇に触れたことがない方は是非一度見に行ってみてください。

合わない残念な作品もあると思いますが、ぴしゃりとハマったときはもう抜け出せなくなりますよ(笑)

 

_____________________________

蛇足です。

私は下手でしたが絵を描くのが好きでした。

小学生のころは、よく分かりませんが、絵ばかり描いていました。でもそれは断片的で、目だけだったり口元だけだったり、ひたすらそこから広がるイメージを楽しみながら書いていたので、後で見るとあったまでっちだったり、バランスの悪いお絵かき帳になっていました。

中学生になり、絵や漫画を描いたり交換するのが流行りました。

友人の一人が即席でびっくりするくらいの完成度で絵を描いてくれました。

彼女は、特に漫画にドはまりしている訳でもなく、好きでお絵かきするようなタイプではありません。でも、見せてくれたのは、人物も背景もバランスもすでに漫画家デビューできんじゃね?というレベルだったのです。

中学生_半は、こんな友人がいて嬉しいと同時に、あぁ天才ってきっとこういう人を言うんだと認識しました。

そして、きっと絶対勝てないし、きっとその事を彼女に言っても、別に気に掛ける範囲ではないのだろうと察知しました。なぜなら、彼女にとって絵を描くことが、そこまでの"好き"ではないのは明らかだったから。

 

さっきちらりと見た漫画の絵が、彼女の絵のタッチに似ていて、「絢爛とか爛漫とか」を思い出しました。

 

なんか、いろいろ懐かしいなぁ。(^^)

 

 

文系本領発揮!半ちゃんの「よだかの星」考察 PART3!「色」

どもどもdbd半です。

さて、このコーナーも第三弾になってきました。いやいや、別段コーナーというつもりはなかったんですが(笑)言いたいこと全部言ってやろうと思ったらこのような感じになってきましたσ(^_^;)

 

私は遅筆なうえに、特に今動画の画像追加や、デザインや、職場では今更ながらワードのMOS勉強までし始めてましてやりたい事づくしなのです。σ(^_^;)

形になるまでは、少々時間がかかるので、のんびり各駅停車に乗った気持ちで、投稿既読していただければ幸いです^ ^

 

今まで同様関連サイトと過去ブログと今回の目次です。

 

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よだかの星青空文庫より
よだかの星 宮沢賢治

http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html

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イメージ画像などモリモリの過去ブログ

 


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前回にも挙げました目次です。


目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎


②情景描写は五感から入る!


③色

《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?
⑤よだかの“さいご”はいつなのか?
⑥ナレーションは何者なのか?演劇においてのナレーションのポジション

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

さて、本題に戻してまいりましょう!

 

 

今回は「色」のお話し!

 、色

 

あ、なんか並べたら亀っぽいww

 

皆さんは、何色が好きですか? 

何かで読みましたが、心情的なものが好みの色に反映するらしいですよ。選ぶ服の色とか、手元に置いておきたい雑貨の色とか。気がつくと似たような色を選んでるなぁってことあると思うんですよね(^^)

 

半はね昔でした。

青は典型的な寂しがりや

そのあと、白っぽいピンク系に。

ピンクは甘えたいとか情愛とかだったりしたように思います。そういえばちょうど、ピュアピュアラブビームのときでした。ああ、もう遠い昔っ!(笑)

そして今は水色です。

水色はよく分からなかったので気になったので調べて見ました。

 

心が解放的な時。
希望を感じている時。

飾らず、素の自分・自然体で居たい時。
リラックスしたい時。

繊細な気持ちになっている時・・・

 

参考:

はい(^◇^)いい部分取り上げちゃってます(笑)

 

皆さんはどんな色が好きですか?

水色以外にも他の色の持つイメージやメッセージってたくさんありますよね。

こちらのサイトはまとめてたくさんの色について端的に書かれていたので、合わせて貼り付けさせていただきますね。

好みの色はどんな意味合いになるのか、見てみると面白いですよ!

 

参考:

 

※色と心情について何個か見て見ると、同じ色でも多少見解が違っているようなので、絶対的な意味と囚われるのではなくコンパスの針のように、おおよそ、このあたりの意味合いとしてご参考ください。

 

はい。長い前置きをさせていただきました。

 

ここで言いたいのは、色から心情が読み取れること。色のイメージと心待ちというのは一つのメッセージになっており、皆様にも身近にそれを感じていただきたかったのです。(^^)

 

では、本題の「よだかの星」に入ってみてみましょう。

 

よだかの冒頭

 

よだかは実にみにくい鳥です。

顔は味噌をつけたようにまだらでクチバシは耳までさけています。 

 

色という天で、この文章で目を引くのが、味噌をつけたように、のくだりではないでしょうか?

 

味噌をつけたように。

 

昨今ではあまり見ない形容の仕方ですよね。

そこをもう少し想像を広げて思い描いて見ましょう。

 

顔に所々、茶色い味噌

 

クチバシといえば黄色でしょう。口の中は赤。黄色は耳までさけています。

  

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いかがでしょうか?

 

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あぁあぁ、もう! 

絵心っっ! (笑)

仕方ないです。( ;∀;)

 

本当のイメージはご想像にお任せします。m(__)m

 

きっと、かわいそうだったのには間違い無いのです。はい、間違いありません!

 

 はい、皆さん少し落ち着いてくださいね。

 

ここからまた少しちゃんとしたお話になりますからね。σ(^_^;)

 

よだかの星は、冒頭の味噌をつけたようにを発端で茶色っぽいイメージから話が進みます。

 

ここから重要になってくるのが、文体の中で色を良く表現しているのがだということです。

 

文体に表現されているのは主に、空、山、物象(星や太陽)これらのの景観です。

この変化が、よだかの心情とマッチングしていく流れは、匠の技だと言えるでしょう。

 

よだかの星の文面を見てみましょう。

 

  あたりは、もううすくらくなっていました。夜だかは巣から飛び出しました。雲が意地悪く光って、低くたれています。夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまわりました。
 それからにわかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のようにそらをよこぎりました。小さな羽虫が幾匹(いくひき)も幾匹もその咽喉(のど)にはいりました。
 からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。もう雲は鼠色(ねずみいろ)になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。
 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋(ぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを呑(の)みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
 雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって恐(おそ)ろしいようです。よだかはむねがつかえたように思いながら、又そらへのぼりました。
 また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はいりました。そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。よだかはそれを無理にのみこんでしまいましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
(ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓(う)えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。)
 焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです。

 

 

 

 

 

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まがまがしさ、不穏さがどんどん増していくのがわかります。

 

そして、この画像では赤一色にするのが難しかったのですが、赤の色(血)とよだかが”死”を意識する印象が同時進行で強くなっていくのが分かります。

 

 

このイメージを少し写真でも撮ってみました。

 

【どんどん"うす暗く"から"黒"になっていくイメージ】

 

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【山やけのイメージ】

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 はい、やっとここまで来ました。

今回のお話のもっとも言いたかったこと。

 

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もし、舞台でやるなら、こんな照明にしたい!

 

やはり私は芝居人です。舞台の話から離れるかなという流れで「よだかの星の考察」を書いていましたが、なかなか舞台からは離れられません。いや、むしろ舞台をから絡ませるからこそ、舞台の視点でだからこそ、書けるのです。

 

実際は映像動画などを作成し、しばし会場ありきの舞台からはご無沙汰しておりますが、半の思い描くのはいつも舞台のイメージです。

 

この色と心情というのがリンクしているなら、舞台であれば、照明の明かりで表現することができます。

特に私は舞台の明かりが好きです。照明の知識は小指の第一関節ほどしかありません。ですが、ライトが照らし出す光の線を思い出すと、心が震えます。世界が広がります。

雲から漏れた日の光を天使の階段というように、舞台の照明というのはとても美しいと思いますし、またこれほど心情を表すのにもってこいなものは無いのです。

ただの情景表現のようで実はよだかの心を表す表現を舞台の照明なら作ることができます。

 

残念なことに今の現状、私が舞台の明かりを作って皆さんにお見せすることはできません。

なので、今ある生活の中でよだかの心情を表現するなら「こんな感じ」というのを身近なところでみつけたのが、「ここ」でした。

 

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電線などがあるのは、創造力でカバーして頂いてσ(^_^;)

前の木々はさほど大きくないのに、後ろに映る影によって不安さや不穏さをだすような感じ。

燃え山を見つめ、よだかの心が黒から赤に染まってく1カット。 

 

できうることなら、ライトに変化をつけて

舞台全体を青中心にそめて。

そこからダークグレーを表現するように光量を調整

ねずみ色っぽく黒っぽい青

グラデーションをかけてゆっくりと黒っぽく変化

別方向から差し色の赤

黒からどんどん赤に染まっていくグラデーションに変化(影の揺らめきを利用)

 

糧とし命を奪うよだかが、自分が命を奪われようとしてはたとその重さに気づき死に魅了されていく工程。黒から赤に囚われていくイメージ。

 

つまり、トップに貼らせて頂いた、色から見る心情についての、サイトによると・・

役立つ!色の効果・イメージについてのまとめ記事 - SIRUHA

灰色の弱点

優柔不断、曖昧、無気力などのマイナスイメージもあります。

                    ※一部抜粋

黒の弱点

不安、恐怖、絶望感、圧力、劣等感などのマイナスイメージが多い色です。

 

黒のイメージ

黒はすべての色を吸収した色

闇 無 不安 恐怖 絶望感 

                                             ※一部抜粋 

赤のイメージ

血や肉など、人が生きるために必要なものと関係が深い色

                                              ※一部抜粋

 

なんて綺麗な流れなんでしょか。

見事に景観とよだかの心情はリンクしています。

 

それはこのの表現を巧みに使うから、ならではなのだと思います。

 

 

もし、次に私が演出をやる機会があるなら、ただの景色としての照明の明かりではなく、話の流れに沿った心情を表す明かりを、照明さんにリクエストして行きたいと思います。(^^)

 

あぁでもこれって照明さん泣かせなんだろうな。σ(^_^;)明かりを作るのは簡単ではないのでσ(^_^;)

 

私も照明の知識もどんと入れて行きたいな!

 

あぁ、その前にデザインもだし、その他もあるし、、ま、なんでもやっていくのみです!(^^)

 

あ、そうそ、一つ残念なことが。

この赤い山のくだりを、劇団アクアさんの本番では時間的な問題でカットしています。

m(__)m

ここまで話しといてなんだよ!ですよね。

ですが、同じようにその他の文体にも色に関わるメッセージは含まれています。

今回は一番印象に残る部分だったので取り上げさせていただきましたm(__)m

 

どうしても、なんだよ!という気持ちが収まらない方がいらっしゃいましたらメールで一声、ご連絡下さい。m(__)m

アクアさんに相談してフルバージョンを録音し直すか、もしくは私だけでフルバージョン朗読させて頂きますσ(^_^;)

 

さ、やっと次回『「よだかの星」の考察』後半に入ります。どんどん深みに入って行きますからね〜ヽ(*^ω^*)ノどうぞお付き合い下さいね★

 

 

 

==============°=°==============

最後に動画進捗状況です。

実はまだ本番を迎えた動画を編集しております。

今回は音声を中心にして静止画&その他イメージ画像を展開に合わせて切り替えを行なっています。

ある程度形にはなってきていますが、もう一度見直しをかけるところです。

動画編集はやはり不慣れでまだまだ未熟ですが、創意工夫はしておりますので、気長にお待ちください。m(__)m

============°=°===============

 

 

 

 

文系本領発揮!半ちゃんの「よだかの星」考察 PART2!「五感」

こんばんわdbd半です。

 

さ、皆様、前回は少し脱線しましたが閑話休題

 

前々回に引き続き、

今回も「よだかの星」文系半ちゃんによる独断と偏見での考察第2弾を行なって参りますよ!

では、最初に関連内容を貼り付けますので、まだの方、もっかい見てみようという方はご参照くださいませ。

 

よだかの星青空文庫より

よだかの星 宮沢賢治

 

イメージ画像などモリモリの過去ブログ

 

 

前回にも挙げました目次です。

 

 目次
《長く愛される理由〜描写》
①単語、「もう」「まっすぐ」「まるで〜ように」が多い!のはなぜ⁉︎
②情景描写は五感から入る!
③色

《長く愛される理由〜ハッとする瞬間》
④よだかはなぜ星になれたのか?
⑤よだかの“さいご”はいつなのか?
⑥ナレーションは何者なのか?演劇においてのナレーションのポジション

 

前々回は、この①の項目について書かせて頂きましたね!

 

今日はこの続きです。 

②情景描写は五感から入る!

 

半はね、この五感から入るというのはてもてすごいテクニックだと思っているんです。なぜなら、ただの状態のものが、一気に人間らしさを醸し出しアウトプット側(書き手・作者・表現者)とインプット側(読者・視聴者・お客さん)がシンクロする書き方だと思うんです。

 

そう、この五感というのがポイントです。

 

ちょうどカメラで必要なところにピントを合わせたとき、周りはぼやける変わりに一部に焦点が当てられ、その一部分を鮮明に焼き付けるようなイメージ。それが、文字におこされたとすればきっとこのような表現になるのだと思います。

 

こういった手法は、今の小説文学でも多分に使われていますよね。特に効力を発するのが一人称の書き物の時です。とてもリアルな世界を読者に味合わせてくれます。

 

 そうリアル。

 

例えば。お家にあったこちらのご本。

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愛川晶作「 6月6日生まれの天使」 より抜粋

 

   よだかの星のシーンにも出てくるような、眠りから覚め、況を確認し意識がはっきりとしてくるシーンです。

 

・・荒い息遣いが、聞こえた。

しばらくの間、自分自身が呼吸する音だと気づかなかった。肩が大きく上下している。

喉がカラカラに乾いていた。二、三度唾を飲み込んでから、静かに眼を開けてみる。視野全体が白一色に塗られていた。

雪の荒野・・・・違う。そんなはずはない。何しろ、この暑さだ。

   ※特にこの小説を選んだ意図はありませんが、一人称のイメージがとても強くありました。というか、一人称でしか書けない小説ですよね(笑)

 

 

・・荒い息遣いが、聞こえた・・先ずは聴覚から現在の状況のヒントが出てきます。

次に意識が出てきて

肩が大きく上下している。・・体の動き、つまりは体感、喉の渇きから味覚、視野全体が白一色に塗られていた。というところから・・視覚、そしてさらにはっきりとした意識。

 

手探りで状況を探るという時、このように五感をフルに動かせて丁寧に一個づつ情報をキャッチして次の情報を収集、それらを総合的な観点から意識に結合させていきます。

 

その一つづつの所作は実は普段何気なくしている所作と変わらないはずなのに、一つづつを挙げていくことで、より鮮明で印象に残りリアリティを引き出します。

 

 

では、「よだかの星」に振り返ってみてみましょう。

 

 

倒れ込んだよだかが、めを開けるシーンです。

つめたいものがにわかに顔に落ちました。よだかは眼(め)をひらきました。一本の若いすすきの葉から露(つゆ)がしたたったのでした。もうすっかり夜になって、空は青ぐろく、一面の星がまたたいていました。

 

つめたいもの、、触覚

眼を開きました、、行動

一本の若いすすきの葉から露が滴ったのでした。、、視覚

一面の星が瞬いていました。、、視覚

 

具体的に見ていきましょう^ - ^ 

倒れ込んだよだかは目からの情報はありません。

皮膚に落ちた冷たい感触。これが唯一の情報なのです。

そこから、瞳をあけ、目からの情報が飛び込んできます。

若い一本のすすきに残った露の塊。ちょうど目の前にあったものなのでしょう。ああ、これが自分の目を覚まさせたのかと、気づきます。

そして、視野が広がりその一本のまだ露が残ったすすきの向こうが見えてきます。

一面の星が、瞬いていました。

 

いかがでしょうか?一挙一動で情景がどんどん浮かび上がってきませんか?

 

面白いことに、この短い一文ですが、ト書き(舞台では台本でセリフ以外の動きを書いたものをト書きと言います。)に当たる部分は、このようによだかの心情と非常にリンクしています。※今回私たちがやったト書きは朗読劇だったためナレーションがセリフとして朗読しています。 

 

読者を主人公と同じ目線に持ってくる効果をもらたしているんです。

 

これはね、めちゃくちゃ印象に残る!

 

読者が(朗読劇でいうと視聴者が)、読者と同じものを感じて行動して同じ視界になるってことなんですよっ!!

 

例えば、これが、

 

若いすすきの葉から露がしたたり、よだかは目を覚ましました。もうすっかり夜になり一面の星が瞬く夜になっていました。

リライト:半 

 

文章としては成り立ちますが、印象に残る物はありますか?

 

ただの状況を述べいるだけです。読者としてはどちらかというと面白みに欠けますよね?

 

 

そしてね、演劇面でいうと、こういった描写はね、役者にはおいしいっ!!ものなんです!!

 

えっ?何がおいしいかって?

 

役者は五感を感じ最終的にまた感じ続けながら、台詞を発します。

「おいしい」というセリフがあるなら、何を食べてどんな感触だったのか、味はどんなものだったのか、それを踏まえて出てくるのが「美味しい!!」というセリフです。

 

普段は、どんな感触でどんな風に食べてどんな味だったかなんて、セリフとして言うことはありません。

セリフに「おいしい」と書いてあれば、それまでの動きや気持ちを作っておいて、タイミングよく音を出すだけて、言うのは「おいしい」だけなのです。

 

この前振りをね、セリフとして言えるって言うのはね、役者にはよりお客さんと同期できるチャンスってことでもあるんですよ!

 

同時進行でお客さんにも、その心情を一個ずつ吐露することで落とし込んでいくわけですからね!

これ以上に、お客さんをシンプルにフェイドインさせていく手法はあるでしょうか? 

 

そして、その一つづつの五感が繊細であったり美しさを持っていればなおのこと、このくだりはカッコいい見せ場になります!

 

ただでさえ、こういうくだりはお客さんも耳を傾けているわけです。五感から入るなら利き手読み手(聞き手) 自身も五感の感度が良くなっているはずです。

 

そこに情景の美しさや繊細さきらびやかさをプラスするなら、ただ美しいというものではなくキラキラと輝く宝石のような美しさを感じたり、今にも崩れ落ちてしまいそうなトランプタワーのような繊細さを出せたり、咲き誇る大輪の花のようなきらびやかさをお客さんにも感じ取ってもらうことが可能です。

これほど最強なテクニックはないのではないでしょうか?

 

ちなみに、私が一番最初に行った映像芝居『エンドレスサマー』こちらについてもそのような描写がありました。

 

時間の都合上、どうしてもカットしなければなりませんでしたが、これは大好きなシーンの一つなので、少し抜粋して書かせていただきます。

 

女の前に、謎めいた男が現れるシーンです。

 女 (引用個所はすべて台詞です-一人芝居)

蛍みたい・・・

まずは足元から。ああ、いつもと同じだわ。少しくたびれた茶色い編み上げ靴、針葉樹の葉のような濃いグリーンのコードュロイのパンツ。水色の紺色の千鳥格子模様のフランネルのシャツ。いつも顔はあらわれていないのに、左手で膝のあたりをせわしなくたたいている。無精ひげがまばらなシャープなあご。口、鼻、・・・。

そう、目と眉が出て明らかに寂しさが伝わってくる。右手には一冊の本。ため息を一つ。ここまではいつもと同じ。ついで動く口物との形は・・・・ああ、今日も読み切れない。

 

やっぱり今日も

そうやって黙ってひとり本を読んでいる。

 引用:エンドレスサマー

 

どうでしょうか。こちらは主に目線をたどる形で、女の視線が徐々に上に上がっていくのがとてもよくわかります。男がゆっくりと足元から現れる様子でもあります。

目の前に不思議と現れるこの世界観。

それから口元から発するであろう声(音・聴覚)を期待するが、けれどもそれが得られないもどかしさ。

ただの状態ではなく、そこから男の物憂げな寂しさと、男に何かを求める女の期待とそれがかなわないと分かっている不快感が表現されています。

 

あぁ、なんて素敵なセリフなんでしょうか。本多さんありがとう。

次回再演するならカットなしオールフリーで臨みたいです。(笑)

 

脱線ですが、まだエンドレスサマー(カット版をご覧になっていなければどうぞ見てみてくださいね☆)

youtu.be

 

 

いかがでしたでしょうか?

おそるべし宮沢賢治さんです。

宮沢賢治さん作品はたくさん映像になったり朗読されたりしています。

役者にとって制作者にとって、これを言いたい!このシーンを作りたい!と思わせるものがたくさんあります。

それって良い台本(やりたいなと思う台本)の一つの要素なのではないでしょうか?

 

よだかの星の情景がとても美しく感じるのは納得です。

こういったシーンがみんなを魅了するのかもしれませんね!^_^

 

 

 

演技が上手い=えらい は大間違い!〜笑ってここにいて〜

こんばんは。

dbd半です。

よだかの星の考察、書きかけでは有りますが、今思いたる事も書き連ねたくなり、脱線してお話したいと思います。^_^

 

演劇(芝居)というと、、

役者、または俳優、女優

 

がすぐにイメージされますよね。

 

ここでは、全般含めて役者としますが、

演じるのが上手いからといってその人がエライわけではない!!

という事を強く言いたいのです。

 

 

劇団というのは往々にして、演出がトップに君臨し、主役、中堅、新人といった流れで組織が成り立つ傾向にあると思います。

 

でね、やっていくとね、だんだん分かるんですが、演技が上手い人が必ずといって演技を教えるのが上手い、という訳ではありません。

逆に、教えるのが上手いからといって舞台で映える役者かというと実はそうではなかったりします。※もちろんどんな世界でもマルチな方はいらっしゃいますので、そういう方は別格なんですけどね。

 

それがね、初められて早々、もしくはある程度演技力が付いてきた時には、そこを勘違いしてしまうことがあるんです。

 

これは私が学生の頃です。

私はある程度なら初見で役らしきものを作ることができました。

友人たちも一目置いてくれていたと思いますし、少しくらいならできると自分でも思っているところがありました。

 

私の性格上それを鼻にかけることはありませんでしたが、心のどこかでもっとレベルの高いところへ行きたいと周りを軽んじているところが、少なからずありました。

 

そして、ある本番を迎えました。

プライベートも混濁した時期でもあり、私はそこそこの役作りしかできていませんでした。

 

その後、アンケートをみて、案の定、あまり自分の名前が挙がっていないことにも気づきました。

 

そしてそのビデオを見る機会がありました。

私は愕然としました。

 

「一番不器用なあの子が一番目立ってる」

 

なんていうことでしょう。私は何をしていたんでしょう?何がしたかったんでしょうか?

 

彼女は、そんなにメインの役ではありませんでした。返して私はメインの敵役で自分が望んだ役でしたし美味しい役でした。

が、全く面白くない。

彼女は、出てくるたびにその子だと分かるし、目が引っ張られます。滑舌もよくはありませんが、一生懸命さが役とあっていて共感を得られます。

 

明らかに、彼女の方が、いい役者でした。

 

今、私はお芝居の関係者の方とお会いする機会があります。一昨日参加させてもらったWAMさんでも、初めましての方がほとんどでした。

お芝居経験者の方から初めての方まで。

 

私は経験者ではありますが、初めての方にもハッとさせられることが多々あります。

経験者同士の中でも、この方はこんなことできるなんて凄いなぁと思うことがたくさんあります。

 

ま、私自身きちんとした演技の勉強をしたわけでもちゃんとした劇団に所属したわけでもないのですから、私が凄いなぁと思う方がたくさんいるのは当たり前の話なんですけどね(^^;

 

でね、

 

いくつか劇団さんを回らせて頂いて、その中で半はね、特に凄いなぁと、思う人がいます。

 

それはね、稽古の進行中、ずっと笑っていてくれる人です。

失敗しても、上手くいっても、愚痴っぽくなっても不安になっても。

 

「はははっ、それ、おもろい!」

と言ってくれたり、

「なんだそれっ!!ははっ!」

と突っ込んでくれたり、

 

「大丈夫!はははっ!なんとかなるって!」

 

と、背中を押してくれたり。

 

ただ、楽しそうに、してくれる。

それだけで、場の雰囲気全然違ってきます。

安心感があります。新人さんに対しても経験者に対しても自分に対しても。その場を楽しんでくれる人です。

 

ハッキリ言って役者なんておかしな生き物です。

急に泣いたり笑ったり、地べたに這いつくばったり、好きでもないのに抱き合ったり、ぶっちゃけ奇病に近いです。

 

自分でもわかっています。

ぶっちゃげ恥ずかしいんです!!!

 

役者はその恥ずかしさを取り去ってなんぼなものですが、稽古場でもそれを白々と見られた時には、とてもとても。居ても立っても居られません。さらに次の演技に入るのは至難の技です。それが新人さんならなおのこと。

 

笑いというのはね、それを、取り去ってくれる。受け入れてくれる。包み込んでくれます。

 

これは、どんな敏腕の主催でもできません。

メンバーの中にそういう人がいることが大切で貴重なんです。

実際、アマチュア劇団なら、主催や演出が稽古場の進行をする人がほとんどでしょうから、実際はこの稽古で良いのか?皆んなに伝わってるのか?皆楽しめてるのか?と、ど緊張のど真ん中にいる張本人です。

 

主催にとってこんなありがたいメンバーはいないのです。だって主催は、皆と楽しくやりたくて仕方ないんですから。

 

そして、もう一人。

メンバーとして所属していて一見目立たないけど毎回稽古に来てくれる人です。

こういう人は特に意見を述べることなどは無いと思います。ただコンスタントに毎回稽古場にきて参加して帰って行きます。

 

こう言った方も実は絶対的に貴重な存在だったりします。

 

主催、演出、役者、スタッフ、実はそれぞれがそれぞれの世界を持っているし、それを表現したいがために、お芝居を始めるわけですよね。

 

ですから、時には意見の相違もあれば、ついていけない、、、なんて事もある訳です。強い関心があればあるほど起こりえる摩擦です。

そんな時、一番周りをよく見ている人はこう言う人だと思います。

もちろん自分達で話し合い打ち明けあい、高みを望めればそれに越したことはありません。

 

でも、やはりどこかで発言力の強者や弱者が出たり、納得できないまま稽古がすすみ本番になり、場合によってはお芝居が嫌になってしまう事もあります。

 

そんな時にね、大きなキャパを発揮するのが、こういう方なんじゃないでしょうか?

 

納得できない胸の内、分かっていてもできない歯がゆさ、、整理がつかないぐちゃぐちゃ。

 

これを受け入れてくれる存在。

 

演技の上手い下手が劇団メンバーとしてのポジションを決めるものでは決してありません。

もちろん皆、上手くなりたいのは大前提です。

教えてもらうのなら、相応の姿勢をとる事も必要です。

 

でも。

 

マチュア演劇に関して言うなら、お芝居が好きで継続していく同じメンバーがいるなら、実は演技の上手い下手ではない重要なポジションを貴方が担っているのかもしれませんよ。

 

ただ、いてくれるだけでも。

ただ、笑ってくれるだけでも。

 

もし、あなたが毎回の稽古に参加していたり継続しているにもかかわらず、自分は演技も下手だし大した意見も言えないし、、なんて凹んだりする事があるなら、安心してください。

 

あなたのポジションは、誰にも真似できないメンバーの重要な役割です。

 

ついてきてくれること、そこにいてくれること、笑ってくれること、これがどれだけ重要か!

その事を知らないメンバーは、まだまだヒヨッコちゃんだなぁと半は思っています。(*´-`)

 

 

と、劇団メンバーについて熱く語ってはいますが、dbdは、ほぼ一人メンバーなんですけどね!(笑)

 

うん。

そういういろんな思考があっても良いし、相互作用があるからこそ、新しいアイデアも産まれたり助け合ったり補ったりすると思うんですよね。それが楽しい!

今から始める人も、熟練者の方も、劇団てなんぞや?と思う方も、あなたがいるからお芝居はできるんですよ^ - ^

 

でもま、そもそも表現に正解も間違いもないわけで、そこでエライ、エラくない、なんてないんだけどね!!

 

(笑)